第七話
自動で開いたタクシーの扉から外に出た楓に『声』は素っ頓狂な声を出して尋ねた。
『えぇ?ここって全然まだ学校じゃないでしょ?何でタクシー降りちゃうの?』
ドライバーからトランクを受け取った楓は少し笑いながら返事をした。
「学校まではタクシーでは行かないわ、電車で行くのよ。でもまず、ここに来なければいけないみたいで……」
『……ジュエリーショップにぃ?』
『声』がどこか不満そうに漏らした通り、楓の目の前には高級宝飾店が佇んでいた。久代から入学案内とともに受け取った白い封筒にはこの店の住所と、ある店員の名前、そして「必ずここで必要な物を揃えること」と言う文字が記されていたのだ。
「ここで何を揃えなければいけないのかは分からないけれど、とにかくお店の方にお話を聞いてみましょう」
『ちぇー、僕は早く学校に行きたいなぁ』
タイルの床と白い壁の高級感漂う店内にトランクを引いて入り口から入ってきた少し場違いとも言える楓を迎えたのはスーツをきっちりと着こなした一人の女性店員。もう一人、店の奥に男性の店員がいたが、彼は他の客と話をしていた。楓は手の空いている彼女に声をかけることを決める。
「あの、9月から稀代高校に入学する者なのですが……」
「……はい?」
顔には表れていないが、店員は確実に微妙な反応をした。楓にはそれがどこか、店員の目が母がよく楓に向けた蔑むような目と被って見えて胸の奥が少し傷んだ。
しかしここで食い下がるわけにもいかない楓は、封筒の中に入っていた紙を見せながら続けた。
「それで、この……高橋さん……という方にお会いしたいのですが……」
「……申しわけありませんが、そのような名前の者は当店にはおりません」
店員の感情のない声に楓は再び怯んだ。どうすればいいのか分からず突っ立っていることしかできない楓に『声』は尋ねる。
『その高橋さんがいなかったらどうしようもないんじゃないの、楓?もういいじゃーん、早く学校行こうよー』
楓が困っているのを全く気にせず自分の希望を訴え続ける『声』に楓は心の中で頭を抱えた。そんな中、楓は他の客の会話の話題が自分のことであることに気づいた。
「……今あの女の子が言った稀代高校って、確か魔法使いの学校じゃなかったか?」
「魔法?……って本当に存在するの?私、噂や都市伝説程度にしか思ってなかったわ」
「それが本当らしいぞ。ただなぁ、俺たちにはよくわからないものだし、なんだか気味が悪いよな」
そんな会話とともに投げかけられる視線に楓は動けなくなる。中指の紋様を背に隠しながら、楓は客の言葉に心がえぐられるような気持ちになっていた。二人の客の言葉と恐怖心を含む視線は楓に柚を思い出させ、胸が締め付けられるような思いがするのだった。
客の会話を耳にしてか、男性店員が楓に近づいてきた。胸元にある名札には「店長 吉井」と書かれている。何か言われるのかと緊張を高めていると、店長は女性店員を自らが担当していた客のところへ行くように促した。そして楓に声をかける。
「お客様、奥のお部屋にご案内しますね」
「あ、あの、私……」
楓は自分が何か悪いことをしてしまったのだと思い慌てた。高貴そうな店の中で客の気分を損ねるような発言をしたのだ、何か叱られるのかもしれない。しかし吉井は楓が手に持つ白い封筒をちらりと見てから、小さな声で囁いた。
「稀代生さんだね。大丈夫、僕がここの指輪売りだから」
楓には『指輪売り』の意味がわからなかった。そもそも宝飾店なのだから彼が指輪を売る人物であるのは当然である。しかし彼が楓を否定したり蔑むような意図があって話しかけてきたのではないことがわかり胸をなでおろした。
「さあこっちへ」
