カッシーナ公国
「服装ヨシ!鞄ヨシ!おやつヨシ!髪型ヨシ!美しさヨシ!神々しさヨシ!可愛さヨシ!」
ミナがオリビアに向けて、指差確認を行っている。
オリビアの食欲が戻り始め、活動時間が大幅に増えた今日、バジルより外出の許可がおりた。
よく食べるようになった彼女の頬はふっくらし、年相応の体型に戻る。
しかし、何故か栄養が胸を通り過ぎてお腹にいってしまい、若干ぽっこりしたお腹をオリビアは少し不満に思っていた。
今日のお出掛けの為に用意されたオリビアの服は、真っ白いモコモコのワンピースに淡いピンクのファーポンチョ。
目立つ髪色を隠す為のフード付きマフラーもセットだった。
「今日行くのは北の国カッシーナ公国です。ここから一番近い国で、今回そこに3日間滞在致します」
「カッシーナ公国・・・?」
「はい。シリウス様と大公とは古くからの知り合いという事もあり、今回は是非にとお屋敷に招待されております。そこでの滞在となります」
「え・・・」
何それ・・・。
聞いてない。
面倒臭い・・・。
オリビアのテンションがあからさまに下がる。
前世から1人が好きだった彼女は、気を遣いながら他人の家に泊まるのが苦手だった。
それならば、どこか1人でホテルに泊まりたいタイプだ。
まあ、シリウスの家に滞在している自分が言えた義理では無いのだが・・・。
「大丈夫だよ。何もする必要はないから」
開け放たれたドアから姿を見せたシリウスは、オリビアに向けて両手を広げる。
いつも通り後ろにはリシューが控えていた。
「シリウス兄様!」
相も変わらずきっちりとスーツを着ているが、今日はその上からグレーのコートを羽織っている。
きちんと後ろに撫でつけられた髪と、両手に真っ白いグローブをはめているのは外出スタイルだろう。
オリビアは嬉しそうに走り寄ると、そのまま腕の中に納まる。
シリウスはいつも通り彼女を抱き上げて、右手に抱えた。
「見る必要もないし、話す必要もないからね」
「え?そうなの?挨拶もなし?」
「ああ、それでいい」
シリウスはオリビアの頬を優しく撫でる。
「今日も可愛いね」
「あ・・ありがと・・」
シリウスはオリビアをよく褒める。
最初は戸惑っていたオリビアも、最近は何とかそれを受け止める事が出来るようになっていた。
しかし、恥ずかしいものは恥ずかしい。
照れ隠しからなのか、褒められると直ぐにシリウスの胸に顔を埋める。
それが更に彼を喜ばせる事になっているのだが、そこにオリビアは気付かない。
リシューは通常運転の2人の様子をニコニコと見ており、ミナに至っては「尊い・・・」などと呟きながら拝んでいた。
「行こうか。外は寒いから気を付けて」
そう言うと、シリウスはオリビアを抱いたまま外へと向かう。
その後を、外出着を着たリシューとミナが続く。
向かうのは北の国カッシーナ公国。
馬車がゆっくりとロータリーを進む。
「ほら、見てごらん」
シリウスは馬車のカーテンを開け、オリビアに外を見るように促す。
勿論オリビアは、定位置であるシリウスの膝の上に座っていた。
「?」
見ると、先程まで木々に囲まれた風景が、一瞬光ったかと思うと急に建物の囲まれた広い場所に変わる。
「・・・瞬間移動?」
「そうだよ」
シリウスはカーテンを閉め直すと、オリビアの身体を一度ぎゅっと抱き締める。
しばらくすると馬車が止まり、外側から扉が開かれると、シリウスはオリビアを膝から下ろして頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「少し話をしてくるから、オリビアは後から来なさい。ミナ、くれぐれも」
「かしこまりました」
そう言うと、シリウスはリシューを連れて先に馬車を降りて行った。
その後ろ姿を見ていたオリビアは、何となく心許無くなって対面に座っていたミナに手を伸ばし、袖口をちょんっと掴む。
その行動にミナは目を見開き、鼻と口を手で覆って天を仰いだ。
「ありがとうございます!!」
「え・・・ミナ?」
「んんんんごほんっ。え~~オリビア様。今から馬車を降りますが、全て無視して下さい」
「え?」
「挨拶されても無視、手を差し伸べられても無視、笑顔を向けられても無視。3無視でお願いします」
「3・・無視」
「はい。ここに居るのは、オリビア様が親しくする必要の無い方達ばかりですので」
「へえ・・・」
そうなんだ・・・。
いまいち理解出来なかったが、オリビアはその言葉に従う。
ミナはオリビアのフードを目深にかぶらせ、しっかりと固定する。
「さあ、参りましょう」
ミナがオリビアの手を引きながら馬車から降りる。
先に降りていた2人の周りにいた人々が、一斉にオリビアの方を向いた。
「・・・・・・」
メチャクチャ見て来るんですけど!!
