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 5『そのころ王城から』①


「お逃げください……」



 モニカ・アーレの前にそれが現れたのは、宛がわれた王城の一室に軟禁されて、ちょうど十日がたった頃だった。

 つまり、彼女が婚約者であるフェルヴィンの第一皇子グウィン・アトラスと引き離されてから十日、ということでもある。明後日は新年を祝う祭の日であり、グウィンとの婚姻を正式に公表する喜ばしい日になるはずだった。

 モニカ・アーレとグウィン皇子の出会いは、遠く遥か上層にある国『ゲブラー』の国立大学でのことだった。


 グウィンは二十七歳の博士課程の学生、モニカは二十二の女子大生。大国であるゲブラーの国立大学、その図書館といえば、世界中の学問書を網羅せんとする大図書館だ。司書を目指していたモニカは、アルバイトで土曜日の午後にだけ、そこに通っていた。

 ゲブラーでも、語り部が記してきたフェルヴィン王家の伝記は、ひとつのジャンルの読み物としての地位を確立している。モニカにとって、この最下層にある20海層フェルヴィン皇国は、幼いころから親しんだおとぎの国であった。


 堅実で平凡な未来を予想していたあの頃の自分が、この映画のような状況を知ったら何て言うのだろう。

 絨毯から染み出るように現れたのは、きっちりと着こんだ詰襟の黒衣を着た、やや眠たげな金眼に蝋のように白い肌の子供だ。


「貴方は……そう、確か、グウィンの弟の」

「末のアルヴィン殿下の語り部、ミケにございます」


 『語り部』。上層の大国ゲブラーが故郷のモニカには、グウィンと出会うまで知識としてでしか触れることができなかった本物の『魔人』が目の前に跪いている。


「私が城下へ誘導いたします。手配した飛鯨船に乗って国外へお逃げ下さい」

「で、でも、グウィンは……! 」魔人はその先を言わせない。


「――――貴方様はグウィン様の大切な御方! 今からこの国は、下層世界全てをのみ込むほどの未曽有の混乱に陥ります。できるだけ上層にお逃げ下さい。ゲブラーならば第五海層……安全でございます」

「下層がのみ込まれる……? 何が起きるっていうの? 」

「選定です。神々と魔女が確約した、いずれ起こるという人類の審判」

「『デウス・エクス・マキナ』……それは物語、でしょう? 」

「我が主は、この王城地下に拘束されております。貴女ならこの場で嘘が申せますか? 」

「……言えないわ」


 子供の姿をした魔人は大きな目でゆっくりと瞬きをし、慎ましい薄い唇から小さく息をついた。


「国の人々はどうするの」

「何も知らせるな、との王の指示です。90万の人間を、明日までに移動させる手段はございません。いたずらに混乱を招くだけならば、民は何も気付かせないまま審判を無事に終わらせる」

「でも、私には逃げろと言うの。90万の人間を見捨てて」

「見捨てるなどとんでもない! 貴女様にはすべてが終わった後に、大切なお役目がございます。グウィン殿下に選ばれた貴女にしか出来ないお役目が! 貴女様が生き延びることは、我が国の希望の灯火となりましょう。お願いしたいこともございます。モニカ様には、この国で起こることを上層世界へ警告していただきたい。もし、神話で伝聞される通りなら……これから各地で二十二人の選ばれしものが現れるのですから……」

「選ばれし二十二人なんて、御伽噺だわ」

「そう遠くないうちに、御伽噺でないことが分かりますでしょう」

「……わかりました」


 モニカは深く頷いた。

「ありがとうございます」


「私が信じるのはグウィンです……あの優しい男が国の人を想わないわけがない。それなら外国人である私が出来ることを……」


 そう口にしたのが、もうずっと前のことのようだった。

 城からの脱出は早朝に決行された。城を知り尽くした魔人の導きにより、モニカは誰とも顔を合わさずに、地下の水道跡から簡単に抜け出すことができた。昼前には指定された喫茶店で、ミケが言った通りの壮年の私服兵士が、まるで実の父親かのような態度でモニカを迎えに来た。


