オリビアの家
「リシュー、ありがとう」
馬車の中、対面に座っているリシューにオリビアは言った。
「何のお話ですか?」
リシューは優しく微笑む。
勿論オリビアの隣にはシリウスが座っている。
朝食後、何とも言えない空気になったあの時間を早々にお開きにしたのはリシューの一言だった。
バジルに魔石の解析を依頼し、ミナにはオリビアの午後からの外出着を持ってくるように命じた。
一瞬不思議そうな顔をしたミナだったが、リシューの言う通りシリウスの部屋を後にした。
部屋に残った3人。
「オリビア様、午後からはこの3人で出掛けましょう」
そう言ったのはリシューだった。
正直、この3人のみでの外出は、オリビアにとってありがたい事だった。
彼女達から感じた恐怖や不安。
普通の人間なら当然だと思うのだが、今まで親しかった分、オリビアは何とも言えない気持ちになっていた。
オリビアはじっとリシューの瞳を見つめる。
「リシューって、恐怖心とかあまり無いの?」
リシューからはそういった感情が全く感じられない。
「恐怖ですか?いや、ありますよ。流石にシェラ様にお会いした時は畏怖の念を抱き、足がすくみました」
「ふ~ん」
飄々と答えるリシューに、オリビアは胡乱気な視線を向ける。
「正直シリウス様とご一緒していると、大概の事は平気になりますね」
「おい…」
「冗談はさて置き。私はシェラ様は勿論の事、オリビア様とも何度かお会いしておりますので、その辺りのご心配はご不要かと」
「そっか~」
オリビアはほっとしつつ、成程と納得する。
「私には聞いてくれないの?」
隣に座っているシリウスが、オリビアの頭に手をのせる。
「シリウス兄様は特別だからいいの」
「特別。そうか」
嬉しそうにオリビアの頭をぽんぽんと叩く。
「それにしても、本当に良かったのですか?結婚なんて簡単に決めて」
そんな2人の様子を見ながら、リシューはオリビアに尋ねた。
「え?!あ、うん」
オリビアは恥ずかしそうに頬を染めて俯く。
「おい、リシュー」
「いえ、深夜、酒の力を借りて勢いで、と三拍子揃っていますので、オリビア様には落ち着いてじっくり考える時間があっても良いかと思いまして」
「……」
ぐうの音も出ないシリウスは沈黙する。
「う~ん。確かに勢いではあるんだけど……」
「え?!」
オリビアの答えに、シリウスは驚いて目を見張る。
「シリウス兄様の事は大好きだし、他の人とは考えられないかな~って」
「成程。まあオリビア様はまだお若いですからね。主の事が急に嫌になった際は一番に私に相談してくださいね。対処しますので」
「あははは。うん分かった。一番にリシューに相談するね。でもそうなったら精霊界に逃げるかも」
「オリビア、止めてくれ」
シリウスは顔を手の平で覆うと、俯いて本気で落ち込む。
「結婚式にはお母様も来てくれるかな~」
嬉しそうにオリビアは笑う。
「勿論ご招待致しましょう。そうなると、先代であるダリル様もご一緒にいらっしゃるでしょうね」
「そうだね。お母様とラブラブだったし」
「らぶらぶ……ですか…」
「…父上め…」
シリウスは独り言ちる。
「それでね。シリウス兄様、お願いがあるの」
「何?」
「お母様がね、沢山の眷属を自分の僕として周りに侍らせてた」
「ああ、確かに。サイファードの屋敷にいた使用人も半分は精霊種だったね」
「私もそうしていい?」
「つまり、眷属を自らの側仕えにすると?」
「うん」
「そうか、分かった。良ければ私達にも紹介して欲しいのだけれど問題ないかい?」
「うん、大丈夫。ありがと!」
「どういたしまして」
嬉しそうに笑うオリビアの頬を、シリウスは優しく撫でた。
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「さあ、着いた。寒いからしっかり前を留めてね」
シリウスはオリビアのコートのボタンを首までしっかり留め、フードを目深にかぶらせる。
「ありがとう」
馬車の扉が外側から開かれ、リシューが先に降りる。
次いでシリウスが降り、オリビアをエスコートする。
「わあ……真っ白…」
深々と降り積もる雪の中。
馬車を降りたオリビアが辺りを見回すと、そこは白銀に覆われた広大な土地で、周りは高い山々に囲まれ、まるですっぽりと包み込まれた様なとても静かで美しい場所だった。
「今は雪で見えないが、もう少し行くと湖がある。1年を通して20日程度雪が溶けて姿を現すが、とても美しい場所だよ」
