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ここにある幸せ

 

「オリビア、そろそろ起きない?」


 優しく頭を撫でられて、オリビアは薄っすらと目を開ける。


「おはよう。今日は外出するんだろう?」

「……うん、おはよ……」


 4日に亘るお籠りの末、オリビアが「そろそろ外出したい」と呟いたのは昨日の夕食の席だった。


 シリウスの本心としてはもう少し2人だけの時間を過ごしたかったのだが、愛しいオリビアの頼みである。

 あっさりと承諾し、明日の朝はいつもより少し早く起きようと2人で決めてベッドに入ったのだった。



 シリウスはオリビアの頬に触れると、滑らかさと柔らかさを堪能した後に首筋、肩、背中へとすすすっと指を移動させていく。


「……もう少し眠るかい?」

「ううん……起きる……」

「分かった」


 シリウスはオリビアの柔らかい頬に口付けると、ガウンを羽織りながらベッドから降りて窓際へ向かう。

 それからカーテンを半分程開けて朝日を室内に取り込み、この数日閉め切ったままの窓を開ける。


 途端に室内に風が入り込み、爽やかな香りと共に白い花がひらひらと舞い落ちる。


「まだ降っていたのか……」


 外を眺めると雲一つない夏空が広がり、青い海がどこまでも広がっている。

 しかし未だ降り注ぐ鈴蘭の花々が季節感を狂わせ、ここがゼーグ島である事をシリウスはつい忘れそうになる。


「女王の祝福か、はたまた悪戯か……」


 地面に積もった花々は、ある程度した後に光の粒子となって地に吸い込まれる。

 海や川、湖でも同じ現象が起きていると報告が上がっている。


 魔力を多く含む土地は精霊に非常に好まれやすく、結果自ずと土地が肥える。


「間違いなく前者だろう。シェラ様、感謝致します」


 シリウスはしばらく海を見つめた後、クローゼットを開けて休日用のラフな服に着替える。


 ここしばらくバスローブやガウン等で生活していたせいで、ラフとはいえ洋服を着る事に少し違和感を覚えたシリウスは、何と自堕落な生活を送っていたものだと苦笑する。



 食欲、性欲、睡眠欲。

 3つの欲求に忠実に、思うがままに愛しい女性と過ごす日々。


 2人して常に身体のどこかしらをくっつけて過ごしていたせいで、お互いの体温を感じていない今の状態を少し寂しく感じる程だった。



 まさかこんな日が自分の人生に訪れるなんて。


 シリウスは神に感謝した。


 どちらかというと潔癖症で女性を寄せ付けない冷たい態度のシリウスは、オリビアの存在を知らない他人からしたら「女嫌い」と映っていただろう。


 手早く着替えを済ませたシリウスはベッドの縁、オリビアの直ぐ側に腰を下ろすと、再び眠りに落ち始めていた彼女の身体をシーツごと抱き上げる。


「……ううん……」

「そろそろ朝食にしようか」

「うん……」



 シリウスは朦朧としているオリビアを床に立たせて身体からシーツを落とすと、素肌にガウンを羽織らせて腰紐を緩く結ぶ。


「さあ、行こう」


 そう言うといつも通りオリビアを抱き上げて寝室を後にした。



 ----



「ボタン手伝うよ。ほら、後ろ向いて」


 朝食後、シリウスは袖口にカフスを着けながらオリビアの方を見る。


 用意されていたワンピースに袖を通したばかりのオリビアは、素直にシリウスに背中を向けて髪の毛を纏めてかき上げた。


 腰から首元まで続くボタンをシリウスはゆっくりと下から留め始めるが、それと同時にあらわになっている背中に唇を当てる。


「シ、シリウス……」


 オリビアの抗議の声はとても弱々しく余り説得力がない。


 1つ1つ丁寧にゆっくりとボタンを留めながら上がっていく手の少し上を、同じ速さで唇が這っていく。


「どこもかしこも綺麗だね」

「ふ……」


 吐息と共に囁かれ、オリビアは身を震わせる。


「ほら、出来た」


 一番上までボタンを留め終え、オリビアをくるりと方向転換させる。


「……もう……」


 真っ赤な顔をしながら少し拗ねた声色で睨むオリビアが可愛過ぎて、シリウスは思わず頬に口付ける。


「さあそこに座って。次は靴を履かせてあげる」


 いつの間にかオリビアの靴を手に持ったシリウスが、近くのソファーに彼女を促す。


「自分で履けるよ。そんなに甘やかさないで」


 オリビアは抗議しながらもしぶしぶソファーに腰を下ろすが、シリウスはどこ吹く風と跪いてオリビアの片足を持ち上げる。


「世界中で妻を甘やかせるのは夫だけだよ」


 シリウスは機嫌良く笑うと丁寧に片足に靴を履かせ、もう片方の足を持ち上げる。


「こうやって触れるのも、愛を請うのも……口付けるのも私だけの特権だ」


 シリウスは持ち上げたオリビアの足先に口付ける。


「ひゃっ」

「分かった?」

「……」

「ん?」


