10『役目』①
やあ。サリヴァン。ずいぶんと久しぶりな気がするね。まだ三日と経っていないというのに。大活躍だったじゃあないか。杖を通してしっかり見届けたとも。
可愛い弟子の大舞台だもの。鍛え上げた甲斐があったというものだ。
……そう。確かに。『死者の王』とやらは、魔法使いなら誰でも良かったようだったからね。わたしは知っての通り、店を空けるわけにはいかないから、ヒースに頼んで、少し手回しをお願いしておいた。あの人浚いの卑劣漢にどこかの可哀想な子供が攫われるより、お前を放り込んだほうが結果、良かっただろう?
……ふむ? ク=ソババ=ア……それは何だ? 暗号か? 分からんな。怒っているのか?
……え? 説明義務?
したところで、お前の悪い癖が出るだろう。自覚が無いようだがね、お前は後ろ盾を意識すると緊張するタイプだ。場を整えられて、『さあやれ』と言われると、いらぬ気を使って目の前のものに集中できなくなる。反論はあるかな?
それにお前の身分を全て明かしたら、姫君はお前を単身で城へやったりしなかっただろう。お前の出生が曖昧だからこそ、お前は自由に動けた。よくやった。
『教皇』を戴いたそうだな。……おまえ、さだめを拒絶したね? だから倒れたんだ。莫迦なことを。『教皇』のさだめは世界で二十二人しか選ばれないものの一つ。……何を膨れている。胸を張りなさい。
しかしわたしは、お前ならば必ず選ばれるだろうと思っていたよ。若く、技術があり、胆力があり、勘も良い。資格が揃っていた。お前は自分が思っているより、ずっと可能性のある子だよ。
……莫迦だね。サリー。またそんなことを言って。もしもなんて話をしちゃあいないだろう? 結果を見なさい。お前はわたしに選ばれ、貴族の地位も捨てて十年以上のしごきと秘密を抱える重圧にも耐え忍んだ。
たまには他人と比較して、自分の行いを自画自賛したっていい。お前以外の誰が、あの場で皇太子を戴冠させられたというんだ。普通の十七歳は、その前のアルカナ兵で殺されている。過ぎたる謙遜は傲慢だ。お前を選んだわたしの眼すらも疑うのか?
お前、気が付いていないようだけれど、『教皇』は初めてお前が血筋に囚われず選ばれた役目なんだぞ。
『皇帝』『女帝』は高貴なるものの仕事だが、『教皇』は行いによって選ばれる。いつの時代だってそういうものだ。お前は自分の行いで『教皇』に選ばれた。
誇りなさい。サリヴァン・ライト。わたしの弟子。
あとは皇子たちを連れてわたしの元へ帰ってくるだけだ。そうすればもう少しゆっくりできる場所で休むことができる。
気を抜いてあまり大きな怪我はしないように。教えたい仕事はまだまだ残っているのだからね。お前は教皇である前に『銀蛇』の跡取りだ。それも忘れるんじゃあないぞ。ジジにもそう伝えなさい。あの子の好きな、角の肉屋の特製シチューと裏の総菜屋のところのフワフワの焼き魚を用意して待っていると。
……ああそれと。
さっきの馬鹿げた暗号については、覚えておくことにしたよ。ふふふ……具体的には、作法についての補習授業だ。さて、ワルツでも踊ってもらおうかな。だって、いつか必要になるかも分からないしね。
わたしは褒めるときは大盤振る舞いだがね、甘やかしたりはしないことにしているんだ。堕落の道だからね。
まあ、せいぜい覚悟して予習しておくように。
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羽毛の詰まったシーツの感触がある。
「あンの……クソババア……」
呻いてサリヴァンは重い瞼を持ち上げた。
「……眼が覚めたか? 」
ベット脇で船を漕いでいた次男のケヴィン皇子が、そう言ってサリヴァンの顔を覗き込んだ。慣れた手つきで目蓋や眼球の色を見て、脈を計る。
「どこか痛いところや違和感はないか? 」
「ケヴィン皇子には医学の心得が? 」
「いいや。医学の本は愛読しているがね。もとから色々なものの仕組みを考えるのが好きなんだ。ただの趣味で得た雑学でも、無茶をする弟がいると役に立つ」
青い瞳が眼鏡の奥で細くなる。身体が弱いケヴィン皇子は、高い身長に痩せた体、青ざめた頬やガラス越しの目元、薄い唇と尖った顎を持っている。パーツで謂えば兄弟の中でもヴェロニカ皇女と一番よく似ていて端正な顔立ちの優男だったが、人が受ける印象は皇女の持つ柔らかなものとは真逆だった。
しかし、印象は印象だ。他の兄弟を見てしまえば、この次男坊も、見かけ通りの人物では無いと分かる。
「重いのは頭だけ。寝不足の感覚だ。でも前よりずっと良い」
「動けそうか? 」
