レクイエム
シルはシリウスの言葉に息を飲むと、跪いた状態を維持するよう騎士達に右手で合図を送った。
「あの御方が精霊の女王…」
「…綺麗……」
シロとクロは、金色の光を纏ったシェラを見て呟くが、どちらも顔色が悪い。
これだけ距離が離れていて、しかも防御結界を張っているにも関わらずとんでもない魔力の圧を感じる。
魔法を行使出来る者だからこそ、それがより顕著に見て取れた。
現在シェラは、鼻先まで隠れた光沢のある白い布を頭からかぶり、わずかに出た口元に僅かな笑みをたたえ、静かにその場に佇んでいる。
しかし彼女がこの場に現れたという事は、これから何かが始まるという事だ。
一同は無意識にごくりと唾を飲み込んだ。
『え!本当に女王様なの?北の!私初めて見たわ…君の部下君達大丈夫?』
緊張が続く中、タブレットからこの場に似つかわしくない朗らかな声が響く。
『退避させた方がいいのではないか?北の』
『これは凄いね…。問題ないのかい?』
財閥の長達が、思い思い口にする。
『ヘタに動いて敵とみなされる方が問題だ。それにあそこにいる者達は、父であるダリルの元部下だ。その辺り、幾分か考慮しているだろう』
『ふ~ん。幾分、ね』
『もしかして、女王が現れるのを予想していた?』
『……』
『なら対策はばっちりかな?』
『それはどうだろう』
『え?』
『御方が本気でお怒りになっているのならば、我々ではどうする事も出来まい』
『………確かに』
『……』
『……』
タブレットからの音声も途切れ、辺りは静寂に包まれる。
シル達は会話内容に絶望を感じつつも、これから起ころうとしている現象を見逃すまいと目を凝らす。
暫く皆が観察していると、シェラは両手をゆっくりと広げ始める。
「何か始まるのでしょうか?」
固唾を飲んで見守っている騎士達。
すると、何故か美しい旋律が聞こえ始めた。
「歌?」
皆一様に硬直し、自らの耳を疑った。
何かとんでもない、つまり簡単に言えば爆発やら消滅やら、ど派手な魔法が目の前で展開されるだろうと身構えていたのだ。
しかし蓋を開けてみると、そこには美しい旋律を歌うシェラの姿。
内心ほっとして息を吐き、辺りに安堵の空気が流れ始める。
「美しい歌声ですね…まるで天上の音楽だ」
「何の歌かは全く分からないが、心地良い旋律です」
暫く皆は、美しい歌声に耳を傾けていたのだが、違和感を感じ始めたクロがぽつりと呟いた。
「…何かあの魔法陣、おかしくない?」
その声に、皆が一斉に魔法陣を見る。
「え…文字が動いてる?」
魔法陣に描かれていた文字が、スルスルと、まるで蛇の様にシェラの身体に吸い寄せられている。
「え…気持ちわる……」
「いや、可笑しいだろ。そもそも文字が生き物の様に動くなんて…」
あっという間の出来事だった。
茫然と事の成り行きを観察していた者達が、次のまばたきから目を開けた瞬間、魔法陣を描いていたはずの円の内側に、真っ黒い穴がぽっかりと口を開けていた。
「っは???」
先程まで確かにあった地面が、魔法陣が綺麗さっぱり消えている。
半分だけ飲み込んでいた建物も人も、何もかも全てが一瞬にして消えたのだ。
そこにあるのは、真っ暗で深さの見えない大きな穴だけ。
勿論シェラは、円の中心で浮かびながら歌い続けている。
「……な…何だ、あれ、は」
シルは驚きと恐怖の余り、声を出す事もままならなかった。
「…穴…え?底、見えない…」
「幻覚か、何かか?」
皆は恐怖の余りカタカタと震え出す。
「ひぃっ!!あれ!!…何か…出てきてる…」
クロの悲鳴に皆が彼の視線の先を見ると、確かに穴からうねりながら何かが這い出てきていた。
「う…ううううシロ……あれ怖い…」
足元から這い上がってくる恐怖に、クロはついボロボロと泣き始める。
「クロ、大丈夫だ、大丈夫」
励ましているはずのシロの声も震えていた。
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「あれ?お母様、歌ってる…」
オリビアは新しい拠点の自室で、ミナから勧められたドレスのカタログを見ていた。
「お母様、と言いますと、シェラ様でしょうか?」
側で立っていたミナは、『お母様』の言葉に一瞬身体が揺れるが、誠実にオリビアに尋ねる。
「うんそう。レクイエムかな~」
