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 2『二十四時間前』③

「……お連れいたしました」


 別人の皺がれた声で、ミケが扉の向こうに告げた。やがて独りでにゆっくりと扉が開き、淡い明かりが帯になって広がる。

 明かりの奥は、扉の様相から想像できる通りのがらんどうの広間となっていた。

 幾本もの柱に支えられた丸いアーチを描く天井は、アルヴィンが十人いても届きはしない。


 広間全体は、磨かれた白灰色の岩石でできている。空調機器なんてものを知らない石造りに吐いた息が白んだ。煌々と明かりが焚かれていたが、しかしそれでも、かつての栄光より積年の闇が強く空間に残留していた。

 奥にある玉座のような台座に、裸で跪いて星図を描いた巨球を抱えた巨神アトラスの像がある。その頭上には一つきりの小さな天窓があり、夜闇らしき黒雲の空が透かし見えた。


 先ほどの食事は、朝食ではなく夕食だったのかもしれない。いつしか地下の牢獄で時間の感覚を失くしていたのだろう。いや……『失くすように仕向けられていた』のか。


 明かりの中で改めて、アルヴィンは語り部の顔を下から一瞥した。その痩せこけた男かも女かも分からない顔は、一滴の涙も情の名残りもない別人のものだ。先ほどこれと涙を流したことが、目を開けて見た夢のように感じる。

 人の気配を感じない。広間にいるのは、呼吸をしているのは、アルヴィンと姿を偽ったミケだけだと断言できる。




「……ああ、よく来た」


 しかしその人物は、アルヴィンの目線の先に立っていた。


「お会いできて光栄です。アトランティス末裔の子。アルヴィンよ」


 広間に同化している白灰色のローブ。銀と黒の糸で縁取りと意匠を施された布を引きずって、持ち上げた指の先まで同色の手袋に覆われている。背面に伸びる長い影と白い床とのコントラスト、広間全体の高い天井と、その灰色に溶け込む肌を晒さない衣装のせいで遠近感が掴めず、ひどく大きいようにも、幼児ほどに小さいようにも感じる。

 まったく気が付かなかった。アルヴィンは唇を噛む。

 ローブの下で、『それ』が笑う気配がする。広げた腕を緩慢に引き寄せ、胸の前で拳を握り、『それ』はうっとりと震えた。


「アア……なんてこと……その淡い金の髪……望月のごとき青銀の瞳……そっくりだ。『これ』ならば間違いない。四人目で『当たり』が来ました」



 ……四人目だと?



「兄上たちはどこにいる……」

 一度口を開いてしまえば、身体を包んでいた恐れなど簡単に吹き飛んだ。

「この国の人間に指一本でもかけてみろ……! 」

「ほう。顔さえ似ていれば良かったが、その気概、兄弟を想う心も、より完成度が高い」


 アルヴィンに向かって、音も無く手を打ち叩く『それ』。


(話が通じない……! )


 纏わりつく違和感が気味の悪さとなり、さらにそれが恐怖の膜になって再び忍び寄る。「ここはどこだと思う? 」唐突に、それはアルヴィンに問い、自分で解答した。


「墓場ですよ」ローブの下の影が笑う。


「王城の地下、アトラス王家の古えの墳墓……とはいっても、アトランティス王国では火葬したあとの散骨が慣習でしょう? なんでも、人は水から生まれて火に還るとかで。この国の神話では、今の人類は炉から取り出された土塊から創造されたとかで……。ここはアトランティスの皇帝のためにある斎場。儀式のための『墓場』。肉体は火にくべられ、材料たる土に還り、魂はこの『場』にある……そういう名目の『墓場』……けれどここに魂が宿るというのなら……それで十分」

「アトランティス王国……? ここは今、フェルヴィン皇国だ。アトランティスは……そんなのは……神話の時代の名前じゃあないか」

「ふむ。そういえば今はフェルヴィンというのだったね。いつのまにか使う言語も変わっている。……まあいい。時代は変わる……しかし、すべての枝を辿れば根に集束するように、ここに遺骸が無い事実が君の不運。あれば君の出番は無かったのだが……まあいい。良い材料が手に入った。それが私は喜ばしい」