「ふえ~~」
オリビアは感嘆しながら辺りをきょろきょろと見回す。
「この辺、全部いいの?」
「ああ、好きにするといい」
「わ~い」
オリビアは突然走り出したかと思うと、宙に一気に浮き上がった。
「見てて!!」
振り返ってそう言うと、両手両足を思いっきり広げて体中から虹色の光を一気に放出する。
その光が一所に集まり、花火の様に遥か上空に打ち上がると、眩い光を放ちながら弾け、オリビアを起点としてドーム状に滝の様に流れ落ちた。
「凄いな…。広域魔法か。お前出来るか?」
シリウスは、ホワイトレイ屈指の魔法の使い手であるリシューに敢えて尋ねた。
「出来る訳ないでしょう。この規模の魔法は世界中の魔法使いを集めても無理ですよ。魔力のケタが違いすぎます」
「だろうな」
「流石シェラ様の御子。人間など足元にも及びませんね」
「私は美しいと思うのだがね」
シリウスは、空に浮かぶオリビアの姿をうっとりと見つめる。
「ああ。ミナとバジルの件ですか」
リシューも空を眺めながら話を続ける。
「2人はオリビア付きを外す」
「畏まりました。流石にあれはいけませんでしたね」
朝食の後の話し合いの場で、魔力放出の話をした辺りから2人の挙動は明らかに不自然だった。
「オリビアが寂しがるようなら考えるが、今の状態ではそれも無理だろうな」
「ええ、そうですね。もっと精進するよう伝えておきます」
仕える相手を恐れていては、もしもの時にオリビアを守る事は出来ない。
ミナの地位は、ただの側仕えでは無いのだから。
気が付くと辺りを覆っていた雪が消え失せ、緑の大地が顔を見せ始める。
白く凍っていた木々が青々と芽吹き、キラキラと反射しながら瞬く間に成長を始める。
甘い香りがすると足元を見れば、いつの間にか咲き乱れる花々の中に2人は立っていた。
遠くに見える湖面は、周辺の景色を映してキラキラと輝き、時折魚の跳ねる音さえも聞こえる。
いつの間にかすっかり雪は止んでおり、辺りの気温が一気に上がったせいか、北の大地でありながらぽかぽかとした春の陽気になっていた。
「…これは…」
「…すごいな」
2人は辺りを見回し、改めてオリビアの精霊の力を実感する。
「今後はここを拠点とするか。その方がオリビアにもいいだろう」
「そのようですね。今の拠点はどうなさいますか?」
「あそこは外部へのアクセスに都合がいい。そのままの状態でいいだろう。ここは私達の完全なプライベートエリアにする」
「畏まりました。直ぐに住居周辺の設備を整えさせます」
「この地に入る人間は更に厳選しろ」
「畏まりました」
「あ~~すっきりした~」
満面の笑みで戻ってくるオリビアに気付き、2人は話を止めて彼女に視線を移した。
「おかえり。これだけ魔力を使って大丈夫なの?」
「うん!むしろすっきり爽快!」
成程。余程我慢をさせていたのだろう。
見た事もないようなすっきりしたオリビアの顔に、シリウスは改めて自分の不甲斐なさを恥じた。
「ごめんね。今まで我慢させてたね」
「え!?あ。うん、もう大丈夫!」
「うん。本当にごめん」
シリウスはオリビアの身体を抱き上げた。
「大丈夫だって。それに私のせいでもあった訳だし…」
「本当に良かった。少し散歩する?」
「うん。その前に」
オリビアはよいしょっと器用にコートを脱ぎ始める。
「暑くなっちゃった」
「確かに」
そう言うと、シリウスとリシューも羽織っていたコートを脱ぎ、御者に手渡した。
3人は湖まで歩き、辺りを観察する。
「本当にきれいだね~」
オリビアは水面を覗き込む。
「ねえ。この周辺に家を建ててもいい?」
シリウスはオリビアに尋ねた。
「え?全然いいけど」
と言うか、別に私に許可を取らなくてもいいと思う…。
「ここに私達の新居を構えようか」
「え…新居?」
「結婚したら住む家がいるだろう?もう婚約もしている訳だし問題ないよね」
「え……」
若干の圧を感じ、シリウスとリシューの顔を交互に見る。
「良いのではないですか?その代わり、私もここに住まわせて頂きますよ」
「決まりだな。早速話を進めよう。間取りは任せてもらってもいい?場所はやはり湖の畔が良いか」
「え?うん。え?今の拠点はいいの?」
「あれは私の仕事場だ。必要ならここから通う。だから問題ないよ」
「へえ、そうなんだ…」
こうしてオリビア自身の拠点の整備が急ピッチで進められたのだった。




