目が覚めました
目を覚ますと、見慣れない天井が目に入る。
オリビアは、微睡みながらぼおっとそれを見ていると、ぶれていた視界が次第に鮮明になっていく。
視線だけ動かすと、そこは白いカーテンに囲まれた四角い空間だった。
身体に触れる肌触りの良い布に、彼女は自分がベッドで寝ている事を知った。
それと同時に、色んな事柄がすとんと腑に落ちる。
ああ。そうだった。
私はあの人しか見ていなかった。
彼の瞳を初めて見た時から惹かれていた。
不純物の一切無い透き通った、けれども鋭く尖ったクリスタルの様な美しい存在。
私の光を受けたなら、きっとどんな宝石よりも美しく輝くだろう。
なんと愛おしい存在。
彼が欲しい。
彼が欲しい。
彼は私のモノ。
オリビアは、過去の自分の貪欲さに顔が一気に熱くなっていく。
精霊族は興味のあるモノしか目に入らない。
人間から見れば、それはとても冷たく映るかもしれない。
しかし気に入ったモノはどこまでも愛し、祝福し、加護を与える。
言わばマーキングだ。
精霊の愛は、とてつもなく重いのである。
成程。
アーサーしかり、他の人間に対して存外塩対応だった訳だ・・・。
自由気ままに気に入ったモノしか興味を示さない。
精神世界、いわば身体を持たない精霊ならば特に害はないだろう。
しかし、高位の精霊ともなれば自在に身体を作る事が出来る。
それに振り回される人間は、たまったものじゃないだろう。
シェラもそうだ。
一時の気まぐれで大地を育み、気に入らなければ全部捨てる。
しがらみなど何一つ無いのだ。
そしてオリビアも、そんなシェラの気質をそのまま受け継いでいた。
必要なければ一切話さない。
興味が無ければ表情筋の一本ですら動かそうとはしない。
さすが女王の娘。
とんでもない我が儘姫だと、彼女の前世の記憶がそう思わさせた。
取り敢えず・・・。
オリビアは、寝心地抜群のベッドからゆっくりと身体を起こす。
天蓋付きベッドの為、カーテンに阻まれて辺りがよく見えなかった。
「お目覚めですか?」
カーテンの向こう側。
待機していたのだろう、メイドのミナが隙間から顔を覗かせた。
彼女はサイファード領を脱出する際に馬車に同乗していた内の1人で、黒髪でボブカット、メイド服を着た小柄な女性であった。
「お加減はいかがですか?辛いところや痛い所などございませんか?」
ミナはそう言いながら、傍らに用意してあった吸飲みを手に取る。
「あの・・・っこほっ・・」
言葉を発しようとオリビアは口を開けるが、喉の掠れに思わず軽く咳き込んだ。
それを見たミナは、慌てて彼女の口元に吸飲みを添える。
「ゆっくり口に含んでからお飲み下さい」
オリビアは言われた通りに口に含む。
それは少しとろみのある甘い液体で、飲み込むとすぐに咳が止まった。
「あ、ありがとう・・ございます」
オリビアがお礼を言うと、ミナはニコリとほほ笑んで、今度は水の入ったグラスを手渡した。
「3日程眠っておられましたので、ゆっくりとお飲み下さい」
その言葉に、オリビアはグラスを受け取りながら驚いた。
「3日?!」
「はい、ですが、その間にしっかりと治療させて頂き、傷はほぼ完治致しました」
「え・・・」
オリビアは無意識に左目を触る。
しかしそこには布がしっかりと巻かれており、触る事が出来なかった。
「ほぼ、と申しましたのは、その。左目の完治が難しく・・・」
ミナが言葉に詰まる。
ああ。
思い出した。
あの時アンナに切られたのだ。
オリビアは、左目から続く右の脇腹までを指でゆっくりと辿る。
しかしそこには違和感や痛みが無く、触れる限り傷らしき物が見当たらなかった。