店の一番奥の壁まで楓を案内した吉井は扉のノブに手をかけた。扉は店内の壁と全く同じ白い色をしていたので、楓は彼がノブを回すまでそれが扉であることに気づかなかった。
店長は重そうに扉を押し開け楓を中に通した。先ほどまで楓がいた真っ白で高級感のある部屋とは打って変わり、少し埃っぽく、木材の床のあちらこちらに段ボール程の大きさの木箱が床に散乱したり積み上げられたりしており、いかにもバックヤードというような部屋だった。
『うわー、すごいよ楓。こんなにたくさん石がある!』
「石……?」
『声』に反応した楓の声に、楓の前を歩く店長は振り返った。思わず手で口を覆った楓に少し首を傾げて、しかし笑って声をかけた。
「そうだね、これは石だ。でもどれも、後には宝石と呼ばれる石ーー、原石だ」
そう言って吉井はいくつもある木箱の内の一つの蓋を開けた。中には様々な色をした石が所狭しと入っていた。
部屋の奥まで進むと学校にあるような机と椅子があった。楓はそこに座るように勧められ、戸惑いながらも着席する。頷いた吉井はもう一つの椅子をどこから引っ張ってきて、楓の目の前に座った。
「さっきは気づけなくてごめんね。僕が指輪売りの吉井です。さっきの店員は多店舗からのヘルプの子で魔法関係には疎い子だから学校名じゃ分からなかったんだ。申しわけない。で、今日は調整?新調?」
口を開くなりさっそく接客を始める吉井にたじろいだ楓はどうにか聞きたいことを言葉にして発した。
「あの、吉井さん、私高橋さんにお会いしたいのですが……。それと、何を買えばいいのかわからずにここに来てしまったのですが、私がここに来たのは指輪を買うためなのでしょうか……?」
楓の質問に少し驚いたような顔をした吉井だったが、すぐにまた微笑んで返事をした。
「驚いた、高橋は僕の本名だよ。もしかして君、新入生で、しかも久代さんにここを紹介されたんじゃない?……やっぱり。新入生なら石を見たときのあの新鮮な反応にも納得だ。……それにしてもあの人はどうしていつも本名で紹介状を出すんだろうなぁ」
首を傾げながら頭を掻く吉井、もとい高橋に、楓はきょとんとした。では名札に書いてある吉井という名前はなんなのだろうか。そんな楓の疑問に答えるかのように吉井でも高橋でもある男は説明を始めた。
「指輪の説明よりも、まずは名前だよね。僕ら魔法使いは社会に出るとき、偽名を使うんだ。悲しいかな、魔法ってのは世間にはあまり良い目で見られていない。中には僕たちが頭のいかれた連中だと思っている人も多くいる。だから社会に出ている魔法使い、特に魔法に関連する職に就く者は他人の中で本名と魔法が結びつかないように偽名を使うんだ」
そう言いながら高橋は椅子から離れ、壁に沿って山のように積まれた木箱を吟味し始める。高橋に気を取られていた楓は宙に浮いた小さなテープメジャーがひとりでに楓の右手中指を測っていたことに驚き目を丸くした。指を測り終えたメジャーは高橋の元へ飛んでゆき、彼の手にぽとりと落ちた。驚いた目のままの楓と目が合った高橋は笑った。
クッキーの缶程の大きさの木箱を持って高橋は楓のもとに戻ってきた。目の前に置かれた箱の蓋が開かれ、顔をのぞかせたのは綺麗に並べられた数十個の指輪。指輪の色や模様はそれぞれ異なり、一つとして同じものはない。赤、青、緑と鮮やかな物もあれば灰がかった色や黒、楓の持ち合わせる言葉では言い表せない色をしたものもあった。
『うわあ、綺麗だねぇ……』
大きな宝石のついた宝飾品とは異なる美しさを持つ、丁寧に磨きあげられた石の指輪の数々に『声』はうっとりしたような声を出した。
「これが指輪。さっき見た木箱に宝石の原石が入ってただろう?あの原石のうちの宝石になれないような色が薄いものなんかを魔法使いが使う指輪の材料に回すんだ。これが無いと魔法のコントロールがとても難しいから魔法を使うには必須の道具だよ。紋様のある指にはめて使うんだ、こんな風にね」
