~新人研究員の日常3~
「キララ先輩…ここは?」
約束通りキララの研究室を訪れたビーンだったが、入室するや否や彼女に腕を引っ張られ、転移魔法で見た事もない場所に連れて来られた。
真っ白い空間。
正確には真っ白いドアの前に立っているのだが、見回した廊下や壁、天井全てが白一色で、余りの眩しさにビーンは目を眇めた。
「う~ん、特別フロア」
「えっ?!は?僕が来てもいいんですか??」
さらっと答えたキララに、ビーンは真っ青な顔で目を見開いた。
特別フロアとは研究所の地下深くにあり、上級研究員の中でも限られた者にしか入る事を許されないフロアである。
そんな所に下っ端の下っ端、新人のビーンが入って良い訳がない。
ビーンは焦ってキララの後ろに身を隠し、何故かキョロキョロと辺りを警戒する。
小動物の様な動きにキララは思わず吹き出した。
「ぷっ…くくくく」
「わ、笑い事じゃないですよ!僕がクビになったらどうするんですか!」
「大丈夫、流石にちゃんと許可は貰ってるって。今回は特別なの」
「本当ですか~??」
ビーンは不安そうに上目遣いでキララを見る。
「ビーったら、そんな可愛い顔してるとほっぺにチュウしちゃうぞ!」
「セクハラです。先輩」
「あら失礼」
キララはそう言って笑うと、ドアの右横にある認証システムに手をかざす。
「ここってカードキーじゃなくて指紋認証なんですね」
「違うよ~これは魔力認証。指紋だと手を奪われたら終わりじゃない」
「は、はぁ…それはそうですけど…」
初めて見るシステムにビーンは困惑する。
確かに身体の一部を使って認証するよりも、その人特有の魔力を覚えさせる方が遥かに安全だ。
「ほら、行くわよ」
「は、はいっ」
音も無く左右に開いたドアを入ると、そこは観察部屋の様だった。
前方にガラスで囲われた円形の部屋があり、その部屋が隅々までよく見渡せる位置に重厚なソファーセットが置かれている。
ガラスの部屋の中では、数人の研究員達が何か作業をしている。
キララはゆっくりとそこに近付く。
ビーンも慌てて彼女の後を追った。
「何かしてますね…」
2人の研究員が全裸の男の顔や身体を布で拭き、もう1人の研究員がビーン達に背を向けてその様子を覗っている。
どうやら全裸の男の身なりを整えているようだ。
キララがコンコンとガラスをノックすると、研究員達が一斉にこちらを向く。
「あっ!キララ!!」
こちらを背にしていた研究員が嬉しそうな声を上げる。
その顔を見てビーンは驚いた。
「しししし所長?!」
映像でしか見た事は無かったが、ブラックレイ研究所の所長であるユレフィール・ブラックレイは、研究に携わる者なら誰もが知っている程の有名人だった。
「お待たせ、ユレフィー。連れてきたよ」
キララの言葉に嬉しそうにビーンを見たユレフィールは、急いでガラスの部屋から出てくる。
「ありがとう~助かった。本当にさっぱり入れ方が分からなくて…こっち来て」
ユレフィールは部屋の後方へと早足で向かい、ドアを開けて2人をその中に通す。
そこは簡易の給湯室だった。
「明日の朝、急に特別なお客様がいらっしゃる事になったの。それでこれを手に入れたんだけど…この紅茶、入れ方がさっぱり分からないのよ」
ユレフィールはそう言いながら手に持った缶を軽く振る。
それはビーンにとって見慣れた、彼の実家の領地の特産品であった。
だがしかし、その茶葉は一般に流通する事のない非常に特別な物だ。
ビーンは不思議に思って首を傾げる。
「ビーン君だったかな。君なら入れ方知ってるでしょ?」
尊敬する所長、ユレフィールに問われてビーンは無言で慌てて頷く。
「良かった。急で申し訳ないんだけど明日の朝、出来れば早朝からここに来てお客様が到着次第このお茶を入れてほしいの。勿論他の仕事はこちらで調整するから」
「はい、勿論それはいいのですが…あの、その、もしかしてそのお客様って…」
「うん。先代のダリル様」
「ひっ!!」
やっぱり…。
ビーンはがっくりと項垂れる。
そもそもあの茶葉は、ダリルの好みに乾燥させてブレンドしたダリル専用の茶葉だ。
蒸し方も他の茶葉とはかなり異なる為、ホワイトレイの本家には専門の給仕人がいるはずだ。
ビーンは跡継ぎではない。
しかし実家で扱っている茶葉は全て把握しており、もしもの時の為、両親に入れ方をたたき込まれていた。
まさかこんなところで役に立つなんて…。
父上、母上ありがとう。
ビーンは叩き込んでくれた両親に感謝した。
「それ、どうやって手に入れたの?」
キララが不思議そうにユレフィールに尋ねる。
「リシューにお願いして用立ててもらった」
「わぉ~相変わらずラブラブね」
「えへへ~実は結婚の約束しちゃった」
「きゃ~~!!」
突然始まる女子トークにしばらく無心で聞いていたビーンだったが、一向に終わる気配のない2人に、話がいち段落するまで給湯室から出て、先程の部屋を見て回る事にした。
ビーンは2人にぺこりと頭を下げると給湯室を後にする。
その際チラリと前方を見ると、ガラスの部屋で先程の男が1人で椅子に座っていた。
ビーンは何気無しに男に近付き、ガラス越しにじっと観察する。
歳の頃は40前後。
両手足に枷を付けられ、頭から多くの管が出ており何かの機械に繋がれている。
目鼻立ちのはっきりした整った顔立ちをしており、若い頃はさぞもてただろう。
全裸ということもあり、ビーンは興味本位で彼の下半身に目をやったのだが、
「あれ?ない…?」
男ならば必ずあるアレが、その男には無かった。
一瞬女性かと思い視線を上半身に移すが、骨格や筋肉の付き具合が明らかに男のそれで、ビーンは再び下半身に視線を戻す。
「?やっぱり無い…」
ビーンはう~んと首を捻っていると、
「種が蒔かれないようにしっかりと処理されているのよ」
いつの間にかキララが隣に立っていた。
どうやら女子トークは終わったようだ。
「そうなんですね」
「でもまあ全部抜き取ったから、多分明日には破棄されると思う」
ユレフィールも現れ、苦笑しながら男を見る。
「抜き取った?」
「そう、記憶をね」
彼女は自分のこめかみを、人差し指でとんとんと叩く。
「そんな事まで出来るんですか?」
「魔力って、その人の記憶を持っているでしょう?」
「はい。去年発表された論文に載っていました」
「お!勉強してるね、偉い偉い」
キララはビーンの頭を撫でる。
「という事は?」
「という事は…」
ビーンははっと顔を上げる。
「それを映像化すれば、第三者が確認出来ます!」
「そう!偉い偉い!」
キララは力任せにガシガシとビーンの頭を撫でる。
「キララ先輩。セクハラです」
「はいはい、ごめんね~」
キララは素直に手を離す。
「原理はそうなんだけど、なかなか上手くいかないのが現状なの。魔力の揺らぎって体調や気分によって変化するでしょう?思いもよらないエラーが出たりするの。まだまだ研究段階なのよ」
「ふえ~~」
ユレフィールの説明にビーンは口を開け、キラキラとした瞳で見つめる。
「やだこの子可愛い。助手にくれない?」
「だめ~ビーは私の癒しなの~」
「いいじゃない~」
「だめ~」
何やら再び始まった女子トークに、ビーンは先程キララに乱された髪を直しながらこっそり溜め息を吐くのだった。




