5『そのころ王城から』②
モニカは、ひどくデコボコな二人組だと彼らの第一印象を確認する。ヒースと幼馴染だという少年は、いかにもすばしっこそうに鍛えられた小柄な体格で、凝視するように尖らせた瞳の色は、眠気覚ましに飲む濃いコーヒーを思い出す。
泥と埃にまみれた姿をしているが、見た目よりずっと賢そうだ。よく調教された猟犬を見た印象に近い。叔父が飼っていた、ウサギ狩りに使う耳の垂れた犬だ。
相棒の『魔人』だという子供のほうは、よくわからない。
背は、ミケやアルヴィン皇子よりも低いだろう。鼠色の襤褸の帽子とコートの襟の奥に、暗闇に潜む猫のように金色の瞳が光っている。よく観察すると、裸足でいるというのに、その肌は陽に当たらない蛇のように白くなめらかで、染みや汚れの類がまったく見当たらないことに気が付き、人外である証のように思った。
「どういうことだ! こちらは国家の一大事なんだぞ! 」
コナンが食って掛かると、ヒースはまるで堪えた様子もなく、飛鯨船の脇に立つその二人組を掌で示した。
「不測の事態ではありますが、彼らがここにいるのは幸運の巡り合わせだと、僕は思います」
「幸運? こんな、チンピラと、ふ、浮浪児が? 」
その『浮浪児』が、つぎだらけの帽子のつばの陰で「ぷぷっ」と噴き出す。
「……何がおかしい」
「何がって……ふふっ! ねえサリー。キミついにチンピラ呼ばわりだ。ねえ、どんな気持ち? どんな気持ち? ねぇねぇ」
「……うるせえ。黙ってろ」
サリヴァン少年は、不機嫌そうにジジをつっぱねる。
「こんな成りでも、サリヴァンは貴族家の出なんですよ」
ヒースが肩をすくめて口にしたとたん、サリヴァンの目元が引き攣った。
「ほら、サリヴァン。自分で名乗りなよ。いい加減不敬だぞ」
「……おまえって、母親そっくりだよな」
促され、サリヴァンは渋々といったふうに腰を上げ、飛鯨船の陰からまっすぐヴェロニカに向かって歩み寄った。立ち止まったのは剣が届かない大人の腕三本分の距離。サリヴァンは、端で見ているモニカの眼にも鮮やかに動いた。
左腕を背にまわし、軸足となる右足を引き、剣を持つ右手を心臓の上に。ヴェロニカに向かって頸を差し出すようにして礼を取る。無手を晒し、膝はつかないことにコナンの眉が上がった。
「――――殿下の御前にて、名乗りを上げることお許しいただきたい」
肩口から胸の前に垂れた髪。その一本も揺れないほどの静止を保った姿勢は、異国の騎士の作法であるのだろう。
「サマンサ領主フランク・マギ・ライト伯爵位が長男、サリヴァン・マギ・ライトと申します。国王陛下によりお役目を賜り、貴族位は返上し、身分を隠して城下へ奉公へ出ております。不測の事態により、まったくの偶然の巡り合わせてこのフェルヴィン皇国に足をつけた次第。どうかご容赦のほどお願い申し上げます」
「……許します」
ヴェロニカが厳かに口にする。悲哀は一時なりを潜め、皇女は威厳を取り戻していた。サリヴァンは顔を上げ、続ける。
「『マギ』の名は、我が王に杖を捧げたあかし。我がライト家は『マギ』の名を冠す男児を市井に送り込み、民の中で王の杖を育ててきました。私が王の杖であることを知っているのは、我が王と一族の者の他には、そこの二人のみ。我が王は、友好国であり魔女の友であるフェルヴィンの民の憂いを払うことを望んでおられます。異変を察知した我が王は、まず秘密裏に私をこの国へと送り込み、力を貸せと申されました」
「なんてことでしょう。それは素晴らしい」
ヴェロニカは、花の蕾が開くように微笑んで、サリヴァンに手の甲を差し出した。サリヴァンは手を取り、その白い肌に唇を触れさせる仕草をする。
「……それで、貴方がたは、どうやって我が国の異変をお知りになったの? 」
まさか、あの泣き濡れていた皇女と同一人物だとは思えない。皇女のその柔らかな声の響きに、モニカは震えあがった。
「王城は十日前、とつぜん占拠されました。父も兄弟も監禁され、今も行方がわかりません。その犯人と思われる一団は、緑色のローブで顔と体を隠し、怪しげな術を行使し、人とは思えない肌をしておりました。その一団がどこから来て、何をしようとしているのか。十日間もの日々、昼も夜も無い地下で監禁されていたわたくしには、何一つわからないのです。でも一つだけ確実なことは、わたくしが皇女であり、皇女としての責務を果たさなければならないということ」
モニカは、ヴェロニカがまったく冷静になってなどいなかったことを悟った。
「もう一度訊きます。貴方がたは、どうやって我が国の異変を知ったのですか? 」
