表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
語らいの魔女  作者: 風凛
7/12

第六話

 しばらく黙って俯いていた楓にとって引っかかっていたのは、珍しくどこか寂しさを帯びて放たれた母の言葉だった。普段から母に叱られるのを避けるために深追いはしない楓だったが、その珍しさについ尋ねてしまった。


「不幸になるだけ……。お母様は、魔法で何か不幸になったことがある……、ということですか……?」


 楓の質問に、母は嘲るような笑いで返事をした。そして絞り出すように、憎しみを込めた声で語りだした。


「楓、考えればわかることでしょう?魔法は人を不幸にする、呪いよ。ええ、あの男は『魔法使い』だった。でも魔法が実在するなんてことは学校で学ぶくらいで、世の中での存在は薄いわ。……そんな魔法を自分は使えるんだと打ち明けられた時にはあの男をお医者様に連れて行こうかとも思ったものよ」


 楓の母は堰を切ったように昔話を始めた。過去の話を嫌う母が、しかも今まで一度たりとも触れてこなかった父について語りだしたことが楓は信じられなかった。


「そして段々とあの男は狂っていった。始めは独り言をぶつぶつと言うくらいだったのが、少しずつ暴言を吐いたり暴れるようになったわ。そしてついには自分の部屋に引きこもって出てこなくなったのよ。私は健気にも毎日食事を運び、扉の前から声をかけ続けた。でもある日、急に部屋から出てきたと思ったら『ごめん』と言って出て行ってしまった。それっきり。それ以来音沙汰はない、失踪届を出しても見つからない。あの男は逃げた。さんざん家庭をめちゃくちゃにした後にね。きっと夢か現かに存在するかも知らない魔法に呪われたんだわ。私たちもね」


 楓は呆然とするしかなかった。久代が来てからたびたび父の存在を口にするときの態度から、何かトラブルがあって離婚をしたものだと思っていたが、実際は父が失踪したから今はいない、ということになる。小さかったから覚えていないのも当然だろうとでも言うように笑う母は言葉の矛先を楓に向けた。


「あなたも同じよ、楓。今まさに不幸になっているじゃない、魔法のせいで」

「……え……?」


 楓の反応に呆れたような顔をして母は続ける。


「あなた、魔法を使ったんでしょう、他人の前で。あなた、もうその子には会えないって言ったじゃない。相当怖がらせたんでしょう?」


 返す言葉が見つからない。母の言う通りだからだ。


「つまりはね、あなたはあの男と同じことをしたのよ。その子を怖がらせて、その子も、あなた自身も、不幸になっているわ。あなたが自分の魔法なんてものに気づかなければ、使わなければよかったものを……」

「……っ」


 楓は自分自身に悔しさを感じた。自分がなぜ魔法を使えてしまったのかは分からないが、あのとき柚のもとに行かなければこんなことにはならなかったのかもしれない。いや、そもそも彼女と仲良くならなければよかったのか……。


 そこまで考え俯いた楓を見かねてか、『声』が楓の母には聞こえない声で反論しようとした。


『別に楓は友達を怖がらせるために魔法を使ったんじゃない。楓は……』


 しかし母は『声』を遮るかのように楓に畳み掛けた。


「魔法だけじゃない。楓、あなたはあの男の意気地なしをも受け継いでいるわ。今、あなたはお友達を怖がらせたことを理由に逃げようとしている。魔法に侵されて、家族から逃げたあいつと同じ。自分が追い詰められれば他をどうでもいいと放って、愛さないのと同じよ……!」


 歯を食いしばり、母は叫ぶように言った。母のある言葉に引っかかった楓を気にせず、少し落ち着きを取り戻してから言い放つ。


「あなたが私の言う通りにしたくないと思っているのも、逃げているのと同じよ。正しい選択から逃げている。あの男と同じでいいのね。愛を嘘にして、逃げて、呪いに身を染めるのね?」


 楓はうつむいたまま、動かない。誰も話し出す気配を見せない。静寂が部屋を包む中、楓の頭には母の放った言葉が繰り返し響いていた。


 あの男は逃げた。魔法は呪いだ。意気地なし。どうでもいいと放って、愛さないのと同じ。全てあの男と同じーー


「……お母様」


 そう母を呼んで、楓は顔を上げた。その顔には決意が滲んで見えた。


「お父様がどんなお方だったのかは知りません。でも私は……、柚ちゃんのこと()()()()()()なんて思ったこと一度もありません」


 予想に反した言葉を発する娘に、母は返す言葉が見つからなかった。楓は続ける。


「柚ちゃんが言ってくれたように、私も彼女のことが大好きです。初めての友人に持つこの感情、これが愛なのか、私にはわかりません。ですが酷く怖がらせてしまった後でも、私は彼女のことを好きだと迷うことなく言えます」


