精霊の祝福
「あらあら、あの子ったら」
心地良い夏の夕暮れ。
シェラはオープンテラスのソファに身体を預けながら、対面に座るダリルに向かって朗らかに笑いかけた。
長く美しい髪を、風が優しく揺らしながら吹き抜けていく。
奇跡の様な尊い存在。
彼女こそ、200年前にこの地に降り立った精霊の女王だった。
夕日に輝く彼女の姿は神の如く清らかで、その余りの美しさにダリルは目を細めてしばらく見とれる。
いつどんな時も彼女を見つめていたい。
ダリルは名残惜しさを感じながら、促された方に視線を向けた。
そこには、跪いたシリウスの額に口付けを贈るオリビアの姿があった。
「あれは・・・」
「祝福ね」
シェラは嬉しそうにほほ笑んだ。
オリビアは人間の歳にして3歳。
しかし、れっきとした精霊族。女王の娘だ。
自身が愛おしいと感じた者には祝福を、いわゆる加護を与えることが出来る。
「羨ましい・・・」
愛おしそうにほほ笑み合う2人の姿に、ダリルは無意識にポツリと呟いた。
「あら?私の祝福だけでは物足り無くて?」
シェラは眉を器用に上げてダリルを見る。
「いや・・そうでは無く・・・」
「?」
ダリルは自らの失言に舌打ちした。
ホワイトレイ家、歴代の当主の中でも冷酷と名高い彼のこのような姿を、もし側近達が見たら驚いて腰を抜かしてしまっただろう。
いくつになっても、恋とは人を愚かにする。
「私は・・・出来ればあなたの唯一になりたかった」
おこがましいと思いつつ、懺悔するように絞り出したダリルの言葉に、シェラは意味が分からず小首を傾げた。
「・・・まさか、あの人間の事を言っているのかしら?」
『あの人間』とはオリビアの父であるアレクの事である。
「・・・あなたがまさか、人間などと。分かっていれば私とて・・・」
アレクよりも以前にシェラと出会っていたダリルは、悔しそうに眉を寄せる。
ダリルには、シリウスが産まれて直ぐに亡くなった妻がいた。
勿論好いてはいたのだが、彼がシェラに向ける感情はそれを遥かに凌駕していた。
「面白い事を言うのね。私はあの者に祝福を与えてはいないわ」
シェラは優雅に扇を開く。
どんな姿も美しく絵になる。
ダリルは見惚れた。
「そうであっても、彼を好いているのでしょう?」
子供を儲けた事が、ダリルに想像以上のダメージを与えていたのだろうか。
シェラはそんな彼に向かって言った。
「まさか!」
「え・・・」
シェラの言葉にダリルの思考が止まる。
「私、人間との子が欲しかったの」
「・・・ええ」
「理由は色々あるのだけれど、偶然を装って我が領地にやってきたあの男。それはそれは精霊の好みを詰め込んだような容姿だったわ。眷属達が大層気に入って、私の元にわざわざ連れてきたの。それならばって、少しナニを頂いたのよ。お蔭でオリビアは人間の血を受けながらもあのように美しく生まれたの。素敵だと思わない?」
ダリルは呆気に取られる。
確かにアレクという男は、好みにもよるが10人いれば10人共が美しいと言うほど整った顔立ちをしていた。
ダリルはその事を報告書で嫌と言う程確認している。
だが彼は、彼女の『偶然を装って』の言葉にピクリと反応した。
「最近、この国の王は私を陥落させようと躍起になってるみたい」
シェラはわざとらしく困ったように眉を下げた。
つまりアレクは王の間者であり、シェラを落とすように差し向けられたハニートラップという事だろう。
ダリルは直近の報告書に書かれていた、この国の現状を記憶の中から引っ張り出す。
最近即位したグレオは、前王と比べて多少性格に難はあるが、かなり前衛的で打算的な男である。
悪しき古い習慣を解体し、次々と新しい文化を取り入れており、非常に国民に人気がある。
真新しい物を好み、物珍しい商品への喰い付きが非常に良い。
金払いも良いので、今後上客として見込めるだろう。
ただし、古い歴史を持つ貴族とは折り合いが悪い、と。
これは少々認識を改める必要がある。
新たに何名か投入して舵取りをさせるか・・・。
ダリルは思案しつつ、脳内でメンバーの選定を始めたのだったが、
「ダリル」
不意に名を呼ばれ、彼は思考を止めた。
「私達が愛するのは自らが祝福を与えた愛し子のみ。今のところ、私はあなただけ。心して生きなさいね」
「・・・・はい」
自分は彼女に愛されている。
その事実に、ダリルは込み上げてくる感情で胸が苦しくなった。
「あの子には、まだ人間としての自我が入ってないの」
シェラはふと、オリビアのいる庭に視線を移す。
