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母子家庭と。

作者: 鈴木 湊

作者「鈴木湊」(音ゲー大好きマン)

2018年5月5日、初投稿作品『コップ』を皮切りに長期的なペースで小説を書く。

小説家になろうはライトノベルが主としているが鈴木が綴る文書は心の内側を紐解くヒューマンドラマ。

小説家になろう内では少し離れた文章形態は好みが分かれるのが特徴的だ。

個人的な代表作は「たった一つの・・・」「僕と僕」(両作品共に第七回ネット小説応募作品)

現在は小説だけではなくYouTubeでTVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』の内容を主とする動画投稿を行っている。


誤字、脱字、国文法的間違いがございましたら、遠慮なくお申し付けください。

Twitter:@suzuki071945

YouTube;音ゲー大好きマン_道産子ラブライバー

自分は何が出来るのだろか。自分が今、しなくてはいけない事とはいったい何なのだろうか。急に重い病気にかかったらどうしようか。いや、親が急死したら自分のこれからはどうなるのだろうか。自分ひとりで今、生きていけるのだろうか。将来の夢は?叶えることが出来るのだろうか。


 新築の新しい団地。しかしここは低所得者が『収容』される市営団地だ。所得に応じて家賃が決まるため、低所得者や事情を持った家庭はこの団地に集まる。僕の家庭も例に習って今日からここに生活拠点を置く。とは言っても前に住んでいたマンションから500メートルほどの距離にあるため、基本的な生活は変わらない。住所が変わるくらいで電話番号も変更しなくていい。相当楽だった。

 この間までマンションに生活していた。マンションに住めるほど苦のない生活をしていた。駅からも近く、コンビニも目と鼻の先にある。隣には急病センターもある。豪雪な北海道だがロードヒーティングが駐車場には施されているため除雪はしない。エントランス付近は管理人さんが適当に行ってくれる。何不自由のない生活をしていた。

しかし、僕の生活が変わったのはほんの数年前。ひいおじいちゃんの墓参りを終えた車内で父親の口から告白されたのだ。

「離婚することになった」

正直、僕だって何年もこの夫婦の子供だ。最近になってから不穏な空気は察していた。しかしいざ正式に聞かされると気持ちの整理はつかなかった。

「大丈夫だよ。何となく察していたし。」

言葉ではこのように言った。当時の僕はまだ中学2年生だった。考える事は多かった。これまで通りの生活が出来るのか。家は?学校は?高校は?母親についていくのか?いや、父親なのか?

 心がパンパンになったところで、静かに涙を流していた。父親は殆ど家にはいない。父親がいなくても生活は変わらない。でも何か引っかかる。戸籍上の問題なのか。僕自身にも理解が出来ない。わかりたくなかった。わかってしまったらこの話が現実になるかも知れないのに。まだ夢だと思った。

 そのあとどのように家に帰り、離婚宣言を受けてから僕はどのように整理を付けたのか。もう覚えてない。

 次に記憶にあるのは、市役所の審査に合格し、住んでいたマンションから新築の市営団地への入居が決まったときの母親の涙だ。

「よかった・・・」

と喜び、キラキラした顔だ。あんなにはしゃいだ親を僕は暫く見ていなかった。

これから母子家庭なのか。

 今思えば、最初の頃。母子家庭なんて嫌だと思っていた。社会的には必要が無く何も生み出さない。お金持ちが一生懸命出した市税などをありがたく分けてもらいながらの生活。周りから見ればわからないけど、何か申し訳なさに顔を伏せた日もあった。

 スーパーで子供と買い物を楽しむ夫婦を見かけたとき。ふと幼い頃の記憶が頭の中で流れる事がある。決して涙が出るほどではないがジーンと染みる何かがあった。

 そして新居についた次の日。じいちゃんとばぁちゃんが新居に来てくれた。ばぁちゃんは優しく僕に声をかけた

「寂しくないかい?」

「俺だって、もう中学2年何ですよ!別に今まで家にいなかった人が帰ってこなくなったくらいあんまり実感わかない」

「ふふっ。そうかいそうかい」

ばぁちゃんはクスっと笑った後、新聞紙に包まれた食器を丁寧に一つ一つ取り出していた。僕はやはり嘘つきなのだと実感した。口ではいくらでも言える。でも本当は心の中にポッカリと穴が開いてしまったのだ。悲しくもないし寂しくもない。でも何か心に余裕がなかった。自然と落ち着きがなかった。

