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 1『九月三十一日 15時』①


 世界がゆらゆら揺れている。

 滲む視界は水溜まりの中にでもいるようだ。波紋状に光が歪んで、サリヴァンの瞳を覗き込んでくる。

「うう……」

 呻いた瞬間に、舞い上がった砂埃が鼻孔に入る。



 ギュシュンッ



 自分が出した大きなクシャミの衝撃で、サリヴァンの意識はようやく地上に舞い戻った。冷たい地面を身体の下に感じている。口から零れた唾液が顔の下を濡らしていた。冷え切った体を縮めてみて、腕が背中で縛られていることに気が付き――――サリヴァンは胸中でため息を吐いた。



 サリヴァンの足元、コンクリートの地面に、西日らしき黄色の光が差している。人ひとりぶん開けたところに、飼い葉のブロックが積み木のように重ねてあるため視界は遮られていたが、その向こうにさざめく波のような人の気配がした。

 サリヴァンは、積もった砂埃の上に片耳を敷くように頭を転がし、目を閉じた。

 薬の類は使われていない。体の痛みは、固い地面に転がされていたためだ。

 誘拐犯たちは歩き回っておらず、汎用品のパイプを組んだ折り畳み椅子の脚や地面に、組み替えた足が当たったり擦ったりする音がする。


 話す言葉は潜められて聞き取れないので、共犯関係以外に聞かれてはまずい類の楽しい話をしているのかもしれない。この状況で、『人質に聞こえるかも』なんて考えている以上、それだけの余裕を相手は持っている。また、『人質』に聴かれて漏れる可能性を考えているということは、自分を殺す予定は『今のところは』無いと見ても良いだろう。

 ……というところまで考えて、サリヴァンはまたため息を吐いた。吐いた息で砂埃が舞い上がり、顔を地面に押し付けてクシャミを殺す。


 憂鬱だ。

 なんせ、職場では一番の下っ端の身分。どれだけ絞られるかと気が重い。

 サリヴァンは唾液で湿った猿轡の下、押し込められた舌をどうにか動かして、小さく言葉にならない声で「何か」を呼ぶ。


「……うぅっ。ううぅー……ううぅ………」


 うつ伏せになった腹の下、地面の黒影が、無数の虫のごとく蠢く。それは粘的に地面へと体積を伸ばし、やがてそう経たないうちに、人影の姿を取った。黒影は立ち上がり、伏せるサリヴァンに語り掛けながら、冷たい床へ横たわる背中に腰掛けて足を組む。


「うぅうー」

「ヒヒヒッ……ずいぶん無様な恰好じゃないか。ねえ? 坊ちゃん」


 継ぎの入った灰色の帽子、擦り切れた裾の黒い上着から、枝のように細いふくらはぎから続く白い裸足が覗いている。浮浪児そのものの姿をして、『それ』は帽子の隙間から僅かな肌と、三日月形に歪んだ瞳と唇を覗かせた。



「ううぅーっ! 」

「お困りのようだね。ボクをお望み? 」


 ✡


 さて読者諸君。キミたちも現状把握をしよう。

 彼はサリヴァン。ライト家の長男坊として生まれ、六歳から杖職人に奉公中。今年で一七歳になる青年である。

 ここは『魔法使いの国』。

 これは正式に一国家を示す名前として、世界各地の首脳施設に記録されている由緒ある国名だ。

 暦が始まる以前、ここに魔女が降り立った。その時から『魔法使いの国』は現在まで存在する。


 魔女は人々に、魔術を血脈というかたちで与え、海の果てに去っていった。以来、ここは『魔法使い人種』が生まれてくる唯一の土地である。

 第18海層の中心、エルバーンの島国。雲が多い気候のせいで、夏はぼんやり涼しく、冬にはぼんやり寒い。日暮れが早く、夜が長いのがお国柄だ。

 例にもれず、サリヴァン少年も魔法使い種。『魔法の杖』の老舗工房、『銀蛇』の奉公人の身分であった。


 そして『ボク』は、そんな彼の陰に潜むもの。……『魔人』と人は謂うけれど、別に魔法のランプに潜むわけでもない。

 自由気ままに享楽と平穏を望む質量無き昼行燈。

 そんなボクの名は。





「―――ジジ! 」





 猿轡から自力で抜け出したサリヴァンは、青筋を立ててボクの金の瞳をまっすぐ睨んだ。声に気が付いた飼い葉の向こうが騒がしくなる。

 舌打ちをしたサリヴァンは、身体をよじって陸に上がった魚のように跳ねてボクを振り落すと、鮮やかに縄を解いて立ち上がって見せた。うなじで束ねられた長い赤銅色の毛束が、尻尾のように跳ねて背中の上をうねる。刻まれた縄は、ばらばらと長虫染みた物体となり、拘束の用をなさなくなった。