不躾な視線を感じ、オリビアはタジタジになる。
3無視3無視。
オリビアは心の中で唱えながら、彼等と目が合わないように俯きながら一点を半目で見つめ続ける。
「彼女にこの街を案内したい」
何とも言えない沈黙の中、シリウスはオリビアの背中にしっかりと手を回して、凛とした声色で告げた。
「心得ております。昨日の通り、警護の方は万全を期しております。本日以降、特別室でお寛ぎ下さい」
この国の大公であり君主であるカッシーナは、シリウスに一礼すると、一歩前に出てオリビアの前に跪いて手を差し伸べた。
瞬間、シリウスとリシューの片方の瞼が微かに動く。
「初めましてお嬢様。カール・カッシーナと申します。この国の大公の任に就かせて頂いております」
「・・・・・・」
オリビアは言いつけ通り、無表情で視線を合わせず無視をする。
静けさだけが、辺りを包んだ。
気まず~~~~!
メチャクチャ気まず~~!!
オリビアは心の中で絶叫する。
暫くすると、この国の最高権力者である大公が、わざわざ跪いて挨拶しているにも関わらず、いつまで経っても口を開かない彼女に、騎士や使用人達が不愉快そうな表情を見せ始める。
「・・・失礼しました」
言葉を返されないカッシーナは諦めて手を下げると、すくっと立ち上がって合図を送る。
すると側に2人の使用人が現れた。
「この者達に案内をさせます」
「ミナ」
「かしこまりました」
リシューに促されたミナはその場でお辞儀をすると、使用人達の後をオリビアと共に着いて行った。
残された人々が、何とも言えない顔でオリビア達の背中を見つめる。
自分の仕える主を侮辱され、怒りに満ちた目や、オリビア達を見下したような目をしている者もいた。
「カッシーナ。あなた何を勝手な事をしているのですか?」
リシューは無表情で彼を見下す。
「?」
「あのお方がいつ、あなたに言葉を発する事を許したのでしょうか?」
あの方とはオリビアの事である。
カッシーナは、はっとしてシリウスの顔を見る。
しかし、シリウスも同じように冷めた目でカッシーナを見下ろしていた。
「申し訳ございません!!」
途端にその場で土下座したカッシーナの姿に、周りにいた使用人や騎士達が驚きの余り硬直する。
「このようなママゴトばかりして、勘が鈍ったのではないですか?」
「・・・っ」
カッシーナはだらだらと冷汗を流す。
そうだった、あのシリウス様が背中に手を回した女性だ。
つまり彼女は、シリウス様と同等の地位にいる御方なのだ。
「この者達にもきちんと教え込みなさい」
リシューは周りを見回しながら、カッシーナを顎であしらった。
「かしこまりました」
しっかりと頭を下げるカッシーナに、その謝罪が自分達のせいでもあると気付き、使用人や騎士達は緊張の余り動けなかった。
カッシーナは汗を拭うと何とか気を取り直し、2人を城の執務室へと案内するのだった。
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「この方の身の回りは私1人で十分です。下がって下さい」
ミナがそう言うと、ここまで付き添ってくれた使用人達を帰した。
扉の外には2人の騎士が常に立ってはいるが、これで室内にはオリビアとミナの2人きりとなった。
「お疲れ様ですオリビア様。上着を脱ぎましょうね」
ミナはオリビアの着替えを手伝いつつ、手早く荷物を整理していく。
「何かすごく広いお屋敷だね」
オリビア達が連れて来られた場所は、屋敷の中でもかなり奥まった場所にあった。
先程通ってきた建物と同じ敷地内にあるのだが、その入口は完全に独立しており離れのようになっている。
おまけに何故かこの周辺は、殊更厳重に騎士達が警備していた。
「ここは、シリウス様専用のコテージです。この国を訪れた際に使用しています」
ミナは勝手知ったるといった感じで茶器を取りだし、紅茶を入れ始める。
「シリウス兄様は、よく来るの?」
「そうですね。ここは実験場ですので、何か事が起これば足を伸ばしますね」
「実験場・・・?」
何か大きな工場でもあって視察に来るのかな?とオリビアは考える。
ここ、カッシーナ公国は、実質シリウスの治める国であった。
