終焉
雲一つない青空の下、どこまでも響き渡る美しく寂しい旋律。
日の光に反射してキラキラと輝く粒子がシェラの身体を包み込み、優しい風が軽やかに衣服と髪を舞い上げている。
彼女の歌に誘われて現れた多くの精霊達は、形式の様に一度シェラの足元に跪くと、歌声に合わせてダンスするかの様に軽やかに空へと舞い上がる。
両手を大きく広げて歌うシェラの姿は、周りの風景と相まって一枚の宗教画の様だった。
余りにも現実離れしたその情景に固唾を呑んでいたシル達だったが、いつの間にか結界の外に数体の精霊達がフワフワと浮かび、じっと中を覗き込んでいる。
彼等は一様に光沢のある柔らかな黒い布を身体に纏い、恐ろしい程の無表情でじっとこちらを凝視している。
生気の感じない青白い顔と真っ赤な唇は、造形の良さも相まって精巧な人形の様にも見える。
暫くそうやって精霊達からじっと観察されていたシル達は、次第に居心地の悪さを感じ始める。
特に敵意は感じないが、何故ここにいるのか不思議に思われているのだろうか。
シルは、どうにか遠くへ行ってもらえないかと策を考えていると、突然隣にいたソフィが手に持っていた結界の魔道具を掲げた。
それを見た精霊達は一瞬驚いた様に真っ赤な目を見開くと、直ぐに美しい表情でニコッと微笑み、機嫌良く手を振って去っていった。
「ふう……敵ではないと判断されたのか…」
「多分ね。これのお蔭」
ソフィは、手に持った結界の魔道具を見せる。
「女王の魔石か……正直助かった……」
シルは小さく息を吐く。
「だが、あいつはそうもいかないだろう」
シルの視線の先には、王城のバルコニーで精霊に囲まれているグレオの姿があった。
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「やっ、止めろ!!私に寄るな!!私はこの国の王だ!!近寄るな!!!」
腰が抜けてバルコニーに座り込んだままのグレオは、自らの身体に纏わりつく黒い靄を必死に振り払う。
そんな彼の目の前には、精霊達がフワフワと宙に浮いて彼をじっと見下ろしていた。
「貴様ら何者だ!?誰の許可を得てここにいるのだ!!」
「精霊だよ?もしかして知らないの?兄さん」
グレオが振り返ると、いつの間にかルカが笑いながら立っている。
「せ、精霊だと…?そんなモノ、存在する訳ないだろうが…」
「あれ~?兄さん、現王ともあろう者が、まさかこの国の歴史を知らないの?」
「馬鹿にするな!!知っている!」
「ふ~ん。でも信じてないんだ。まあ信じていたなら、あれだけサイファードにちょっかい掛けたりしないもんね」
「なっ…」
「でも兄さん。信じないのは自由だけど、例えばもし、それが真実だったらどうするの?」
「は?真実だと?」
「200年前の話が真実だった場合だよ」
「それは…そんな事は、有り得ない」
グレオはきっぱりと言い切る。
「兄さんは魔力が無いから感じないかもしれないけれど、魔力のある者は皆精霊を信じてるんだよ。それなのにどうして『有り得ない』なんて言えるのさ」
「っ……。仮に精霊が存在していたとしても、女王なんているはずがないだろうが。そんなお伽噺を信じるのは女子供位だ。それにこのご時世に精霊なんか必要ないだろう。既にこの世には魔道具という優れた道具がある。それを使えば魔法など使えなくとも問題ない!」
グレオは鼻の穴を膨らませながら、ドヤ顔できっぱりと言い切る。
「つまり、もし精霊が存在していたとしても、この国には必要ないって事なんだね。うん、兄さんらしい回答だね。実に面白いや」
ルカはクスクスと笑う。
「じゃあさあ、仮にこの世界に精霊がいるとしよう。おまけに200年前の話が真実だとして、兄さんがサイファードにやってきた事は許されると思う?」
「は?許される、とは?」
「200年前の王に請われてわざわざこの地に残った精霊の女王は、多くの恵みをもたらしたとされてるよね。それが真実なら、突然兄さんから受けたちょっかい、許せると思う?」
「意味が分からん」
「仮だよ、仮の話。どう?許されると思う?」
グレオは、混乱する頭で何とか考えようとする。
もし、200年前の話が真実だったとしたら…?
