『惑星ニノイプルトよりあなたへ』
廃墟となった惑星で、私は今日も歌い続ける。
「はーい、皆様こんにちはー! 天の川銀河標準時間十三時、今日も宇宙波数124イオタヘルツは私、シナノ・ミサラギがお送りします!」
型落ちしたマイクに向け、私はお決まりとなった挨拶をした。幾度となく繰り返した言葉はよく馴染み、何より私自身に、ラジオが始まったことを実感させた。
「皆様、本日の天気はいかがでしょうか? 私の住む惑星は今日も曇りです! あはは、つまりいつも通り、何も変わりありません! 退屈な報告かもしれませんが、私にとってはそこまで悪くないんですよ。だって五体満足、衣食住も完璧です! いや、完璧って言うと語弊がありますけどね、でも明日を心配する必要がないのなら、それは一切問題ないってことですから。それは充分、素晴らしいことなのではないでしょうか?」
私は努めて明るく話した。事実、明日どころか年単位で、私の暮らしは保障されている。何事もなければ天寿を全うし、安らかに眠ることができるだろう。惑星の中でも全区民適正生活システムを構築したここパディリリー地区では、区民の生体反応がある限りそれを享受できる。他の地区に生まれていなくてよかったと、それだけはいつも感謝していた。それだけは。かろうじて。少なくとも。本当に?
俯きかける思考を叱咤するように、私は声を張り上げた。
「ではでは、本日も早速行きましょうか! 一曲目は皆様お馴染み、惑星リエタアルファで生まれた名曲、『目が合ってコスモ』です!」
曲名を告げ、用意しておいた音源を流せば、ヘッドフォンから聞き慣れた旋律が流れる。懐古趣味だった義姉が好きだった曲だ。マイクから何から全部彼女から譲り受けたものなので、今ラジオをできているのは間違いなく義姉のおかげだ。目を閉じて、その姿を思い浮かべながら、最初のフレーズを声に乗せる。歌い始める。彼女が、兄が、両親が、家族がみんな褒めてくれた声で、私は歌う。歌い続ける。もう彼らに届くことはなくても。別の誰かに向けて、心から。
『織姫の星で』、『幾何学模様の愛』、『青空ファーストキス』。二曲、三曲、四曲と歌い続けていると、さすがに疲れてくる。一度休憩、と手元の精製水を呷る。ラジオをやっている時間は、不思議と味付きの飲料を飲む気がしなかった。
「ふぅ、お待たせしましたー! やっぱり休まないと喉がカラカラになってしまいますね。あ、でも、成長したとは思いませんか? 最初の頃は一曲ごとに休憩してましたからね、それと比べたら、ずいぶんスタミナがついてきたのでは? いやー、立派立派! 頑張りましたよ私! 思えばもう三年……」
息が詰まる。吐血する人々。変色する身体、錯乱、喧噪、乱争、警報警報警報。静まりかえった今では思い出したくないほどの、忘れてしまいたいほどの、痛い音であふれかえった日々。
「……もう、そんなに経ってしまったんですね、この惑星は」
こぼれてしまった言葉に、瞑目する。静かだ。この惑星では、私が話さなければ、もう誰の声も聞こえない。
「ごめんなさい、黙ってしまいました。まだラジオは続いています。まだ、聞いてくださいますでしょうか?」
取り繕うように言って、それから、くしゃりと顔を歪ませた。
「……聞いてくれているひとは、いますでしょうか?」
息を吸う。吐く。呼吸音が大きく響いて、ああ、私は生きているのだと当たり前のことを考えた。生きてしまっているのだと、罰当たりなことを、考えた。
「分かっていました。超宇宙通信も使えないこの惑星からの、廃れた宇宙波数ラジオなんて、誰にも届かないなんてことは。義姉さんには申し訳ないですけど、この時代にこんな昔の娯楽を聞いているひとなんてよっぽど物好きでしょう? 新銀河時代中期には時代遅れになっていたっていうのに、まさか機器が全部揃ってるなんて思いもしませんでした。まあ、ありがたいことに変わりはないんですけどね」
はは、と乾いた笑いがこぼれる。これが救いだったのか、それとも上辺だけの張りぼてなのか、私には未だ分からなかった。
「そうですね。誰も聞いていないのかもしれないけれど、誰かが聞いてくれていることを願って、今日は少し、私の話をしましょう。あ、心配しないでください。元々、そうするつもりでした。今日はちょっと、いつもと違うサプライズがあるので。その説明のために、どうしても、話さざるを得なかったのです」
私は一呼吸置いて、口を開いた。
「皆様は、テポッルト恒星系をご存じでしょうか? 初等教育では、機械システム技術で有名だと習いました。区立情報館でもそういうデータが多かったですね。私も今、その恩恵にあずかっています。まあ、私はあまりその方面の才能が無いみたいで、既にあるものを使うことしかできませんが。残念ですよね、もし私にここの技術を発展させる才能があったなら、もっと違う今日があったはずなのに」
たとえば、超宇宙通信を復旧させて。たとえば、宇宙港を開放して。そんな今があったなら、きっと。
