ミランダ・カッシーナという女
「今日もシリウス兄様はお仕事?」
部屋で朝食を食べながら、オリビアはミナに尋ねた。
結局昨日、シリウスはここには戻って来なかった。
余りにも仕事が長引いた為、途中リシューが様子を見に来たのだが、オリビアは初めての外出で疲れ果て、そのまま眠ってしまっていた。
「本日は緊急の会議が入ったとかで、早々に外出されました」
「そっか・・・。何時ごろ戻ってくるとか言ってた?」
「そこまでは・・・」
今朝、オリビアが起きた頃には、既にシリウスは外出した後だった。
ミナは申し訳なさそうに、オリビアに新しい紅茶を入れ直す。
「そっか。今日は何しようかな・・・」
この3日間、付きっきりでシリウスに街の案内をしてもらう予定だったオリビアは、朝からいきなりやる事が無くなってしまう。
「朝食後に温室にでも行きましょうか?」
「温室があるの?」
「はい。季節を問わず美しい花が咲いておりますよ」
北の国カッシーナ公国は、1年間を通して雪に覆われている為に余り花を見掛けない。
しかし部屋を見渡すと、色鮮やかな花が花瓶に飾られている為、オリビアは不思議に思っていたのだった。
朝食の後、ミナは気分転換にオリビアを温室まで連れ出した。
コテージから続く廊下を歩くと、目の前に大きなガラス張りの建物が目に入る。
何となく、小さいビニールハウスの様な物を想像していたオリビアはとても驚いた。
「おっきい・・・」
「足元にお気を付け下さい」
扉を開けて中に入ると、温かい空気が2人の身体を包む。
美しく整備された庭には、色とりどりの花が咲き乱れ、どこかサイファード家の薔薇園を思わせる作りだった。
「あちらに座りましょうか」
温室の真ん中に東屋が作られており、そこから全体を一望できる。
「温かくて気持ちいい」
天井を見上げると、ガラスの天井から暖かな太陽の光が入り込んでいた。
「少し追加で部屋に飾る花を頂きましょう。こちらでお待ち下さい」
ミナは勝手知ったるといった風に、温室の端の倉庫まで歩き、籠とハサミを取り出して、ずんずんと庭の中へと入っていく。
それからオリビアに手を振りながら、器用に花を切ると籠に入れていった。
朝ごはんを食べたばかりの身体に温かい気温。
ぽかぽかと当たる日光に、オリビアはうとうとと船をこぎ始める。
ミナはそれに気付き急いで東屋まで戻ると、側に用意していた毛布をオリビアの膝にかけた。
「昨日の疲れが取れていないのかしら?」
ミナはオリビアの体調を気遣い、今日は休息の日にしようと考える。
あまり無理をさせると、バジルに怒られてしまう。
そう考えていた時、何やら遠くで数人のもめている声が聞こえた。
ここはシリウスのコテージで、事前連絡無しに来る者などシリウスとリシュー以外にはいない。
ミナは声の先を意識しながら、オリビアの身体を隠すように前に立った。
次第に声が近くなってくる。
「ちょっと通しなさい!私を誰だと思ってますの!お母様に言いつけますわよ!」
「お待ち下さい。お嬢様。ここには現在先客がいらっしゃいます!今日ばかりはお引き取りを」
「だからわざわざ来てるのよ!あなた何様のつもりなの!」
どうやら騒いでいるのは若い女のようで、騎士達は何とかそれを食い止めようとしているようだ。
しかし強く出る事が出来ず、結果としてその女を屋敷内に入れてしまっている。
「ん・・・何かあったの?」
気持ち良くうたた寝していたオリビアは、余りの騒々しさに目を覚ます。
「ああ、申し訳ございません。何やらこの屋敷に侵入者が・・・」
「え・・・?」
ミナが説明しようとした時、
「あなた達!ここで何をしているの!!」
突然温室に入って来た女が、2人に向かって大声を上げた。
「え・・・」
オリビアは驚いて、ミナの背中からこっそりとその人物を盗み見た。
ボリュームのある黒い髪と瞳を持つ美しい女性は、20歳位だろうか。
オリビアよりも年上に見える。
大きな胸とくびれたウエストが、ドレスの上からでもはっきりと分かり、一目見てゴージャスという雰囲気を漂わせている彼女は、どこか義母であるローラを思わせた。
「私共は、主の許可を頂いております」
ミナはオリビアを背に隠し、淡々と答える。
「主ってシリウス様の事かしら。でもここは私の庭でもあるのだから私の許可も必要なのよ」
突然現れたこの女は何者なのだろうか?