ダリルも合わせて視線を移すと、相変わらず仲睦まじい2人の姿が見えた。
「でもきっと、あなたの子が何とかしてくれるわね」
彼女はそう言うと、1通の手紙をダリルに手渡した。
「これは?」
不思議に思いながらもそれを受け取り、彼は内容を確認する。
読み進めていく内に、みるみるダリルの表情が厳しくなっていった。
「こいつらは馬鹿なのか?」
それは、この国の宰相からの手紙であった。
オリビアの3歳の誕生日を祝うと同時に、国王自らが彼女の婚約者を選定し、内定した旨が記されていた。
シェラの夫であるアレクも同意しており、大変喜ばしい事だ、と。
「私、夫を持ったつもりも無いし、愛しい我が子を下らない人間に渡すつもりも無いのよね」
シェラはつまらなさそうに唇を突き出した。
「最近は、色々とこちらに干渉しようと頑張ってるみたい。見慣れない領民も最近かなり増えたみたいだし」
サイファード領の民のほとんどは、以前からこの辺りに住んでいた遊牧民達だ。
こんな北の辺境の地で、今時期領民が一気に増える事など考えにくい。
「あの男、アレクだったかしら。懲りずにここに来るのだけど、オリビアを大層気味悪がって近付きもしないの」
シェラは可笑しそうに笑う。
「そろそろ潮時かしら?」
その言葉に、ダリルは驚いて立ち上がる。
「まさか・・・・・・ここを去るおつもりで?」
無言でありながらも有無を言わせぬ彼女の笑顔に、ダリルは絶望して力無くソファに倒れ込んだ。
「何てことだ・・・」
2人の間に沈黙が流れる。
夕日がいつの間にか完全に隠れ、ゆっくりと辺りが暗闇に包まれていく。
それと同時に無数のランタンが庭一面に浮き上がり、優しい光が灯された。
庭の中央付近では、相変わらずシリウスがオリビアを抱いてゆっくりと歩いている。
「オリビアが10歳になる頃」
シェラが口を開く。
「・・・・」
後7年。
ダリルの心が絶望に染まっていく。
この落とし前、いかにつけさせようか。
ダリルは、どのような方法でこの国の王を殺そうかと画策する。
いやいっその事、国を滅ぼしてしまおうか。
憂いが無くなれば、もうしばらくここに留まってくれるかもしれない。
どす黒い感情に支配されていく中、
「オリビアは置いていくわ」
シェラの言葉に、ダリルは我に返った。
「彼女は半分は人間だもの。自我が定着するまではここにいてもらうわ」
「そう、ですか?」
シェラはふふふと笑いながら話を続ける。
「いくら私の子だとしても、簡単に手助けしては駄目よ。彼にも言い聞かせておいてね」
シェラはシリウスに視線を移す。
「?それは一体・・・」
10歳の子を1人この地に残していくのだ。
心配ではないのだろうか?
ダリルは不思議に思った。
「だってせっかく人間なのだから、色んな事を体験しないと面白くないじゃない?勿体ないわ。あの子から楽しみを奪ってはダメよ。だから手出しは無用」
シェラはしっかりと釘を刺す。
ダリルは、流石としか言いようが無かった。
こういう時に、改めて彼女が精霊なのだと実感する。
「でも、あの子から何らかのアクションがあればその限りではないわ。その時は出来る限り助けてあげてね」
「持ち得る全ての力を使って」
ダリルは暗い顔で頷く。
シェラの忘れ形見となるオリビア。
全ての力を使ってでも守り切ろう。彼はそう誓う。
「ダリル。私の愛し子」
シェラが静かな声色で呼ぶ。
「・・・はい」
ダリルは何か言われるだろうと覚悟し、暗い瞳でシェラを見つめた。
「あなたの側は楽しいかしら?」
「え?」
問われた意味が分からず、ダリルは聞き返す。
「この地は去るけれど、この世界を去ろうとは思ってないの」
「・・・・っ」
ダリルは息を飲む。
「オリビアが10歳になった時、この地を去ってあなたの側に行くわ」
シェラは柔らかくほほ笑みながら、ダリルに向けて手を伸ばした。
彼は暫く無言で佇んでいたが、言われた意味を理解した後、泣きそうな顔で彼女の手を優しく包み込み、爪先に口付けた。
「愛しています。私の全てをあなたに」
「ふふふ」
シェラはダリルからの口付けを受けながら、ちらりとオリビアを盗み見た。
精霊は美しい。
それは精霊自身もよく理解している。
だからこそ、その武器を余すところ無く使って愛しい者を手に入れる。
我が娘ながら末恐ろしい。
シェラはこっそり思うのだった。
それからダリルは、7年後のシェラとの生活の為、早々に身辺整理を始める。
勿論、国王の監視の為、ブラン王国の上層部を自身の手によって総入れ替えすることも忘れなかった。