お話しましょう
「はい、どうぞ」
シリウスは、スーツの内ポケットから1枚の銀色のカードをオリビアに手渡した。
「これは?」
「私の名刺、連絡先だよ」
手渡されたカードには、確かにシリウスの名前と住所が書かれている。
しかしそれはどこからどう見ても金属製で、しっかりとした重みがあった。
オリビアは不思議に思って、表面を撫でたりひっくり返したりしてみる。
「それはプラチナ製です。表面には硬化の魔力がコーティングされておりますので、折れたり傷付くことはありません。ご安心下さい。後、こちらも」
リシューが補足しながら、オリビアに小型のタブレットを渡す。
「必要な連絡先は既にこちらで登録しております。使い方は追々覚えていきましょう。ミナ、頼みましたよ」
「承知しました」
オリビアの後ろに控えていたミナが頷く。
「これって」
スマホだよね!?
画面は真っ暗だが、それはまさにスマホサイズの薄いタブレットだった。
「どうかなさいましたか?」
リシューは、余りにも動揺しているオリビアに声を掛ける。
「・・いえ・・」
オリビアはチラッとシリウスの顔を見る。
すると彼はその視線に気付く。
「どうかした?」
「う、ううん」
オリビアは首を左右に振って誤魔化す。
シリウスと早い内にきちんと話したい。
オリビアはそう思った。
自分が今どういう状態なのか。
これからどうしていくべきなのか。
そして何よりも、以前彼が会っていた私は、私であっても厳密には今の私ではないのだ。
それでもいいのだろうか?
「では!」
ミナは突然オリビアの手から名刺とタブレットを取り上げると、どこから取り出したのだろう、モコモコのポシェットにそれらを詰め込んだ。
「後はハンカチとキャンディー。防犯グッズも入れてっと・・・よし!完成!肌身離さずきちんと持っていて下さいね」
ミナはそう言うと、いきなりオリビアの首からそれを掛けた。
「え・・・あ、ありがとう?」
まるで、初めてお使いに行く子供である。
オリビアは何となく腑に落ちないモノを感じたが、特に抵抗もせずに右手でシリウスの服をちょんちょんと引っ張った。
「どうしたの?疲れた?」
シリウスは身を屈めて、心配そうにオリビアの前髪をかき上げた。
「お話、したい。2人で」
「いいよ。お話しよう。折角だし少し場所を変えようかな」
そう言ってオリビアを抱き上げると、
「中央庭園に行く」
2人で部屋を後にした。
到着した庭園は屋敷の丁度中央にあり、そこには大きな噴水が豊かに水を噴き上げていた。
天井が吹き抜けになった広い円形の空間はとても明るく、見上げると宗教画のような大きなステンドグラスがはめ込まれていた。
「鈴蘭がいっぱい。綺麗・・・」
オリビアは、噴水の周りに咲き乱れる鈴蘭に思わず呟いた。
「鈴蘭好きだったね」
「うん・・・一番好き」
シリウスが花を贈った際に、オリビアが鈴蘭の花を一番喜んだ事をしっかりと覚えていた。
「あそこに座ろう」
彼が視線を向けた先にはソファとテーブルが置かれており、すでにそこには軽食が用意されていた。
「はい。お姫様」
シリウスはそう言うと、いつの間にか手に持っていた鈴蘭の花束をオリビアに贈る。
「あ・・ありがとう。とっても嬉しい」
オリビアは頬を染めながら花束を受け取り、鈴蘭の花に顔を埋めた。
彼女は鈴蘭の中でも、朝露に濡れた真っ白い鈴蘭が一番好きだった。
だって、とてもシリウスに似ている。
一見可愛らしく見えるそれが、朝露に濡れてしっとりと佇むその姿。
儚そうに見えるのに、毒素を含有しており迂闊に手を出すとしっぺ返しを食らう。
そんな所も堪らなく似ているとオリビアは感じていた。
ちなみにシリウスの事を『可愛らしい鈴蘭』と称するのは、世界広しと言えどオリビアだけである。
この屋敷にいる者に問おうものなら、十中八九、目を逸らして走り去ってしまうだろう。
そしてシリウスも、まさか自分の事を『鈴蘭』と思われているとは天地がひっくり返っても思うまい。
