再会しました
森の中を走り続けて10分余り。
衛兵は、開けた場所に到着した。
そこにはこの場所に似つかわしくない馬車が3台停車しており、その中でもひときわ大きくて重厚な馬車に彼は駆け寄った。
「リシュー様!リシュー様!どうかお助け下さい!!」
馬車のドアの前、衛兵がマントに包まれたオリビアを掲げる。
するとドアが勢いよく開かれ、中から1人の青年が早足で降りてきた。
白を基調とした詰襟ジャケットを着たリシューである。
「こちらに!」
彼は白い服が血で染まるのも厭わず、すぐさまオリビアを丁寧に抱えると、
「こちらは任せなさい。お前達は引き続きあの屋敷の監視を」
そう言うと、すぐさまオリビアを車内に運び込んだ。
一般的な馬車よりも数段広い車内は、シックな色合いで統一され、ベルベットのソファーは車内にいる事を忘れさせる程の快適さを誇っていた。
現在その車内には、リシュー以外に白衣を着た女医であるバジルと、メイドのミナが待機している。
「バジル」
リシューはオリビアのマントを慎重に取ると、空いた席にゆっくりと横たえた。
気を失い、血で染まったオリビアの姿に3人は眉を顰める。
「失礼する」
バジルは隣に座るミナからハサミを受け取ると、血に染まった服を手早く切っていく。
リシューは見ないようにオリビアに背を向け、傍らの鞄から羽ペンと直径20センチ程の半透明のタブレットを取り出した。
ちなみにオリビアは、日ごろの栄養不足と寝不足、出血の為、気を失ったフリをしていたつもりが、いつの間にか本当に意識を手放してしまっていた。
「左目から右脇腹にかけて刃物により裂傷。肩と膝、臀部に打撲跡。左足薬指、小指ともに骨折。背中と太ももに鞭や棒の様な物による打撲跡、栄養失調、疲労と、よいしょっ」
バジルは寝かされていたオリビアの両足を躊躇無く広げ、股付近を専用の器具でじっくりと観察した。
オリビアが起きていたら発狂ものである。
「こちらは問題無い」
その言葉を聞いて、一同はほっと息を吐いた。
リシューは後ろを向いたまま、バジルが口にする症状を全てタブレット画面に書き記していく。
「今から治療をしていく。概ね痕は残らないと思うが・・・」
バジルはミナからいくつかの薬品と包帯を受け取りながら口ごもる。
「?」
「左目は諦めた方がよい。眼球に傷が入っている」
バキッ
リシューの使っている羽ペンが勢いよく折れた。
「シリウス様は大層お怒りになるでしょう」
感情を押し殺した声でリシューは呟くと、タブレットから直接シリウスに情報を送る。
「ひとまず、主からの返事を待ちましょう」
リシューの言葉に2人が静かに頷いた。
馬車が静かに、しかし猛スピードで森の中を走っている。
遠くから獣達の遠吠えが聞こえるが、馬車が襲撃される事はなかった。
勿論この馬車は、ドラゴンの襲撃からも搭乗者を守る事が出来る程の強い結界が張られているのだが、今はむしろ、森自体が力を貸してくれているように、馬車の走る道を整えてくれているようだった。
車内の3人は終始無言で、手当が終わり包帯だらけで毛布にくるまれて寝かされているオリビアをじっと見つめていた。
栄養の行き届いていない骨ばった身体と、艶の無いパサついた髪。
顔の半分は包帯で隠れているが、目の下にはクマが出来ており、頬はこけ、肌と唇は乾燥の為にかさついている。
リシューは静かに息を吐いた。
最後に会ったのはおよそ2年半前。
記憶の中の美しい少女の面影はほとんど無く、まるで別人を見ているかのようだった。
シリウス様はしばらく荒れるでしょう・・・。
頭の痛い問題が山積で、リシューは湧き上がってくる怒りを何とか飲み込むと、再びオリビアの顔に視線を戻した。
すると、バチリと目が合う。
「!」
実はオリビアは少し前に目を覚まし、薄目で辺りを観察していたのだ。
治療された自分の身体。
気を失う前よりも明らかに心地好い空間。
心底心配したような彼等の表情。
悪い人達じゃ無い。
むしろ助けてくれた。
そう結論付けたオリビアは、たった今気が付いたかのように目を開けたのだった。
「傷は殆ど手当て致しましたが、しばらく安静にしていた方が良いでしょう」
リシューは優しく微笑みながら、出来るだけゆっくりと柔らかな口調でオリビアに話し掛けた。
しかし、当のオリビアは『びくっ』と身体を強張らせると、毛布を掴み物凄い勢いで車内の隅、いわゆる3人から一番離れた壁に張り付いた。
「「「・・・・・・」」」
3人は絶句した後、悲しみと怒りの余り身体が震えた。
明らかに彼女は怯えて警戒している。
まだ12歳の少女が、どんな仕打ちを受けたらこのような状態になるのか。
そしてリシューは密かに傷付いていた。
持ち前の人好きのする優し気な笑顔と声色で話しかけたはずなのに、脱兎のごとく逃げられた、と。
一方オリビアは、状況把握に忙しかった。
とんでもない美形達がいる!!!
