カッシーナの顛末2
男性から女性への暴力描写があります。苦手な方はご注意下さい。
「ところでカール」
リシューが初めてカールに声を掛けた。
「はっ!」
カールは慌ててその場に跪く。
その際、ミランダの腕を引っ張って同じように隣に跪かせた。
「え?え?叔父様?」
「いいからさっさとしろ!」
意味が分からず混乱するミランダを、カールは厳しく制する。
背後にいた彼女の侍女も、空気を読んでその場に跪いた。
「ソレは何ですか?」
リシューはミランダを一瞥しながらカールに問う。
「あ、ミランダ、ミランダ・カッシーナでございます。そこにいるビンスの孫であり、私の姪でございます」
カールの説明に、ミランダは前方で跪いている男性が自分の祖父だと初めて知る。
「ああ。ソレが噂の」
「噂、でございますか?」
「まあ!」
カールは首を傾げるが、隣のミランダはきっといい噂なのだろと、嬉しそうに瞳を輝かせた。
「『自分こそが主の婚約者である』と声高に妄言を言い回り、主の居住スペースに我が物顔で入り込んだり付きまとったりする、とんでもなく迷惑な害虫の噂です」
「!?」
カールはひゅっと息を吸い込んだ。
ビンスはそれを聞いて立ち上がろうとするが、リシューに右手で制されてしまう。
「?どう言う事、ですの?」
ミランダは、何となく自分の事を指しているのだと気付いたが、意図が掴めずカールを見た。
しかし彼は、青い顔をして俯いている。
「お前は何故対処しないのですか?」
リシューはカールに冷たく言い放った。
「も、申し訳ございません。ですが、既にコテージの警備担当の騎士や使用人達には極刑を言い渡しました。対応が遅くなって誠に申し訳ございません」
カールは頭を深く下げる。
「何を言っているのですか?」
「え?」
リシューはあからさまに大きな溜息を吐いた。
「お前、そんなに阿呆だったのですね」
「っ・・・」
あきらかに侮蔑を含んだ物言いに、カールは顔を朱に染める。
「どうして害虫そのものを駆除しないのか、と聞いたのですが、まあいいでしょう。簡単な話です。我が主には既に決まった御方がいらっしゃいます。勿論それはカッシーナではありませんので各々、しっかりと頭に入れておいて下さい」
阿呆にはいくら言葉を尽くし諭したところで、到底理解出来るとは思えない。
リシューは端的に結論だけを告げた。
「なっ!何ですって!!」
声を上げたのはミランダだった。
彼女は隣にいるカールの腕を掴んで激しく揺らす。
「どういう事ですの?!叔父様!私がシリウス様の婚約者なのではないですの?!」
「お・・おい!こんな場所でよさないか、ミランダ!」
「叔父様!どういう事なの?ねえってば」
「そ、それは、カトリーナが勝手に言い始めた事だ。私は知らなかった」
カールはチラチラとリシューの顔色を窺いながら、ミランダに答える。
「そ・・そんな・・・嘘よ・・だってお母様が・・・」
ミランダは放心しながらその場に座り込む。
「何故はっきりと否定しないのですか?」
リシューは要領を得ないカールの話し方を訝しむ。
そして新たな可能性が脳裏を過ると、ゆっくりと目を細めた。
「貴様、万に一つの可能性を考えていたのでは有るまいな?」
地を這うような低い声に、カールはぐっと押し黙った。
万が一。
全く考えていなかった、と言えば嘘になる。
カールは思った。
叔父から見てもミランダは美しい。
もし彼女がシリウスの妻の座に収まれば、カッシーナの地位、延いては自身の評価が更に上がるだろう。
不可能な話ではない。
しかし彼のこの一瞬の考えが、文字通り命取りとなる。
「まさか貴様ごときが、主の婚姻に口を挟もうなどと」
リシューはツカツカと大股でカールに近付くと、腰に携えていたステッキをすらりと抜きだし、力任せに振り下ろした。
バシッ!!
「ぐあっ!!」
カールが跪いた状態で床に転がる。
「きゃあ!!叔父様!!」
ミランダは慌ててカールに駆け寄る。
「野蛮な!!何をするのですか!止めてくださいまし!」
しかしリシューは、容赦無くステッキを振り下ろす。
バシッ!!