「私、もうずっと銀河情勢に触れていないので、今世界がどうなっているか、どこまで情報が伝わっているか、知らないんです。それでも、きっと詳しいことは調べれば出てくることを信じて、ざっくり話しますね。この惑星――惑星群で起こったこと。本当は、ちゃんとしっかりお話しするべきなんでしょうけれど、ちょっと、あんまり言葉にしたくなくて」
と言っても、と私は苦笑した。そうするしか、あの痛い日々を話しようがなかった。
「よくあることです。よその惑星のマイナーなウイルスが、この惑星の生命には天敵だった。死をもたらす病となり、みんな死んだ。それだけです。原因がどこからもたらされたのか、それすら分かりません。一応、検疫はありましたし、感染初期はそれこそ惑星群総出で研究していたはずですから、ある程度は突き止められていたのではないかと思うのですけれどね。先ほども言った通り、私はその辺り、ずぶの素人ですから。公共向けに編纂された資料ならともかく、専門家の見解資料なんて読み解けないんです。惑星群全てが死に絶えたのだから、当時よくあった恒星系旅行の観光客から持ち込まれたんじゃないかとは思ったりするんですけどね。まあ、無責任な空想でしかありませんから。もう誰も帰ってきませんし」
初めに義姉が感染して、次に父が倒れた。真っ赤な血と、不気味な緑に変わっていく肌。悲鳴をあげる母、必死に看病する兄。原因解明調査の情報は秒刻みで更新され、合間に報じられていた宇宙港封鎖や休校のニュースが暴動や集団心中に変わり、地区間の争いが激化した、との知らせを最後に途切れた。そして最後に思い出すのはいつも、けたたましく、けたたましく響き渡る緊急警報。
「実を言うと、家族のうち、母と兄は病気で死んだわけではないんです。母は他星系から来た人で、そのウイルスに耐性があったみたいで。だからその血を引く私も兄も、病気にはならなかったんですけど、ほら、それを誰もが受け入れられるものではないでしょう? ただでさえ気味の悪い病気で、死んでしまう病気で、みんな怯えていたのに。おかしくなって、どうにもできなくて、どうして、と叫び回っていたのに」
なんで、どうして、ずるい、おかしい。変だ、陰謀だ、ふざけるな、お前らも。
痛い、痛い、痛い、痛い。声も、警報も、何もかもが痛くて、私はあの日耳を塞いだ。塞いでも聞こえてきた。吐く音も、悲鳴も、爆発音も、怒鳴り声も。シェルターに籠もるためにと、母は追加で物資を運んでいた。兄は念のためにとシェルターシステムを強化していた。私は警報に怯えて、先にシェルターに入っていた。二人を待っていた。痛い音が聞こえてきても、待って、待って、突然ロックされた扉に声をなくした。私はやっていない。暴徒にはロックする理由がない。なら、シェルターがロックされたのは。母か兄が、シェルターへ辿り着く前にロックした理由は。
ロックされ何も聞こえなくなってもなお、私は耳を塞いでいた。
「本当は、心底恨みたいです。おかげで私はこの惑星に一人きりで、誰とも話せなくなってしまったんですから。でも、私、知ってるんです。みんな怖かったこと。病気さえなければ、仲の良いご近所さんで、気の良い店主で、大切な友達だったこと。みんなみんな、苦しんで死んでしまったこと。本当はみんな、生きたかったこと。だから……もう、恨むとかそういう次元じゃなくて、ただ、痛いな、って」
ゆっくりと息を吐く。震える左手を、震える右手でぎゅっと握りしめた。
「聞いている人がいるなら、他の惑星群には生存者がいるのでは、なんて思うかもしれませんね。でも、残念なことにいないのです。私の住んでいる地区は試験的に作られた最新地区で、他の惑星群の最新地区と最新情報を共有していました。新旧あらゆる通信でつながったこの情報によると、全惑星群にある生体反応は一つだけ。つまり私です。本当に、笑ってしまいますね」
苦笑する。した、つもりだけれど、できていないかもしれない。心の準備はしてきたけれど、やっぱりまだ生々しい傷のままで、無理にこじ開けてしまったのだろう。早かったかな、と視線を彷徨わせて、視界に入ったある紙に唇を引き結ぶ。そうだ、傷が悪化したって構わない。私はこのために、最後まで話すのだ。
「さて、それが四年と八ヶ月前。それから色々あって、大体三年前、私はこのラジオを始めました。誰も使っていない宇宙波数で、合ってるかも分からない標準時間十三時を開始時刻にして。誰かに届けばいいと願いながら、届かないだろうと諦めてもいました。それは今もです。宇宙港が閉鎖されているとはいえ、ここまで助けが来ないなら、この星系は見捨てられたのでしょうし。でも結局、どちらなのか私には分からないから。だから私は、届くことにしました。どこかの惑星の、どこかの物好きな方が、気まぐれで聞いてくれているのだと。私の声が、歌が、遠いどこかで、確かに響いているのだと」
私は一旦切って、大きく息を吸った。
