7『本の墓守』②
「いってぇ……」
「大丈夫か? 」
「莫迦っ! お前は何をやっとるんだ! 」
砂煙に曇った眼を擦って見上げたそこには、反転した兄たちの顔が二つ、心配げに並んでいた。
「思えばお前は、子供のころからいつも無茶をする。慎重さが足らないんだ」
「行動力と言ってくれ。兄さん」
「その無駄な行動力で、命を危険に晒してどうするんだ。もういい年なんだぞ。グウィン兄さんを見習って落ち着いてくれ。僕の心臓まで止まるところだった」
「弟を心配するのに説教は必要か? 数学者だろ。問題には感情より状況を重視しろよ」
「論点を誤魔化すな。僕はお前のそういうところが一番駄目だと思う」
「俺はあんたのそういう偉そうなところがガキのころからムカつくね」
「お前たちもういい加減にしなさい。今は喧嘩をする時か? 」
「ダッチェス様。いつもこうなんですよ」
「子供のころから喧嘩の進歩がないわね」
「お姉さまと弟君がいらっしゃると五倍はマシです」
「まあ、そうでしょうね。男の子は格好つけだから」
「レイバーン様もそうでした? 」
「そうね。あの子はいくつになっても、頭の中に十歳児がいたわ。だからあたしはこの通り、とっても愛らしいの」
「……それくらいにしてくれないか」
グウィンが手首をさすりながら言った。がっちりと真新しい包帯が巻かれた手を確かめるように曲げ、拳を握ると、グウィンは試合前のボクサーのように息を吐いて兄弟たちに向き直る。
「現実逃避はそこまでだ。父と弟が死んでいる。今は、私たちがやるべきことを模索しよう」
「……ちょっと待てよ、グウィン兄さん。アルヴィンが死んだって? 」
「ヒューゴ」
「証拠はあるのか? 死体は? トゥルーズ! ミケはどうしてる! ここにいないってことは、生きてんだろ! 」
「そ、それが、さっきも言ったけどミケのことはよくわからなくって……」
「まぁまぁ」ダッチェスは手を叩いた。
「父上の言葉を思い出そう」
グウィンが、弟たちの肩に分厚い手を置いて言った。
「私たちは、過去に二人の母を亡くしている。それでも兄弟五人なんとかやってきた。父上……僕らの父さんも、大きく傷ついていても皇帝の責務は忘れなかった。それは何のためだ? 国のためだ。僕らのためだ。一人の悲しみで、国民の歩みを滞らせてはいけない。忘れちゃいけない。僕らは生まれた時から、様々なものの上に生かされている。死ぬその時まで気を抜いてはいけない。僕は、僕は……次期皇帝として、目の前にいるお前たちではなく、この『国』を生かすことを考える。そのために、お前たちに『死ね』と言う時も来るかもしれない。でも、私たちはそれを恐れてはいけないんだ」
「兄さん……」
「……『私』たちは、王族という生き物だ。常に秤と剣を持ち、より重きほうを選び取る。右手の剣は、ひとつの正義ではなく大義のためにある剣……自らの首も落とすかもしれない凶器を、僕らは持っている」
「……そうだ。『最悪』はまだ来ていない」
「取り乱して悪かったよ……」
グウィンは、厳つい顔に優しい微笑みを浮かべて見せた。
「ダッチェス。貴女の主人はもういない。縛るものは何もないはず。私たちが知りたいことを教えてくれますね? 」
「ええ、もちろんそのつもりですとも。我々はこの日を三千五百年待っていたわ」
ダッチェスは本棚の森に向き直り、腕を振り上げると指揮者のように指を振った。四角く塗りつぶされた闇の奥から、風を切って一冊の古書が飛来する。
ダッチェスの胴より厚い本は、見えないテーブルに置かれたように停止して閲覧者にページを晒した。
「この二十の世界にはいくつか、審判のために脈絡と続く、役職を与えられた一族があります。下層世界で言うなら、まずはこのアトラス王家。次に我ら、語り部。それに魔女の末裔たち。アトラス王家に配分される役割は、秩序の守護者『皇帝』。審判は、こうした役職持ちが複数いなければ開始することはできません。今回の場合、魔術師が取り仕切り、語り部を見届け人とし、現皇帝であるレイバーンが宣誓したことで、神の審判は始まってしまった」
「父さんは『魔術師』に操られていたんだ」
「……宣誓をした皇帝がすでに死者であったこと。『皇帝』自らの意思ではなく、『魔術師』に操られた宣誓であったこと。それは神の定めた規律の外にある。審判とは、神々がこの世界にかけた古の魔法ですわ。そして魔法とはシステムです。明確な規約の違反にならない以上、スイッチを押されたシステムは作動する。語り部の誓約と同じです。死に逝く者へ水を与えたことで生き延びたなら、それはいけないこと。でも、看病むなしくその人が死んでしまったら? その語り部は消えはしないでしょう。今回の事で、あの卑劣な魔術師は、ひとつだけ良いことを証明してくれたわ。神の三つの規約は、屁理屈で乗り越えられるほど緩い。ならば、魔術師がレイバーンを解放する手立ても思いつく」
「……私が今ここで、『皇帝』となることか? 」
「そうか。父さんはすでにいない。……なら、後継者であるグウィン兄さんが戴冠すれば、アトラス王家の正統な皇帝は兄さんのはずだ」
「『皇帝』でない父上は、『魔術師』にとって用済みになる」
「その通り。でも、問題がひとつあるわ」
「……ああっ! そうか! 」
「立会人が足りないんだ……」
グウィンは頭を抱えた。ケヴィンにいたっては、膝をついて天を仰ぐ。
「アトラス王家の戴冠式は、『魔女』役の立会人がいるんだ。魔女がアトラスの娘に語り部を与えて王としたのだから、魔女の末裔である魔法使いがいないと……」
「……うっそだろ! まさかあの『魔術師』に立会人を頼めってのかよ! 」




