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 9『戴冠』①


 それは、一人の男の回顧録の形式で綴られていた。


 未熟児で生まれたこと。病気がちの身体への不安、恐怖。病床にこなれてきて、ベッドの中でいろんな遊びを考えたこと。両親のこと。姉のような語り部のこと。いつも一緒にいてくれたメイドのこと。二人の叔父のこと。両親の死を知った日のこと。部屋を出ていく叔父たちの背中。手紙。


 ある日、ベットから立ち上がって語り部の背を越しているのに気が付いたこと。

 湖を散歩したこと。ある女性と出会ったこと。皇帝ジーンのこと。結婚したこと。子供が生まれたこと。嬉しかったこと。悲しかったこと。


「……ほんとうは、もっと改稿を重ねて丁寧に組み上げたかった。ごめんなさい……ほんとうに時間が無かったの」


 語り部は、暗闇に向かって呟いた。


「……あたしは、たくさんの人に仕え、たくさんの最期を描いた。長い時、さいあくの時代にさいあくの最期を迎えた主人もいた。悪人も英雄も、言葉を話せないうちに死んでしまった子もいた。たくさんの物語を書いた。語り部だもの。どの物語が特別ということは無いけれど……あなたが愛したもの。あなたが夢みたもの。あなたが許せなかったもの。あなたが守りたかったもの。あなたが遺したもの……それを想ったら、こんなものが出来上がったのよ。ふふ。こんなの初めてよ。あたしは、あなたの人生を悲劇にしたくなったのね。だって見て。この字の汚いこと! 溢れて止まらなかったの! あたし、分かったの。あなたが好きよ。あなたを愛しているわ。ほら、いつも泣いてしまうの。語り部にとって、主はもう一人の自分だもの。でも、ねえ、内緒よ。あたしはあなたほど、可愛い主はいなかった。あなたほど誇らしい人はいなかった。あなたは英雄でも最高の父親でもなかったけれど、あたしはあなたの人生を描けることが、こんなに誇らしい」


 インクが染まった指先が紙を撫でる。赤ん坊の頭を撫でるように。


「でも、ほんとうは、少しミケがうらやましいの……ああやって、まっすぐに主を想うことが出来ることがうらやましい……主のために先にいなくなる語り部なんて、本末転倒だわ。憤死ものよ。でも、あたしだって、あなたのためにそうしたかったのに。それなのにあなたが泣くから。あの子たちを想って泣くから。迷うあたしに「さようなら」を言うから。子供たちに、ばかなあなたの見えづらい優しさを届けられるのは、語り部のあたしだけだったから……レイがあたしの最期のひとだったから……レイが好きよ。大好きよ。あたしの九番目のあるじ。あたしの最期のひと。こんなに愛おしい人間はいなかった。もし、語り部もあの世へ行けるのなら、約束通り、今度こそあなたと旅がしたいの。さようなら。さようなら。レイ、あなたを愛しています。レイバーン・アトラス。あたしの主人」


 語り部は祈る。


「……どうか、この物語がハッピーエンドになりますように――――」




 暗闇で呟かれた彼の人への告白を聴いていたのはボクだけだった。


 ほんの数時間前に出会ったばかりのこの少女魔人のことを、ボクは外見で推し量れること以外知らない。レイバーン皇帝の語り部だというのも、今知った。

 夜目がきくボクであるが、それは語り部も同じだったらしい。祈りの形に組んでいた指を解き、大きく息を吐きだした彼女は、振り返って本棚の奥に潜むボクをまっすぐに見つめた。


「すこし聞きたいことがあって……出直すよ」言い訳にそう口にする。


「……紳士なら、こんなときハンカチのひとつでも出せないものかしら」


 鼻と目を赤く潤ませた彼女は、ばつが悪そうに鼻をすすって顔をぬぐった。


「お友達はどうかしら? うまくいけそう? 」


 サリヴァンは皇子たちとの合流そうそう、夜を徹して、ここにある蔵書の解読にあたっている。なんでも皇太子が戴冠すればレイバーン帝の開放が叶うかもしれないというのに、儀式に必要な魔法使いがいなくて困っていたのだが、重ねて、その魔法使いが新皇帝に行う『祭事』の内容が分からないのだという。


 レイバーン帝を初めとした数々の戴冠式の仔細はダッチェスが記憶していたが、その『魔法』でどういったことが起こったかは憶えていても、魔法そのものの呪文や道具までは知識のない彼女には手上げということだった。


 サリヴァンいわく。

『そりゃあ仕方ねえよ。そういう重要な祭儀で行う神聖な魔法なら、詳細を隠すのは魔術師として当然のことだ。たぶん、呪文や工程の資料いっさいをその魔術師側が管理してるんじゃあねえかな。今の御時世に一国の戴冠式に呼ばれるなんて、よほど名門の古い家だろう。国庫レベルの保管庫で鍵と暗号で守られているはずだ。……ライト家? いや、絶対違うね。うちは爺さんの代で伯爵に繰り上げられた年季が入った男爵位だったし、王家に近い公爵家の魔法使いだろう。お手上げだよ』


 それに対し、皇太子が出した結論がこうだ。

『ここをどこだと思っているんだ? あらゆる物語が集う『本の墓場』なんだ。古文書を紐解けば、儀式の仔細が書いてあるかもしれないぞ』


 さしものサリーも、二夜目の徹夜の予感に、肩を落として呟いた。


『今度は頭脳労働か……』




「……なんとか解読は進んでるんじゃあないかな。人手もあるし。中でも皇太子本人がすごい。必要な本はほとんどあの人が持ってくるって、サリーが言ってた」


「グウィン様は故事や古典を専門に嗜んでいらしてよ。伝承にも詳しいの。卒業論文のタイトルは『歴史としての神話とアレゴリー的解釈による神々の遍歴』」


 ダッチェスは脚立を引っ張ってくると、どこからか取り出したクッションをボクに手渡してにっこりとした。クッションを敷いた脚立を椅子代わりにして、ボクはダッチェスの横に腰を下ろす。


「……次男のケヴィン様は専門が数学でいらっしゃるから畑違いだけれど、頭がいい方だから資料整理にはぞんぶんにお役に立てているでしょう。ヒューゴ様は芸術家だけあって、神話の逸話やモチーフにはお詳しいわ。絵画に神聖なモチーフはつきものですもの。寓喩に通じていらっしゃるから、良い助手になるはず。こういうとき、ヴェロニカ様とアルヴィン様がいたら甲斐甲斐しくお世話なさるのでしょうね。それで、あとからレイバーンがやってきてあたしに言うのよ。『あれは何をしているんだ? 』って、少し寂しそうに……」


 ダッチェスは息を止めると、天井を仰いで一度目を閉じた。その涙をこらえる仕草は、いつぞやのヴェロニカ皇女と同じものだった。


「――――それで、あたしに訊きたいことって何だったのかしら」



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