「何が目的だ? 兄上たちに会わせろ! 」

「目的? ……準備ですとも。魔女との古えの誓約。この世を創造した神々の試練を果たすがため。世界を改変するための前準備! 」


 大きく腕を広げ、『それ』は天を仰ぐと、裾を翻して広間の中心で踊るように回った。



「神々の試練に挑むのは、蘇りし『死者の王』―――――」



 謳う。



「神の怒りに触れたアトラスの国アトランティス。地の底、タルタロスに沈んだ魔女の墳墓より、雲海を抜けた天空の神殿へ――――鉄の世代の今こそ、魔女と神々の約定が果たされる! 」


 けして大きな声ではない。しかし広大な広間に反響したそれが、アルヴィンの肌に凍みて粟立たせていく。その膨れ上がる恐怖の殻に穴をあけたのは、やはり隣に立つミケの存在である。口を噤み続けていたミケが、偽りの姿で口を開いた。

「……『魔術師』様。恐れながら、いささか口が過ぎましょう……我らが崇高な目的を、これに教えている暇はございません」


 ローブの下、見慣れたミケの黄金の瞳。その視線だけが、アルヴィンを現実に引き上げる。考えろと言ってくる。


「いや、いや、私はこれにもっと抗ってほしいと思っているのですよ。誇り高きアトラスの民……神々の末裔ともっと語らいたいのです。しかし、そろそろ潮時か……」また音も無く、手袋の手を打ち鳴らして『それ』は宣言した。

「儀式を始めます。さあこちらへ、皇子さま」

「歩け」


 ミケが後ろから肩に手を充て柔らかく押す。温度の無い手。しかしミケの手だ。

「……時を待つのです」

 アルヴィンは項垂れるふりをして頷いた。


(……大丈夫。ぼくは必ず生き延びる――――)



 しかし、そのミケが言った。

『現実は物語のように脚色されない』と。

 両手を広げた『魔術師』を中心にして、溶けだした氷像の姿を逆再生したように、何もない床から『それら』は現れた。

 アルヴィンとミケを囲むように、『魔術師』を入れて五人―――その姿は。

 その場に現れた四人の男は、まるで息を吹き返したように、背中を丸めて咳き込んでいる。見慣れた姿。息をしている。


 ――――生きている!

「――――兄さん! 父上……っ! 」



 踏み出そうとしたアルヴィンの腕を、ミケが強く引いて留めさせる。

 腕を拘束され、血の気が引いて憔悴した様子ではいたが、傷らしい傷は見当たらないことにまずアルヴィンは安堵した。フェルヴィン王家の男たちは幼い末のアルヴィンを除き、皆立派な体躯をしている。その中でも、野性の熊を思わせる体の大きな男が最初に息を整えて顔を上げた。長兄・グウィンは整えられた髪が乱れ、眼鏡もかけていない。髭が伸びた姿はずいぶん野性味を増してはいるものの、赤銅色の瞳の奥に湛えられた理知的な輝きは失われていなかった。



「ゴホッ……ア、アル……? 」

「……アルだとっ! なんで! おいってめえ、その汚ねえ手を離せ! 」



 三兄のヒューゴは、四日前に見張りに歯向かって連れて行かれた。やはり疲れは見られるが、父や長兄に比べれば動けそうだ。虚弱体質の次兄、ケヴィンはなかなか息が整わないが、淡い金髪の隙間から強い視線がこちらを向いている。問題は、誰より長く拘束されていたはずの父。ぐったりと項垂れたままの皇帝・レイバーン・アトラス。



「……どういうことだ」


 斬首刑を待つ囚人のように首を垂れたままの皇帝が、獣が唸るような声を発した。



「息子らに何をさせようというのだ……! この身一つで、貴様らの目的は達せられたはず! 何を考えている! 」

「貴方がたは大切な大切な材料です。でも……そう。少し、数が多いかな。皇女と末の皇子と……あとは一人いれば、アトラスの末裔はこと足ります」

「ほざくな……! 」


 凪いだ泉のように静かな父の激昂する姿を、アルヴィンは初めて目にした。父の裸足の足の裏は泥で汚れ、襟に垢が染みている。レイバーンが過ごしたこの七日間は、息子たちとは比べ物にならないものだったに違いない。それでもレイバーンは皇帝であった。折れぬ剣たるフェルヴィンの王であった。五人の息子娘たちの父であった。囚われの皇帝は足枷の鎖を引き摺りながら立ち上がる。『魔術師』はじっと、人形のように立っていた。

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