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 2『二十四時間前』①


 フェルヴィン皇国。


 多重海層世界第20海層。国土面積約900㎢。平均気温24度。首都はミルグース。総人口は90万人ほど。

 荒涼とした海に囲まれた弓なりに細長い島国で、ゲルヴァン火山から為るフェルヴィン山脈が形成する起伏の激しい土地。

 いくつもの希少な金属が出るために、鉱山と鍛冶細工の国として知られる。魔法使いの生活の必需品『魔法の杖』もまた、このフェルヴィンから掘り出される魔銀を纏わせて完成する。魔銀は魔法使いの持つ魔力をよく通し、その形を千差万別、個性と意志にあわせて変える。神話では、これらの金属は魔女の遺骸から生まれ出でた副産物だという。


 気候は慣れれば過ごしやすいと云われる。四季の移り変わりは激しくない。

 激しい海風が山脈にぶつかることで成る気流により、分厚い雲が常にかかり、そのせいで日照時間が極端に短く、陽が出ても黄昏時を思わせる陽光が斜めに差し込むだけ。

『魔法使いの国』以上に閉鎖されたこの国は、かの国に倣うかたちで留学制度を採り入れ、もともと優れた職人が多いこともあって、ゆるやかに、しかし確実に、近代化が進んでいる。


 フェルヴィン人は背が高く、蝋のように白い肌と、故郷の黄昏の空を映しとった髪と瞳、何より特徴的な長い耳を持つ。

 薄暗い国だけれど、その国民性は穏やか。温泉と読書の時間を何より好み、空想好きで、試行錯誤を苦にしない。


 神話では、神々が天上へ鍵をかけたあと、魔女と共に安息の地を捜し歩いた罪人や、流民たちが興した国とされる。実際近代の研究でも、フェルヴィン人の先祖は様々な人種が入り乱れたものだと証明がされたそうだ。


 神秘と秘密に彩られたフェルヴィンは、御伽噺の妖精になぞらえて『エルフ人』とも、その鍛冶の腕と穴倉のような住処を指して『ドワーフ氏族』とも称される。

 現皇帝の名はレイバーン・アトラス。背が高くしっかりとした体躯は、空を穿つ槍のごとき杉の木を思わせる偉丈夫である。


 昨年還暦を迎えた皇帝には、五人の若く健康な皇子と皇女がいた。



 ✡



 長兄のグウィンが連れて行かれて、もう五日は経っただろうか。

 アルヴィン・アトラスは、もうすっかり慣れてしまった寝台で、壁に向かって横たわりながら考えた。


 次兄のケヴィン、その下のヒューゴ兄も、死刑囚が順番に椅子に座るように、ベットとテーブルだけのこの窓のない部屋からいなくなった。残ったのは長女のヴェロニカ、末のアルヴィンの二人きりだ。


 今年三十歳になる姉は、長く兄弟の母親代わりを務めたためか、男勝りで気が強い。そんな彼女が泣き腫らす様を見たのは、父の後妻であるアルヴィンの母が死んだその日、一度きりだった。小さな子供のように身体を丸めて、十六も年の離れた弟の背中に張り付いて眠る姉を、さてどうしようかと壁に向かってアルヴィンは考える。


 生まれた順番でいくなら、姉は次兄の前に連れて行かれているはずであった。姉と抱き合って怯えた数日前が嘘のようだ。『おそらく明日は自分だろう』と思い当たると、不思議と頭がすっきりと凪いで落ち着いている。

『怒りと悲しみほど消耗するものはない』と以前読んだ本で主人公が言っていたが、なるほどその通り。並みの男よりタフな姉がこんな様子なのだから、自分は疲れ切ってしまったのだと思う。


 助けが来るなどという期待は捨てていた。

 そもそも、皇太子を含めた王族が、こうして王城の地下に監禁されているのだ。

 こうも易々と国の中心が押さえられていて、誰が助けに来られるというのだろう。

 ――――こういう時、ジーンとコネリウスならどうするのかな。

 何度も読んだ伝記小説を思い出し、アルヴィンは深く息をつく。


 ジーンとコネリウス。


 先代皇帝であるジーン・アトラスと、その双子の弟コネリウスの青年期を描いた伝記小説だ。国を飛び出し、各国を旅してまわったという二卵性双生児の見聞録は、近代の王族伝記の中で飛びぬけた人気を誇る。


