#平等とは
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<平等(びょうどう、英: equality)とは、偏りや差別が無く、みな等しいこと>
男女平等が叫ばれている。
ここ数十年で女性は飛躍的にその権利の及ぶ範囲を広げてきた。
男尊女卑はもはや過去の出来事となりつつある。
女性だから寿司を握っていけないなんてことはないし、女性だからと選挙に落選することもない。
少なくとも世間的にはそうなっている。
ならば。
女性は男性に近しい権利を得た。
ならばその後には何を望むのだろう。
人間とは絶えず欲望する生き物だ。あればあるだけのものを欲し、なければ創造しようとする。
私に言わせれば、人間という生き物の行動は極めて利己的な考えの上に成り立っている。
労働(ここでは将来的な利益のための行動をそう呼ぶ)は未来の自分の為のものだし、例えばボランティアなどはその活動をしている自分に価値を見出し、周囲の人間から尊敬を集めたいという考えが奥底にはある。
おおよそ自らの欲求するものを手に入れた女性のうちの一部は、さらに多くのものを手に入れようとしている。平等ではなく、有利を。権利ではなくタガの外れた自由を求める。
今までは自分たちが虐げられてきた。これからは自分たちの番であると、目的を平等な権利から制限のない自由へと変える。
もはやそこに崇高なる思想など残されてはいない。ただ剥き出しの欲望のみが存在する。
禁煙が叫ばれている。
研究の結果煙草は人体に有害であると判断され、喫煙者を狭く殺風景な箱に押し込めるばかりかその喫煙室でさえ減少している。はたしてこれを平等とは言えるのだろうか。公共の福祉という大義名分の下、権利を剥奪してはいないだろうか。
確かに煙草の煙はその周囲まで影響を及ぼす。喫煙、禁煙席を分けるのは理に適ったことだ。喫煙室を設けるのは実によいアイデアである。しかしながら、禁煙者の為喫煙室をなくすというのは間違っている、と思う。数少ないゆとりの場を奪われる所以はない。
吸わない権利があるとすれば吸う権利だって当然ある。この場合少なからず迷惑をかけているのは喫煙者側であるので、喫煙室を探す。が見当たらないではまるで話にならない。日本の喫煙者は現在27%である。ならば席全体の2-3割は喫煙席にすべきではないだろうか。互いに迷惑をかけないため、それくらいの気遣いは必要ではないだろうか。
平等とは一つの理想である。理想は実現しえないから理想なのだ。実現できないとわかっていても人を引き付けるのが理想というものである。皮肉なことに、理想を追い求めた結果理想から遠ざかろうとしているのが現状だ。
今一度立ち止まり、熟考してはどうだろう。急いだところで理想なんて実現しない。ゆっくりとでも確実に進むことは、少なくとも現状よりずっと良いことではないだろうか。