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近所のスーパーで「佐佐木さん」と声を掛けられたとき、前かがみに鶏挽き肉を吟味していたわたしの苗字は無意識に離婚前の『高山』に戻っていたようで、それが自分のことだとすぐには気が付かなかった。
「すみません、びっくりさせましたか?」と、気弱そうな小さな笑顔を見せたのは小松さんだった。「こんなところでお会いするとは思わなかったので、つい…」
「いえ、こちらこそ失礼いたしました」と、会釈をするわたしの表情筋は急いで『テーラー佐佐木』の店員をこしらえる。「奇遇ですわ、こんなところでお目にかかるなんて」
「ええ、ほんとに。そっか、『奇遇ですね』って言えばいいんですね、こういうときは」
「お買い物ですか?」
「はい。買い置きがなくなってしまって…」小松さんは提げていた買い物カゴをちょいと持ち上げてみせる。カゴの中にはビールやら食玩付きのチョコレート菓子やら惣菜やらカップラーメンやらゲソやらが放り込まれて、少年と青年と中年がごちゃまぜになっていた。
「佐佐木さんは夕飯の買い物ですか?」
「ええちょっと」
「…ひょっとしてカレーですか?」
「いえ、今日は麻婆茄子をと思いまして」
「ああ、麻婆茄子ですか。夏野菜カレーが好きなんです、ぼく」
だったらなんやねん、とはもちろん返せないのだけれど、たしか二十代後半だったか、今の時代このくらいの年齢ではまだ子供っぽいところもあるのかなと不快ではない。「小松様はなさらないんですか? お料理は」
「いやあ、ぼくはぜんぜんです」
「そうなんですか。あ、でもこれからは『奥様』が作ってくださるから大丈夫ですわね」この頃すっかりおばさん口調が板に付いた自分に呆れながらわたしは笑顔をつくる。
「いやあ…はい」青年の顔には分かりやすい照れが浮かんだ。