6『愚者と貴人』②
「……あなたを見ていると、ミケを思い出します」唐突に、ダイアナが言った。
「奔放な振る舞い。語り部にあるまじき無駄話の多さ。終には誓約を破ってしまった。私はお喋りの楽しさと有用性をジーン様との旅で学びましたが、あの子は生まれた時からそれを知っていました。幼くに母君を亡くされた寂しがりやの可愛いアルヴィン殿下のために、あの子は殿下に語りかけ、ただの装置ではなく、アルヴィン殿下だけの『語り部』になった。それは、我々に課せられた役目の上で綱渡りをするような在り方でしたが、私は嫌いになれなかった。今回のことも、ミケはいずれこうなるのではと……そう思っていたのに」
ダイアナは眼鏡の奥の瞳を閉じた。顔を伏せ、膝の上で両手を組んで、ジッと動かなくなる。
「……語り部に、命はありません。我々は意志ある魔法。でも、ミケの意思は、炎のように強く、儚かった……まるで人のように。……だからこれは、死なのかもしれない。そう思います」
皇女の胸元で、ボクはもごもご言う。「……ミケは、まだ生きてるんだろ。夜明けはまだ先だ」
「……誓約を破るということは、罪を重ねるということ。あの子は現在進行形で罪を重ねています。もう綻びを繕うことはできません。……ですからヴェロニカ」
ダイアナは目を開けて、ボクを抱きしめる皇女を見た。
「貴女は絶対に生き延びなければなりませんよ」
ダイアナの金色の目が、ボクを一瞥する。皇女の腕がボクを解放した。語り部ってやつは、王族ってやつは、なんて不便なんだろう。ボクはため息を吐いて、ダイアナが口に出せないことを言ってやった。
「……ダイアナは、皇女様が船に乗らないって言ったら止めるつもりだよ。それこそ、身を挺してでも。それでもいいの? 」
「語り部に隠し事は出来ませんわね」
皇女は、どこか寂しげに微笑んでいた。
「……ねえ、ジジ。教えてほしいことがありますの」
「……なんだよ」
皇女の視線がどこか遠くを見た。
「貴方はどうしてサリヴァンさんを選んだの? それとも、サリヴァンさんが貴方を選んだのかしら」
「どっちもごめんだね」ボクは言った。
「あいつとの関係は、永遠に損得勘定さ。お互いに利害があるから手を組んでるだけ。あいつが隠された王族でも、ボクが素晴らしい力を持つ魔人でも、そんなのは判断材料にはならないよ。ボクは自由な魔人なんだ。面白いものだけ見ていたいし、いつも楽しく生きていたい。ボクらは背中合わせの関係なのさ。いつだって逆方向を向いてる。そういうやつって、あんまりいないだろ。だから……」
言っているうち、ボクは自分でもよく分からなくなってきてしまった。
「……だから、ボクがあいつと一緒にいるのはそれだけさ」
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暁の前に漂う独特の静謐な空気は、いつだってサリヴァンを不安にさせる。
思えば、幼いサリヴァンが眠い目を擦りながら故郷のサマンサ領を旅立ったのも、まだ星が光る早朝だった。別れ際の両親の顔よりも、良く晴れた肌寒い日であったことや、車窓から夜明けを見たことのほうをよく覚えている。
酔っ払いも野良猫も寝静まろうとしている、一日で最も暗いこの時間は、空気そのものがあらゆる生命を拒絶して尖っているような気がして、いったい自分は何をしているのだろうという気分になるのだ。
サリヴァンは奥歯の奥からにじみ出る苦い汁を飲み込んで、らしくもなく緊張している自分の胸の内に向かって笑った。
夜明けに一歩先駆けてケトー号は出発した。離陸を見送った直後、王城から大きな火柱が上がったかと思ったら、波紋のように温い風が吹き抜けた。
それきり城下街はいっさい沈黙していた。夜が明け、頬にぶつかる風は朝霧で湿って冷たい。街を貫いて王城の門へ続くまっすぐな白い街道は、祭の衣装に着飾ったまま静止している。人々も。その多くはベットの中だろうけれど、街道にもたまに人が影法師のように立っていて、そのたびにボクらは足を止めては手近な屋根の下に入れてやった。彼らは一様に、石像になったように固くなっている。
『審判』には段階がある。これは第一段階。『石の眠り』だ。