 真っ赤になったオリビアはきゅっと唇を閉じてシリウスを見つめた後、小さく頷く。


「良い子だね」


 再び足先に口付けた後に靴を履かせて右手を差し出す。


「それじゃあ行こうか」


 オリビアの手を取って立ち上がらせると扉に向かって一歩踏み出すが、当のオリビアはその場から動かない。


「? オリビア?」


 シリウスは不思議に思ってオリビアの顔を見るが俯いたまま動かない。


「どうしたの?」

「何だか……」

「ん?」

「何だか切ない……」

「え? 切ない?」


 シリウスはオリビアの両手を掴むと、目が合う様にその場に跪いて顔を見上げる。


 オリビアは切なそうに眉を顰めて何かを堪えた様な表情で、繋いだ手にぎゅうっと力を籠める。


「寂しい?」

「……」

「もう少し2人でいる?」

「…………うん」


 消え入りそうな小さな声でオリビアは答えると、シリウスの首にぎゅっとしがみ付く。

 シリウスは背中に手を回して優しく擦ると、オリビアはシリウスの肩口に自らの額を擦り付けて身体を密着させた。



「おいで」


 シリウスは低く囁くと、オリビアを抱き上げてベッドへと戻った。



 -----



 日が傾き始めた夕暮れ。


 裏庭へと続くテラスのソファーに2人で腰を下ろし、海へと沈んでいく夕日を黙って見つめる。


 時折吹く暖かい風に身を任せ、シリウスはオリビアの肩を抱いて頭をゆっくりと撫でる。



 波の音と虫の声のみが聞こえる静かな夕暮れ。

 珍しく感傷的になるのはこの時間が終わってしまうからだろうか。


 シリウスは小さく息を吐くと、傍らに置いていた鈴を1回鳴らした。



 チリーン



 オリビアは不思議そうにシリウスを見上げる。

 するとシリウスは優しく微笑みながらオリビアの額にゆっくりと口付ける。



「最高の時間だったね。ありがとう」


 まるで夢のような時間だった。


 体温を感じ、繋がりを感じ、そして互いの愛の深さを身をもって感じる事が出来た。

 現実に戻れば、こんな風に共に1日中べったりと過ごす日々などなかなか訪れないだろう。



「ううん、でもそんな終わりみたいな事言わないで。たまにはお休みとって一緒にいて」


 オリビアは少し拗ねた様に苦笑すると、シリウスの胸に体重を預ける。


「そうか……」

「そうですよ。余りにも仕事ばかりだと妻に愛想つかされますからね」


 突然の声に振り返るといつの間にかリシューが立っており、続いて背後からワゴンを押したミナが姿を見せた。


「あ! ミナだ」


 オリビアはシリウスから身体を起こしてミナに向かって手を振る。


「こんばんは、オリビア様。本当に殿方は仕事仕事仕事。そんな事だから愛想つかされるのですよね!」

「ね~」


 ミナは満面の笑みでオリビアに話し掛けながら手早く紅茶を入れ、軽食と共にテーブルに並べていく。


「そういうものか」

「そういうものですね」


 リシューは笑いながらシリウスにタブレットを手渡す。


「訪問なさりたいとの事です」

「ふむ、成程。明日以降の午後で調整してくれ」

「承知しました」


 シリウスはタブレットをリシューに返しながら、ミナと嬉しそうに話すオリビアを見る。


 そこには先程まで寂しそうにしていた面影は一切無く、軽食の説明に目を輝かせながらミナを見ているオリビアがいる。



 シリウスは寂しい様な悲しい様な何とも言えない気分を胸の内で持て余し、思わずオリビアに手を伸ばして頬を指先で撫でる。


「近いうちに父が来る。多分シェラ様も一緒だろう」

「え? 本当?!」


 オリビアは驚いてシリウスの方を向きながら嬉しそうに笑う。


「ああ」


 沈みゆく夕日に溶ける様な美しい笑顔。


 自分を見て欲しい。

 自分だけを見て欲しい。


 あれだけ愛を確かめ合ったにも関わらず、まだ足りない。


 閉じ込めたい。

 ずっと繋がっていたい。

 全然足りない。



 どす黒く湧き上がる感情。



 次第に辺りは薄暗くなり、庭に設置されたランタンに光が灯される。


 海から吹く風が次第に冷たくなり、僅かに潮の香りを乗せて鈴蘭の花を運んでくる。



 シリウスは不意に、サイファード領で過ごした日々を思い出す。


 まだ幼かったオリビアを腕に抱き、夕暮れの庭を散歩した日々。

 彼女から初めて貰った祝福という名の口付け。


 懐かしさと切なさが胸いっぱいに広がり、思わず胸に手を当てて指先に力を籠める。



 恋い焦がれていた。

 オリビアだけだった。

 全てを投げ打ってでも手に入れたかった。



 これからの人生、もう決して離れる事はない。


 感情の波に翻弄されながら、シリウスは自分の初恋が報われた事をようやく理解し、幸せの意味を知った。




お月さま→精霊の誘惑

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