 中学はすごく遠くなった。中学校は自転車登校が禁止で教頭に懇願しても許可は下りなかった。最寄り駅まで自転車で通学し、そこから歩いて登校する生活が始まった。運動部に所属していたが、ろくな運動をせずサボっていた僕は、いい体力トレーニングだった。友達は僕の引っ越しには詳しく聞いてこなかった。聞かれても特に引っ掛かりもなく説明しようとしていたが、誰も聞いてこない。頭のいい奴らが集まっている中学だったしこれくらいは察してくれていたのかも知れない。もしかしたら僕自身にそこまでの興味もなかったのかも知れない。でも生活が変わっても中学校の中は何も変わらず日々が流れて行く。僕にとっては心強い場所だった。

 ときには病んだこともあった。でもそんな愚痴みたいなことも親身に聞いてくれる人もいたし、部活には後輩も出来、得意分野の機械類で先生からも周りからも信頼されクラスで目立つ奴とは違ったが居場所が出来た。

 じゃあ家は落ち着かないのか?と聞かれるとそうじゃない。自分の部屋は以前の家と全く同じ家具の配置。ドアの位置が変更になっただけで何も変わらない。親の作る料理の味だって変わるわけではない。変わったことと言えば。今は問題ないが新居生活当時は親の顔色が妙におかしかった。無理矢理な笑顔や時々出てくる溜息。それを見る毎に、家の事を何もできない自分が苦しくなってくる。

 中学3年になると進路の話題が多くなる。進路の話なんて僕以外の小説の方がきっと面白い。しかし少し付き合ってくれ。

 僕は必死だった。私立なんて絶対行くことはできないからだ。母子家庭で親はパートだ。そんな家庭が私立に入れる枠などない。あっても家庭の事情で自主退学。最終的には中卒の肩書きが残るだけ。意地でも公立に入る必要があった。僕は知名度の皆無な個人経営の個別指導学習塾に入学することにした。

 最初。塾長に言われたことは

「このままだと〇〇高校しかないですね」

ランクも酷いもので近所の入れる高校は僅か一校のみだった。しかし自分は自ら少しランクが高く最初は無理かも知れないと言われた工業高校への入学を希望した。機械が好きで普通の勉強は大嫌いだった。好きなことには熱心に勉強できる僕の性格に合うのはもう専門の高校のみだと確信したのだ。

 しかしその道は険しかった。中学校3年生の冬期講習だけで28万円以上の額を塾に支払った。母親にはキャパオーバーな金額の請求。必死で働いてくれた。それで公立落ちましたなんて、生きる資格はないと思っていた。決して話は盛っていない。そこまでの覚悟があった。朝10時から夜の9時まで塾にいた。昼はお弁当に夜はカップラーメンと食生活は大いに乱れていた。しかし気には全くしていなかった。絶対合格。これしか自分の生きる道はなかった。受験当日。電車に揺られながら気持ちを落ち着かせていた。離婚し環境が変わり、自分に心境は様々な方向に振り向いた。家計を大きく圧迫した塾の授業料。字の書き込みすぎで黒くなる手の平。全てを無駄にしない。いろんなことがあったが、最終的には高校受験で落ち着いて欲しかった。電車のドアを閉じるエアーが抜ける音で開く乗降口を出る。そのエアー音は、僕の受験開始のホイッスルだったのかも知れない。

 受験終了後、自宅に帰宅すると前日まで参考書に目を通していた跡がそこにはあった。後の祭りのようにその部分はまだ受験が残っているように感じた。死ぬ気で勉強したこの時期はきっといつか自分を変えてくれると信じていた。

 塾は他校とは比べられないほど厳しい部分もあった。宿題の量も講習の数も大量だった。スケジュールは完全自己管理。そしてこの一つの講習にはお金がとても掛かっている。緊張し続けた環境下はストレスが溜まりそうだが。僕には苦しい思い出よりも楽しかった方が勝っていたのだ。確かに長く苦しかった。しかしここまで自分を追い詰めたことが無かったため新たな可能性が見えてきた。昔から勉強苦手だった自分はクラスでも「バカ」的存在だった。決して嫌だった訳ではない。しかし反面その周りからの言葉が自分の可能性を消していたのかも知れないと、振り返るとそのように思うことがある。恥ずかしい話をするならば、中学の生徒会に憧れを抱いていた時があった。しかし当時の担任には

「お前は周りの事よりも自分の事を済ませなさい」

何気ない担任の言葉は今でも残っている。今思うと確かに中学の僕には厳しい部分が多かったかも知れない。

 悪く言えば「バカ」というレッテルが残った中学生活が幕を閉じ、もうすぐ高校生生活が始まる。自然と不安はなかった。僕は決心していたのだ。

“自分の限界を見てみたい”