オリビアは、皆の顔の良さに驚いて、壁に張り付いたのだった。
ダントツで水色の髪の青年が美しいが、白衣を着た女性も出来る女風の美形で、その隣に座るメイド服の少女も美しい。
オリビアは、薄目では確認出来なかった彼等の風貌をまじまじ観察していると、リシューが何とも言えない顔でオリビアを見ていた。
ん?水色??
オリビアはどこか見覚えのある彼の顔、と言うか配色に首を捻る。
「オリビア様。リシューです。何度かお会いした事があるのですが・・・」
リシューは申し訳無さそうにオリビアに告げた。
リシュー・・・。
ああそうだ。
「シリウス兄様の・・・?」
「はい、秘書です」
子供の記憶はとても曖昧だ。
最後に会ったのが2年以上も前だった為、オリビアはリシューの事を何となくボヤーっと覚えている程度だった。
だがしかし、ここにリシューがいるということは、もしかして手紙が無事に届いた、と言う事だろうか?
オリビアは内心ほっと息を吐き、再びリシューの顔をじっと見つめた。
年の頃は二十歳前後。
水色の髪と瞳はとても冷たい印象を受ける。
無表情の彼は血の通っていない彫刻のようだが、先程見せた笑顔は万人受けするだろう。
声も優しく物腰も柔らかい。
所作も気品あふれている。
銀縁眼鏡がいかにも出来る男、と言う感じだった。
しかしオリビアは騙されない。
一見人当たり良さそうに見える笑顔の裏は、とんでもない腹黒が潜んでいる。
ただの黒ではない。真っ黒けっけだ。
おまけに十中八九、ドSだろう。
結論。
彼を敵にまわしてはいけない。
オリビアは前世、仕事で培った人間観察力をフルに生かしてそう結論付けたのだが、ふと彼の胸元に大きめの赤い染みがいくつも付着している事に気が付いた。
え・・・あれ、もしかして私の血?
オリビアはさぁっと血の気が引いていくのを感じた。
彼が着用している白いスーツ。
真っ白で光沢があり、明らかに高級そうだ。
よし!謝ろう!
オリビアはリシューに向かって口を開いたその時、
ガタンッ!!
突然馬車が止まったかと思うと、バンッと勢いよく外側からドアが開かれた。
「オリビア!」
逆光でしっかりと見えないが、1人の青年が大股で車内に入ってきた。
突然の出来事に驚いたオリビアは、ひとまず毛布に顔を埋めて成り行きを見守る事にした。
「オリビア?どうした?私だよ、シリウスだ」
そう言うと、オリビアに向かって両手を広げた。
「・・・シリウス兄様・・・」
オリビアは毛布からばっと顔を上げると、無意識にシリウスに手を伸ばす。
『愛しい人・・・』
もう1人のオリビアが耳許で囁く。
シリウスはオリビアの手を優しく掴むと、力強く彼女を抱き寄せた。
「ああ、オリー」
シリウスはオリビアをぎゅっと抱きしめた。
「可哀想に・・・辛かっただろう。少し眠るといい。側にいるから」
シリウスはオリビアに優しく囁く。
『ああ、やっぱりこの人は私のモノ』
もう1人のオリビアが再び囁くと、シリウスの胸に顔を埋めた。
『あったかい・・・』
懐かしい体温に包まれたオリビアは、安心したのか直ぐに意識を手放した。
「・・・これはどういう事だ、リシュー」
包帯まみれのオリビアの頭を撫でながら、地を這うような低い声でシリウスは尋ねる。
「後程詳細な報告書が送られてくる予定ですが、実行犯は義母と義妹です。オリビア様を亡き者にしようと画策していたようです」
リシューの言葉を聞いて、シリウスの纏う空気が一気に冷たくなる。
「先程、傷薬の他に栄養剤と睡眠導入剤を投与しました。しかし余りの警戒心に目を覚まされてしまったようですね」
バジルが告げる。
「余程過酷な状況で生活していらっしゃったのでしょう」
「リシュー、報復を」
オリビアの頭を愛おしそうに撫でながら、抑揚の無い声でシリウスは命じた。
「既に準備は完了しております」
「私はこのままオリビアを連れて城に戻る。今回関わった人間の身柄はこちらで預かる。そのように伝えておきなさい」
「承知しました」
シリウスはそう言うと、オリビアを抱いて馬車から出て行った。
リシューは馬車の窓を少し開けた後、胸ポケットから10センチ程の銀のケースを取り出した。
そこには青、黄、赤の3つの小さな魔石がはめ込まれており、その中から青い魔石を取り出して、ふうっと息を吹きかけた。
すると魔石から無数の青い鳥が現れ、馬車の窓から外に出たかと思うと、あっという間に空に向かって羽ばたいていく。
「さあ、王都へお行きなさい」
リシューがそう告げると、上空を旋回していた鳥達が一斉にブラン王国の王都目指して飛んで行ったのだった。