「彼女の部屋に」
シリウスはオリビアから花束を預かると、いつの間にか側に立っていた使用人に渡す。
「さ。お話しようか」
使用人が立ち去るのを確認すると、シリウスはそう言ってオリビアを抱えたままソファに座った。
「あの・・・」
「ん?」
下ろしてもらおうかとシリウスの顔を見るが、笑顔で返される。
無言の拒否だろう。
何となく彼の性格が分かり始めたオリビアは、現状を受け入れ、このまま話をする事にした。
「まず、えっと、色々と助けてくれてありがとうございます」
彼女は素直にお礼を言うと、ペコリと頭を下げた。
「ふふふ、どういたしまして。手紙、確かに受け取ったよ。私に連絡をくれて嬉しかった、こちらこそありがとう。」
お礼にお礼で返されてしまった・・・。
オリビアは戸惑う。
「それで、あの、何て言うか、実は私、今までの私とちょっと違うっていうか・・・その・・・」
何て説明しようかと悩んでいると、
「人間としての自我が入ったんだね」
「!?」
シリウスの言葉に、弾かれた様に彼の顔を見た。
「実はある程度理解してる。シェラ様からも聞いていたしね」
シリウスは目を細めながら告げた。
「母から?」
「そう。オリビアは精霊と人間の両方の特性を持っているから、人間の自我が定着するのには少し時間がかかるって」
自我・・・。
成程。
思考や感情に関しては確かにそうだろうが、前世の記憶は『自我』の一部というのだろうか。
この辺りも説明するべきなのか。
オリビアはう~んと悩みながらも、何となく今の自分を理解してくれている事にほっとして、思わずシリウスの胸に体重を預けた。
まあ、前世云々の辺りは追々かな・・・。
オリビアはそう結論付けた。
「こうして君ときちんと話が出来てとても嬉しい」
シリウスは切なそうにほほ笑む。
確かに以前のオリビアは、2つ3つの単語を発するのみで、後は相槌を打つぐらいだった。
一緒にいたはずの2人の時間には、会話と言う会話はほとんど無かったのだ。
「迎えに行くのが遅くなってごめんね」
シリウスは、悲しそうにオリビアの頬を撫でる。
正直彼女自身、特に『辛い』や『悲しい』などの感情は無く、1人で何とか出来るだろうと考えていた。
しかし、こうやって自分を心配してくれる存在がいるのは純粋に嬉しいし有難い。
オリビアはシリウスの背中に手を回し、『ありがとう』の意味を込め、ぎゅっと力を入れた。
すると、お返しとばかりにシリウスも彼女の身体をしっかりと抱き寄せた。
2人は暫くそのまま、お互いの体温と息遣いだけを感じていた。
「オリビアは、ブラン王国の事をどう思ってる?」
沈黙を破ったのはシリウスだった。
「どう、って?」
「例えば故郷な訳だし、何となく懐かしかったり、いつか戻りたかったり、とか思うかい?」
シリウスは薄っすらと笑みを浮かべながら尋ねる。
オリビアは考えた。
確かに自分が生まれ育った国ではあるが、正直・・・。
「何とも思わないかな~」
「何とも?」
「だって、もう見限ったから去った訳だし。どう?と言われても何も思い付かないや」
「そっか・・・」
シリウスは目を細めた。
「そうだね。これからはここがオリビアの家だからね」
「それ、有難いけど本当にいいのかなあ」
「勿論。好きなだけ居てくれていいから。その内、もう少し元気になったら色んな所にお出掛けしようか。好きな所に連れて行ってあげるよ」
「本当!?行きたい!色んなとこ!!」
旅行したい!
オリビアは顔を上げて嬉しそうにシリウスに笑いかけた。
「ああ。そう言えば」
そしてシリウスは、思い出したかの様に話し出す。
「なぁに?」
「赤い鳥は好き?」
「赤い鳥?」
「そう、羽も身体も真っ赤な鳥だよ」
「う~ん、どうだろう?見た事無いけど、きっと綺麗なんだろうね」
オリビアは答えた。
「そうだね。きっと、とても美しいと思うよ」
シリウスは、満面の笑みを浮かべたのだった。