4. どうやら輝石使いのようだ
「子どもの遊びにしては、危ないねぇ……全く」
どこからか声が届く。母親のような年齢と思われる女の声だ。大樹は驚いて思わず歩みを止める。
「これが、本物の魔術師同士の戦いですかっ?」
さらにもう一人分、興奮を隠しきれない様子の少女の声も響く。その声に「こんなのはじゃれ合いみたいなもんだね」と、呆れた様子で最初の女の声が響く。
「誰……」
大樹は、その音源へ振り向こうとした大樹の頬をかすめるように一枚の赤いカードがアンジェリカに向けて一直線に飛んでいったことに気づいた。
「へ……」
「ゆっくり、下ろしておあげ」
その声とともにカードが弾け、散り散りになった破片が光となって散っていく。
「魔法……?」
大樹が呆然と立ち尽くしていると、ハラハラと中空できらめいていた光が風を呼ぶ。
その風はアンジェリカの体を包み込み、ゆっくりと地面へと下ろす。
アンジェリカは気を失っているらしく、目を閉じてぐったりとしていた。
「アンジェリカちゃん……無事、か」
大樹は肩で息をしながらアンジェリカのもとへ駆け寄って膝をつく。それから呼吸があるのを確認してから、頬を撫ぜてやった。
大樹のもとへフワリと飛んできた天眼石は『主よ。全く甘いな……』と、再び呆れた様子だ。
「俺は別に、この子と勝負なんてする気なかったんだよ!」
彼がそう言えば、天眼石は『そうかそうか。また必要があれば呼べ』とだけ言葉を残して、コレクションケースへと戻っていってしまった。
「あぁ~……くっそ。何も解決してねぇ!!」
横たわる少女を前に、大樹は頭をかきむしった。
「どうすんだよ、これぇええ!!」
「で、どこから沸いてきたのか答えてもらわないとね、少年」
絶叫する大樹に、声がかかる。大樹は「あ……」思い出して顔を上げた。
その声は、さきほど聞いた年上の女の声だ。
「って、うあぁあああ!!」
顔を上げた先にあったのは、口元だけが顕になった見るからに怪しい黒い仮面をかぶった人物のモノであったからだ。声と見た目だけで女だと察するが、それでも怪しいモノは変わらない。
彼女は足首まで隠れた黒いロングドレスを身にまとい、髪をなびかせている。ドレスは胸の高さからプリーツ加工がされており、袖口はレースが施されているフォーマルなタイプのものだ。
彼女は大樹の顔を目に、一瞬動きを止めた。
それから右手を伸ばして大樹の顎を掴み上げ、さらにまじまじと彼の顔を見つめる。
「お、俺はアンジェリカちゃんに無理やり呼び寄せられただけで……」
怯える大樹に「ふぅん……」と、言って咳払いを一つしてから大樹を強引に立ち上がらせた。
「え、もしかして召喚術ですか! アンジェって、そんなことできたんですか!?」
ブルネットの長い髪の少女が仮面の女の横から顔を出す。彼女はツリ目がちの大きな琥珀色の瞳をきらめかせてアンジェリカを見つめた。
彼女は赤い膝丈の薄手のコートを身にまとっていた。前は黒く大きなボタンが3つ縦に並んでおり、それをすべてきっちり留めている。コートからのぞく細い足はグレーのロングソックスにブラウンのブーツで守られている。
彼女は「流石、クローチェ様の事務所は層が厚いんですね」と、興味津々といった様子で大樹に歩み寄った。
「クローチェって……事務所の、偉い人?」
さきほどアンジェリカが言った言葉を思い出して反芻するように言えば、少女は「当たり前でしょ!」と、半ばキレ気味に言葉をつなぐ。
「ここにいらっしゃるクローチェ様は、世界でも指折りの魔術師。封印の魔術師の異名を持つ、クローチェ・サンボレア様だよ!」
自分のことかのように語る少女に、大樹は「は、はぁ……」と応えるしか無い。さきほどから大量に流れ込んでくる情報に、大樹の脳は機能できていないのだ。
「で、お前さんのお名前は?」
そのクローチェから不意に尋ねられる。大樹は聞かれるがままに、「大樹です。高木、大樹」と応えていた。その答えに、クローチェは今一度「ふぅん……」と返す。
先ほどと異なるのは、どこか嬉しそうに響いていたことだった。
「そう……それは悪かったね、大樹」
「はぁ」
その言葉に続いたクローチェの言葉は、大樹に申告な現実を叩きつけた。
「アンジェリカのことだ。おそらく衝動的に召喚術を使って、呼び寄せたあとのことを考えちゃいないだろうね。転送は召喚よりももっと繊細で高度だから、今のアンジェリカには難しいそね」
その言葉を、大樹はすぐさま理解した。
「えっと……つまり、俺はもとの場所に戻れないってことですか?」