オリビアはカタログから顔を上げ、側で無言で佇んでいるスノウ達を見る。
すると彼等はコクリと頷いた。
「やっぱりそうだ~。珍しい」
「レクイエム、と言いますと鎮魂歌ですか。何か理由が?」
「どうだろう?多分闇の精霊呼び出してるのかな~」
オリビアは、こてんと首を傾けた。
「闇の精霊。初めて聞きます」
「そっか~。何かな。何に例えられるだろう…あ、そうだ!この世界って悪魔とかいる?」
「悪魔ですか?書物の中には存在しますね。生贄を捧げて呼び出すのが一般的で、性格は凶悪で残忍。血を好み人々の魂を喰らう者、と。書物の種類は違えど、この様にある程度似通って書かれています」
「そうなんだ~。どこも一緒だね」
オリビアは前世の記憶を引っ張り出しつつ頷いた。
「…オリビア様。まさか悪魔は存在するのですか?」
「え?普通にいるよ?だって彼等も精霊だもん。眷属だよ~仲間~」
自分が闇に落ちかけた、などとは口が裂けても言わないが。
「!?」
ミナは絶句した。
「でも魂が好きとか血が好きとか、食べ物の好みは聞いてみないと分からないけど…」
オリビアは唇に人差し指を添えて、可愛らしく小首を傾げる。
「そ、そうなのですか。しかし、シェラ様は何故闇の精霊をお呼び出しになられたのですか?」
「遊びたいからじゃない?」
「え?遊び、たい?」
「うん。お母様なら呼べば直ぐに集まると思うんだけど、わざわざ歌うって事は一緒に遊びたいんでしょ?ほら子供の頃『○○ちゃ~ん、遊びましょ~』みたいに友達の家の前で声を掛けたりしたでしょ?アレと同じ」
「…同じ…ですか…レクイエムが…」
「うん、そうだよ。だってお母様、今すっごい機嫌良いし」
オリビアは、自らの身体に感じるシェラの魔力を確認してそう結論付けた。
そして何事も無かったかの様に再びカタログに視線を落とし、ドレスを吟味し始めたのだった。
その様子を見ていたミナは、先程の会話内容を早急にリシューに転送するのだった。
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歌声が聞こえる。
うっすらと目を開けると、いつもよりかなり早い時間に目が覚めた事に気付いた。
グレオは枕元に用意された水差しから一口水を飲むと、ベッドからゆっくりと身体を起こす。
使用人達が起こしに来る時間まで、まだ随分ある。
それにしても……。
「誰か庭で、歌の練習でもしているのか?」
早朝から聞こえる女の歌声。
歌うのならば、もう少し時間を考えろ。
予定よりも早い時間に起こされたグレオは、声の主を注意しようとベッドから降り、カーテンを開けてバルコニーに出る。
太陽の眩しさに一瞬目を細めるが、目が慣れてくるのを待ちつつ、何気なく王都の街並みに目をやった。
「……………」
グレオは無言で数回瞬きを繰り返す。
しかし、眼前の景色は一向に変化しなかった。
「な、何だ……これはっ……」
そこには昨日までは確かにあった王都の街並みは疎か、人の気配すら全くせず、ぽっかりと大きくて黒い穴が開いていた。
いや、厳密にいうと気配はある。
その穴の真ん中付近に、人間らしき姿があったのだ。
「歌っているのはあいつか?」
遠すぎてよく見えないが、それは真っ白い布をかぶり、金色に輝きながら穴の中央付近で浮いている。
「化け物めっ!!」
グレオは舌打ちすると直ぐさま寝室に戻り、枕元に置いてあるベルを力強く鳴らす。
「出合え!!魔獣が攻めて来た!!悪魔かも知れん!皆の者、我を守れ!!」
グレオは大声で叫ぶ。
しかし、待てど暮らせど足音ひとつ聞こえない。
人の気配さえもしない。
扉の外で常に警備してる騎士も、使用人室で待機している使用人も、何故か今日に限って誰も来ない。
グレオはカーテン越しに窓の外をチラチラと警戒しながら、いつまで経ってもやって来ない騎士や使用人達に、イライラを募らせ始める。
「くそっ!無能共め!」
グレオはついに我慢できずに手近な上着を羽織って、部屋から廊下に出た。
「誰かいないのか!!」
大声で怒鳴るグレオの声が、廊下に響く。
しかし、その声に反応する者は誰一人としていない。
静まり返った廊下で、グレオは先程よりも大きな声で怒鳴る。
しかし、彼の声は廊下の奥に虚しく響き渡るだけだった。