不思議に思ってミナの顔を見た時、
「おっ!顔色大分良さそうだね」
彼女の背後から、バサリと勢い良くカーテンをたなびかせ、白衣の女性が現れた。
彼女も馬車に同乗していた内の1人で、その際オリビアを治療した医者のバジルだった。
「バジル、あなたもう少し静かにお願いします」
彼女の突然の登場にミナが窘めるが、
「悪い悪い~」
特に気にした風も無く、よっこいせっと、ベッドの端に腰かけた。
「ちょっと診るよ~」
有無を言わさずバジルは白衣の胸ポケットからペンライトを取り出し、オリビアの右目を確認する。
「うん、大丈夫。後は・・・ちょっと失礼」
そう言うと、オリビアの左目に巻かれた包帯をスルスルと解き、ガーゼをゆっくりと剥がした。
「こうもパックリ切られてると、流石になかなかに厳しいな」
バジルはオリビアに手鏡を渡しながら説明する。
刃物で切られた際、一番最初に刺さった場所で、どこよりも傷が深く完治が非常に難しい。
オリビアが手鏡を覗くと、そこにはパックリと切られた瞳孔が見て取れた。
「これでも大分くっついた方なんだが・・・今の医学では何ともしがたくて・・・」
バジルは口ごもる。
オリビアは鏡の中の自分をじっと見つめた。
左目から右脇腹にかけて切られていたはずが、今は瞳孔にしか傷が無い。
魔法を使わずに、3日やそこらで完治するものなのだろうか。
不思議に思ってさわさわと切られていたはずの場所に触れるが、傷跡が綺麗さっぱり消えていた。
おまけに何故か、以前より顔色が良い気がする。
「他の傷は、私の誇りにかけて完治させた。心配するな」
バジルがウインクしながら親指を立てる。
しかしその顔には、明らかに疲労が見て取れた。
目の下のクマも酷い。
「え・・・あ。はい。ありがとうございます」
「それで本題だが」
バジルが急にトーンを落としてオリビアに話しかけた。
「その・・・魔法で何とか出来たりしないか?」
「??魔法で?」
オリビアは、質問の意味が分からず聞き返す。
するとバジルは自分の左目をトントンと指して、
「左目。魔法で何とか治療出来ないかな~って」
バジルはへにゃりと笑った。
「バジル!!」
彼女の言葉にミナが声を荒げる。
「何て事を!オリビア様のお力をお借りしようなどと!」
「だってこのままじゃ治んないもん。でもシリウスってばマジ怖いからさ。何とかならないかな~って」
てへっと舌を出す。
「う・・・それは確かに・・・」
ミナは口ごもる。
確かにここ数日のシリウスの機嫌の悪さは、話し掛けるのさえ躊躇する程だ。
今、まともに話し掛けられるのはリシュー位である。
「ででででも!!流石にそれは不敬と言うもので!!!」
「私は眠いんだ!徹夜なんだよ!もう3日だぞ!貫徹だ。無理だよこれ以上は死ぬ!!お前が何とかしろ!」
「私には無理です死にます殺されます」
間髪入れず無呼吸で返すミナに、バジルは食って掛かる。
「てめえっ!いつもいつも!」
オリビアは、ぎゃーぎゃーと取っ組み合いのケンカをしている2人を放置して、じっと手鏡で左目を見つめた。
うん。
余裕で治せる。
過去、オリビアは余りにも酷い痛みがある場合、自らの魔法で治療していた。
しかし、あからさまにすると義母や義妹にバレた時に面倒なので、それなりに傷跡は放置していたのだ。
ナイフの傷は、領地を捨てて落ち着いたタイミングで治す予定であった。
お手数お掛けしました。
オリビアは内心バジルにお礼を言うと、右手の平で左目を覆い、一言呟いた。
「治れ」
瞬間、右手の指の間から虹色の光が漏れ出す。