油断の無い瞳が、ヒース・クロックフォードを見る。サリヴァン・ライトを見る。異国の魔人を見る。ヴェロニカ皇女は小首を傾げ、指先で唇を隠した。
「ご無礼をお許しくださいね。わたくしには、取り繕う暇も、余裕も、これっぽっちもございませんのよ」
ヴェロニカの磨かれた鋼のような銀青の瞳が、笑みのかたちに歪んだ目蓋の隙間から、サリヴァンを射抜いた。
「……ごもっともです」
そう言って、サリヴァンは肩を落とし、大きく息をついた。恰好を崩したサリヴァンは頭を振ると、気を取り直したように皇女へ向き直る。
「一国の城一つが落される。これは尋常な事じゃあない。それも今の平和な時代に。……実を云うと、おれでは皇女の疑問にお答えすることはできません」
「嘘をついたのですか」
「嘘というより、言葉を取り繕ったのです。我が王は偉大な魔法使いで、ときおり未来を見通したようなことを為さります。おれは何度も、我が王の真意の分からない命に従ってきました。今回もその例に漏れません。おれは何も分からないまま、この国に送り込まれ、およそ半年ぶりに、同じく配下であるこの航海士とバッタリ出会い、そしてここにいる」
一同の視線が、ヒース・クロックフォードに注がれた。美貌の若者は艶やかに微笑む。微笑むだけで、何も言わなかった。かわりに、サリヴァンが続けて口を開く。
「……けれど、ヴェロニカ殿下が皇女であるように、おれにも確実なことがあります。『優れた魔法使いは無駄なことをしない』ということです。また、素晴らしい魔法使いほど嘘をつきません。魔法とは神々との誓約を交すことで生されます。中でも、我が主は我が国最高の魔法使い。忌々しいことに、サリヴァン・ライトのことを誰より理解しているのは、おれ自身よりもあの御方なのです。おれはそれを知っている。あの御方は、おれにフェルヴィンでの働きを期待されている。だからおれは、何も知らないけれど『フェルヴィン皇国の危機に手を貸します』と申しました。それが、あの人がおれに望んだ行動だからです」
「主を信頼なさっていますのね」
「それもありますが……」サリヴァンはまた、言いにくそうに口ごもった。
「……おれには、『フェルヴィン皇国』という国を見捨てられない個人的な理由があるのです」
「その理由とは? 」
サリヴァンは、観念したように項垂れて言った。
「……我が曽祖父は、辺境貴族の一人娘だった曾祖母を見初めて婿入りしたフェルヴィン人です。今も領地で芋を耕しているその爺の名前は、コネリウス。コネリウス・アトラス・ライト。……おれにもフェルヴィンの血が流れている以上、ここで帰ったら親父に勘当されちまう」
今度は、ヴェロニカのほうからサリヴァンの手を取った。涙の膜が張った青い瞳が、サリヴァンの黒い瞳を覗き込む。視線はサリヴァンの御世辞にも長いとは言えない丸い耳を確認し、次にサリヴァンの赤銅色の髪から、父レイバーン帝と兄グウィンの髪色を連想した。ともすれば黒にも見える赤毛は、淡い金髪と二分されるフェルヴィン王家によく出現する色彩だった。
背はヴェロニカのほうが頭一つぶん高い。しかしサリヴァンのタコだらけの掌は、皇女より二回りは大きかった。
「……魔法の誓約を交しましょう。『魔女の母に誓い、サリヴァン・ライトは、ヴェロニカ・アトラスを裏切らない』」
サリヴァンはそう言って、銀蛇を掲げた。刃が白く輝き、光は二人の間を三巻きして消える。
「おれは、世界一の魔法使いの弟子です。おれに賭けてみませんか。皇女殿下」
「……時は一刻を争い、あなたの真偽を見定める時間は少ない。あなたにその力がある勇者だというのなら、わたくしはあなたに賭けましょう……ねえ、コネリウスの末裔さん。皇女らしからぬ浅ましい願いを、ひとつ、よろしいでしょうか」
ヴェロニカは鼻を啜って天井を仰いだ。
「この役立たずの姉の代わりに、わたしの家族を助けてください。どうか……」
その一時間後、ヒースが操る飛鯨船ケトー号は、皇女ヴェロニカとモニカ・アーレを乗せて首都ミルグースを飛び去った。
黒雲にケトー号が呑まれるそのときだった。
地面が揺れ、ゲルヴィン火山の火口が沸騰する。王城から眩い青い光があふれだし、波紋のようにうねって、フェルヴィン全土へ広がっていく。
天を衝く青い火柱。それは死者たちの行軍だ。骨を鳴らし、眼窩を晒したシャレコウベどもが舌なき喉を震わせて、現世の再来の歓びを歌いながら駆けていく。
行軍はケトー号のすぐ脇を横切った。行軍を遅れて追いかける少女の亡者が、腐り落ちた貌をほころばせて、指が足らない手を振っている。
それが、旅立つモニカの見た、最後のフェルヴィンの姿だった。