 目を閉じて短く息を吐きだした楓は、柚との日々を思い出しているようにも見える。


「……でも私の存在で柚ちゃんの日常を脅かしたくない。その思いは変わりません。柚ちゃんにあんな表情(かお)をさせてしまった私に彼女に会う勇気も、資格もありません。だから私は、稀代高校に行きます。彼女を好きだと思うから、彼女が怯えることなく学校に行けるように……」


 久代と母は同時に目を見開いた。楓は今、自身で決断を下したのだ。少し焦りのようなものを感じながら、母は楓に反論する。


「……それは、結局逃げているのではないの?それなら、あの男と何も変わらないわ」


 楓の様子をうかがう母。いつもならば反論されると委縮してしまう楓が今日に限って揺るぎない目で自分を見つめてくることに、母はどこか恐怖を覚えた。


「……逃げません。私は稀代高校に行って、そして絶対に帰ってきます。柚ちゃんを怖がらせたりしない、私になって。もうあんな顔二度とさせたくないから……」


 そう言って楓はペンを手に取った。彼女が名前を書くために選んだ書類は、希代高校のものだ。


「……お母様。確かに私は何度も自分の思いから逃げてきました。辛い思いをしたくないから逃げて。叱られたくないから逃げて。環境のせいにして逃げて。何かをやってみたいと思うことそのものからも逃げてきました。だから私は……、私自身から逃げない選択をします」


 名前を書き始めた楓に母は、ただ動揺することしかできなかった。それは楓が決断を自身で遂げたことへの動揺であり、自分の思い通りにならなかったことへの落胆、娘が憎き呪いへ身を投じようとしていることへの漠然とした不安でもあった。姓を書き終えて、自分の名を書くだけとなった楓はもう一つの理由を母に明かした。


「それにきっと魔法からは逃げられない。お母様の言う通りに留学をしてもきっと……、いずれ向き合わないといけない日が来る。そんな気が、したんです」


 そう言ってふと、楓は久代を見た。久代は何も言わず、静かに頷いて見せた。


 楓は震えを抑えながら、紙に自分の名を書いた。最後の一画を書き終えたとき、楓は自分の右手が紙にひっぱられるような感覚に陥った。驚いて思い切り腕を引くと楓の名前が書かれた紙が宙に巻きあがった。風の吹いていない部屋を、まるで喜んでいるかのように飛びまわる紙に目を見張る母と娘に、久代は微笑んで声をかける。


「……お父様も一度、その書類に触れていらっしゃいます。そのときに、楓ちゃんが名前を記入すれば動くように魔法をかけたようですね」

「お父様が……?」


 再び優しく頷いた久代は続けた。


「十年以上もかけた魔法を維持するとなれば大変な代償が伴うので、もともとはここまで大きく飛ばす魔法では無かったのでしょう……。つまりそれは、楓ちゃんとお父様の魔力で浮いているのだと思います。魔法が発動したことに気づいて、楓ちゃんの決断をお父様もどこかできっと喜んでいらっしゃいますよ、きっと」

「わ、私は何も……!」


 再び無意識に魔法を使ってしまったのかと青ざめる楓だったが、視界の端にいた母を見てはっとした。満足に飛べたのか、元居た場所に戻って動かなくなった紙を見つめ、一粒の涙を流していたのだ。


「お母様……、どうしてーー」

「……泣いていないわよ」


 頬を伝って落ちた雫を認めない母はソファから立ち上がった。客間の扉を開き、楓と久代に背を向けた。どうすればいいのかわからずに黙ったままの楓に母は独り言を言うように呟いた。


「行きなさい。決まったことはやり遂げなさいと、そう教えてきたでしょう」


 そう言って出て行った。


 母が出て行ってしまった扉から、楓は目を離すことができなかった。久代が楓の名前を呼んでようやく楓は扉から視線を外した。


「楓ちゃん」


 久代は楓に近づき、隣に腰を下ろした。


「自分で逃げずに決められたね。本当によく頑張ったわ」


 そう言った久代に頬を触られたときに初めて、母と同じように、しかしもっと酷く涙を流していたことに気づいた。


『最長記録だったね、楓がお母さんとお話しした時間。珍しくって聞き入っちゃったよ。でもなんで泣いてるの?』

「なんで私泣いてるの…………」

『楓もわからないの?!そりゃ僕にもわからないわけだよ……』


 いつまでたっても止まらない涙と『声』の反応になぜか笑いが込み上げてきた楓は、笑い声とも嗚咽ともとれるような音を口から出した。楓から手を離した久代はクスリと笑って楓に問いかける。