審判が終わらなければ、目覚める日は永遠に訪れない。
「……どうしてボクらは石にならないんだと思う? 」
「おれたちが外国人で、フェルヴィンの民ではないからだろう。『審判』には順番があるんだろうと思う。『魔法使いの国』は第19海層。審判の順番は二番目だ」
街道を駆け上がるボクは、黄昏の影法師のように大きな黒猫に姿を変えている。そんなボクの背中で、サリーが銀蛇が形を変えた鞍に乗っていた。
「ところでキミ、もう王城に着くけど、あれはどうやって対処するつもり? 」
ボクの台詞に被せるようにして、立て付けの悪い蝶番を世界中から集めたような最悪の音が響いた。
空の彼方では青い馬上の騎士と、燃える頭を持った『何か』が、虻と蠅の喧嘩みたいに飛び回っている。不快な金属音は『何か』のほうの鳴き声『のようなもの』で、夜目のきくボクの素敵な目玉は青い騎士の容貌をしっかりと捉えている。
「あの騎士、ぜったいキミの救援対象だよ。ヴェロニカ皇女と顔のパーツがそっくり。あの赤いのはなんだろうね。悪魔でも召喚したのかな」
「ぜったい無いと言い切れねえのが辛いところだよな」苦々しくサリーは言った。
「これを起こした犯人は、審判を起こすことが目的なんだよね? とうぜん、そいつも選ばれているんだとしたら、二十二のさだめのうちのどれなんだろ。えーと、愚者、隠者、魔術師、女教皇、女帝、皇帝、教皇、力、死神、悪魔、恋人たち、吊るされた男、戦車、正義、審判、運命の輪、節制、塔に、星に月と太陽……これで二十一。あとなんだっけ? 」
「ザ・ワールド……『世界』か『宇宙』って呼ばれるな。『死者の王』って名乗ってるんだろう? そいつ。連想するのは、悪魔か、悪魔を呼び出す魔術師か、狂気の月……あとは死神か。冗談みたいな状況だぜ。今は空のやつらは放っておいて、おれたちは王城に潜り込んで皇子を探そう」
「そンなら簡単だ」
「ああ。人探しは得意分野だろう? 」
城門の脇には物見の塔が立っており、塔の間にはアーチ状に橋がかけてあった。塔の上はもちろんのこと、等間隔に並んだ十字型の小窓は狙撃を想定した造りだ。
門は開け放たれていた。祭事用に飾られた制服を着た夜警がふたり、門柱を背に立ち尽くしている。城門から先はかなり急な階段と坂道が続く。城はすぐ前に聳えているのに第二の城門が現れ、段差は狭くなり、勾配はさらに強くなる。
第三の門は、馬が二頭並んでもいられないくらいに小さなものだ。それをくぐった瞬間――――目の前にフェルヴィンの王城の全容が広がった。
フェルヴィンは昼夜も無いほど光が乏しいので、この城壁を飾った親方たちは長い試行錯誤の末この形に辿り着いたのだと、ボクがずっと後に読んだフェルヴィンの観光誌には書いてあった。具体的に描写するとなると文字数を圧迫するので、皆さまには行間を読んでもらいたい。
「……そうか。街から見た時、やたら塔が多いのはこのためか」
「ついでに実用的だぜ。こんなの城ってより砦じゃねえか。旋毛より上を取られちゃあ、どんな大軍もひとたまりも無い。これが未使用だっていうのが恐ろしいよ。これを見た歴史家は、フェルヴィンがド田舎で良かったって言うだろうな」
「その神秘の王城へ、今から乗り込むってわけだね? 」
「その通り! さあ何が出て来るやら! 」
背中の鞍の上で、サリヴァンが立ち上がる。ボクは速度を上げて、かたく閉ざされた最後の城門へ突進した。マエストロが指揮棒を振り上げるように、サリーが頭上に掲げた魔法の杖から、澄んだ青銀の光が帯になって後ろへたなびく。
鞭のようにしなりながら帯が飛ぶ。魔法を叩きつけられた扉は、軋みを上げながら勢いよく内側へ開かれた。ボクの肉球が、鏡のように磨き上げられた王城の床を滑りながら踏みしめる。硬い床は爪がカチカチあたるので、踏み込みが滑る。
目の前に壁のような胸があった。開け放たれた扉から吹き込んだ風が、ボクのヒゲとサリーの髪を揺らすが、そいつの顎に蓄えられたヒゲは、一本の毛先もピクリとも揺れない。
「ゴーレムだと! あんなの博物館でしか見たことねえ! 」
「あんなの博物館にあるの? 」
「壊したら賠償金を請求されちまうか? 」
