1『九月三十一日 15時』②
さて、この世界の物語は、『混沌の夜』というものから始まる。
二陣営に分かれた神々の戦争により、一つの大きな大地だった世界は二十の地に分割され、太陽や光を司るあらゆる神々は幽閉。永遠の夜が続いていた。何年も闇の中で二十の大地を巡る壮絶な陣取り合戦が繰り広げられ、地上は雨と氷に覆われて、あらゆる作物は枯れ果て、人間の文明は崩壊する。
そんな滅びの道を歩んでいた人類のもとに一人の魔女が現れ、戦争に一石を投じた。彼女は次々と神の中に協力者を得ていき、彼らを率いて戦争を終わらせ、地上には太陽が戻ったのだ。神々は照らし出された地上の惨状に嘆き、二度とみだらに地上を乱すことはしまいと大地を天上にある楽園の門に鍵をかけた。
地上に残ったのは人々と動物たちだけ。
やがて人々は神の名前を忘れて、それから三千五百年。
魔女が最初に降り立った土地。
それがこの『魔法使いの国』。世界で唯一、魔法が使える人種『魔法使い人種』が産まれる地。国民は魔女の子孫であるとされ、世界中が認める聖地なのだ。
くわえて、霧雨と森から成る肥沃な大地と温暖な気候、島国という独立性、そこで育まれた技術―――神話の中の未知の力『魔術』。
そりゃあ鎖国するでしょうともってもんで、六百年『魔法使いの国』は閉ざされた。
上層世界から押し寄せてくる産業革命。武器の発達。物流の改革。波に乗る各国に圧されるかたちでの開国後『魔法使いの国』は、好奇心旺盛な国民性でばりばり留学を繰り返した結果、学者や研究者を多く輩出することとなる。開国百二十年目の現在、『魔法使いの国』は、牧歌的な歴史ある街並みが、観光客に人気の永久中立国である。
え? 上層世界って何だって? まぁ、それはおいおい。
「……ふーん。やっぱり、こいつら外国人だな」
サリヴァンは、下着に縫い付けられていた旅券をボクに差し出した。
「バッチイからいらない。どこの人? 」
「フェルヴィン皇国」
「おんなじ中立国じゃん。平和だし、テロリストのイメージは無いけどな」
『フェルヴィン皇国』は辺境も辺境、世界の端にある小国で、魔女が最期を過ごした国といわれる。同じく聖地だけれど、ゲルヴァン火山を中心とした険しい自然に覆われていて、辺境ゆえに国交ひとつにも莫大な費用がかかる。そのため、何もしていないのに何百年もほぼ鎖国状態だった国だ。
始まりと終わり。同じ魔女ゆかりの土地ということで『フェルヴィン』との仲は上々のはずだけれど……?
サリヴァンは、難しい顔で考え込んでいる。そういえば彼の曾祖父は、大恋愛の末に押しかけ婿となったフェルヴィン人だということを思い出した。
「……きみのひいお爺さんに関係があると思う? 」
「まだわかんねえな。とりあえず店に戻ろう。……店の近くだったらいいけど」
そこは倉庫らしく、滑車式の大きな鉄扉だったが、下の方にひとり出入りできるだけの大きさの、鉄板をくり貫いたような扉がある。見張りを警戒して、どんなに星のない夜でも目の利くボクが斥候として外に出た。目に刺さるのは、赤と金色と黄色。肌に触れるのは、とびきり暑い日の雨上がりのような、仄かに温かい外気。
ボクは、指先で瞼を揉む。
「……ジジ? ジジ、どうした。何かあったか? 」
いつまでたっても戻ってこないボクに痺れを切らしたサリヴァンが顔を出す。
「ああ……いや、なんにもないよ。ないない。ありえない……」
諸君。ボクは、語り部として描写を訂正しなければならない。
外には、赤く火口を爛れさせた墨色の尖った火山があった。
ボクらは、その火山に連なるささやかな山脈の丘陵のひとつにいるようだった。
真っ黒なインクを溶いたような雲が幾重にも重なり合い、そのわずかな隙間を縫って、朱色を溶かした金色の陽光が、帯になって差し込んでいた。光はモノクロの世界を飴を透かしたように、とろりと甘そうな金に色付けている。
輝く輪郭を持った長大なゲルヴァン火山は、さながらこの小さな島国に君臨する王冠だ。なだらかに背の低い木々の梢や、建物の屋根もまた、金色をした永遠の黄昏の陽に輝いている。
「なんじゃこりゃあ! 」と、眩い金色と黒の景色に目を剥いてサリーが言った。
ボクらは知っている。かつて人々は、その場所に様々な名前をつけた。
第20海層の先。たそがれの地。地底の国。魔界の底。魔女の墓。
魔女の墓守の子孫である『魔法の加護を受けしもの』が治めるド辺境国家。
……ああ、読者諸君。ボクの間違いを訂正しよう。
「いつのまにか海を越えてたみたいだ」
神代の時、人々は、神の怒りに沈んだアトランティス帝国の名残り。それを奈落……『タルタロス』と蔑称した。世界が切り分けられたあと、奈落の門を開いた魔女が、『奈落』を『出会い』を意味する言葉で塗り替える。
その地。名をフェルヴィン。
これは、やがて空の果てのさらに先へと至る物語。
ボクらの旅はここから始まる。