「まぁ、絶対ではないけれど」
「あなたが、その……クローチェ、さんが代わりにやってくれたらいいんじゃ」
その言葉に、クローチェは食い気味に「それは無理な話だねぇ」と言う。
「転送は、お前の元いた世界の時間座標へピンポイントで飛ばす必要がある。それはもう髪の一本ほどのズレでもあれば、全く違う世界や時代や場所へ飛んでしまう可能性があるのよ」
クローチェは続ける。
「その正確な座標を知っているのは、召喚したアンジェリカだけ。私が不用意に転送を行ったところで、大樹が元の場所へ帰れる保証はないね」
大樹はその言葉を耳に、その場に崩れ落ちて項垂れた。大樹は、自分の足元が崩れ落ち、奈落の底へ体がゆっくりと落ちていくような、そんな感覚に陥っていた。
「なんか、よくわからないけど……かわいそう」
少女は哀れみの視線を大樹に向ける。美少女から見つめられる、という元の世界ではなさそうなシチュエーションだったが、そんな考えは今の大樹には浮かばない。
そんな大樹を横目に、クローチェは大樹の背後の地面に散らばる鉱石を視界に収めた。それから「そうか」と何かに納得した様子で大樹に言う。
「さきほどのアンジェリカとの戦いを見せてもらったが……どうやら大樹は輝石使いのようだね。アンジェリカに召喚された原因も輝石だね」
彼女がそう言えば、横に立っていた少女が「輝石使いって……うそ」と、驚いた様子で目を丸くする。
「行く宛も何も無いのだろうから、戻れるまではこの事務所に腰を落ち着かせてみる気はない?」
「は? え?」
状況をつかめない大樹に、少女が「いいと思います!」とパッと表情を輝かせる。
「私と同期になろう、ダイジュ!」
座り込んだままの大樹に、少女が「私はメイア・ファイエラ」と言いながら右手を伸べた。
「メイア……さん」
ぼんやりとした大樹に、メイアは「メイアでいいよ!」と笑顔を返す。
「この子は、今度ウチに入職する新人魔術師。まとめてイチから教育してあげようね」
メイアの手を握り返すのをためらっている大樹に、クローチェが「アテが無いなら、ウチに来るしか選択肢はないでしょう」と言う。もはや命令のようなものだ。
――あぁ、もうワケ分かんねぇのは変わらないけど!!!
大樹はもう腹をくくるしかなかった。勢いをつけてメイアの手に触れ、思い切り握り返した。メイアはびっくりした様子で「痛いよ!」と言うも、怒っている様子はなく笑っていた。
「よ、よ……よろしく、おねがい、します」
未だ納得できていないという言葉を含みつつも、大樹はいびつな笑顔を二人に向けた。
――何させられんだよ! 魔術師って何なんだよ!!
ゲームや漫画の世界程度の理解しか無い“魔術師”。大樹はその事務所にこれから所属させられるのだ。先の見えない不安に、心からの笑顔を見せるのは困難だ。
そんな思いを知ってか知らずか、クローチェは「面白いことになりそうだね」と口元だけで笑っている。
「同期がいなくて不安だったけど、良かったぁ~!」
一方のメイアは「一緒に頑張ろうね、大樹!」と実に素直に笑っていた。
「とにかく、他の子たちにも言わないとね。副所長にも説明しないと」
クローチェは「お前たち、ついておいで。悪いけど大樹はアンジェリカも連れておいで」と、二人をこまねく。
「はーい!」
明るく応えるメイアに続いて、大樹は立ち上がって地面に横たわったままのアンジェリカを見下ろした。
寝入ったままの彼女は、天使と形容してもいいくらい可愛らしかった。そんな顔にため息を吐きつつ、大樹は彼女を横抱きにして抱え上げる。
こんな小さくて軽い体に、あんなにも恐ろしい力を秘めているのだ。おそらく、大樹の前を歩くメイアにも同じように凄まじい力が備わっているに違いない。
「ところで、この事務所は……どういう業務を主にやってらっしゃるんでしょうか?」
おそるおそる尋ねた大樹に、クローチェは仮面から唯一顕な口元で笑いながら口を開いて「人材派遣事業、だね」と言った。
「人材派遣?」
首をかしげる大樹に、クローチェは続ける。
「魔術師を……お前たちを必要としている御客たちに、こちらの手を貸してやる仕事だね」
大樹は想像のつかない業務内容に、眉間にシワを寄せつつ頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。
メイアは「これから楽しみだね」と、相変わらず素直に笑っている。
「たの……しみ、なのか」
不安と恐怖を胸のうちに抱きながら、大樹はただ前へ歩き出すしかなかった。