もし本当に精霊の女王がこの国に降り立ち、サイファード領を、ひいては国を豊かにしてくれていたとしたら…。
本当にサイファードの直系が精霊の女王の血を引いていたとしたら…。
普段なら馬鹿馬鹿しくて考えもしない問いだった。
しかし、現実離れした事が起こり続けているグレオは、考えれば考える程、身体から血の気が引いていくのを感じた。
「恩を仇で返すなんて、僕ならきっと怒っちゃうな~。兄さんもそう思わない?あ、切れやすい兄さんなら、直ぐに極刑だ~とか言いそう。ふふふ」
「……っ」
ルカはクスクス笑う。
そんな彼の姿が、まるで映像のようにゆらゆらと揺れている事にグレオは全く気付いていない。
ルカはグレオの前にゆっくりと腰を下ろして目線を合わせる。
「でも良かったね。魔力ゼロの無能な兄さんが、ここに来てようやく精霊を見る事が出来るなんて!」
ルカは手を叩いて祝福する。
「なっ!何だと?!貴様兄に向かって何たる言い草だっ…」
グレオはカッとなってルカの胸倉を掴みにかかる。
だが、無常にもその手は空を切った。
「は?」
「愚かな兄さん。大丈夫、女王は慈悲深い。きっと与えた恵みをほんのちょっと回収されるだけだよ」
ルカはケラケラと壊れた様に笑い出す。
その不気味さに、グレオは眉を顰めて彼から身体を離した。
「大丈夫だよ兄さん。大丈夫、大丈夫大丈夫ダイジョウブダイジョウブダイジョウブダイジョウブダイジョウブダイジョウブ」
かくかくと首を横に振りながら、ルカは同じ言葉を繰り返す。
抑揚が次第に崩れ始め、彼の身体がドロドロと闇色に染まり始めると、胸の辺りからいくつもの触手がくねくねと這い出し、グレオに襲い掛かった。
「なっ!」
あっという間に捕まり、体中をギリギリと触手に締め上げられる。
グレオは理解出来ずに助けを求めて首を捻らすが、バルコニーにはグレオしかおらず、ルカだった何かは既にドロドロの黒石塊に変わっていた。
「ひぃっ!!」
悲鳴と共に顔を上げると、空中から面白そうに見つめる精霊と目が合う。
「っ!!!」
触手に締め上げられたまま、精霊達は彼の身体を空中に浮かせてシェラのところまで運ぶ。
「よせっ……よせっ~~~!!やめろ~~~!!やめてくれ~誰か助けろ!助けてくれ~~!!」
ここでようやく死の恐怖を感じ、助けを求めてひたすら叫ぶグレオだったが、シェラの前に着く頃には既に喉も枯れ果て、恐怖と相まって声を出す事も出来なくなっていた。
底の見えない大きな穴の中央で、地面も無く、どういう原理で自分の身体が浮いているのかさえも分からない。
辺りはドロドロとしたヘドロの様な物体に囲まれ、それに反して目の前で歌う女性は、輝かんばかりの美しさで直視する事さえ出来ない。
逃げたいのに逃げる術がない。
叫びたいのに喉が詰まって声が出せない。
腰が抜けてぴくりとも動けない。
たかが女ごときに。
生まれてこの方陥った事の無い情けない自分の姿に、グレオの頭はか~っと熱くなる。
そして自らを叱咤し、怒りに任せて挑むような視線をシェラに向けたのだったが、それに気付いた彼女はふっと口元を緩めた。
その圧倒的な美しさにグレオはしばし茫然と見惚れるが、シェラは歌いながら、まるで振り付けの様に美しい所作で自らの頬に右手を添えると、唇を軽くすぼめてグレオの背後にふぅっと息を吹きかけた。
「?」
何をやっているのだろうか?