「ぐっ!」
「きゃあ!!止めて!このような無礼!お母様を呼んで!転移を許可します!お母様を呼びなさい!!」
きっとお母様が何とかして下さるはず。
ミランダは混乱しつつも、後ろに控えている侍女に命令を出す。
しかし侍女は、困惑したままその場から一歩も動けないでいた。
リシューは、この状況で何とか対処しようとするミランダの豪胆さに声を上げて笑いそうになる。
腐ってもカッシーナといったところでしょうか。
「そんなに母親に会いたいのですか?いいでしょう、用意出来たところです」
ミランダは、リシューの言った『用意』の意味は分からなかったが、母親に会える事にほっと息を吐いた。
しかし次の瞬間、足元にゴロンッと転がってきた物体を見て、彼女は声にならない悲鳴を上げた。
「~~~~~っ!!!!」
ミランダは、両手で口を押さえてその場で腰を抜かす。
側でうずくまっていたカールも何事かと思い、何とか身体を起こしてそれを見た。
「ひっ!」
そこには恐怖に顔を歪ませた、カトリーナの首が転がっていた。
「丁度ビンスにも頼まれていたところなのですよ。良かったですね」
満面の笑みを浮かべてミランダを見るリシューの顔に、一切の陰りは無い。
どうやら彼は、心の底から楽しんでいるようだった。
「あ・・・あああ・・・」
ミランダはその場で泣き崩れながら、シリウスに助けを求める。
「お助け下さい・・・どうか・・・シリウス様・・・お母様が・・・・うう」
リシューはその瞬間、満面の笑みをすっと消して彼女目掛けて勢いよくステッキを振り下ろした。
ガンッ!!
「きゃあああ!」
頭部を容赦無く叩きつけられたミランダは、頭から血を流しながら潰れた蛙の様に床にへばり付く。
「うううう・・・痛い・・・シ・・シリウス様・・・・・」
何が起こったのか理解出来ていないミランダだったが、それでも尚、顔を上げてシリウスの名を呼ぶ。
リシューは再びステッキを振り下ろした。
バシッ!!
「ぎゃっ!!」
「許可無く主の名を呼ぶでない」
リシューはステッキで彼女の身体をひっくり返すと、声を発せないように喉を突く。
「ぐっ・・・」
「リ、リシュー様!お止めください!」
カールが直ぐさま駆け寄ってくるが、
「失礼します」
ビンスがそう言ったかと思うと直ぐさま立ち上がり、カール目掛けて走り込み、腹に渾身の拳をめり込ませた。
「ぐああああああああ」
カールは後ろに吹っ飛び、口から唾液を垂れ流しながら腹を抱えて床を転げ回る。
しかしビンスはその姿を見る事も無く、再び定位置であるシリウスの前に跪いた。
「失礼しました。先程の件、十分理解致しました。当主及び大公の任、謹んでお受けしたいと存じます」
「ええ。励みなさい」
リシューはそう言うと、満足気に頷いた。
「ち・・父上・・・」
腹を押さえながらよろよろと立ち上がり、ふらふらと近付いて来るカールにビンスは溜息を吐いてリシューを見る。
「いいですよ。好きになさい」
リシューの言葉にビンスは立ち上がると、カールの頭を掴んでそのまま一気に床に叩きつけた。
ゴキッ!
「ぐあああっ」
カールは顔面をしたたかに打ち付け、鼻血が床を濡らす。
「・・・そもそもお前は全てを勘違いしている」
「・・・?」
ビンスの行動は荒いが、想像以上に静かな声に、カールは痛みの余り涙を流しながら眉を顰めた。
「お前達、何故許可無く御方達に話し掛けている?言葉を発しているのだ?」
「え?」
「しかもその女に至っては無礼にも主の名を呼んでいる。誰が許可したのだ?我々がいつ、御方達と対等に会話出来る立場になったというのだ?」
「あ・・・・」
カールは愕然とした。
そもそもそういう発想自体、すでに彼の頭の中に無かったのだ。
我々はカッシーナ。
誠心誠意ホワイトレイに仕え、ホワイトレイを守る者。
そのホワイトレイの頂点に君臨するシリウスと、何故対等に会話が出来ると思っていたのか。
先代であるダリル様の時はどうだった?
恐ろしさの余り、顔を上げることさえ出来なかったはずだ。
なのにどうして?
「お前、大公という空想の職に就いて、ネジがぶっ飛んだようだな」
ビンスは蔑むようにカールを見た。
・・・・・・・・・・・。
確かに。
返す言葉も無かった。
シリウスが頻繁にカッシーナ公国に来る為、対等とまではいかないが、いつの間にか一国の主として、彼と接していた。
先代と違い自分よりも若い。
まだ未熟な彼を、自分がしっかりと導かねば。
そんな愚かな考えが自分の中には確かにあった。
会話の中、言葉の端々にその傲慢さが透けて出ていたのだろう。
・・・・・会話?
会話していた?
いや、違う。
よく見ていれば分かる。
一度たりとて会話などした事は無い。
全ては一方通行だ。
我々の意思などそこには無かった。
御方達が我々に何かを命じ、我々はそれを遂行するのみ。
返答など聞いていない。
そこには我々の意思など無かった。
全く無かったのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
何故だ!?
以前はしっかり分かっていたはずだ。
理解していたはずだ。
いつから間違った?
