シリウスの想い
「現在我が主は、自らの手札を最大限に生かし、オリビア様を全力で口説いておいでなのです」
リシューは真顔で答える。
「へ・・・へえ、そう・・・」
ミナは、白熱して前のめりになった自分の身体をすっと元に戻した。
シリウスはオリビアを4年間でドロドロに甘やかし、自分が居ないと生きていけない程にした後、愛を請い、婚姻を結ぼうと真面目に考えていた。
何て姑息な・・・。
ミナは思ったが、彼女は大人なので決して口には出さなかった。
「でもきっちり将来の約束をしておきませんと、あっと言う間にどこかに行っちゃうかもしれませんよ」
「・・・」
ミナの言葉に、確かにオリビアならあり得るとシリウスとリシューは思った。
普段は比較的大人しいのだが、何かスイッチが入ると途端に周りが全て見えなくなってしまう。
人間の血が入っていても、やはり精霊。
そうなると、誰もオリビアを止める事は出来ないだろう。
「・・・・指輪を」
「かしこまりました」
「?」
彼等のやり取りに、ミナが首を傾げる。
「主は既に婚約指輪は用意しております」
「へ・・へえ」
そこまで好きなら、さっさと愛を告げればいいのに・・・。
ミナは思ったが、大人なのでこれもやはり口には出さなかった。
ちなみにその指輪、希少価値の高い宝石を敢えて小さくカットして散りばめ、各種追跡機能、転移機能、防御結界機能、通信機能等々、現在4大財閥が誇る最高水準の機能がふんだんに搭載されているのだが、間違いなくミナに引かれてしまうので、リシューは敢えて言及する事を避けた。
「オリビアの母であるシェラ様は、この世界のあまねく精霊の頂点。その娘であるオリビアは、女王の最愛の娘だ。普段の我々では到底お目に掛かる事も叶わない存在なのだよ」
シリウスは、眠っているオリビアの頬を指先で優しく撫でる。
この世界の精霊は、ほぼ神と同等の存在である。
世界のありとあらゆる物には精霊が宿っていると言われているのだが、その姿形を見た者は殆どいない。
過去の文献を紐解けば、数は少ないがその存在を目撃した者も居たと言われているが、それが真実かどうかは分からない。
それ程に、精霊とは曖昧で不確かなモノなのだ。
だがしかし、魔法を使う者は、明らかに何かの存在を身をもって感じる。
自分で無い何かが寄り添い、力を行使させてくれる。
だからこそ、魔法使いは精霊に恋い焦がれる。
会いたいと、願わくば一目見たいと思わずにはいられないのだ。
けれどそれが叶う事はほぼ無い。
いかにシリウスとて、ダリルがシェラと知り合いでなければ会う事すら出来なかったであろう。
「このように身近にいらっしゃるばかりに、当然の存在と思っておりましたが、やはり尊き御方なのですね」
ミナは眠っているオリビアの顔をしみじみと見つめた。
あのバルコニーの一件は記憶に新しい。
あれを間近で目撃したミナは『ああ、この方は本当に人間では無く、精霊姫なのだ』と心底実感したものだ。
彼女の周りを取り囲む、虹色の光の粒子。
銀に近い色かと思われた髪は、光の粒子と共により一層青みを帯びてキラキラと発光していた。
歌う声はそよ風の様に心地良く、あの瞳で見つめられれば、まるで魂を持っていかれたような気分になった。
そう言えば最近、あの虹色に輝く粒子を見ていないなあ・・・。
ミナはふと思った。
「シェラ様に1度でも会う事が出来たなら、更に実感出来たと思いますよ」
リシューはミナに言った。
「そうなんですか?」
「はい。それはもう、言葉では言い尽くせない程の何かを感じましたね。初めてお会いした時は正直足がすくみました。人生において、最も尊い経験だったと記憶しております」
リシューは胸に手を当てる。
「そんなシェラ様と、当然の様にお話しされているダリル様とシリウス様を見て、改めて2人の偉大さを感じました」
「私も似たようなものだったがな」
シリウスは、過去の自分を思い出して苦笑する。
正直ミナは、ダリルと会う時ですら、とんでもない圧を感じて竦み上がる。
そんなダリルと普通に接していたシリウスとリシューですらそうなってしまうのだとしたら、それはもうミナの手に負えるものではないだろう。