高橋は制服の一環である白い手袋を外してみせた。彼の左手の親指には楓の中指と同じように刺青のような紋様があるが、そこには濃淡が混じった茶色の石の指輪がはめられている。魔法使いには杖ととんがり帽という固定概念がどこかにあった楓は目をぱちくりとさせた。実在する現代の魔法使いは指輪で魔法を使うらしい。
「お客さんの中指にはたぶんこのサイズで合うはずなんだけど……って、思い出した、まだお名前聞いてなかったね。それに学年は?新入生って言うと小学生が多いんだけどそんなわけないだろうから気になってしまったんだけれど……」
高橋の質問に楓ははっとした。人前での礼儀には厳しく育て上げられたはずだったのに、どうしたことか名乗ることを忘れていた。初対面での無礼に申し訳なさと恐れを滲ませながら楓は名乗った。
「永井楓、高校一年生です。名乗り遅れて大変失礼いたしました……」
立ち上がり、机に頭がつくのではないかというほどに頭を下げた楓に高橋は呆気に取られた。しかしすぐに我に返り、長い黒髪に隠れてしまった楓の顔を上げさせようと声をかける。
「高校生だったのか……!と、顔を上げてくれ、永井さん。僕が君に話す隙を与えなかったのが悪いんだ、申し訳ない」
責める様子のない高橋の声に少なからずほっとする楓に『声』はあっけらかんとした態度で話しかけてくる。
『なんで楓も高橋さんも謝るの?誰も悪いことしてないのに、変なのー』
くすくすと笑う『声』に楓は内心溜息をつきながら、一方で高橋の表情を窺いながら恐る恐る顔を上げた。そんな楓を見て高橋は話題を指輪の話に戻すことにした。
「さあ座って、本題の指輪だよ、永井さん。まあ天然石だから何かの拍子で壊れてしまうことはあるかもしれないが、魔法を使うときには君のパートナーになるものだ。好きなものを選んでってくれ。学費と同じく指輪の費用も学校持ち、国持ちだから直感でこれだと思うものを手に取っても大丈夫だよ。まあもともと宝石にはならないような石だ、飛び切り高いものでもないからどちらにせよ値段を気にする必要はないさ」
高橋の「好きなもの」という言葉に楓は戸惑った。彼女の人生の選択はそれまで母と祖母のものだった。衣服や日用品から進路に至るまで、何から何までもがそうだったのだ。好きな色もないし直感のようなものを感じることができず、ただただ綺麗に整列した指輪たちを見つめることしかできない。
先ほどと変わらず暗い顔のまま指輪を決めかねている楓を見かねた高橋は、彼女の経験やエピソードから色やイメージを引き出すつもりで質問を始めた。
「そうだなぁ……じゃあ、永井さんはどうやって自分の魔法の力に気づいたのか教えてくれないかい?指輪を決めるヒントに、君のことをいろいろと聞きたいんだけれど……」
高橋の質問に楓は様々なことが起こった昨日を思い出した。そうだ、昨日は柚と会える最後の日だったのだ。昼休み、4人の男女と話す柚を建物の陰から見ていた。しばらくしてから柚の前に飛び出し、4人と対峙する。ふと見上げると浮かんでいた弁当とクッキー。驚き恐れる目をする4人と震える柚の声ーー。
そこまで思い出して、楓は頭を軽く横に振った。高橋の質問に答えなければ。指輪を決めかねている自分に時間を割いてくれている高橋にこれ以上失礼なことはできない、と楓は重い口を開いた。
「……つい昨日、物を浮かばせたんです。それまで魔法の存在は授業で習った程度でしか知りませんでした。私自信物を浮かばせるつもりはなかったし、どうやったのかも未だに分かりません。……でもそれを見た友人を、私にできた初めての友人だったのですが、彼女を酷く怖がらせてしまいました」