中学ではリーダーのような経験は少なかった。強いて言うなら修学旅行の委員会の委員長になったくらいだった。自分がどこまで出来るのか「バカ」のレッテルが無い今は何でもできる。決してしっかり者ではないため、メリハリがある人。これになりたかった。

 高校入学後、クラス役員を決める事になった。いろんな係りの中に「学級委員長」的なクラスのリーダーがあった。僕はここに焦点を当てた。クラスのリーダーなどそんな経験はどこにもない。しかし初めて会う顔ぶれ。失敗はしても取り返すチャンスはいくらでもある。

 無事にクラスのリーダーになれた。これからリーダーとしての自覚を持ち信頼される人になろう。

 普通の小説ならばここで失敗が入るはずだかが、嬉しいことに大きな失敗は無かった。話としては面白くないが、一つ確信した事がある。しようと思えばこんな自分でもリーダーが出来る。と

 これに確信ついた自分は念願の生徒会に入部した。いい先輩方に個性的な同級生。楽しく日々を過ごし、更に自分の得意分野を目指し兼部という形で放送局にも入学し、僕一人の放送局を支えている。自分の生活を支えてくれている母親。これ以上の負担はダメと思い、自分の交通費や遊ぶお金は自分で稼ぐためにアルバイトも始めた。将来、何でも出来るようにと思い、様々な資格取得を目標にし、危険物からパソコン関係と多種多様な資格取得を目指した。クラス代表として「バカ」ではいけないと思い。勉強に関しては相当無理をした。専門的な勉強は楽しかったが、普通科目は相当な苦労を掛けて点数を伸ばした。特に苦手科目の数学に関しては最初赤点だったころから一年で3倍近く伸ばす事に成功した。専門科目では最終的に一つの科目において念願のクラス1位になることも出来た。

 今の自分は頭のいい高校から見ると必死にもがいている高校生に過ぎないだろうが、同じ学力の人から見ると頑張っているように見えるはず。

 数年前の自分と照らし合わせる事をすると、泣けてくるのだ。離婚の話が出て、先が真っ暗だった自分を優しく支えてくれる母親。きっと離婚が無ければ普通の高校生のように思春期によって反抗的な態度をとる年頃だろう。しかし僕の場合はこの環境では反抗的な態度など出ることが無かった。受験勉強のストレスでの反抗も自分自身で怖かったが母親の支えによって、感謝しかなかった。今の自分は昔からの夢の為に、今できる最大限の事をして母親を喜ばせることしかない。期末試験は高得点目指しながら、多数の資格取得に生徒会に放送局にアルバイト。一見多く見えるが、全て大好きな事だ。好きなことならどれだけやっても苦しくない。逆に苦しさは心地よさに変わることもある。きっと将来立派な労働者になれそうだ。自分。


 あの頃両親が離婚しなかったら。家があのままだったら、あの塾に入学しなかったら、あの友達に出会わなかったら、今の高校を知らなかったら。

そんなことを思うと怖くなることがある。でも今の選択は間違ってない。そう感じている。

 彼女なんていなくてもリアル充実しています。好きなことが出来ています。

母子家庭だけど、苦じゃないです。さ、今日も頑張りますね。


皆さんお久しぶりです。鈴木湊です。

最近小説書いていないな。とふと思ったため久々に帰ってきました。

1年前はいろんな方に目を通していただけた作品も時間が経ってしまい、現在はただネット上を漂流しているだけの作品になりつつありますね。(笑)

音ゲー大好きマンから鈴木湊に改名した後でも一定数は見て頂けているのは本当に嬉しいです。飽き性な私は定期的にYouTubeにハマったり、また小説を書いたりとアクティブなことを沢山しています(笑)

文章力は落としてはいけないと察しましたので投稿する所存です。


今回の内容についてですが、正直に申しますとノンフィクションです。ここ数年の僕、鈴木湊の生活事情をただ文字に起こしただけです。内容自体は面白くないと思います。勢いだけでキーボードの上に手を滑らせていただけですから。しかしきっと僕のように一苦労掛かっている家庭もあるんじゃないかなと思っています。

私の小説は私年齢と近い方が多く見て頂けてるのですが、一応焦点を当ててる年齢層は20歳から39歳程。です。

何故そのような年齢を対象としているのかと申しますと、学生時代の感情は大人になるにつれて忘れるとよく耳にします。僕の小説を読んで辛い学生の話や、本当は打ち明けない心の中の葛藤。これが書きたいんです。僕の文書力だとまだまだですが(笑)

逆に学生の皆さんが私の小説を読んでどのような感情を持たれるのでしょうか。大変気になります。

是非感想をお寄せください。


ではまた次回の作品で。

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