至れり尽くせりなんですが・・・
「どこか沁みる所はありませんか?」
「あ、はい。気持ちいいです」
暖かなミストが満たされた浴室。
オリビアは湯船に半身を浸からせながら、ミナに優しく髪を洗われていた。
浴槽から出た両手は、別の使用人達に優しくマッサージされている。
まるで手練れのマッサージ師のような彼女達の指さばきに圧倒されるが、12歳の子供の身体など凝っているはずも無く、申し訳なさを感じつつも何となく身を任せていた。
ミナは美しくカットされた瓶を手に取り、中に入っていた金色の液体を惜しげもなくオリビアの髪に付けていく。
「良い香り・・・」
室内に漂う爽やかな香りに、オリビアは思わず呟いた。
「少し蒸らします」
ミナはオリビアの髪を手早く束ね、優しくタオルで包み込む。
それから首筋や肩を優しく揉み始めた。
「違和感があったら言って下さいね」
いやいやいや。
オリビアは心の中で全力で突っ込んだ。
何なのだ、この高級スパに来たような扱い。
このとんでもない至れり尽くせり感。
そしてようやくオリビアは気付いた。
蛇口を捻れば当たり前のように出るお湯。
室内を満たしている温かいミスト。
一定の温度を保った湯船。
何もかもがおかしい。
前世と遜色ない文明がここにあった。
サイファード領にいた頃は、どちらかと言えば18世紀辺りに近い文明だったとオリビアは記憶している。
どういう事だろうか?
彼女はぼぉ~っと天井を見ながら思案していた。
しかし、そうこうしている内にマッサージが終わり、トリートメントも終わったのか髪も綺麗に洗い流される。
身体の芯まで温まったオリビアは、ミナに連れられて浴室を出た。
最上級のふかふかなタオルに包まれ、柔らかいソファに座らされた後、更に使用人達の手によって身体にオイルが塗り込まれていく。
「あ・・あの、ここまでは別に・・・」
こんなお子ちゃま相手に流石に申し訳なくなったオリビアは、やんわり断るようにミナに声をかけた。
「これは保湿に優れた月の花のオイルです。この辺りは寒くてとても乾燥しますので、私共はオリビア様の為に万全な対策を取らせて頂いているのですよ」
「あ・・・ありがとう、ございます」
何故か圧を感じるミナの笑顔に、オリビアは反射的にお礼を言ってしまう。
「勿体ないお言葉です」
使用人達がせっせとオイルを塗り込んでいる間、ミナはオリビアの髪を乾かし始める。
手持ち無沙汰になった彼女は辺りを見回した。
大理石で作られた脱衣所は、一定の温度に保たれているかのように全く外気を感じさせず、足下はまるで床暖房のように暖かい。
壁にはめ込まれた大きな鏡には、髪を乾かすミナの姿が映っているのだが、その手に持っている物を見てオリビアは驚いた。
ドライヤー?!
若干形状は違うが、それは完全にドライヤーだった。
??
「ミナさん。それ・・・」
オリビアはミナの持っている物を指差して尋ねる。
「私は呼び捨てで結構ですよ。これは炎と風の魔石を使った温風の出る魔道具です。今期の最新作なんですよ」
「へ、へえ~~」
魔道具。
この世界って実はかなり発展してるんだ。
意外とスマホやパソコンもあったりして。
そう思いつつ、あらためて鏡に映る自分の姿を見た。
骨と皮の貧相な身体に、先程トリートメントされた艶のある髪がとても不自然に見える。
ちらりと盗み見たミナは、メイド服からも分かる程の女性らしい体つきをしており、自分の胸に視線を移したオリビアは、こっそり溜息を吐いた。
大丈夫。
まだ12歳。
がんばれ私。
全身しっかり整えられ、真っ白いフリルの着いた可愛らしい下着を着けた後、ミナが1着のワンピースを持ってきた。
「さあ、こちらを着ましょうね」
「え・・・」
普段着のように出てきたそれは、一目見ただけで高価だと分かるドレスだった。
銀糸が編み込まれた繊細なレースが、首元、手首、スカートの裾にふんだんに使われており、生地の質感や光沢、シルエットが明らかに既製品とは一線を画していた。
「どうなさいましたか?」
「え・・あの、その。汚しちゃいそうだし、破いちゃいそう・・・」
真っ白い服は、あっと言う間にソースを溢してシミになる未来が見える。
ミートスパゲッティなんか出たら最悪だ。
存在するか分からないけど・・・。
ともかく、出来ればもっと暗い色。
出来れば黒で、汚れの目立たない頑丈な服が良い。
何せこちとら12歳の子供である。
「オリビア様。服は汚す為にあるのですよ?」
ミナが『もう~何言ってんだか~』みたいな顔で、謎の理論を投げつけてきた。
「え?」
「それに汚れたり破れたりしたら、新しい服に着替えれば良いのです。何の問題もありません!」
ミナは胸を張った。
豊満な胸がいい感じに揺れる。
何言っちゃってんの、この人。
「今日はまだ体調が万全ではないですので、宝石類の着いた重い物では無く、質素な物をご用意しましたが、もう少しお元気になられれば、もっともっと素敵なお洋服をご用意しますね!」
ミナは両手を合わせて嬉しそうに提案する。
は?これで質素だと?