「……ミケ。ミケ、いるか、ミケ」


 壁紙の白い花に向かって小さく呟く。その壁の向こうからは、見慣れた姿が顔を出す様子はない。


「やっぱり駄目、か……」



 フェルヴィンの王族には、代々独特の慣習がある。

 その人生が終息した後、その一生を脚色した『伝記』が国家予算で発行されるのだ。


 伝記を書くのは、本人ではない。『語り部』と呼ばれる王家に仕える『意志ある魔法』……つまり魔人の一族で、その系譜は遡ると、神話の魔女の使い魔にあたるらしい。彼らは王族一人につき一人現れ、生まれた時から死ぬその瞬間まで一刻一秒を克明に記憶し、伝記を書き上げる。彼らは丸い耳と黒い髪、黄昏の瞳を持ち、あのゲルヴァン火山の真っ黒な煙のように現れては消えるが、常に離れることはない。過去、何らかの力で彼らを宿主から遠ざけたという話も聞いたことが無かった。歴代のあらゆる伝記を読みふけったアルヴィンが断言するのだから、間違いない。


 姉の語り部であるダイアナも、アルヴィンのミケも、もちろん兄たちの語り部だって、この部屋に監禁されたその日から見ていない。


 語り部は、主となるものの誕生と同時に生まれてくる。そして死のその瞬間までを語り部は見届け、記録に残す。ミケもまた、アルヴィンが産まれた瞬間に誕生した。生まれたその日から、眠りにつくときには必ず隣にミケがいたのに。


「いないと静かなものなんだなぁ……」


 壁に向かって呟いた声に、返事はなかった。




 おそらく六日目の朝が来た。

 ドアが開くのは一日にきっかり三度。朝食を運んでくる深い緑色のローブの何者かは、必ず食事が終わるまで扉の脇に直立で張り付いている。ヴェロニカは、朝食が終われば奴がアルヴィンを連れて行くことが分かっているので、小鳥が啄むように口に運ぶ。四日前、食事を突っ返して反抗したヒューゴ三兄が、引きずられるように連れて行かれたことは記憶に新しい。


 一口ごとに毒を飲むような顔で食事を進める姉を前にして、アルヴィンは食器を置いて立ち上がった。


「……アルヴィン」


 ヴェロニカが、優しく垂れた眦を釣り上げて弟を見る。いつもの弟たちを叱りつけるときの表情だったが、ひどく青ざめて、頬骨のラインが頭蓋そのものの形を思わせるほどに強張っている。白く握りしめられた手の中で、握った銀食器がぐにゃりと曲がったことにアルヴィンは仄かに笑う。本来の姉は、肉体的にも精神的にも兄弟でいちばん強靭な人間だ。


「姉上。ぼくに任せて座っていて」


 姉が見上げてくる。噛み締めた唇から血が滲んでいる。ぶるぶると体を震わせて、彼女は冷たく燃え上がる怒りの衝動に耐えていた。

 王族は、しかるべき時に死ぬことも役目であると知っている。


 もしかしたら……最悪のことを考えるのなら……皇女である姉は、生き残らなければならない。父も兄もいないかもしれない今、もしもがあるなら幼い末皇子よりも、三十年、国家に尽くす一族として、素養を磨き続けた皇女が生き残るほうが混乱も少ない。


 いや、とアルヴィンはそれらをすべて、自分で否定する。違う。自分には、そんな崇高な思惑は無い。自分はただ、アルヴィン・アトラスという存在が煩わしいだけだ。


 長男、グウィンは熊のような大男。二十三まで従軍し、世界有数の名門ゲプラー大学に留学し、博士号を取った文武両道のひとである。長女、ヴェロニカもまた武道を究め、地質学で十分すぎる成績を取った。次男ケヴィンは体が弱いが数学に造詣が深く、同じく博士号を取っている。三男ヒューゴも粗野なふるまいで軽く見られるが、天才肌の男で、独学でやっていた彫刻や絵画で評価されている一方、大概のスポーツに手を付けている。


