6. 特別指定区域って何だ?
執務室には、一枚板で作られたらしい重厚で大きな事務机が一つ、それから少し離れた右側には一回り小さいがしっかりとした事務机が一つ、その向かいに部屋の中央にはダイニングテーブルのような6人がけの大きな机が置かれていた。さらには革張りの3人がけのソファとローテーブル、シングルソファが2つある。
その大きな机で、大樹はメイアに横に座ってもらって彼女に質問しながら渡された書類に記入をしていた。書類内容は出自やら住所やら、一般的な必要事項があるが、召喚された大樹が書ける項目はほとんどない。
――どうしろっつーんだ、この書類。
大樹は、苦笑いを浮かべながら空白ばかりの書類をまとめていった。
今のところ執務室には大樹とメイア、ディルクと昼寝を続ける少女以外には誰もいない。いつの間にやらクローチェは姿をくらましているようだ。しかし、他に働いている者でもいるのだろうか。大樹はそんな疑問を胸に時折キョロキョロと視線を這わせた。
壁にはいろいろと張り紙がしてあるが、みたこともない文字だ。だが、読めるような読めないような妙な感覚がある。
作業するこの大きなテーブルには食べかけのお菓子や化粧道具、分厚い書籍などが並んでいた。少なくとも他に女性がいるのだろう。
しかし、テーブルの一角にあるトグロを巻いたような黒くてゴツい鎖の山は何なのだろうか。それに、風景写真が何枚か並んだ席があった。
そして、その写真に紛れるように少女の──アンジェリカの写真が入った写真立てが置いてある席もある。
「誰が使ってる席なんだ……。つか、なんでアンジェリカちゃんの写真?」
一体何なんだろうか。
「タカギ・ダイジュ……珍しい響きの名前だな。君って、オリエンタルなの?」
遠い位置から発せられたディルクの的を得た言葉に、大樹は「はぁ。まぁ、そうです」と、笑う。
それから大樹は、心のうちで「オリエンタルって、東洋だよな……そういう概念があるのか」と、この世界の形を垣間見る。
大樹がディルクに返す次の思案していると、それを気にしない様子のディルクが「一応こちらも挨拶が必要だな」と言って続ける。
その言葉に、「え、さっき挨拶は済んで……」と大樹が言うと、ディルクは笑う。
「彼女のことだよ。名前はコトル」
ディルクが大樹から離した右手を首元へ向けると、スカーフのように見えていた白いモノがニュルリと動いた。
「へ、蛇!? 彼女?」
見れば、細い長いチューブのようなものがくびもとでうごめく。先端には小さな黒い点が2つ見える。それが目なのだろう。
「僕は、マギティノスと契約している魔術師なんだ。他にも契約獣はいるけど、おいおいね」
「マギティノス?」
よく理解していない様子の大樹に、メイアが「魔獣を束ねる精霊のことだよ」と小声で耳打ちした。
「なんか、すごい……」
「ありがたいお言葉だけど、僕は基本的に事務方でね。前衛業務は退いてる。もういい歳だしね」
「前衛業務……って? さっきも話に出てたけど」
大樹は疑問に思った言葉を口にしながらメイアへ視線を向けた。するとメイアは笑って言う。
「前衛業務っていうのは、特別指定区域に出る系の仕事のことだよ。逆に後衛はそれ以外の場所に行く系。正式な用語じゃないらしいけど」
「へぇ……。って、特別指定区域って何だ?」
大樹がメイアの言葉にまた首を傾げると、ディルクは「やはり、何も知らないんだねぇ」と困ったように笑う。
「それは説明が必要だね。おいおい、ね」
ディルクは「なかなか大変そうだ」と、苦笑した。
それから少し間をおいて「書類できた? さっそくだけど、仕事を手伝ってもらおうかな。メイアもね」と、ディルクは二人に言う。
「はい! やろう、ダイジュ!」
「はぁ。どんなことでしょうか」
「ただの仕分け。これを右上に書いてある番号順に並べてほしい。あと、記入欄も見て誤字あったら直して」
彼は「これさぁ、本当は順番になってたのに、色々あってめちゃくちゃにされてさぁ」と悲しげに暗い影を見せる。大樹は何があったのか聞きたくもあったが、聞いたら長くなりそうなので、その問を飲み込む。
「中央に提出しなきゃいけない業務報告書なんだけどね。別件の資料作成が締切キンキンで。頼むよ」
「中央って、役所か何かですか」
大樹には、魔術師と役所という関係は全く想像していないことだった。
「うん。この業界って色々と公的方面で面倒事多いんだよね」
「魔術師の、業界か」
どうやら魔術師はこの世界ではありふれた存在の職業ジャンルの一つらしい。しかも名前から想像するイメージより、だいぶ面倒事が多そうな仕事らしい。
おまけに、このディルクという彼は元の世界の中間管理職のようにストレスフルな日々を送っているようだ。大樹は何となく同情した。