多額の資金を投入して国を作り、トップを据えて政をさせる。
四大財閥間で作られた最新魔道具を実験的に使い、今後の開発にも役立てる。
所謂実験場だった。
勿論大公であるカール・カッシーナはホワイトレイ家に仕える者の1人である。
余談ではあるがブラックレイ家は裏を、カッシーナ家は表を主に取り仕切っている。
ちなみに2家の仲は、それほど良くない。
「今日から3日間こちらに滞在します。しばらく休憩してから少し街を見て回りましょうね」
「うん!楽しみ!」
オリビアはこの世界の事を殆ど知らなかった。
サイファード領はのどかな田舎であったし、その頃のオリビアは外には大して興味が無かったのだ。
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ミナと共に気に入ったお店は残らず回っていく。
可愛い雑貨屋やオシャレなカフェ。
大きな本屋さん。
驚いたことに、ここはオリビアの前世の文明とそう変わらない発展を遂げていた。
多少の文化の違いからか建物に木やレンガが多いのだが、室内はしっかり暖房が効いており、建物や街の隅々まで清潔に保たれている。
行き交う人々は皆しっかりとした防寒着を着込みお洒落にも気を遣っているように見える。
それに屋根や路地裏を見る限り積雪が多そうなのだが、何故か石畳の道路は、雪が綺麗さっぱり消えていた。
「ここのアフタヌーンティーは最高なんです!」
ミナが目をキラキラさせる。
休憩がてらに豪華な作りの建物に入った2人は、1階のラウンジで寛いでいた。
少し身体が冷えていたオリビアは、温かい室内と飲み物にほっと一息ついて辺りを見回す。
「ここ、高級ホテルみたい」
かなり大きな建物のはずが、中に入ると薄暗く行き交う人もまばらだった。
見るからに高級そうなソファーとよく磨かれた低いテーブル。
静かに流れる優雅な音楽。
給仕してくれる全ての人が、洗練された動きをしていた。
「はい。ここはこの国一番の会員制高級ホテルです」
「会員制・・・」
このクオリティーなのに、どうりで人が少ない訳だわ・・・。
オリビアは納得した。
「大丈夫ですよ。シリウス様も会員、と言うかオーナーと親しいのでお願いすればいつでも泊まる事は可能です。気に入られましたか?」
「あ。うん。今度泊まってみたいかも・・」
誰もが憧れる高級ホテル。しかも会員制。
興味津々のオリビアは正直に頷いた。
「分かりました。手配しておきますね」
「あ、でも無理しないでね。何か申し訳ないし、それに高そうだし・・・」
あっさり了承されたお願いに、今更ながら恐ろしくなって躊躇する。
「オリビア様のなさりたい事が知れて、ミナは嬉しいです。もっともっと我が儘を言って下さいね」
シリウス様なら喜んで全て叶えてくれますよ。
「なんか、シリウス兄様に申し訳ない」
オリビアはしょぼんと肩を落とした。
「そんな事ないですよ。きっとシリウス様なら喜んで全財産投げ出すでしょう!」
「いや・・・それはちょっと・・・」
オリビアはここに来て、シリウスが想像を絶するお金持ちなのは何となく理解出来た。
しかし、彼がどんな仕事をしていて、何で収入を得ているのかさっぱり分からなかった。
「せっかくだから、シリウス兄様に、今日のお土産あげたいな・・・」
呟いたオリビアだったが、はたっと気付いた。
自分が一銭も持っていない事に。
今までの買い物や必要経費は全てミナが払ってくれている。
「私・・・お金持ってないや・・・」
ショックの余り、オリビアの顔色が悪くなっていく。
「オリビア様。淑女はお金など持たないものですよ」
気を遣ってなのか、ミナはオリビアに言う。
「え、でも欲しい物とかあったらどうするの?」
「そんなの簡単です。それを指差して『これが欲しい』と言えばよいのですよ。それで全部手に入ります」
「え・・・・」
また何言っちゃってんの。
この人は。
「大丈夫です。お金で買える物で、オリビア様の手に入らない物なんてこの世には無いですよ!」
良かったですね!!
ミナは満面の笑みをオリビアに向ける。
「え・・・えええ」
『お金で買える物』と限定している辺りが逆に生々しい。
流石のオリビアもドン引いたのだった。
 





