精霊の魅了とアレクの顛末
目を覚ますと、冷たい床の上に倒れている事に気付く。
痛い。
痛い。
頭が割れそうだ。
もがこうにも、後ろ手に縛られて両足も自由に動かせない。
ああ、頭が割れそうだ。
余りの痛みに意識が遠のく。
再び目を開けると、そこは白い空間だった。
ここはどこだ?
朦朧とした頭で何とか視線を動かすと、誰かが傍に立っている。
結構な人数だ。
騒がしい。
頭に響く。
静かにしてくれ。
彼らが誰なのか、顔すらも見えない。
首を動かすことすら億劫だ。
白い服を着た誰か。
誰だ?
ゴリゴリと頭の中をこねくり回されている様な感覚が襲う。
頭が痛い。
瞼が重い。
このまま眠ってしまおう。
そうすれば、再び彼女に会える。
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ブラン王国。
男爵家の三男に生まれたアレクは、母親譲りの天使の様に美しい外見をしていた為に家族から大層甘やかされて育った。
成長してからもそれは変わる事は無く、働かずにいつもとっかえひっかえ女性に貢がせてはその場限りの情熱で生きていた。
しかしある時、身分を隠したパーティで高位貴族のとある夫人に手を出してしまい、怒り狂った夫に冤罪をかけられて牢に入れられてしまう。
そこから彼の人生が狂い始める。
実家からは勘当され、無一文で放り出されてしまう。
王都を当ても無く彷徨っていたアレクに声を掛けたのは、この国の宰相だった。
何やらとある貴族の女を陥落させてほしい。
成功すれば爵位と王城での仕事が与えられると言う。
一も二もなく飛びついたアレクは、自分以外の数人の見栄えのする男達と共に目的地である北の辺境、サイファード領に向かった。
気が付くと、アレクは王都の行きつけの酒場で酒を飲んでいた。
「ん……?」
先程までサイファード領に向かっていたはずでは?
マスターに今日の日付を聞くと、サイファード領へと出発した日から20日が経過していた。
「?」
飲み過ぎたか…?
目的地であるサイファード領に向かっていたはずだが…。
……何も思い出せない。
アレクは頭をかきながら席を立つと酒場を出る。
その足で近くの乗合馬車の停留所まで行き、再びサイファード領に向かった。
「行かなければ」
アレクは先程飲んでいた酒のせいか、馬車の中でうとうとと船を漕ぎ始めた。
何かの衝撃で目を開けると、そこは王都の行きつけの酒場だった。
「おい、そろそろ閉店だ」
顔なじみのマスターに身体を揺さぶられたのだろう。
しばし朦朧としながら、アレクはパチパチと目を瞬かせる。
「……?」
何かがおかしくないか?
いや…おかしい、か?
「マスター、すまないが今日は何日だ?」
「は?お前大丈夫か?」
マスターが答えた日付は、やはり最後にここに来た日から20日が経過していた。
アレクはふらつく足取りで店を出て、乗合馬車のベンチに座る。
次の便は早朝だ。
それを待ってアレクは再び乗合馬車に乗ってサイファード領に向かった。
会いたい。
会いたい。
会いたい。
誰に?
分からない。
とにかく行こう。
彼女に会いに。
会わなければ…。
そんな日々が暫く続いたある日、アレクは何となく領での記憶を手繰り寄せることが出来る。
記憶の中の女性は笑いながら、自分達の子だと赤子を見せてくれた。
そうなのか?
