ブラックレイ研究所
地図にも載らない雪と氷に閉ざされた北の山の麓に、ブラックレイ研究所の総本山はある。
だだっ広い敷地を余すところなく使用した大規模な研究所は、1,000人程度が常時在住しており、天気や気温に左右されないように大半の施設が地下に作られ、常に一定の気温と湿度に保たれていた。
ここはその名の通りブラックレイ一族が運営しており、ホワイトレイが所持する中でも最大級の研究所であった。
そして今、各財閥の意向を受け、赤い鳥の映像を全世界に共有する事となり、念のために開発者による最終チェックが行われていたのだが、その最中に思いもよらぬ落とし穴が見付かったのだった。
研究所の一室。
壁一面にびっしりと本棚が並べられ、分厚い専門書が所狭しと詰め込まれている薄暗く埃っぽい部屋に、ここの主である1人の女性がデスクに突っ伏していた。
「ぐぬぬぬぬ…」
白衣を着た小柄な女性。
丸眼鏡を掛けた顔は小動物を連想させる程の童顔で、クリクリの茶色い目と小ぶりの鼻、薄く散らばるそばかすと小さい口は、今年二十歳になる彼女をより一層幼く見せていた。
目と同じ色のフワフワの茶色い髪の毛は、寝癖やら何やらで収拾が付いておらず、申し訳程度に毛先を紐で束ねている。
デスクのすぐ後ろには、簡易ベッド用に大きめのソファーが置かれており、少し前に起きたのだろうか、その上には毛布が乱雑に置かれていた。
彼女の名はユレフィール・ブラックレイ。
二十歳にして既にブラックレイ研究所の所長であり、希代の天才研究者であった。
童顔の余り16歳程度にしか見られない彼女は、魔法陣の描かれた紙を握り締めながら、かれこれ1刻程度、同じ態勢で苦悶している。
「どうですか?調子は」
そこに突然ノックも無しに現れたリシュー。
しかしユレフィールは、いつもの事のように顔すら上げずに言葉を返す。
「全然ダメ。こんなんじゃ恥ずかしくてお披露目出来ない~う~~」
「どの辺りが?」
リシューは彼女の元まで歩き、手に持っている紙をひったくって内容を確認する。
「ふむ、出力不足。いわゆる魔石の魔力量不足ですね」
「そうなのよ~。人間とかなら全然問題無いんだけど、今回は建物が中心でしょ?展開される魔法陣が小さすぎて漏れが出そうなの。それが皆に同時中継されると思うと、とても許可出来ない~恥ずかしい…ブラックレイの沽券に関わる…」
リシューは、彼女のデスクの横に置いてある鳥籠に入った赤い鳥に視線を向ける。
尾の長いその鳥はピクリとも動かず、ただただガラス玉の様な空虚な瞳で一点を凝視していた。
魔石から作り出されたこの鳥は、そもそも生きていない。
魔力を運ぶ為だけに作られた、言わば運搬装置だ。
羽の1枚1枚には細かい魔法陣がびっしりと組み込まれ、ある一定のシグナルに反応して魔法陣を展開する仕組みになっている。
「どう頑張っても一般家屋が限度。高位貴族の屋敷や、ましてや王城となると全く太刀打ち出来ない。ターゲットが小型だと良かったんだけど」
ユレフィールは机に突っ伏して、頭をガシガシと掻く。
そのせいで、もともと整えていない髪の毛が更に爆発状態になる。
「そもそも元となる魔石の魔力不足ですからね」
「でもこれ以上の魔石を使うのは現実的ではない。馬鹿高い上に効率が悪過ぎる。量産も出来ない」
「ですね」
リシューは突っ伏しているユレフィールのフワフワの髪の毛を優しく撫でた。
「ですので、本日はこちらをお持ちしましたよ」
リシューは優しくほほ笑みながら、コトリとデスクに例の魔石の入った箱を置く。
ばっと顔を上げたユレフィールは、置かれた箱を手に取った。
「見ていい?」
「勿論。先代より頂きました。今回の赤い鳥に使うように、と」
ユレフィールはその箱を開けた瞬間、今までの覇気の無いメソメソ顔から瞬時に歓喜の表情に変わる。
「え?やばっ!すっご…」
彼女は白衣の胸ポケットに常備している魔力測定機を取り出し、その魔石に近付ける。
そして数値を確認するや否や、箱ごと天に掲げた。
「ああああああ~ありがとうございます~~~!!」
突然の奇行に、リシューは苦笑する。
「そんなに凄い物なのですか?私には含有魔力量がケタ違いな事位しか分かりませんでしたが…」
「凄いってもんじゃないわ!!これ、魔石じゃなくて魔力の塊だもん」
「魔力の塊?」
「ほら見て」
ユレフィールは再度、石に測定機を近付ける。
するとメモリが徐々に上昇を始めた。
「上昇している?」
「そう。つまりどこからか分からないけども、この石には常に魔力が供給されているって事。魔石は含有魔力を使い切ったらただの石ころになるけど、これはそうはならない。つまり永久機関なの!!ああ!どうやって作ったのかしら?!凄い!」
ユレフィールはリシューそっちのけで、ルーペを取り出してマジマジと観察し始めた。
「あ~いや。それは多分シェラ様がお作りになった物です。我々の今の知識での解明は無理でしょう」
「シェラ様って精霊の女王の?」
「ええ、そうです」
リシューは苦笑する。
「そっか~それなら無理か~」
ユレフィールは、残念そうに石をつつく。
「そうですね。しかし永久機関なのでしたらそれを使って多くの物を開発する事が出来るのでは?」
「!?そうね!そうだねリシュー!!」
ぱっと顔を上げて、ユレフィールは嬉しそうに笑う。
「うん。早速実験する!リシューも見に来る?丁度いい感じの実験体がわんさかいるのよ~~ありがたいわ~」
ユレフィールは嬉しそうにニコニコとリシューに話す。
最近ここに送られて来た被験者は、多少乱暴に使ってもいいと主のお墨付きを貰っている。
その為、研究員達も喜んで実験に励んでいた。
「それは面白そうですね。しかし残念ながら時間が余りありませんので」
リシューは残念そうに眉を下げた。
「そっか~。んじゃまた結果報告するね」
「お願いします」
ユレフィールはリシューを見送ろうと席を立つ。
しかしその瞬間、リシューにすっぽりと抱き込まれた。
「ふはっ?!」
「ねえユレ。4年後ではありますが、主がついに婚姻する事になりました」
リシューがユレフィールの耳元で囁く。
「え?!」
「色々と待たせてすみません」
そう言ってユレフィールの眼鏡をそっと外し、至近距離で彼女の瞳を見つめる。
「…それって?」
「私達もそろそろ結婚しましょうか」
そう言って、リシューはユレフィールに口付けする。
「う…ん…」
「ふふふ。可愛いですね」
リシューはユレフィールの唇をペロッと舐める。
「はうっ」
真っ赤な顔でリシューを睨むユレフィールだったが、瞳が潤んで説得力がまるでない。
「まだ少し時間がありますね」
「え…さっき時間無いって…」
リシューは時計を確認すると、いつもユレフィールが仮眠をとっているソファに優しく押し倒した。
「へ?」
「2人で気持ち良くなりましょうね」
リシューはニッコリ笑って眼鏡を外すと、胸ポケットに入れてユレフィールの白衣を脱がせ始める。
「へ?!あれ?」
ユレフィールは抗議しようと口を開くが、あっさりリシューに唇を塞がれ、くぐもった声は呆気なくリシューの口の中に消えていった。




