前編 その2
「……そこに誰かがいるの?」
現れたのは、一人の美しい少女だった。
その整った造形美はまるで人形のよう。
金糸の髪はゆるく流れ、紺碧の瞳は宝石みたいにキラキラとしていた。
そして魔法使いのローブと帽子、それから老木で出来た長い杖を持っている。
少女が近づくと、消えかけていたその意思は、途端に震えた。
一体いつぶりだろう。
人を見るのは。しかも、こちらの存在に気づいている!
(ああ……あああ……あああ……)
意思は声なき声を上げた。
嬉しい。寂しい。ずっと待ち焦がれていた。
そんな切望を込めて。
それに少女は、ゆっくりと頷くのである。
「聞こえているよ。貴方はちゃんとそこにいるんだね」
少女は優しく微笑みかけた。
それだけでもう、心がいっぱいで、更に意思は声を上げる。
少女は杖を振り上げると、言った。
「無垢なる貴方のために、体を授けましょう。動けぬ貴方のために、器を創りましょう。万物は流転し、森羅万象は巡る。今こそ、すべては一つにならん。さあ、この者にどうか救いを――」
すると、なんということだろうか。
霊脈が震え、残骸に力を与える。
何十もの石の瓦礫が宙に浮いた。
それらは生きてるみたいに動いて集まり、その巨大な体を作っていく。
足りない部分は周りの土がいくつか抉れて補強された。
そうして出来上がったのは、石のレンガでできた巨人だ。
崩れ落ちた塔は、巨人に生まれ変わったのである。
「……! ……!」
石の巨人は自らの変貌ぶりに驚愕した。
再構成された体をおっかなびっくり動かしてみる。
それはまったく奇妙な感覚と言わざる得ない。
なんせ思った通りに腕が上がるのも、思った通りに声が出るのも、生まれて初めてなのだ。
すべてが新鮮であり、驚きと楽しさに満ち溢れたものだった。
「どうかな。新しい器は気に入ってくれたかな?」
少女が朗らかに聞いてきた。
石の巨人は感謝を伝えようとした。
しかし上手く喋れなかった。まだ体が出来たばかりで、動かし方がわからなかったのだ。
だから、代わりにぎこちなく頷いた。
少女はそれを見て嬉しそうに笑った。
「良かった。初めてだからとても緊張したの。どうやら何も問題ないみたいね」
「……ナマエ……」
「ん?」
「ナマエハ……?」
石の巨人は不器用に聞いた。
本当は、君は一体何者なんだい、と聞きたかった。
石の巨人は少女の正体を知りたかったのである。
それを察したらしく、少女は少しだけ考える素振りをした後に、こう答えた。
「私は偉大なるお父様から生み出された娘よ。私の存在はそれ以上でも、それ以下でもないの。呼び名なんてものは持っていないわ。だから、名前は貴方の好きなように。どんなものでも私は受け入れるわ」
その返答に石の巨人は驚いた。
何故なら今まで見てきたどんな人間も……それこそ最下層に住む掃き溜めの住民も、名前ぐらいは持っていたからである。
だが、少女はそんなものさえないというのだ。
高そうなローブを着て、杖まで持っているのに。
それは石の巨人にとって、とても寂しいことに思えた。
なので。
「カンナ」
感謝も込めて、自分の一番大切な名前を送ることにした。
「カンナ?」
少女は首を傾げた。
当然、その意味を理解出来ないのだろう。
石の巨人は麓の方を見つめた。
かつて、賑わっていた人間の街の方を。
そこには今や、殆ど何も残ってはいないが、しかし確かに幾つかの痕跡は見て取れる。
「もしかして、ここの街の名前だったの?」
少女はやがてハッとしたように聞いた。
石の巨人は再び肯首。
少女は「そうなのね」と言って、石の巨人のように麓の方をじっと見続けた。
「確かにお父様から、カンナという街の名前を聞いたことがあるわ。昔はとても栄えたところだったとも。……きっとここは、貴方にとってとても大事な場所だったのね。本当に大事な……」
「……」
「そんな名前をもらえるなんて、とても光栄だわ。ありがとう、優しい貴方。こちらからも、何か贈り物をしなくちゃね」
少女は――カンナはそう心から礼を言って、石の巨人の方へ向き直った。
そうして、
「貴方の名前はククルルにしましょう。今日から貴方はククルルよ」
「ククルル……」
石の巨人は自然の流れとして、その単語を口にした。
カンナは言う。
ククルルとは、古代語で、自由な翼という意味なのだと。
石の巨人はそれを気に入った。
何よりククルルとは、とてもポカポカとした心地よい響きだ。
それを呟くだけで、自分がこの世界に認められている気がする。
今この時、何者でもなかったその意思は、名と体を与えられ、個人として初めて確立したのである。