「……これから別働で脱出したヴェロニカ様と合流いたします」


 壮年の兵士が囁き、モニカは頷く。

 グウィンの妹、義妹となるヴェロニカとの再会は、深夜をとっくに回った時刻になった。


「ちょっと! 何なのこれは! こんなのが自分の国の皇女にする扱いなの!? 」

「でも、こうでもしないと、お城に戻ろうとなさるんです……」


 ぐったりとした若い兵士が、屈強な体を丸めて言う。毛布の上から、縄で芋虫のように縛られた皇女は、猿轡を今にも噛み千切らんという有様だった。

 実に十一日ぶり、たおやかで溌溂とした美女であるヴェロニカの変貌と言っていい憔悴に、モニカは心を痛めた。拘束から解放されると空気が抜けた風船のように座り込み、途切れることなく兄弟のことを案じているヴェロニカには、老女の姿をした魔人、彼女の語り部であるダイアナが寄り添っている。彼女はモニカから今日の日付を訊き、ずいぶん驚いていた。ヴェロニカと、ほんの数時間前に分かれたアルヴィンは、共に今日が監禁が始まって六日目であると誤認させられていたらしい。ヴェロニカの口からは、あのミケという語り部の名前も出た。


「わたしたちを守るために、ミケは……。ねえ、教えてダイアナ。ミケはいつまで生きられる? 」


 ヴェロニカの髪を撫でて、ダイアナが言った。


「明朝、朝日と共にその時が来ましょう。ああ、悲しまないで、お嬢様。ミケは語り部としてではなく、殿下の家族として自分の存在を解くことを選んだのです。それだけなのですよ。あれのために泣いてくださってありがとう……」


 モニカは、ハンマーでがつんと頭を殴りつけられたようだった。この騒動で少なくとも一人。あの小さな魔人が死んだのだと思うと、自分の覚悟がいかに軽いものだったかと歯噛みした。


「グウィン……どうか無事で」


 夜明けを待たずに、一行は一度街の外へ出た。移動は、もはや上層世界では前時代的になった馬車だった。どこからでも見えるあの時計塔から逃げるように、外側から大きく迂回をして、北東から商館や外国からの貿易商人が逗留する宿が並んだ商業区へと足を踏み入れる。

 職人たちの朝は早いが、商人たちの夜は長い。いくつもの建物が灯りを消さない中、路地を抜けた先にあるその倉庫はシンと静まり返っていた。


「……飛鯨船を収めている格納庫です。あそこに我々が手配した航海士がいます」

「人がいるようには思えないけれど……」

「……用心を重ねてコナンが先行して様子を見てきますので、お二人はトーマとしばしお待ちください」


 そう告げて、コナンと呼ばれた若い方の兵士が入口へと歩み寄っていく。

 扉を叩くとすぐに入口が内側から開かれ、二言三言と言葉を交わしてすぐに合図があった。作業着の襟に頬をうずめた小柄な黒髪の若者が、重い鉄扉を開けて薄暗い格納庫に、モニカらを招き入れる。ちょっとした体育館ほどの広さがある庫内は、石造りだがしっかりと温められている。その半分の面積には、鴉のように真っ黒に塗られた小型の飛鯨船が我が物顔で鎮座していた。

 潜水艦と飛空艇を掛け合わせた機能を持つ飛鯨船は、名前の通り、お腹の膨らんだ鯨のようなシルエットをしている。


「ようこそ。私は魔法使いの国の航海士。ヒース・クロックフォード」


 若者は控えめに微笑み、名前を明かすと困ったように首を掻いた。


「……実は事後になってしまって、とっても申し訳ないんですが、少々不測の事態を抱えることになりまして、ご報告しなければならないんです」

「不測の事態? それはなんだ」


 ヴェロニカを背に、コナンが前のめりに詰問する。


「ご紹介したほうが早いかと……」


 ヒースはそう言って、格納庫の照明をつけた。



「話が違う! 」

 二つの声が、揃って格納庫の中で響いた。

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