 ここ二十年の下層世界では、それなりの家庭の子息なら、他国への留学が当たり前になっている。アルヴィンもまたその一人であり、兄弟で初めて発生した落第者だった。


 フェルヴィン人の多くは、先祖に多くの民族が混ざった結果、背が高く耳が長く色白で端正な顔立ちで、しかし決して虚弱ではない。見た目以上に頑強で生命力が強く、少しだけ長生きだ。それは、先祖に交じる獣人や巨人、あるいは、上層世界にある国『コクマー』に今もいるという龍人の血がそうさせる。アルヴィンの四人の兄姉も例外ではない。


 ――――そう、例外はアルヴィンだけなのだ。


 つい三か月前、一年ともたずに留学先から逃げ帰ったアルヴィンに、兄や姉は優しかった。

『兄姉はみんな十七を過ぎてから留学に行ったのだから』と。



(でも僕は、父の期待には応えられなかった……)



 祖父のように年の離れた父レイバーンは、何も言わなかった。事情を尋ねるでもなく、優しく慰めるでもなく、叱咤するでもない。

 当たり前だ。ほとんど会話などしていないのだから。


 百年に一度ほどの頻度で、フェルヴィン王家には『先祖返り』と呼ばれるものが産まれるという。体が小さくて生命力が弱く、短命。アルヴィンの前は、かの前皇帝であるジーン・アトラスだったが、彼には卓越した勇気と才能があり、四十年と少しという普通の半分以下の人生で、世界に名を遺す英霊になった。


 アルヴィンは、父が言葉少なに留学を勧めてきたとき、初めて父に与えられたチャンスだと思ったのだ。あのゲルヴィン火山が吐き出す煙のように、天を衝くほどの意欲がわき上がってきたのを感じた。それが半年ほどで消費しつくされ、枯れた意欲は負債となり、自分の中のいろいろな感情を削った挙句、アルヴィンは赤ん坊のように泣いて帰った。


 父はさぞ落胆したことだろう。兄姉だって、やがて離れていくかもしれない。そんなことはありえないと自分で否定してみても、疑惑の声は同じところから湧き出てくる。『ほんとうに? 』『まだ一度。でも失敗は何度まで許されるかな? 』

 もしかしたら父は、期待からではなく、そもそもアルヴィンが疎ましいから遠ざけようと留学の話を持ってきたのかもしれない。


 アルヴィンは兄弟で一人だけ母親が違う。面差しは姉に似ていると言われるが、もっと似ている人がいるのも知っている。


 アルヴィンは、若かりし頃のジーン・アトラスに似ているのだ。

 前皇帝は、フェルヴィンに多大な貢献をした。ジーンが夭折したのち、皇帝となったレイバーンの苦労は計り知れない。堅物の現皇帝が、破天荒だった前皇帝を疎むのもおかしいことではない。父は、きっとこの貌が嫌いなのだろう。同じ貌をしているくせに、たいして役にも立たないから、余計に疎ましいのだ。

 ああ、それなら、顔を合わせる気が無いのも辻褄が合う。


 アルヴィンの精神にのみを入れたのは、十ヶ月の異国生活ではない。その後、ほんの一瞬、廊下ですれ違った時に向けられた、実の父の眼差しだった。

 だからアルヴィンは、自分から扉をくぐることにした。

 そう、自分は幼いから……蓄えた力がこんなにも小さいから……役立たずだから……。


 だからせめて、自分の足で、扉を開けることにした。

 アルヴィンの思う英雄には程遠い行いだけれど、きっと後の世で称賛を浴びる行為になることを夢想して、立ち上がった。


(この苦しみを利用しよう)


 アルヴィンは薄く笑う。笑うことができた。


(今の僕が役立てる最善。兄さんたちを生かすためなら、どんなに情けない命乞いだってできる。今以上の屈辱は無いんだから……)


 傍らに並んだ見張りの、蝋細工のように冷たい骨ばった手が、アルヴィンの両手首に触れて真鍮の手錠をかけた。








 だから私は、その瞬間に、誓約を忘れることにした。



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