8. これからさ、きっと色々大変だよ
メイアはクローチェの机の背中側にある扉を開けて、大樹を連れ立って渡り廊下を進む。
「この先が温室。色々と危ないから、まだ大樹は一人で入らないほうがいいかも」
「え……危ないの?」
先ほどまで居たはずの場所が、そんな風に表現されると自然と冷や汗が額から滲み出る。
メイアは「ちょっと危ない植物もあるらしいからね」と、何ともなさげに笑顔をたたえる。
「クローチェ、様、はよく入ってくみたいだけど」
大樹がそう言えば、メイアからは「わたし達は魔術師だからね」と苦笑いが返ってくる。最もな切り返しに、大樹は「ですよねぇ」と、納得するしかない。
大樹はついさっきの光景を思い出す。
大きなクヌギの木があった。そのそばに自分は横たわっていて、そのすぐ側には……。
「あれ……そういえば、ケースどうしたっけ」
「輝石のケース? あれ、持ってこなかったね。すごく大事なものだったのに」
二人は顔を見合わせ、苦笑した。大樹の「取りに戻らないと」との言葉に、メイアは笑って頷いた。
クヌギはあまりにも大きく、温室の中でも異質だった。温室に入り込んだ瞬間、その木がどこにあるのかはっきりと分かる。クヌギは天井を突き抜けてしまうほどに大きく高くそびえ立っていたのだから。
「あの木! あのそばに、置いてきたんだよ!」
クヌギを目にするなり、大樹は一直線に木に向かって走る。ジャングルのような空間を走り抜ける大樹に、見たこともない棘だらけのツルが伸びかけたり、針のように尖った何かの種子が降り注ぎかけたりしていたが、大樹は全く気づかずにとにかく走っていた。
「気をつけないと、危ないよ!」
何もかも振り切り、木々の合間を抜け、大樹はクヌギの木の前に到達した。肩で息をしたまま、ふらりふらりと誘われるように大樹はクヌギの木の幹に手をのべる。
「大樹、気をつけないと!」
「あ……うん。ごめん」
大樹はそっと幹に触れた。あたたかい。天井のガラスを抜けて降り注ぐ太陽の暖かさなのか、生命としてのエネルギーによるものなのか。地面から吸い出した水を空へ帰す作業を大昔から続けているのだろう。
幹に触れたまま、なんとはなしに天井を見上げた。そんな大樹の脳裏に、ふと何か温かい記憶がよみがえる。
――ダイ、ダイちゃん……
遠くで誰かが大樹を呼んでいる。あまりにも光が眩しくて、その誰かの輪郭もつかめない。でも、耳に馴染んだ優しい声だ。
「なんだ……」
思い出そうと記憶を探る。が、ふと背後からかかった少女の声にそれは阻まれた。
「ダイジュ!」
メイアが「ケースあるよ!」と、続けて声を掛けた。彼女の声に、大樹は声の主のことは一旦「気のせい」として留め置くことにしてしまった。
クヌギから少し離れた場所で、コレクションケースが5つ並んでいる。一つのケースだけは中身が外へこぼれ出てしまっていたが、それは大樹とアンジェリカの勝負の名残だ。
その転がった輝石は柔らかい光にさらされ、一層キラキラと光り輝いて見える。
「ダイジュの輝石! こんなにたくさん持ってたんだ」
「厳密に言うと、元は俺のではないんだが……」
「すごいね。こんなたくさん揃ってるの、見たことないよ!」
驚きを通り越して恐怖ともとれる反応をしたメイアに、大樹は「やっぱり、そんなに凄いモノなのか……」と、逆に焦る。やはりディルクの離した通りのレア物なのだろう。
「ダイジュ。やっぱりアナタって、すごい魔術師なんじゃないの!?」
「いやいやいや、違うって! 俺はただの学生で」
興奮気味のメイアに、大樹は「違う違う!」とひたすらに弁解の言葉を連ねる。
「学生? 元の世界にも魔術師学校があったの? 学生で、こんな凄いアイテム持ってるなんて凄いよ」
「いや魔術師学校ではない。というか……そこまで言われると逆に焦るわ!」
メイアは、息を荒げながら大樹に詰め寄る。あまりの距離の縮め方に、大樹はあたふたするばかりだ。
メイアはフーッと息を吐いて呼吸を整えてから、大樹の両手を取り強引に地面に座らせる。それから自分も一緒にその場に腰を下ろして口を開いた。
「ディルクさんも説明してくれたけど、輝石は大昔は装飾品でしかなかったらしいの。世界中で掘り尽くされて色んな人の手に渡って散らばったあとで、魔術的な価値があるって分かったんだって」
メイアは「だから、こんなたくさんの種類の輝石……写真でしか見たこと無いよ」と感心した様子で語る。
「この輝石たちの持ち主は、ダイジュなんでしょ」
「あぁ……今は、そういうことらしい」
メイアは興味津々と言った様子で大樹に言う。
「何か見せて!」
「は?」