グレオはその行為の意味が分からず、背後を何気なく振り返る。
すると、彼の背後にあったであろうあらゆる物がサラサラと砂が落ちるように消え去った。
「へ…ぇ?」
一瞬の出来事だった。
先程までグレオがいた王城も、その周囲に茂っていた木々も、背後に広がる森や山々もが全てが一瞬で、まるで元からそこに無かったかのように消えたのだ。
僅かに残ったのは、風に攫われて原形をとどめない砂の様な粒子のみ。
サラサラサラサラ
サラサラサラサラ
まるで歌の一部かの様に、サラサラとした砂が崩れる様な心地良い音が耳に届く。
グレオはそれを見て、恐怖の余り痙攣を繰り返し、過呼吸になってシェラの足元に転がる。
グレオはゴロゴロと悶え苦しむ。
しかしそんな彼には目もくれず、シェラは再び歌い始めたのだった。
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「おいおいおいおいおい……あれは一体……」
「分かる訳ないでしょ?!私に聞かないでよ!」
シルとソフィは言い合いしながらも、目線は王城が存在していた場所に固定されている。
既に原形を留めないそれらは、瞬く間に大地へと同化し始め、残ったのはだだっ広い地面のみだった。
しかも、王城周辺だけではない。
その向こう、目に見える範囲全ての物が一瞬にして消え去ったのだ。
何かの爆発や衝撃で消し飛ばした訳ではない。
純粋に、綺麗さっぱり存在自体を消し去ったのだ。
「マジか……」
「………えげつな…」
しかしそれだけでは無かった。
辺りを飛んでいた精霊達はそれを見て、何かの遊びだと勘違いしたのだろう、シェラの歌声に合わせてクルクルと踊りながら、我先にと色々な場所に飛んで行き、息を吹きかけ始めたのだった。
それは、赤い鳥と魔法陣で殆どが消えてしまっていた王都で、僅かに残っていた建物や手付かずだった自然にまで及ぶ。
消えていくのだ。
シェラの息吹と同様に、彼等が息を吹掛けた場所が、元から存在していなかったかのように跡形も無く。
それは遥か遠く、見える範囲全てにまで及ぼし、全て溶かしていく。
後に残るのは、サラサラとした砂のような残骸のみ。
しかし一陣の風が起こると、それさえも綺麗さっぱり遥か彼方に飛ばされて消えていく。
豊穣の力があるならば、その逆もしかり。
これこそ、闇の精霊の恩寵であった。
シル達は立ち尽くす。
目に見える範囲、全てがくすんだ砂へと変わっていく。
遥かに見える山や森も、川でさえサラサラと消えていく。
彼等の耳には、シェラの歌声がいつまでも響いていた。
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気が付くといつの間にか歌声は消え、ぽっかりと空いていた大きな穴も、どういう訳か綺麗さっぱり消えていた。
精霊達の姿も消え去り、残ったのはだだっ広い砂の大地と、その真ん中に力なく座り込む1人の男だけだった。
その目に生気は無く、口をだらんと開けてよだれが垂れている。
「…どうやら死んでいないようね」
「…ああ」
「どうする?殺っちゃう?」
「……指示を仰ぐ」
そう言うと、シルは持っていたタブレットで素早くリシューに連絡を取った。
『一度本部に集合しなさい』
タブレットからの返答にソフィは一度周囲を確認すると、展開していた結界を解いた。
それに合わせて、騎士達も同じように結界を解き始める。
途端に、砂っぽい乾燥した空気が皆の頬を撫でる。
ふと視線を落とすと、結界が張られていた部分だけに草花が残り、それ以外は全て砂に変わっていた。
シルはギリギリのラインまで歩き、手を伸ばしてその砂に触れる。
全く水分を感じないそれは、指の間からサラサラとこぼれ落ち、風に吹かれて瞬く間に消えていく。
「ただの砂では無さそうですね…」
シルは胸ポケットから袋を取り出すと、その砂を採取して持ち帰る事にした。
「それでは移動しましょう」
仕事モードに戻ったシルの掛け声と共に、各自で転移魔法を発動する。
その際、シルはちらりとグレオに視線を向けたが、その哀れな姿に口角を微かに上げると、何事も無かったかの様にその場を後にしたのだった。