分からない。
だがいつしかこのカッシーナ公国という箱庭で王となり、驕り、うぬぼれて傲慢になり、何もかもを置き去りにして忘れてしまったのかもしれない。
本来ならば、自らの欲望のままに動くカトリーナもミランダも、この手で始末しなければいけなかったはずだ。
それをしなかったのは、単に私の身内だから、カッシーナ公国の大公であるこの私の身内だから全て許されるだろう、と思ってしまっていたから。
理解した瞬間、カールの心はポキリと折れた。
もがいていた身体から力が抜け、瞳にも暗い影が差し始める。
「私の教育及び監督不行き届きのせいでございます。申し訳ございません。あの時点でカトリーナも殺しておくべきでした」
あの女に育てられた哀れな娘。
そこには僅かな情があったのかも知れない。
ビンスはカールの頭から手を離し、シリウスとリシューに向かって土下座をした。
一方カールはのろのろと起き上がり、目を開けたまま、紐が切れた人形の様にだらんとその場に座り込んだまま動かなくなった。
ミランダは、リシューに押さえつけられた喉のステッキを握り込み、何とか抵抗しようとリシューを睨んでいる。
「お~~素晴らしい!こちらの虫は、大層しぶといようですね」
嬉しそうに笑ったリシューは、再び力いっぱいステッキを振り下ろした。
バシッ!
ガキッ!
ドコッ!
ガンッ!
グシャッ!
「ふふふ・・・なかなかしぶといですね~」
嬉しそうに笑う彼の瞳孔は開き切っており、口には満面の笑みを浮かべている。
一見スマートに見えるリシューだが、実はかなり嗜虐的で、非常に暴力を好む。
頬に返り血を浴びたその様は、間違いなく狂気だった。
「リシュー、汚い」
返り血がシリウスの靴にまで飛び、彼は眉を顰めた。
「ああ。これは失礼しました」
やり切った表情で額に落ちた髪を手で払い、眼鏡をクイっと上げると、胸ポケットから真っ白いハンカチを取り出し、跪いてシリウスの靴に飛んだ血を綺麗に拭き取った。
その後、自らのステッキも手早く拭き取って腰に戻すと、血に染まったハンカチをミランダに向けてふわりと投げ捨てた。
仰向けに倒れているミランダは血にまみれ、目を見開いたまま時折びくびくと痙攣している。
彼女の侍女は、カトリーナの首が現れた時点で既に失神して倒れていた。
「放っておいてもその内死ぬと思いますが、何かの研究に使いたければ侍女と共に持っていって下さい」
リシューがそう言うと、彼女達の影から黒い触手の様な物が伸び始め、2人を影に引きずり込んだ。
その際、何故かカトリーナの首も一緒に消えたのは、完全に趣味だろうか。
「相変わらず物好きですね。ブラックレイは」
リシューはふふふと笑いながら、座り込んだまま目の焦点が合っていないカールを見る。
「彼はどうするのですか?」
リシューはビンスに尋ねた。
「流石に直ぐには殺しません。自らの行いをしっかり悔いてもらいます」
「甘くはないですか?」
「再教育、という訳ではありません。カッシーナ内を掃討する際におとりとして使います。その後、利用価値が無ければ排除します」
「そうですか。しかし想像以上に内部は堕落しておりますので、早急に立て直しをお願いします。ブラックレイも当分は張り付かせます」
「かしこまりました」
「しかし、そうなってくると、カッシーナの後継者に問題が出てきますね」
「・・・・」
カールには妻と子がいるが、勿論継がせる訳にはいかない。
「ホワイトレイから妻を娶れ」
シリウスが告げた。
「ああ、成程、それは良いお考えですね」
「わ、私がですか?いやはや、私は今年で61になるのですが・・・」
ビンスは驚きの余り口ごもる。
年齢の件も然る事ながら、ホワイトレイから妻を娶る事は、配下にとってとてつもなく名誉な事だった。
「見たところ現役そうですし問題ないでしょう。厳しいようならバジルに良い薬を処方してもらいましょう。それにここだけの話、実はあなたのファン、結構いるのですよ。分家筋に」
自分達を守ってくれる鉄壁の獅子王。
いぶし銀の逞しい男は、存外もてるのである。
「なっ!!」
年甲斐も無く、ビンスは頬を赤らめた。
「婚約者を募れば多くの女性が集まるでしょう。その中から自分好みを選びなさい」
「こ・・・光栄でございます」
逞しい男が真っ赤な顔で跪く姿に、シリウスとリシューは頬を緩めた。
その後、ビンスの手腕と嫁いできたホワイトレイの妻、ブラックレイの監視の甲斐あって、カッシーナは見事に復活を遂げる。
後継者となる息子も無事生まれ、ホワイトレイを守る要として、その力を遺憾無く振るったのだった。




