4『二十四時間後』②
✡
ヒース・クロックフォード。
サリヴァンの二つ年上の幼馴染であり、彼が奉公している杖専門店『銀蛇』の店主、アイリーンの一粒種である。
濃い睫毛に縁どられた大きな紺色の瞳、薔薇色の頬と唇を母親譲りのサラサラの黒髪が覆っているが、無精で伸びきった前髪が頬のあたりまで届いているので、美貌が三分の一は隠れている。機械油の染みた作業着の片袖を脱いだ姿で、最後まで黙って事情を聴いていたヒースは、おもむろに腰に手をあてると心底呆れた顔をしてサリヴァンを見下ろし、一言感想を述べた。
「……バッカじゃないの? 」
幼馴染の端的な評価は、未だにスタミナが回復しないサリヴァンには、心外極まりないものだったようだ。重い体を起こすや、身振り手振りで『自分たちがいかに苦労して脚一つでここに辿り着いたか』というプレゼンを始める。
時刻はすっかり夜になっていた。薄っすらと冷たい霧が漂う石造りの都は、堅牢で実用的なつくりだ。しかし鉱山と鍛冶の街というだけあって、民家であっても窓枠やドアに施された様々な細工が目に楽しい。
とくにサリヴァンは、同じ金属を扱う職人という一面もあって、この『ケトー号』が収められた格納庫に辿り着く道中でも、実に興味深そうにしていた。そもそもこの街全体が、『銀蛇』の地下にある工房の雰囲気によく似ている。薄暗くて、蒸し暑くて、石造りで、住民たちは働き者である。
ヒースは、真っ黒な地に魔除けの大きな瞳が描かれた愛機の脇腹に背中を預け、整備用の工具を手の中で弄びながら腕を組んだ。
「そういえばサリー。きみ、眼鏡はどうしたの? 」
「失くした。在庫にいいの無えの? 」
「サリーの度にあった眼鏡を私が持っていたら気持ち悪いでしょ。我慢して」
燃え盛る炉を見つめ続ける職人は、その多くが瞳をやられるのだそうだ。サリヴァンの視力の悪さは、彼がいっぱしの杖職人である数少ない証である。
「それで、ヒースはどうしてフェルヴィンに? 」
「仕事」
ヒースは、十二のときに、「世界を見てくる」の一言で、貿易を行う大型飛鯨船に乗り込んで以来、今では駆け出しのフリー船長として小型飛鯨船『ケトー号』で世界中を飛び回っている。そんな売れっ子が、たまたまこのフェルヴィンにやってきていたなんていう奇跡的な偶然はあるはずもない。
「……それ、本当に? 」
「ホントウだよ」
懐疑的な視線にも怯まず、ヒースの紺色の眼はまっすぐ見つめ返してくる。
「私は荷を積んで明日の朝に発つよ。密航したければ好きにすればいい。私に迷惑はかけないでね」
「さっすが! 話が分かる! 」
「何かあったら、すぐ母さんにチクるからね。そこのあたり、肝に銘じておいて」
サリヴァンは上機嫌に、ヒースの薄い肩を叩いた。ヒースは思いのほか痛かったのか、幼馴染の遠慮の無い力でサリヴァンの脳天を叩く。そこからはもう、ボクには割り込めない特殊コミュニュケーションだ。ボクは呆れてその場を離れた。
サリーはこの時、ヒースのこの言葉をよくよく考えるべきだったのだ。
窓から見える黄昏の国フェルヴィン皇国は、おどろおどろしい逸話に反し、見慣れた街と変わらず女は姦しく、小売人は声を張り上げ、通行人の顔も明るい。
平和な国だった。ボクもいくつか『海の外』を見て来たが、こんな時間に若い女が出歩いても受け入れられる国は珍しい。
昼でも薄暗いこの国では、軒に下がった透かし彫りが美しい涙滴型のランタンが、優しいオレンジ色で街中を照らしている。盆地に沿って街が出来上がっているので、屋根が高い家屋は少なく、どこからでも山肌に取りついた王城の、蝋燭のような尖塔が見えた。
「あんまり外に顔出すなよ。あいつら、さすがにもう眼が覚めてる頃合いだ」
「分かってるよ。サリーはボクを誰だと思ってるの? それにしても、なんだか街の人たち楽しそうだね」
ボクの素朴な疑問に、ヒースが答えた。
「明日がこの国の新年にあたる祭の日なんだよ。ここらへんは外国人も多い商業区の外れ。ここから逆側、南西にある広場から王城に続くメインストリートでパレードがある」
「明日じゃ、俺たちは見れねえなぁ……」
街並みを目に焼けつけたかったのだろう。実に残念そうに、サリヴァンが言った。