ミナとオリビアはじっと彼女の顔を見る。
「失礼ですが、どなた様でしょうか?」
ミナが尋ねる。
「まあ!私の事を知らないなんて何て田舎者なのかしら。私はミランダ・カッシーナ。この国の大公であるカール叔父様の姪ですわ」
どう言う心境なのか、何故か上から目線で2人に告げた。
ミランダ・カッシーナ。
ミナは、見た事も聞いた事もない彼女の情報に、重要人物では無さそうだと判断する。
しかし、先程彼女が言った『私の庭でもある』と言う言葉の意図を計りかねていた。
腐ってもカッシーナ家に属する者だ。
それほど馬鹿では無いだろうし、狭量で虚言癖も無いだろう。
とすると、シリウス様とはどう言った関係なのだろうか?
ミナは頭をフル回転させながら、答えを導き出そうとする。
「それでシリウス様はどちらに?」
ミランダはきょろきょろと辺りを見回しながら彼の姿を探す。
しかし当然の事ながら見つける事は出来ない。
「残念。こちらにはいらっしゃらないのですね」
「ミランダ様、先程のお言葉。この庭はあなた様の庭でもあるとの事ですが、それは本当ですか?」
そのような情報など全く知らないミナは、彼女に直接尋ねる。
重要情報であれば、リシューがこちらに共有しない訳がないのだから。
「ええそうよ。私は将来のシリウス様の妻。彼の物は私の物ではなくて?」
ミランダは至極当然のように答える。
その言葉にミナは驚いて目を見開き、オリビアはびくっと身体を揺らした。
「・・・妻・・?」
オリビアは驚いて声を発してしまう。
「あら、何?おちびちゃん。見た所、あなたがシリウス様の大切なお客様なのかしら?」
「・・・」
「カール叔父様ったらまた軽はずみにここへの滞在を許可したようだけれど、私にも一言言って頂かないと。あなたが彼とどの様な関係かはまだ聞いていないのだけれど、まだ若いのだし少し遠慮を覚えた方がいいわよ。ここは私達の屋敷なの。この花だって、私があの方の為に育てたのよ。部屋にも飾っていたでしょう?そんなに気軽に採らないで下さるかしら?」
「・・・私達」
それはシリウスとミランダを指す言葉だろう。
オリビアは茫然としながら立ち上がると、フラフラした足取りで温室の出口に向かう。
その後を、ミナが直ぐに後を追いかける。
「あら、良い子ね。今回は仕方なく滞在を許可するけど、温室にはくれぐれも入らないでね」
オリビアは色々と衝撃を受けながら、とぼとぼと自室に戻って行った。
部屋のベッドでしょんぼりと三角座りをするオリビア。
部屋に飾られた花瓶には、温室で育てられた花が綺麗に飾られている。
これも、彼女がシリウス兄様の為に選んだ物なんだ・・・。
オリビアは今更ながら、彼の事を何も知らない事に気付く。
「ねえミナ。今更なんだけど、シリウス兄様って結婚してる?」
彼女の口ぶりだと独身っぽかった。
でも現在妻と離婚調停中で、後妻の地位に就くのがミランダという可能性もある。
もしかすると一夫多妻で既に何人かの妻がいて、彼女が新しい妻に加わるという線もあり得なくはない。
「いいえ。シリウス様は現在独身です」
既婚者の線は消えた。
「それじゃ、あのミランダって人、シリウス兄様の恋人?」
「いいえ、それはあり得ません。シリウス様に現在恋人はおりません」
ミナがきっぱりと言い切る。
「でも妻って言ってた」
「・・・そうですね。でしたら考えられるのは婚約者候補、と言ったところでしょうか?」
「婚約者・・・候補・・・」
「シリウス様はそれなりの地位におられますので、生まれた時から婚約候補者が何名かいらっしゃいます。その内のお一人かと・・・」
「・・・そう」
「しかしその方とご結婚すると決まった訳ではありませんし、現在そのような話も出てはおりません」
このコテージはシリウスのものだと言っていたけれど、あの口ぶりは彼女も頻繁にここに出入りしている。
シリウス兄様は、この国にはよく来るってミナが言ってた。
あの人に会いに来てるのだろうか?
彼女がここにいる事を知っていて、私を滞在させる事を決めたのか。
仲良くしてもらう為に・・・?
「ミナ・・・どうしよう、何だか胸が苦しい。ここから直ぐに出て行きたいの」
シリウスと彼女が長く時間を共有していた場所。
そこかしこに2人の思い出が詰まっているのだろうか。
そして、あの人を愛しているのだろうか・・・。
「承知しました。それでは宿泊先を先程のホテルに変更しましょう」
ミナはオリビアの気持ちを慮り、直ぐさま荷物の整理を行う。
リシューへの報告は後で良いだろう。
今はオリビア様の心を守る事が先決だ。
そうして荷物を早々に片付けたミナは、オリビアの手を引いて屋敷を後にしたのだった。




