箱庭
「父上達はどこへ行ってしまわれたのか…」
アーサーは1人、執務室で頭を抱えていた。
偽オリビアとその婚約者候補の3人が、ノルンディー領に滞在して早30日余り。
彼等はこの領地でやりたい放題暮らしているにも関わらず、誰よりも不平不満を漏らしていた。
やれ使用人の質が悪い。
やれ領地に娯楽が少ない。
やれ料理が質素過ぎる。
生粋の王都生まれの彼等にとって、遠く離れたノルンディー領は古臭くて退屈なのだろう。
事あるごとにアーサーを呼び出し、ぐちぐちと文句を言い続ける。
「我々は王命により選ばれた。わざわざ滞在してやっているのだから何を置いてももてなすのは当然ではないか!」
彼等は高位貴族の令息といっても、長子ではない。
自力で爵位が狙えるほどの者なら、そもそもここにはいないだろう。
つまりは他力本願で、甘やかされて育った頭の悪い貴族の典型であった。
孤児院から強引に連れてこられた女も、最初の内はビクビクしていたはずが、いつの間にか自信満々にオリビアを演じている。
「はあ~」
アーサーは一人、大きなため息を吐く。
おまけにこの4人。
使用人曰く、屋敷内ところ構わず睦み合っているらしく、偽オリビアに至っては夜更けに日替わりで彼等を自室に招いており、その度にシーツが汚れていると聞いた時は、流石に開いた口が塞がらなかった。
オリビアとは似ても似つかないその図太さと貞操観念の低さ。
アーサーはブルッと身震いすると、大量に積まれている報告書を一枚手に取った。
あんなにやりたかった領地経営。
理想を持ってサイファード領を発展させようと思っていたはずが、いざ自分がその立場になった時、いかに全てが机上の空論だったかを思い知らされる。
理想ばかりに目を向け、現実をまるで見ていない。
愚かだった。
どこまでも愚かなクソガキだった。
アーサーは目の前に置かれていたサイファード領の歴史書の表紙を指先でなぞる。
「オリビア…」
劣等感に苛まれ、他人の言葉を鵜呑みにし、結果的に彼女をひどく傷付けた。
もっとしっかり彼女を見ていれば、寄り添っていれば変化に気付けたかもしれない。
アーサーは机に突っ伏し、自分自身の行いを恥じた。
「ごめん…オリビア。私が愚かだった…ごめん…」
もうここにいない、もしかしたら死んでしまったかもしれない元婚約者を思い、アーサーは心の底から懺悔を繰り返すのだった。
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その日の昼過ぎ、王都から1人の男がノルンディー領にやってきた。
多くの護衛をつけ、豪華な馬車でやって来たその男はグロウと名乗った。
「この国で、区画整理事業を担当させて頂いております」
「アーサー・ノルンディーです。現在父ロドリーは不在の為、私が代わりに対応させて頂きます」
「知っていますよ」
アーサーの言葉に、グロウは柔らかくほほ笑む。
「そうなのですか?」
「ええ。あなたのお父上であるノルンディー卿は、つい先日ご家族と多くの領民と共に隣国に亡命されましたからね」
「え…」
初めて聞く内容に、アーサーは言葉を失った。
「何らかの理由で亡命する事が叶わなかった民達を思い、アーサー殿だけがこの地に残った。なかなか出来る事ではありません。素晴らしい行いですね」
「…は、いや…はい…」
アーサーの耳には、既にグロウの言葉は届いていなかった。
捨てられた…。
自分は家族に捨てられたのだ…。
アーサーは冷たい汗が毛穴から吹き出し、頭から血の気が引いていくのを感じる。
身体は不自然にカタカタと震え、意識が遠のきそうになった。
「…、…殿、アーサー殿?」
何度かグロウに呼ばれ、アーサーは我に返る。
「大丈夫ですか?お顔が真っ青ですよ」
「は、はい。失礼しました。問題ありません」
アーサーは、額に浮いた汗を手の甲で拭うと姿勢を正す。
「そうですか?では早速本題なのですが、ブラン王国が滅んだ事はご存知ですか?」
余りにあっさりとした物言いに、アーサーは耳に入って来た言葉の意味を理解するのに時間を要した。
「え…?あの…」
「数日前、ブラン王国は滅びました。貴族は解体される予定ですので、今後のあなた方の身の振り方をお聞きしようと本日は伺った次第です」
「………侵略された、のですか?」
王都からノルンディー領に来て30日余り。
アーサーは身の回りの対応に追われ、全く何も知らなかった。
「そうですね、似たようなモノです」
「はぁ…」
似たようなモノ?