嬉しい。
堪らない。
愛してる。
覗き見た赤子は美しい子ではあったが、泣きも笑いもしない奇妙な子だった。
愛しい彼女にそっくりだ。
だが、自分をじっと見つめる幼い瞳と目が合うが、直ぐに興味無さげにそっぽを向かれ、アレクは拒絶された様な気分になった。
我が子ながら少し気味が悪かった。
「子が産まれました」
報告の為に登城したアレクは、宰相に報告する。
「何!?」
「彼女との子です。彼女に似てとても美しいのですが、ちょっと変わった子なんですよ」
ふふふと笑うアレクに、宰相は眉を顰める。
「…つまりお前はサイファード家当主、シェラ・サイファードとの間に子を儲けたのだな」
「ええ」
「性別は?」
「女の子ですね」
アレクはふわふわと嬉しそうに答える。
「成程、良くやった。他の奴等とは全く連絡が取れんで困っておったのだ。…だがお前、少し変だぞ。酒でも飲んでいるのか?」
「酒など飲んでなんかいません。もういいですか?領地に戻らないと」
「ああ、だが暫く王都に滞在しろ。宿はこちらで用意する。褒美の件があるからな」
「…はい」
しぶしぶ頷くと、アレクはふらふらと城を後にした。
ああ。
早く彼女に会いたい。
会わなければ。
愛しい彼女に…。
…………。
彼女?
彼女とそんなに親しかったか?
子を作るような行為をしたか?
と言うか、そもそも『彼女』とは誰の事だ?
顔は?
髪色は?
瞳は?
記憶の中の彼女は白く靄が掛かって見えない。
同じように赤子の姿も見えない。
ただ声が聞こえる。
声だけが聞こえるのだ。
ああ。
彼女の元に行かないと…。
しかしアレクの願いも虚しく、正式にシェラ・サイファードの夫となった為に王城で文官の職に就く事になり、領地に戻る事は許されなかった。
アレクは強く領地に戻る事を望んだ。
しかしそれは叶わなかった。
サイファード領内の調査を一気に進める為、国王がシェラの夫としてのアレクを人質に取ったのだ。
そんな日々がどれくらい続いただろうか。
ある日サイファード領から使いの者がアレクの前に訪れ、シェラが死んだ事を告げた。
アレクは取る物も取り敢えずサイファード領へと急いだ。
そして棺の中に眠る美しい彼女を見て、茫然と立ち尽くした。
どういう事だ?
彼女が死んだ?
まさか?
何故?
葬儀には彼女そっくりの幼い娘が参列していたが、アレクの目に入らなかった。
その足で酒場に行って浴びるように酒を煽る。
多くの女が寄って来て、何か言ったような気がするが覚えてない。
彼女のいないここにいても意味は無い。
それからアレクはサイファード領には近付かなくなった。
アレクは心の隙間を埋める様に、多くの女性と関係を持った。
何人かなんて覚えてない。
ただただ、温もりを求めた。
私と婚姻?
いいんじゃないか?
サイファード領の屋敷に住みたい?
いいよ、何だっていい。
そんな事より、どうか私を癒してくれ。
愛しい彼女がいない寂しさを。
誰か……。
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「ようこそお越し下さいました」
ダリルが自身の秘書であるキレンと共に転移で研究所に到着すると、ユレフィールが深々と頭を下げて出迎えた。
「私用だ。楽にしていい」
「ありがとうございます。早速こちらへ」
ユレフィールに先導され、ダリルはガラスに囲われた室内がよく見えるソファーに腰を下ろす。
キレンはダリルの背後、ソファー越しに立つ。
それとほぼ同時に目の前に紅茶が出される。
ダリルはそれをひとくち口に含むと、静かにカップをソーサーに置いた。
「連れてきなさい」
キレンが言うと、目の前のガラス部屋の奥のドアから2人の研究員が1人の男を連れて入ってきた。
その男は白い服に身を包み、特に抵抗する訳でもなく終始うつむいた状態で研究員の手によって椅子に座らされる。
ダリルは微かに眉を上げてゆっくりと立ち上がると、ガラスの手前ぎりぎりの所まで歩く。
「顔を」
キレンがガラス越しに声を掛けると、研究員の1人がおもむろに男の前髪を鷲掴んで強引に顔を上げさせた。
男は生気の無い表情で、瞼が半分閉じかけている。
「ふむ……」