彼女は戸惑う大樹に重ねて言う。
「何か見せてほしいな。魔術! さっき見たのもすごかったけど!」
「そんな気軽に見せるもんなのか、魔術って」
瞳を輝かせるメイアに大樹はため息混じりにそう吐けば、ふとキラリと光るものが大樹の左の肩口あたりに浮かび上がった。
『主の言う通りだ、小娘が』
大樹が「へ……」と唖然としながら横目で見れば、見知った色形の物体がそこにあった。
「天眼石!」
「すごい! 石が喋った!」
メイアも思わず前のめりになる。顔がぐっと近づき、大樹は背後へ重心を移動させる。
「お前、俺は呼んでないぞ」
『呼ばれなくとも、主が面倒に巻き込まれていると思ったから出てきて差し上げたのだ』
慇懃無礼な口調だったが、大樹は「っく!」と言い返す言葉もなかった。
『小娘。お前は魔術師学校とやらで無駄な術を使うなと言われなかったのか?』
「言われたけど! 輝石使いなんてレア中のレアだよ。見てみたいじゃない」
口を尖らせるメイアに、天眼石は『まったく。これだから小娘は』と吐き捨てるように言うばかりだった。
『お前は、みたところ……ヴァルカヌスか?』
呆れた様子で天眼石がメイアに問うた。メイアは驚いた様子で「え、うん。私はヴァルカヌスの契約者だよ」
二人の会話に入っていけない大樹は、「ヴァルカヌスって?」と天眼石に尋ねた。
『炎の精霊だ。この小娘は炎使いなのだ』
大樹は感心しながら「すげぇ。カッコいい」とメイアを尊敬の眼差しで見つめる。
『であれば、火炎石……ファイアークォーツがよかろう』
「火炎石?」
『いいから、呼べ』
「うん。火炎石!」
大樹がそう言えば、蓋が閉じられていたコレクションケースが光を放ち、そこから一つの鉱石が飛び出してきた。ゆらりとゆれながら、その鉱石は大樹の右の手のひらの上にたゆたう。
「これが、火炎石」
「すごい」
『火炎石は炎の結晶だ。お前が思うように使うんだ』
「うん。えっと、そうだな……灯りを」
天眼石はその言葉に呼応するように、火炎石が大樹の手のひらの上で揺らめいた。
そして、火炎石の周りに親指の先程の小さな火の玉が一つ、二つ、と次々に出現する。炎は揺らめきながらメイアと大樹の周りを囲むようにして広がっていく。
「きれい……。すごいよ、大樹」
「俺がなにかしたわけじゃないけど、うん。でも、きれいだな。ははっ」
温かい光が、二人を包み込む。まるでイルミネーションでも見ているかのように、その光はキラキラといつまでも輝いていた。
『主よ、この程度は遊びも同然だ。本でも読んで勉強するんだな』
「わかったよ……ったく」
「どっちが主なのかわからないね」
天眼石と大樹の会話に、メイアはクスリと笑う。メイアの笑みに、大樹もつられて笑っていた。
「楽しそうに笑ってるね」
温室で笑い合う二人を遠くに、冷めたような小さな声が響く。アンジェリカの声だ。
「慣れるのはまだ先だろうけどね。クローチェはひとまず安心?」
「そうだね。あの子は簡単にへばるような子じゃないだろうから、そこまで心配はしてないよ」
アンジェリカの横には仮面の女―クローチェ―が佇んでいる。
クローチェは「まさか、お前があの子を召喚するとはね」と、呆れた様子で言葉を吐く。アンジェリカは「そんなつもりなかったもん! 輝石に付いてきちゃったのはダイジュだよ」と頬を膨らませていた。
「お前でも失敗することがあるんだねぇ」
クローチェはため息混じりに言葉を吐く。アンジェリカは「失敗したつもりないっ!」と、さらに頬をふくらませる。
それから、クローチェは大樹とメイアに背を向けてゆっくりと執務室へ向けて歩き始めた。アンジェリカも彼女の背中を追って足を進めた。
アンジェリカはクローチェを見上げながら口を開く。
「会えて嬉しくないの?」
「嬉しくない、ことはないね」
アンジェリカは幼気な表情にもかかわらず、「ふーん……」と、何やら不服そうに口を開く。
「これからさ、きっと色々大変だよ」
低く響いた幼い少女の言葉に、クローチェは「あぁ……そうだろうね」と溜息混じりに口にしてから続けて言った。
「守ってやるよ。大樹も、あの子たちも、お前もね。それが私の役割だから」
「そう……」
暗い二人の言葉を知る由もない大樹とメイアは、相変わらず楽しそうに笑い合っていたのだった。
× × × × × × × × × × × × ×
「ところでメイア。さっき、ディルクさんが自分のこと“いい歳”って言ってたけど何歳なの?」
「えーっとね。確か、43歳」
「は!? 20代くらいにしか見えないんだが……結構いってるんだな」
「すごい童顔だよね」
メイアの言葉に、大樹は絶句した。