「なんて言われたの?」


 予想外の質問をされた楓は驚き、久代の顔を見た。少しずつ涙が引いてゆく。


「ふふ、びっくりして楓ちゃん泣き止んじゃった?声は聞こえないど、音は聞こえるの。鈴をやさしく鳴らすような音。楓ちゃんにはちゃんと声に聞こえるんだね」


 にっこりと笑って楓の手を取った久代は、急に何かを思い出した顔をした。


「いけないいけない。もう稀代に来るって決めてくれたんだから入学案内渡さないとね」


 そう言った久代から数ページにわたる「入学案内」と書かれた冊子と白い封筒を受け取った楓は案内をぱらぱらとめくった。そして再び驚く。


「稀代高校……、寮なんですね」

「うーん、通いでも行けなくはないかもしれないけど……、片道3時間とか、もっとかかるかもね」


 それを聞いて、うっ、と声を漏らした楓は苦笑いで入寮を即決した。


「寮……入ります……。確かに授業でも人里離れた場所って言ってました、学校があるのは……」


 楓の反応にけらけらと笑う『声』。久代はまるでそれが笑い声として聞こえているかのように微笑んだ。


「いつ寮に入ろうか?楓ちゃんの準備が整って、二学期が始まるまでならいつでも大丈夫だけど……」

「明日……と言ったら早過ぎますか……?」


 楓は恐る恐る久代に尋ねた。もともと留学に行くための用意はできているので荷造りの必要はないのでいつでも出発できるのだ。初めての大きな決断が揺るがない前に言ってしまいたかったのも混ざっている。楓の希望に嫌な顔一つせずに首を縦に振った。


「大丈夫。こうやって自宅を訪問してるのは学校側の準備ができてるときだからね。ほとんどの生徒は帰省し始めてるだろうけど……、友達作るためにって早く入るって感じじゃなさそうだから大丈夫だね。うん、じゃあ明日寮に入るってことで連絡しておくよ」


 立ち上がって楓に手を差し出し、握手を求めた。楓も立ち上がり、しっかりと久代の手を握る。


「これからも大変なことはきっとたくさんある。新しいスタートラインを切ったのにまたすぐ、なんてこともあるかもしれない。でも楓ちゃんなら大丈夫。自分から逃げないって決めたもんね」

「……はい。ありがとうございます」


 がちゃ、と扉が開いた。楓のカバンを持った久保がそこには立っていた。


「失礼致します。おやお客様、もうお帰りですか?」

「ええ、今日はもう一軒お邪魔しなければならないお宅があるので……」


 そう言って楓の手を離し、扉の方へと歩いてゆく久代に楓は深々と頭を下げた。


「本当に……ありがとうございました」


 楓の声に白いスカートと長い髪を靡かせて振り向き、久代は笑顔で手を振って見せた。手を振り返すのもどうかと思った楓は再び頭を下げた。



 *



 翌日、楓は当初アメリカに持っていくはずだったトランクを横に、自宅の前でタクシーを待っていた。久保も楓のすぐ横に立ちタクシーを待っている。楓の母はトランクを持った楓と玄関で目を合わせたきりだが、久保が見送ってくれるらしい。


 久保の手には楓が柚に綴った手紙がおさまっている。何も言わずに柚のもとを去ってしまえば、それこそ逃げたことになってしまうと考えた楓が、一枚の紙に転校すること、必ず戻ること、そして怖がらせてしまった事への謝罪を書き収めたものだ。必ず届けましょうと久保は約束した。


 間もなく到着したタクシーにトランクを乗せた久保に、楓は深々と頭を下げ、感謝を述べた。にこにこといつもの笑顔を崩さない久保に、楓はひとつだけ質問をした。


「……久保さん。昨日学校から走って帰ってきた私を見て、どうして私が魔法を使ったんだと分かったの……?」


 楓の質問を聞くや否や、久保は再び昨日と同じようににやりとした表情をした。


「魔法を使った後は残り香のようなものがするんですよ、楓さん」


 そう言って久保は右手の白い手袋取った。何の変哲もない、歳を重ねた男性の手……。しかし彼の薬指には黒い紋様が浮かんでいた。


「え……?!」

「さあ、運転手の方がお待ちですよ。たまにはお手紙お書きになってくださいね。お返事書かせていただきますので」


 さあさあと久保に背を押され、楓はタクシーに乗り込んだ。少しにやりとした顔を残しながら優しい笑顔をした久保は見送りの言葉を口にした。


「楓さんなら、きっと素敵な魔法使いになれますよ」


 久保が楓のカバンを取り行く前に言った、あのとき楓には聞こえなかった言葉だった。楓の頭は混乱したままだったが、タクシーの扉は閉まり、走り出してしまった。


 いたずらっ子のような目をした久保が楓が乗る車を見送りながらひらひらと手を振っている。どきどきと高鳴る鼓動は久保が明かした秘密のせいか、新しく始まり広がっていくであろう世界への気持ちのせいか……。握った右手を胸に当てた楓を見てか、『声』がくすくすと笑った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