「首から下は調子がいいですよ。奇妙に軽いくらい……何かしましたか? 」
「寝かせていただけだ。ベッドで休めたのがよかったんだろう」
「ここは? 」
「最初に僕らが閉じ込められていた部屋だ。見つけられて良かったよ。君を寝かせることができた」
その時、大きく地面が揺れた。重機の駆動音によく似た音も、断続的に遠く聞こえてくる。
「……この音は? 」
「アルヴィンが暴れている。ここから講堂は近いらしい。まったく困った弟だよ」
ケヴィンは嘆息する。上掛けを跳ね上げて床に足をつけたサリヴァンは、立ち上がった皇子の腕で静止された。
「……サリヴァン・ライト。手出し無用だ。ここで僕と兄たちの帰りを待ってはくれないか」
「ヴェロニカ皇女とお約束しました。必ず殿下たちを助けると」
「分かっている。しかし君は十分にやってくれた。兄上が『皇帝』になれたのは君のおかげだ。……意地なのだよ。これは。兄として、息子として、王としての」
瞳を床に伏せたケヴィンは、眼鏡のツルを押し上げてサリヴァンを見た。
「休むことも、待つことも。それもまた戦いだ。……君はそうは思わないかね? 」
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熱が脳を蕩けさせる。乾いた眼球は景色を歪め、纏わりつく熱気はねばついて離れない。すべてが蜃気楼のように薄っぺらで頼りなく、ここがどこかも分からなかった。それでも体を動かせるのは、胸の内に、何よりも熱い激情の嵐が吹き荒れているからだ。強い怒りと喪失感。体の奥にぽっかりと空いた穴は、焼け爛れてひりひりと痛み、掻きむしりたくなる疼きをもって苛む。さ
さまざまなことを忘れていることをアルヴィン自身も分かっていたが、それすらも意識しないと忘れてしまう。
この穴を埋めたい。
ここにもともと在ったもの。奪われたものを取り戻したい。
そうすれば、自分はもっと楽になれるはずだ。
蕩けた脳みそから膿のように染み出る渇望が、アルヴィンの肉体を闘争へと駆り立てる。
『あれ』は『それ』を持っていると思った。あの『青い騎士』と、目の前の『青い老人』。どちらも一目見たときから記憶を叩く存在だった。
『青い騎士』はほとんど口を開かなかったが、『青い老人』は違った。自分の叫び声(と、その金属音をアルヴィンは認識した)で、とっくに何も聞こえないが、大きく口を開いて何かを言っていたのは、肌と朧げな視界で理解できた。
アルヴィンが振り上げた拳は、ことごとく金属の兵士たちに遮られるが、問題はない。この拳はもっと熱く、突きは鋼鉄の鎧を溶かしながら穴をあける。動きもこちらのほうがずっと早い。
弓は少し怖いが、突進するしかない楯や剣などは簡単に避けられる。何より、あれらは地面から足を離すことは出来ない。
『青い老人』は、この兵士たちの『王』であるようだった。その考えに至ったとき、ちくりと胸を刺すものがあったような気もしたが。
まあ、どうでもいい。
『青い王』を斃せば終わり。
兵たちが『青い王』の前で円陣を組む。意図に気が付いたのだ。兵士どもは肩を組んで自らの身体を防壁にして青い王を囲い込んだ。その前には、重歩兵どもが楯を構えて陣取る。
兵士で造ったドームの上には、仁王立ちの弓兵が油断なく弓を構えた。
アルヴィンは一度壁際まで下がり、十分な距離を取る。壁を蹴って床と並行に跳ぶ。足首の骨が砕ける音がした。
アルヴィンはひと筋の焼けた砲弾となって突進する。弓を構えたままの弓兵は立ち尽くしたまま何もできず、足場の円陣が崩れたことで手放した矢が弧を描いて飛んでいく。
砕けた足を仮面から滴った銅が覆って補強するのを待って、アルヴィンは兵士たちの残骸の中、立ち上がった。
……仕留めたと思ったのに。
踏み出そうとして、足が持ち上がらないことに気が付いた。見れば、溶け、砕けた黒鉄の兵士の残骸が、アルヴィンの足を縫いとめている。もう一度溶かしてやろうと叩いた腕も、黒鉄に掴まれた。
膝。腰。肩。首―――――兵士の残骸が、冷たい黒鉄が、アルヴィンの身体に這い上がって飲み込んでいく。もがいても、溶かしても、次から次へと、圧倒的な質量が覆いかぶさる。逃げられない。怖い。怒りが冷えていく。渇望が塗り替えられる。衝動が萎えていく。怖い。怖い。怖い――――。
『青い王』がアルヴィンへ歩み寄ってまた何かを言ったが、分からない。
近くで見た『青い王』はどこか疲れて、ひどく悲しげだった。アルヴィンの仮面を暴こうとでもしたのか、手を伸ばして触れた瞬間、驚いて飛びのく。
『青い王』は、また何かを言った。
聞こえない。分からない。
僕には何も、分からない……。