「ボクはいらないんじゃない? 」

「いるなら使うに決まってんだろ。ほら来るぞ! 」


 飼い葉の影から顔を出したのは、どれもこれも屈強な体格の男たちだった。とくに特徴のない旅装を纏っていたが、やけに身綺麗だ。旅疲れしている様子もない。彼らはもはや言葉を隠さずに交わしている。どうせ分からないという腹積もりだろうし、実際、どこか耳に覚えのある単語を連発するものの、意味まではわからない。


「……ねえサリー。こんなおじさんたちに攫われる心当たりは? 」

 サリヴァンは少し考えて言った。

「心当たりは三通りくらいあるかな? 」

「三つもあるの? ばかじゃない? 」

「……そういうお前は? 」

「二十四通りそれぞれに、黒幕を三パターンくらい予想できるかな? 」

「ばっかじゃねえの? ちっとは日頃の行いを改めろ」


 男たちは声を上げ、ボクらを囲むように素早く動いた。全部で五人。ナイフを取り出し構える仕草にも淀みはなく、『組織』としての熟練度を感じさせる。服装に統一感はないが、明らかに訓練された兵士。しかし銃器のたぐいを取り出さないということは、サリヴァンの予想通りあちらはボクたちに最低限の怪我しかさせたくないらしい。


 サリヴァンはニヤリと笑う。

「おれは、三つが二つに絞れた――――っかな! 」


 サリーの脚が、積まれた飼い葉を強く蹴った。

 ボクは一拍遅れて床を蹴り、サリー二人分の高さにある飼い葉の上に足を付ける。とうぜん倒れつつある飼い葉は、ボクの体重まで支えきれないままに落下する。

 飼い葉の壁が崩れたと同時、ボクは壁の向こうにいた『立派な身なりの紳士』の羽がついた帽子を蹴り飛ばし、現れた禿げ頭を踏みにじってより高く跳んだ。ずっこけた紳士の姿に、兵士たちが動揺する。


「アハハ! サリー! きっとこいつが親玉だよ! 」

 兵士たちが、空中でコマのように踊るボクを指差して何かを叫んでいた。


「―――どうせ魔法なんて大した事ねえ、相手は杖職人のガキだって思ってたんだろうけど……」


 その視線を奪うように、サリヴァンが口を開いた。左足を前に一歩、地面を擦りながら踏み出す。



「……ザァンネンだったなあ」



 歯を剥き出した獰猛な笑顔。振り上げた左手には、一振りの銀色の刃。刃渡りは男の上腕ほど、濡れたように輝く惚れ惚れするほど美しい銀色の片刃のダガー。

「残念ながら我が国の最高の『魔法使い』ってのはな……杖職人なんだよォ……」

 敵は、「バカな!? 武器なんて持っていなかったはずだぞ!? 」というような感じで動揺している。そんな可哀想な誘拐犯たちを一笑して、ボクは蝙蝠のように天井にぶら下がって目と耳を塞ぐ。



 『魔法の杖』を、その輝く刀身を、サリヴァンは一閃――――。


「――――今だ『銀蛇』! ぶっぱなせ! 」



 閃光。爆音。そして暴風。

 きっと彼らは、気を失う寸前に思ったはずだ。

『とんでもないものを誘拐してしまった』。


 まず誘拐できたことを褒めてあげたい。


 このご時世である。この誘拐犯たちも、火薬を扱うことがあるだろう。だとすれば、おそらく彼らはサリヴァンを爆弾魔だと思ったろうから、眼が覚めて破壊のあとが無いことに驚くに違いない。ただの目潰しの魔法も、鼓膜が破れるほどの爆音と風があれば、『爆弾』を知っている頭は『爆発』だと誤認する。魔法使いが外国人向けにブレンドした安全性ぴかいちの魔法なのだ。


 サリヴァンは、着々と白目を向いて折り重なる男たちの身ぐるみを剥がしにかかっていた。追剥ではなく、敵の身分や目的を探るためと、彼らに傷を負わせていないかの確認だ。肌に傷があれば簡単な治癒の呪いをかけ、豚をさばく肉屋みたいに、サリヴァンは男たちの裸をコンクリートの上に量産していった。

 極悪非道で知られるこの魔人の眼から見ても、おそろしくトラブル慣れしている行動力だ。



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