それに気付いた2人は、慌てて取っ組み合いを止めてオリビアの方を向いた。
その後すぐに光が治まると、オリビアがゆっくり右手を離す。
するとそこには、虹色の光を湛えた美しい瞳がはめ込まれていた。
「なっ!」
「!」
ミナとバジルは余りの驚きに、口をぽかんと開けたまま放心している。
しかしオリビアはそんな2人を全く気にせず、手鏡を再度覗いた。
「あ・・・色変わっちゃった・・・ま、いっか」
オリビアは今度は手の平で右目を覆い、左目だけで辺りを見回した。
「うん、視界良好。治ったね」
2人に向けて笑いかけた。
「ありがとうありがとうありがとう。マジでありがとう。これで寝れる~死なずに済む~~」
バジルは泣きながら、オリビアの両手を掴んでぶんぶんと振り回す。
「は・・・はあ。良かったデスネ・・・」
ちょっと痛いです。
「ちょっとバジル!その乱暴な手を離しなさい!!オリビア様が嫌がってるじゃない!」
ミナはバジルの腕を掴んで捻り返す。
「いだだだだだっ。てめっ!何すんだよ!馬鹿力女!!!」
またまた2人の取っ組み合いが始まる。
仲良しだな~。
オリビアはしみじみと思った。
そんな彼女の視線に気付いたのか、2人は急に背筋を伸ばして衣服の乱れをわざとらしく直す。
「え~~こほん。改めまして自己紹介させて頂きます。主より命じられ、オリビア様の側仕えとなりましたミナと申します。不束か者ながら精一杯務めさせて頂きます」
ミナは右手の平を胸に当てて礼をする。
「バジルと申します。同じく主より命じられ、オリビア様の専属医師となりました。今後ともよろしくお願い致します」
先程とは打って変わって、丁寧な口調になったバジルもその場で礼をした。
「えっと、オリビアです。こちらこそよろしくお願いします」
この状況に色々突っ込みたいオリビアだったが、諸々はスルーし、一番気になる事だけを質問する事にした。
「あの・・・主って、シリウス兄様の事ですか?」
「はい。この城の主、シリウス・Z・ホワイトレイ様です」
そう言うと、ミナは天蓋付きベッドのカーテンをゆっくりと開けていく。
カーテンが全開になった先。
2人の背後の景色を見て、オリビアは息を飲んだ。
一面ガラス張りの室内。
その向こうには、まるで写真のような銀世界が広がっていた。
そびえ立つ山々は美しく雪化粧され、空からはキラキラと雪が降っている。
オリビアはおもむろにベッドから飛び出し、ふらつきながらも脇目も振らすに窓まで走り寄る。
それから外へと続くドアを探した。
「オリビア様!急にお立ちになられては!」
ミナは驚いて駆け寄るが、オリビアは目をキラキラさせながら見付けたドアからバルコニーに飛び出した。
「きゃああああ~~」
「うわあああ~~」
ミナとバジルは慌ててオリビアの後を追う。
オリビアは寝起きである為、光沢のある淡いピンクのナイトウェアのみを着ている。
勿論裸足で。
しかし彼女は特に気にした様子も見せず、積もった雪を踏みしめてバルコニーの先端に向かった。
見渡す限りの山々。
オリビアの立つバルコニーは、この建物の最上階に位置しているらしく、足元を覗けば地面がとんでもなく遠い。
彼女は冷たい空気を思いっきり肺に吸い込んだ。
「何て素敵な場所!冷たい!気持ちいい!!最高!!私、飛びたいわ!!」
嬉しそうに声を上げたオリビアは、両手を挙げて空に向かって宣言すると、あろう事かそのままバルコニーをよじ登り、一気に空中へとジャンプした。
「ぎゃあああああああああああああ~オリビア様あああああああ!!!!」
「あわわわわわわわわわ!!!」
辺り一帯に、ミナとバジルの大絶叫がこだましたのだった。