「残念な事に、既にお隠れになってしまいましたが」
リシューは残念そうにオリビアを見る。
「確か、精霊界にお戻りになったとか・・・」
ミナは呟いた。
精霊は気まぐれにこの世界を訪れるが、通常彼等が住む世界は『精霊界』と言われている。
そこはこの世界と違う次元にあり、どう足掻いても人間が行く事が叶わない場所にあるのだ。
シェラは、自らが使っていた人間の身体を捨ててこの地を去ったと、葬儀に参列したダリルが皆に伝えた。
それから直ぐに彼自身も姿を消し、現在どこにいるのか定かではない。
しかし、彼に付き従っているブラックレイが、そのまま業務を遂行している辺り、存命なのは間違いない。
ダリルがどれ程シェラを愛しているかを知っていたシリウスは、それに関して何も言わなかったし、行動も起こさなかった。
息子として、絶対零度の王とまで呼ばれた父の、弱りきった姿を見たくなかったのだ。
「明日、ミナはオリビアを連れて先に戻れ。私達はカッシーナの後始末の後に戻る」
「かしこまりました」
「リシュー。ビンスを呼ぶタイミングでカールも呼べ。家の争いは家同士で決着を付けさせる。それが不可能ならば・・・・」
シリウスの目が冷たく光る。
「かしこまりました、ミランダはどう致しますか?」
「呼ぶ必要がどこにある」
分かっていて聞く辺り、リシューの性格は余り宜しくない。
「そうですか、残念です。ですが本人がどうしても、と強引に乱入して来ようとした際はどうでしょうか?」
クスクスと笑う。
「好きにしろ」
「承知しました」
リシューの声が明らかに弾む。
「シリウス様」
「何だ?」
2人の会話が終わるのを見計らい、ミナが声を掛ける。
「オリビア様の体調の事なのですが、どうも余り良くないようなのです」
「何?」
シリウスは驚いて、腕の中で眠るオリビアの顔を覗きこんだ。
「お腹周辺がもにゅ・・・こほん、違和感があるようで、明日にでもバジルに診てもらおうかと」
「そうしてくれ。問題無くても報告を」
「かしこまりました」
3人が話し合っている内、すっかり夜が更けていく。
「さあ、そろそろオリビア様をベッドに」
「ああ」
シリウスはオリビアを抱いたまま立ち上がる。
すると、それに気付いたリシューは直ぐにベッドルームへ続くドアを開けると、シリウスが入ったのを確認し、
「お休みなさいませ」
パタリと外側からドアを閉めた。
「ちょっ!リシュー様!何を!」
ミナは驚いて寝室のドアを開けようとするが、
「大丈夫ですよ。眠っている相手に手を出す程、主は愚かな人間ではありません」
「むう・・・・」
ミナはしかめっ面で、リシューを睨む。
「さあ、私共も失礼しましょう」
リシューに促され、ミナは渋々部屋を後にしたのだった。
シリウスは、オリビアを優しくベッドに下ろしてシーツを掛けた後、手早くシャワーを浴びて再びベッドルームに戻って来た。
バスローブ姿のまま、ベッドの端に腰を下ろしてオリビアを見つめる。
そこには、恋い焦がれた美しい精霊姫が気持ち良さそうに寝息を立てていた。
彼はオリビアの髪を一房手に取る。
いつ触れても、想像以上の柔らかさに驚いてしまう。
触れた肌のきめ細かさも、抱き締めると想像以上に華奢な身体も、何もかもが愛しい。
瞳も、声も、吐息でさえも。
誰にも渡したくない。
渡すことなど出来ない。
愛しさと独占欲が共存出来ず、暗い感情が一気にシリウスの身体を駆け抜けた。
大切にしたい。
誰にも見せたくない。
触れさせたくない。
私だけを見て欲しい。
シリウスはオリビアの唇に、自らの唇を近付ける。
その口は、まるで彼女の唇を覆い尽くさんばかりに開いており、1匹の獣が餌に食らい付く様にも見えた。
シリウスは、2人が触れるギリギリの距離で囁く。
「ああオリビア。愛しいオリビア。どうか私を選んで。私だけをその瞳に映して」
全て捧げよう。
苦しい程に愛してるんだ。
シリウスは軽く息を吐いて顔を引くと、オリビアの横にするりと身体を滑り込ませ、しっかりと抱きしめて瞼を閉じた。