メイアが喜々として書類の束を受け取ったところで、ディルクは「分からないことがあったら聞いていいからね!」と、だけ言って自身の机へと戻っていった。
「整理くらいなら楽勝だな」
「ダイジュはこういう作業得意なの?」
大樹は「得意っていうわけじゃないけど、単純作業だしね」と、書類をペラペラと捲りながら内容も確認する。指定の連番は確かにメチャクチャになっていた。文章は、壁の張り紙でも感じたが、なぜだか感覚的に何が書いてあるのかが大樹にも分かった。
「不思議だ、不思議すぎる」
読めば、手書きの文字もキレイなのもあるが、汚くて読みにくいものもある。確かにこれは提出書類としては難しいだろう。大樹の口から自然と溢れる言葉にメイアは「なに?」と首をかしげるばかりだ。
「このキレイな文字は……イリスさん? こっちのキタナ……個性的な字のは、ハルさん」
大樹は、姿が見えない人物の名前を述べる。少なくとも二名の女性が在籍しているのだろう。
「二人とも、優しくてカッコいい人だよ。厳しいところもあるけどね」
メイアは既に見知った人物のようだ。
彼らは少しばかり楽しさを感じつつも淡々と言われた作業を続ける。
ディルクは彼の作業を遠目から一瞥し、安心したように自身の手元へ視線を戻した。
「荷物の運搬、遠隔地への訪問業務、植物採取の補助……」
渡された書類は、魔術師派遣業務の報告書のようだ。主題になっている内容は然程危険は感じられない。だが、詳細となっている報告内容を確認しながら、大樹は表情を歪める。
「亜獣からの護衛……? ん、奇襲? 襲撃? 何だこれ」
めくるたびに何ともいい難い怪しい言葉が視界に収まる。やはり魔術を生業とするくらいだから危険が伴う仕事が多いらしい。
「これ、俺もやるの……?」
近いうちに関わることになりそうな仕事に、大樹の背筋に冷たいものが走る。
「ていうか、亜獣ってなんだ。魔獣と違うのか?」
ふとした疑問を口にすれば、メイアが聞いていたようで口を開いた。
「亜獣っていうのは、もともと生息していた生物の変異体。突然変異ってやつだよ。特別指定区域の影響じゃないかって言われてるんだ」
その言葉を聞いて、大樹は「また特別指定区域か……。亜獣はわかった。じゃ、魔獣は?」と続けて尋ねる。
「魔獣は、異界から召喚した生物……かな。魔術的な能力を持っているモノを魔獣って考えれば大丈夫。マギティノスの魔術師が扱うものはほとんどが魔獣だね」
「そうなんだ。魔獣のほうがやばそうだな」
「でも、だいたい戦闘になるのは亜獣のほうだよ」
メイアの説明に、大樹は「そうか、なんか難しいな……」と、渋い表情を見せるのだった。
クローチェは「人材派遣事業」と言っていた。
依頼主がいて、頼まれてやっていることなのだろうが……この世界はどういう仕組みで魔術師の派遣事業とやらが成り立っているのだろうか。
果てしない疑問が大樹の脳裏を駆け巡っていた。
「あのさ、メイア。 魔術師事務所の仕事って……どうなの? どういう依頼があるのか知ってる? さっきの前衛業務の話もよくわからないんだけど」
大樹の問に、メイアは「私もまだ詳しくは言えないけど……」と考えた様子で視線を上へ向けてから、改めて大樹と視線を合わせた。
「さっき話した特別指定区域がよく絡むんだよね」
「とくべつ……してい、くいき?」
「そ。中央が決めた、魔術師と一緒じゃないと危なくて入れない場所があるの」
メイアは何でもなさそうに机の上で書類の束を立ててトントンと上下させて端を合わせる。大樹は「危ない、場所」と、彼女の言葉を反芻した。
「今の時代、そういう場所がどんどん増えててね。普通の人が行きたくても行けなくなった地域が増えちゃってるんだよね」
メイアは続ける。
「だから、その依頼者に同行する形で特別指定区域に行ったりするんだよね」
「やっぱり危険な感じ、なんだね」
「この中央に出す書類も、特別指定区域に立ち入った人の把握のためのもので、何があったかとか、どういう亜獣がいたとか、そういうのの報告書なんだよ」
呆然とする大樹に、メイアは「でもでも、そういうのだけじゃないよ!」と慌ててフォローする。
「まぁ、魔術師学校の同級生は、一般企業の魔術部門に就職って人が多かったけどね!安全だし!」
「そういうのが、後衛業務ってやつ?」
大樹の問に、メイアは「そうそう!」と応える。
カラッとした笑顔を浮かべるメイアだったが、大樹は「つか、魔術師に一般企業就職ってもあるんだ……」と、この世界に対する謎をさらに深めていた。
「基本的に、ここみたいな事務所は前衛業務が基本なんだよね。そうじゃないモノもあるけど」
メイアは書類をめくりながら静かに言ったのだった。