「さて! そんな懐古趣味な皆様、暗い話をしてごめんなさい。でもこれは前座です。これからが本番です。あっ、暗い話じゃないです。他の人には違うって言われるかもしれないですけど、私にとっては明るい話、というか明るい企画なんです。新たな試みで、この三年、ずっと頑張ってきたことです」
私はさっき視界に入った紙を手元に引き寄せた。印字された文字列に、自然と顔がほころぶ。現金だなと、馬鹿みたいな自分に呆れた。
「話は変わるんですが、私、実は恋愛をしたことがないんです。え、ラブソングばっかり歌ってるのにって? へへ、気付いちゃいましたか。でも違うんです! 私、ラジオを始める少し前まで、ラブソング全然聞いてなかったんですよ。ほんとです。あることがきっかけで聞くようになって、歌うようになって。それで、今日お話しする新挑戦につながるんです」
でも、と私は告げた。
「正直に言うと、これはひどいことかもしれません。明るいって言ってたのにほんと申し訳ないんですが、本当に、私にとっては明るい話題なんです。ずっと、私を支えてくれた夢なんです」
そう。ただの夢だ。夢物語。馬鹿みたいな、絵空事。
身勝手で愚かな私の、救済の夢。
「それは、まだ惑星に病気が蔓延る前でした。私、観光街に出て、そこで同い年くらいの男の子と目が合ったんです。覚えているのは、深海のような青い瞳だけ。吸い込まれるような青に、私、一瞬のことだったのに、呼吸を忘れました。でも、声をかけるか迷って、結局やめました。人混みですぐ見失ってしまったし、どう見ても旅行客の一員だったから、遠い星の人だったら嫌だなと思って。だって嫌じゃないですか、星系間恋愛がどんなに大変か、皆様もご存じでしょう? 両親の話を聞いていても真似できないなと思って、私も、恋をするなら普通に同星系内だと思っていました。だからこれは、本来なら一度も思い出さないような、そんな、些細な記憶だったんです」
ただ、綺麗な瞳だと思っただけだった。この惑星ではほとんど見ない、深い青色。本当にそれだけの感情だった。それだけの、出来事だった。
「でも私、義理の姉の遺品を整理していて、気まぐれに曲を――そう、皆様お馴染み『目が合ってコスモ』です。あれを聴いて、本当にたまたま、その彼を思い出してしまったんです。青い瞳の彼。もし、もしもあの日諦めないで、彼を探し出して、話をして、そして、その先があったなら。そしたら、少なくとも今、一人じゃなかったのかなって。なんなら家族ぐるみで意気投合して、引っ越して。移住者はウイルスパッチテストもするそうだし、きっとそこで原因のウイルスが分かって、この惑星群も助かって。……はい、ええ、分かってます。現実逃避、妄想です。でも、それでも、そんな世界があったならって、みんな死なない未来があるならって、私にとっては、救いだったんです」
これは恋じゃない。分かってる。現実でも、あり得た可能性でもない。ただ私に都合がいいだけの夢。都合がいい、『恋』の相手。
「その日から、青い瞳の彼は、私を空想の中で、何度も救ってくれました。実は天才研究者だったりとか、暴動を抑えられるくらい強かったりとか。本当はウイルスじゃなく呪いで、彼はそれを解くことができる魔法使いだったりとか。本当は私、夢の世界に閉じ込められていて、彼が助けに来てくれて、目が覚めたらみんな死んでいなかったりとか。いっぱい、いっぱい夢を見て、それで、私、我儘になって、思ってしまったんです」
私は、初めて告白した。
「もう、みんな死んでしまったけれど、手遅れだけど、私だけは、救い出してくれないかなって」
みんな、軽蔑するだろうか。生きているだけで喜ばしいことなのに、ここにいれば、死ぬまで困ることはないのに。それなのに私は、この惑星から出たいと、救い出してほしいと願っている。
「だから私、ラブソングを歌っていました。作り物の恋心を、届くかどうかも分からないのに、歌い続けました。あなたが好きですと、名前すら知らないのに、訴え続けました。ひどい話でしょう? 彼、私のことだって、きっと記憶にすら残っていないのに。それなのに、勝手にヒーローにされて、救い出してくれると期待されているんです。ふふ、でも私、これから、もっとひどいことをします」
ごめんなさい。きっとこの謝罪すら届かないのに、届いてほしいと願っている。あの時の彼が、偶然このラジオを聞いていて、ああ、あの時の女の子だと、気付いてくれることを、ずっと。
「私、歌を作りました。顔もろくに覚えていない、どこの誰かも分からない、私の王子様だけへ向けたラブソング」
手元の紙を撫でる。誰かが作った歌じゃ私の気持ちと噛み合わなくて、この三年ずっと考え続けた歌。旋律も、歌詞も、自分で作って、自分で演奏して、編曲して、そしてようやく、あなたに届けられる。
「皆様も、どうか聴いてください。私の身勝手で、最低で、でも歌わずにはいられないラブソング。シナノ・ミサラギで、『惑星ニノイプルトよりあなたへ』」
精一杯作った音源を流し、歌い始める。たった一人の惑星で、たった一人に届けるために。
廃墟となった惑星で、私はいつまでも歌い続ける。
あなたが迎えに来てくれるまで。