しばらくじっと男の顔を見ていたダリルだったが、納得したように頷くとソファーに戻って再び紅茶を飲む。
「抽出した記憶は?」
「はい。確認致しましたが該当するモノは何一つありませんでした。こちらが登場人物の外見一覧です」
ダリルの問いに、ユレフィールは一覧を表示したタブレットを手渡す。
「全ての記憶を洗い出しましたが、該当の髪色の人物はおろか、赤子も出てきませんでした」
「成程」
「ただ…」
「何だ、話せ」
「はい。どうも記憶が曖昧な個所が多く…まるで…」
「まるで?」
「はい。まるでかなりの酒を煽った後の様な酩酊状態が後半ずっと続いており、記憶の殆どに靄の様なものがかかっていました。」
「ふむ…成程。それは今もか」
「はい。しかし今は以前とは違い多少意識はしっかりとしています」
ダリルは軽く息を吐くと、タブレットをユレフィールに戻してソファーから立ち上がる。
「完全な処分を。欠片1つ残すな」
「畏まりました」
ダリルはユレフィールにそう告げると、先ほど使った転移魔法陣の所まで歩く。
側に控えていたキレンが術式を展開して魔力を流すと、床に描かれた魔法陣が光り出す。
「ああ、あれはなかなかの腕だった」
去り際にダリルはテーブルに置かれたカップに視線を移すと、そのままキレンと共に転移した。
ユレフィールは深く頭を下げながら、ほっと息を吐き出す。
給湯室で待機していたキララとビーンが、こっそりハイタッチしたのはここだけの話だ。
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自室に転移したダリルは、ドサリとソファーに身体を預ける。
窓から空を見上げると、雲一つない青空が広がっている。
今頃ブラン王国で楽しんでいるだろうシェラを思い、ダリルは口元を緩めた。
アレク…。
直接会う必要など無かった。
データーと映像で十分だ。
だがどうしても自分の目で確かめておきたかった。
シェラに触れたかもしれない男。
シェラを抱いたかもしれない男。
ダリルはギリッと奥歯を噛み締める。
はっきり言おう。
これは嫉妬だ。
ダリルはアレクが許せなかった。
八つ裂きにして魔獣に食わせても収まらない程のどす黒い怒りが体中を支配する。
奴の存在そのものを、この世界から決し去りたかった。
ダリルの眉間にくっきりと皺が寄る。
確かに見目は良い。
だが所詮それだけだ。
シェラが言っていた『精霊好みの外見』。
まさにそれがアレなのだろう。
ダリルは自分の中でいつの間にかライバル視していたはずの男が、どこにでもいる様な下らない男だったことに正直がっかりした。
あれではシェラに近づく事も出来まい。
初めてシェラを抱いた時、彼女は何の知識も持ってはいなかった。
だからこそ、アレクがシェラに触れていない事は分かっていた。
だが可能性が僅かでも残っているのならば、それを確かめる必要があったのだ。
そもそも精霊はそういった行為をしない。
つまり自ら子を産むこともないのだ。
精霊は魔力の濃い場所から自然に発生する。
シェラとオリビアだけが特別なのだ。
こうなってくると、シェラがどうやって子を成したのか謎ではあるのだが、ダリルとしてはあの男がシェラに触れていないという事実だけで十分だった。
「あの男の近辺は?」
ダリルはキレンに尋ねる。
「監視対象であった親族、その周辺、関係のあった女性は全て処分済みです。一部ブラン王国に残った者もいたそうですが、先ほどの御方の御力により消滅したとの事です」
「そうか」
これで憂いは全て無くなった。
いないとは思うが、今後オリビアの親族と名乗る者が出てこないとも限らない。
ああ
愛しいシェラ
持っている物全てを擲っても到底表すことの出来ないこの想いは、強く、熱く、どこまでも深い。
胸に渦巻く独占欲と粘度を持った情愛がマグマのように沸々と燃え滾り、喉から溢れ出しそうになる。
ダリルは思わずぐぅっと喉を鳴らした。
「ブラン王国のほどんどは更地になったとの事です。そろそろお戻りになられるかと」
キレンの言葉に、ダリルは意識を戻す。
「そうか。わが愛しの女王を出迎えねば」
ダリルはソファーから立ち上がると、自室を後にしたのだった。