アーサーは首を傾げる。
「ご存知の通り、この国は精霊に見放されましたので、色々と」
「ああ…」
「アーサー殿は亡命は勿論、このままこの領地に残って頂く事も可能です」
「え!?残れるんですか?」
「はい。いくつかの制約はございますが」
「それでお願いします」
アーサーは即答する。
「貴族では無くなりますが、宜しいのでしょうか?」
「もともと私は次男です。爵位を持ちませんので問題ありません」
「分かりました。正式な契約書類が出来次第、改めてお持ちします」
「宜しくお願いします」
アーサーとグロウはその場から立ち上がると握手を交わした。
その時、ノックも無しに突然ドアが開いたかと思うと、件の4人が室内に入ってきた。
「王都から使者が来たと言うのは誠か?」
「私達を王都に連れて行け」
「久しぶりに王都で遊びたい」
アーサーが絶句する横で、グロウはその様子を見てにこやかに微笑んでいる。
「これはこれは皆様お揃いで」
グロウは面白そうに呟く。
「グ、グロウ様…?」
アーサーは焦ってグロウを見るが、彼は特に気分を害した様子は無い。
「皆様は王都に行きたいのですか?」
グロウが柔らかく尋ねた。
「だからそうだと言っている。こんな娯楽のない辺鄙な場所にこのままいたら、気が狂ってしまう」
「私はオリビアに新作のドレスをプレゼントするよ」
「まあ!嬉しい。でも新しい宝石や香水も欲しいわ?」
「勿論プレゼントさせてもらうよ」
「オリビア嬉しい!」
アーサーとグロウそっちのけで何やら盛り上がっている4人だったが、ふとグロウの姿を目の端に捉えたアーサーは息を飲む。
「…オリビア、…だと…」
呟いた声は低く、その瞳は鋭く光っていた。
「っ!?グ、グロ…」
「どうです皆様。私が乗って来た馬車でよければ王都までお連れ致しますよ」
アーサーの声にかぶせる様に朗らかに提案したグロウの柔らかい声と優し気な瞳に、先程見せた面影は一切無い。
「……?」
気のせいだったのだろうか?
アーサーは首を傾げる。
「よし!それなら直ぐに支度をせねば」
そう言うと、4人は挨拶もせずに部屋を出て行った。
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許可も取らずに早々に馬車に乗り込んだ4人は、出発の時を今か今かと待っている。
「グロウ様、彼等の事をお任せして本当に宜しいのでしょうか?」
「ええ、特に問題ありませんよ。ですが私が勝手に決めてよかったのでしょうか?彼等もここで仕事があったのでしょうに」
「それは問題ありません。出来ればずっと王都にいて欲しいくらいです」
アーサーは苦笑しながらも、きっぱりと言い切る。
「成程、分かりました。機会があればその様に取り計らいましょう。それではまたお伺い致します」
「はい。お待ちしております」
グロウは頷くと、用意されていた馬にまたがり、待機していた護衛達と共に馬車を先導するように出発する。
アーサーは、彼等が去っていく後ろ姿を見つめながら改めて胸に誓う。
自分が招いた結果であるこの領地をきちんと治めよう。
父が捨てたこの地を自分が守っていこう、と。
砂漠化や収穫量の減少、領民不足と問題は山積だったが、一旦決意すると今まで重苦しかった胸の内が僅かに解消されたような気がした。
執務室に戻って仕事の続きをしよう。
アーサーは久しぶりに前向きに考える事が出来たのだった。
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「ねえねえグロウ。奴等、車内でおっぱじめたよ」
「ふむ。4人で、ですか?」
「きもい…」
グロウの周りで走行していた数人の護衛が話し掛ける。
ちらりと見た御者も、背後で行われているであろう行為に顔を顰めている。
グロウは馬の速度を落として車体部分に近付く。
成程確かに走行時の衝撃とは違う揺れと、発情期の猫の様な声が車内から聞こえる。
グロウは馬に乗ったまま、外からしっかりとドアに鍵を掛けた。
「車体を切り離しなさい」
グロウが告げると、御者は速やかに馬から車体を切り離す。
その瞬間、衝撃で車体が大きく揺れたが車内の誰1人気付いていない様だった。
「この車体は汚くて今後使う事は出来ません。灰になりなさい!」
グロウの手から放たれた火魔法が馬車に当たると、一気に燃え上がる。
「合体したまま燃えるなんて、趣あるね」
「本望じゃない?」
「お腹すいた~帰ろ帰ろ~」
轟々と激しく燃え上がる炎のせいで、車内からの悲鳴も掻き消される。
そうこうしている内に、切り離された車体はあっと言う間に黒い炭へと変わった。
「害虫駆除完了。彼の方の名を騙るなど万死に値する」
「被験体の箱庭も確保出来た事ですし、任務完了ですね」
「やっぱり被験体は放牧がいい」
グロウ達はそう言うと、乗っていた馬ごと転移してこの地を去った。
後に残ったのは、真っ黒い炭と燃えかすのみだった。
王都から遠く離れ、闇の精霊の被害を受けなかったいくつかの領地は、その後それなりの発展を遂げていく。
ブラックレイの箱庭として。




