5. 世の中、不思議なことって起こるから
「……というわけで、この子は高木大樹。メイアと一緒に入職させることにしたよ」
クローチェに誘われ、メイアと共に温室から渡り廊下を抜け、誘われた空間。クローチェが「執務室だ」と言ったその場所で、大樹はメイアとともに事務机に向かっていた一人の男に向かい合うように並べて立たされていた。
彼はダークグレーのスーツにノンネクタイの背の高い30代半ばほどと見える銀縁丸眼鏡の優男だった。彼は櫛通りの悪そうな癖のあるモジャモジャとした赤毛に、首周りには白いストールのようなモノが巻かれている。おまけに何故か左手のみ黒い手袋をしていた。
「メイアは知っているだろうけど、この男はテオドリック・スネイマー。うちの副所長だよ」
つまりはクローチェの片腕というわけだ。大樹は「よ、よろしくお願いします」と、形ばかりの挨拶の言葉を述べる。未だ大樹は、現在の状況に理解が及ばず、目が死んでいる状態だったのだ。
彼は「う、うん。よろしく。まぁ……僕のことは、ディルクと呼んでくれ」と、言いながら続けて呆れた様子で口を開く。
「って、いやいや……そうじゃなくて!!」
ディルクは一人ツッコミのような言葉を吐きつつ、頭を抱えながら勢いよく立ち上がる。結果、彼の座っていた背もたれの大きな椅子が背後に音を立てて倒れてしまった。
「クローチェ様!! さっき、メイアにオリエンテーションだっつって、事務所内を案内して回ってたはずですよね? この部屋出られてから30分も経ってませんよね? この短時間に何なんですかこの状況は!」
彼は「何なんだ。どこから沸いてきたこの少年は! この状況をどう料理すれば納得ができるんだ! いや、できない!」と、頭を抱えながらヘッドバンキングでもするかのように上半身を前後にゆさぶっていた。
その叫びに、大樹も心のうちで激しく同意しながら静かに「俺も知りたい、この状況」と呟く。
「そうだね……まぁ、世の中、不思議なことって起こるからねぇ」
さらりと言ったクローチェに、大樹は「実際に起こってるし」と独りごちた。
だが一方のディルクは「あのですね、クローチェ様! 確かに魔術が一般的なこの世の中ですから! 不思議なことは起こるかもしれませんが!」と、丁寧に前置きをした後で続ける。
「こういう多方面に影響の出る事象は、“というわけで”で片付ける話じゃありませんよ!」
彼は、ズカズカと乱暴な足音で机の前に立って大きな声を上げた。5人の他には誰もいない広い空間に、彼の絶叫が響き渡る。
「アンジェリカが呼び寄せた異世界の少年って……全く」
値踏みするような視線を大樹へ向ける。
頭から足元まで視線を二往復させた後で、彼は「はぁ~~~っ」と盛大に溜息を吐きながら、彼の背後にある事務机に後ろ手に手を付いて首をがっくりと落とす。
「確かに、見た目だけは人畜無害な普通の少年に見えますけど……」
その、おそらく彼のものであろう机には山のように書類が積み重なっている。彼は管理職としてそれなりの仕事量を抱えているらしい。ついでにストレスも抱えているのだろう。先程から溜息ばかりが彼の口から漏れる。
「確かにウチは、というかこの業界は、慢性的な人手不足ではありますが……どこぞの回し者とも分からない無力な少年をこうも簡単に引き入れるのは、ちょっと。外部に漏れたら困るような案件もありますし」
「まぁ、そうですよね。そうなりますよね。実際、俺は普通の少年ですし」
大樹は感情のこもらない言葉を口にする。
ディルクは前髪を掻きながら「いや、そりゃね。キミは災難だったとは思うけど」と、言いつつソファに寝かされたままのアンジェリカを横目で見遣る。彼の視線につられて大樹もアンジェリカを見た。
幼気な寝顔をたたえ、なにやら口元がキラリと光る。ヨダレを垂らしているらしい。
それを目に、大樹の口からは自然と「こ、このガキ……」と怒りの言葉が溢れていた。
「でも、ダイジュは輝石使いだよ」