うーん、と高橋は思わず心の中で唸った。魔法の発現は遅くとも中学生までに起こるのが一般的であり、ほとんどが遺伝的なものなので驚くこともさほどないはずなのだ。しかし高校生が他人の前でとなると、認知の薄い魔法は怪奇現象のように見えてしまうのも分からなくもない。さらに友人の前でとなれば双方に大きなショックがあったのだろうと高橋にも想像ができた。
しかし、目の前で俯いている少女は稀代高校に行き、魔法と向き合うことを選んだのだ。その決断には大きな葛藤があっただろうと高橋は予想した。魔法の存在を授業でしか知らなかったのならば、彼女の身近な人の中には魔法使いがいないということだろう。魔法や稀代高校への家族の反応はどうだったのだろうか。友人を故意ではないとはいえ怖がらせてしまい、離れると決めたときにはどんな思いをしたのだろうか。
そこまで考えてから、高橋は楓に優しく話し始めた。
「うん、ありがとう永井さん。辛い話をさせて申し訳なかった……。でもこれでここにある指輪から候補を絞ることができるよ。君にとって稀代に行く決断は大きなものだっただろう。その歳になって魔法をと向き合う覚悟をし、新たな道を進む君にふさわしい意味を持つ石にしよう」
そう言って楓の前に並べられた指輪は三つ。鮮やかな青緑色の指輪、深く濃い青の指輪、透き通った飴色の指輪。
「さあ僕が手伝えるのはここまで。もしかすると永井さんは物を選ぶのが苦手なのかもしれないけれど、魔法を使うのに重要なものだから指輪は自分で選ばないといけないんだ。何度か試しにつけてみてもいいよ」
三つに絞られた今でさえまだどう選べばいいか分からなかった楓だが、ひとまずそれぞれを紋様にある指に通してみた。高橋の言っていた通りどれもサイズはぴったりだったが違いは感じられなかった。魔法を使うのに必要不可欠なものならば適当に選ぶこともできないことが分かっているがゆえに、余計にどのように選べばいいのかが全く分からなかった。
『そんなに悩まなくたっていいじゃないー。僕ならえいやって選んじゃうな』
三つ目の指輪をテーブルに置いて楓は小さくため息をついた。『声』ほどに気楽になれたらどれほど生きやすいのだろう。そう思って楓が気を抜いた時、三つの指輪が少しずつ机の右端に動いて来ていることに気づいた。教室で机の上にあるペンが落ちる時と同様に、指輪が勝手に落ちようとしているのだ。
「しまった……!」
売り物の指輪を落とすわけにはいかないという必死の思いで楓は右手を伸ばす。そしてーー
『おお!ナイスキャッチ、楓!』
「……危なかった…………」
椅子から腰を浮かし、ギリギリのところで楓はどうにか指輪を右手の中に収めた。しかし、ゆっくりと開いた手の中に収まっていた指輪が二つだったことに楓は青ざめる。残り一つはどこに行ったのだろう。
「な、なんで指輪がひとりでに落ちたんだ……?指輪は机の真ん中にあったし、僕も君も魔法は使っていないのに……」
あたふたとする高橋に楓は事情を説明した。もう一つの指輪を掴めなかったことも同時に謝罪する。
「魔法ではないんですけど、私、なぜかよく物を落とすんです……。本当に申し訳ありません……。しかも三つあったうちの一つを受け止められなくて、どこに行ったのか……」
今度は楓があたふたとしたが、高橋は一度ぽかんとした後、声を上げて笑った。
「大丈夫だよ永井さん。君はちゃんと三つ受け止められたみたいだ、よく見てごらん」
高橋の言っている意味はわからなかったが、楓はもう一度自分の手を見た。掌には受け止めた指輪が二つ。それ以外には何もない。しかしーー
「えっ……」
『えー!こんなことってあるの?ふふっ、すごいすごい!」
楓の中指に残りの一つ、青緑色の指輪が収まっていたのだった。