「有耶無耶になることを祈りながら暴れよう」
呼ばれたとでも思ったのか、石の巨人……ゴーレムの瞳の境がない石の目玉が、ギョロリとこちらを向いた。服も肌も黒鉄の質感をしていて、臼のような歯の隙間から獰猛な青い火の子が漏れている。黙って立っていれば立派な美術品になったはずだ。
ゴーレムは、どこか見覚えのある服を着ていた。それもそのはず。身に纏っている制服は、先ほど通り過ぎた夜警たちのものと同じ仕立てのものだった。
ボクは餌をねだる子犬のように、巨人の足のまわりをぐるぐると駆けた。
吹き抜けになった天井は高く、床面積はダンスホールにだって使えるだろう。ゴーレムの頭は天井に掠らない程度。つまり、走り回るには狭すぎるし、足元をうろつく鼠を踏みつぶすにも気を遣う。猫背で頭だけを回してウロウロしている巨人は、守衛にしてはのろますぎた。だからサリヴァンがその小山のような背中を駆け上がっても、何もかもが遅すぎる。
「おいこらデカブツ! こっち向け! 」
「キミったら無茶するなア! 」
口はそう言っても、ボクの口角はにいっと吊り上がる。
巨人が首を回して、ボクから視線を外したと同時に、ボクらは足場を蹴った。ボクは床を。サリヴァンは巨人の肩を。巨人がサーベルを振り上げ、その刃の上にボクは肉球をつけると、巨人の顔に向かってまた跳んだ。ボクの首に齧りついたサリーが、銀蛇を握った腕を突き出す。
「――――夜を照らすはその灯火」
杖先に小さな光が灯る。
「鉄を打つはその焔! 鋼を断つはその劫火! 」
瞬発力が足らない。ボクはサリーを背中に抱えたまま、一瞬身体を霧散し大きなガマガエルに変え、毛並みがヌルヌルに変わった瞬間のけぞった魔法使いを尻尾の名残りで背中に縛り付け、身を起こそうとする巨人の額を発射台に、天井へと跳び上がった。吐き気を飲み込んだサリーが再度口を開く。
「――――汝は我が古き朋である! この手に英知の祝福を! 」
詠唱を終えたサリーが固く口を結ぶ。光は空気を飲み込んで蜷局を巻く炎蛇となり、巨人の顔を飲み込むほどにも大きく顎を開けて黒鉄の肌を舐め上げる。炎蛇は巨人を締め上げながら天井へ捕り付くボクらも巻きこんで広間いっぱいに広がり、そこは一瞬で赤黒い鉄鋼場の炉と化した。熱気が渦巻く上昇気流となって空間を掻き回す。ボクは必死に足場に張り付いた。
巨人が溶け始めた剣を天井に向かって振り上げるが、炎蛇は見逃さない。鉄の飛沫を散らしながら剣は柄から折れ、柔らかくなった鉄の肉が炎蛇の締め上げで飴のように千切れていく。
巨人がどろどろに溶けたのを見届けて、ボクは長ーい長ーいため息を吐いた。
サリーの作る魔法の炎は、原則として命を焼かないよう調整がされている。
広間も巨人が触れた床以外は綺麗なものだ。彼は曲がりなりにも、『世界一の魔法使いの弟子』なのだ。
「……無茶するなぁ。そりゃキミの火は焼けないし、ちょっと楽しかったけどね。溶け始めた鉄の巨人がどれだけ熱いと思ってるの? 焦げちゃったよ」
「悪かったって。一度全力でぶっ放すのが夢だったんだよ。まだレア焼きだろ? 」
ボクは穴の開いた帽子で、サリーを締めあげた。
休息の間もなく、ボクは探索を開始した。目を閉じて、身体の末端を空気の粒よりも小さく広げていく。それは例えるなら、薄暗いなかを手探りで進む感触に似ている。無人のエントランスホール、廊下、食堂、用途が分からないただっ広い部屋、王族の居室、尖塔の屋根の先まで、鼠一匹もいない。
「こんなに派手に暴れたら、向こうから斥候の一人でも出てくると思ったんだが」と、サリヴァンは顎を掻く。
「もう、そんな必要は無いってことなのかも」
「……なあジジ。どうして街の人たちは、城が誰もいないのに気が付かなかったんだと思う? 」
「そりゃ、だいたい想像通りのことが起こったんでしょ」
「じゃなきゃあ、皇帝一家が監禁されるわけがないか」言って、サリヴァンは静かに瞼を閉じ、しばらくのあいだ祈った。「それで、まずはどこに行く? 」
「下だ」ボクの感覚は、渦を巻く潮に似た流れを感じていた。
「地下に何かが集まってる……」
その渦 は、青を煮詰めたどす黒い色をしているように感じていた。