「輝石使い!? この少年が? ただの一般人じゃないんですか?」
ディルクはクローチェの言葉に驚き、机に付いていた手で書類の山を押し倒してしまった。ザザザッと音を立てて書類がハラハラと舞い散る。
「そんなに、すごいの……俺」
自然と口から飛び出た言葉に、ディルクは「キミは自覚が無いのか。“すごい”なんて表現じゃ、足りないくらいさ」と真っ直ぐに大樹を見る。
「輝石は、ゲーノモスが何百年、何千年もかけて作り出した純度の高い魔力の結晶。その力を操るのが輝石使いだ。単に精霊と契約しただけなら誰でも魔術師になれるが、輝石使いは、また別だ。輝石を持っていないとなれないし、持っている数だけ多様な魔術を使える」
――輝石はゲーノモスが生み出した魔力の結晶
ふと、大樹の脳裏にアンジェリカが言った言葉がよぎる。
ディルクは「輝石は過去には多く流通していたと聞くが、今の世に出回っているのは極僅か」と、続ける。
「故に、輝石使いは相当レアな類の魔術師なんだ。おまけに輝石に備わってる力は、いわゆる属性魔術とは一線を画するからな。ある意味、最強の魔術師とも言える。まぁ……術者次第ではただの器用貧乏とも評されてはいるが」
「器用貧乏……」
クローチェは「今の大樹は、器用貧乏とかそういうの以前だけどねぇ」と、クスリと笑った。
「まだ魔術師として目覚めたばかりで力のコントロールも上手くできないようだから、しばらくは見習い扱いで雇うことになるね」
そう言ったクローチェに、ディルクは「見習い、ですか」と言ってから大樹へ視線を向ける。彼は小さく「輝石使いを見習いとして買い叩けるのか」と呟いてから人の悪い笑みを浮かべた。
が、すぐに両手で頬を叩いて顔を上げる。
「キミが持っている輝石の種類がいかほどかは知らないが、もしもキチンとマスターできるのなら、うちには重要な戦力になるな……」
ディルクは今ひとつ信用できていない様子で顎に右手で作った拳を当てて思案する様子を見せる。
メイアが「書類、拾いましょうか」と彼の足元に散らばったままの紙に視線を落とせば、彼ははっとした様子で自身の足元へ視線を向ける。
「あ、書類! いや! うん!? わわわわわ……っ!」
ディルクはしゃがみこんで床に散った書類を慌ててかき集める。どうやら彼は、書類が散らばってしまったことに気づいていなかった様子だ。
彼の所作に、思わず大樹の口から「忙しいな、この人」と言葉が漏れた。
そんなディルクを上から見下ろしながら、クローチェはフフンと笑って口を開く。
「お前、事務方の手伝いをほしがってたね。そういうのやらせて構わないよ」
「………………」
「大樹はまだまだ魔術師として半人前以下。いきなり前衛業務は無理だろうしね。私としては最初は事務方メインで、と考えているよ」
その言葉に、ディルクは体の動きをピタリと止める。
彼はひとしきり書類をかき集め拾い上げたところで立ち上がって咳払いをひとつした。
「ですが、万が一にも彼が何かやらかした場合は……クローチェ様?」
先程まで濁りのあった彼の瞳には何やら理知的な光がこもる。
「分かった分かった。お前の言う通りにするよ」
二人の視線がかち合う。曖昧に響く言葉に、大樹には何をどう伝えあっていたのか分からない。
ただ、自分が下手をしたらタダでは済まない、と。それだけは察することができたのであった。
とりあえず、大樹はクローチェの言うがままに籍を置くことを許されたらしい。片腕であるディルクも何やら納得した様子だ。
「じゃ、後で総務に提出する書類あるから、メイアに聞きながら記入しておいてね」
ディルクは倒れたままだった自身の椅子を立て直しながら、愛想のいい様子で大樹に言葉を向けた。
胡散臭いほどに穏やかな表情を見せたディルクを目に、メイアは「ね、別に怖い人じゃないよ。皆いい人だから」と笑顔を浮かべながら言った。
「怖いとか、そういう次元の話じゃ……」
「とにかく、これから一緒に頑張ろうね!」
彼女の表裏のない笑顔だけが、大樹の救いだった。