オリビアは戦慄を覚えた。
「さあさあ、着替えて部屋に戻りましょう。シリウス様がお待ちです」
ミナは使用人達と共に、オリビアに器用に服を着せていく。
「お食事の邪魔にならないよう、髪は軽く纏めましょう」
「靴はこちらにしましょうね」
オリビアは降参し、彼女達に身を任せた。
「ああ、期待通りです!尊い!」
ミナと使用人達は、額の汗を拭いながら達成感に酔いしれ、その後何故かオリビアに向かって拝み出し、最終的には天を仰いだ。
「え・・ええ~~」
オリビアはドン引きした。
「温まったかい?」
ソファに座っていたシリウスは、手に持っていた資料をリシューに渡すと、立ち上がってオリビアの元に歩いてくる。
そして彼女の前で屈むと一気に抱き上げた。
「わっ・・」
突然の感覚に、オリビアはバランスを取るべくシリウスの首に手を回す。
「ふふ、すごくかわいいね。良く似合う」
「あ・・ありがと」
シリウスはオリビアのドレスを褒めた後、頭を優しく撫でる。
乾いた肌の感触が心地良く、オリビアは目を細めた。
「瞳、綺麗な色だね。見えてるの?」
シリウスは近距離でオリビアの左目を覗き込む。
「うん。ばっちり」
その答えに、彼はどこかほっとした表情で笑った。
「さあ、食事にしよう。色々用意したから、気に入った物があれば教えて」
シリウスは彼女を抱いたまま、テーブルいっぱいに用意された食事を一通り見せた後、彼女をゆっくりと椅子に下ろした。
目の前には温かそうに湯気を立てたリゾットが置かれ、その周りには柔らかく煮込んだ野菜、小さくカットされた魚や肉等が色とりどり並んでいた。
「美味しそう・・・」
「良かった」
久々にまともな食事を見たオリビアは思わず呟き、その言葉を聞いたシリウスがほほ笑んだ。
しばらく、他愛ない話に花を咲かせながら食事をしていた2人だったが、オリビアはがっかりしながらスプーンを置く。
「どうしたの?」
シリウスが不思議そうにオリビアを見る。
「お腹いっぱい・・・」
「そっか」
彼女は、リゾットを半分くらい食べたところでギブアップしてしまった。
シリウスは側に控えていた使用人に合図を送り、テーブルから皿を引いてもらう。
「ごめんなさい。いっぱい残して・・・」
「大丈夫。これからもっと沢山食べれるようになるよ」
まだまだ目の前には美味しそうな肉や魚があると言うのに・・・。
しょぼんとしているオリビアの頭を、シリウスは優しく撫でた。
「そうだ!シリウス兄様。お願いがあるの」
オリビアは思い出したかの様に顔を上げた。
「ん?オリビアの願い事なら何でも叶えてあげるよ」
シリウスはニッコリとほほ笑んだ。
「あのね、暫くここに置いてほしいの」
「え?」
シリウスが一瞬止まる。
「あ。無理にとは言わないんだけど。そうだな~だいたい10日くらい?そしたら出て行くから。ね。兄様お願い」
両手を合わせてオリビアは可愛くお願いした。
「・・・・・」
室内、間違いなくオリビアを抜いた室内全員の空気が凍り付く。
「?」
オリビアは固まったままの周囲に『やっぱり、いきなり来て10日は図々しいかぁ~』と解釈し、
「ん。じゃあ5日でお願いします」
と日数を減らしてお願いした。
「オリビア」
「はい!?」
突然シリウスに肩を両手でがしっと掴まれ、近距離で問われる。
「ここを出て、どこか行く予定があるのかい?」
「ううん、別に無いけど。もともと家を出たら旅行する予定だったの。世界の色んな所を見て回って、働いたり、一人暮らししたりしたいな~って。あ。シリウス兄様に手紙書くよ。絵葉書がいいかな~~だから連絡先教えてね」
その返答に、バタリと数人の使用人が倒れる。
「え?何!大丈夫?!」
オリビアは驚いて席を立とうとするが、がっちりと肩を掴まれていて動けない。
「オリビア。いいかよく聞いて」
「はい」
シリウスは真剣な顔でオリビアに告げる。
「まず連絡先は教える。それから君は、ここにずっと居てくれていい」
「ずっと?流石にそれはちょっと・・・申し訳無いって言うか・・・」
「いや、むしろここを実家だと思ってもらって構わない」
ん?
実家?
「いや、そうだ。ここをオリビアの実家としよう。だからここはオリビアの家だ。死ぬまで居てくれていい」
「死ぬまで?!」
「そう。勿論これからもオリビアの家はどんどん増えるけれども、取り敢えず、ひとまずここを実家としよう」
??
どういう意味?
家が増える?
「だから旅行に行きたいのなら、私と一緒に行こうね」
「え?」
「ね」
「え?」
「ね」
有無を言わせないシリウスの笑顔に、オリビアはこくりと頷く事しか出来なかった。