2. こんにちは。はじめまして
白いだけの空間が、じんわりと何かの姿を映し出し、そしてゆっくりと色づき始める。
最初に視界に飛び込んできたのは、青々とした枝葉だった。
桜よりも長さがあり、柊ほどではないがドゲトゲとした形状の葉に、大樹は見覚えがあった。
「クヌギ……?」
正気を取り戻してから気づく。大樹は地面の上に体を仰向けに横たえていた。
上体を起こして見上げると、庭先で見た記念樹よりも一人では抱えられないほどずっと幹が太い巨大樹が彼の直ぐ側で凛と立っている。
「家……じゃない、よな」
左右へ視線をやると、見たこともないような数の植物が植わっていることがわかる。しかし、視界に収まる幾つかは見たこともないような禍々しい枝葉を付けた植物ばかりだった。ここはまるで鬱蒼とした森のような空間だ。
「ジャングルか、ここは。というか、日本……?」
違和感があるのは、そんな不可思議な場所にクヌギの巨木が存在していることだ。一体ここはどこなのだろうか。
だが、さらに妙なのはあたりの地面を見れば、押し入れから引きずり出した鉱物の木製ケースが5つも転がっていることだった。
「なんで、これが……」
そしてふと気づく。左腕に嵌めたはずのブレスレットが跡形もなく消失していた。あの感じていた猛烈な熱も何も無い。転がるケースへ軽く目を向けるが、ブレスレットが転がっている様子もなかった。
「なんなんだよ、ホント」
思わず前髪をかきむしった。
それから律儀にケースを手元へかき集めながら、大樹は頭上へと視線を向けた。見れば、遠くにガラスらしき透明な素材でできているような壁と、支柱となっている白い格子が見える。大きなクヌギの樹は、そのあまりの大きさのせいか、天井を突き抜けてしまって入るが。
どうやらここは温室か何か、室内らしい。
「あれ……男の子?」
ふと、覚えのない少女の声が響く。
「は?」
なぜ気づかなかったのだろうか。大樹の眼の前に、10歳かそこらといった幼さの残る顔貌の少女がいた。少女は肩にかかるほどのミディアムのダークブロンドを揺らしながら、大樹をまっすぐに見つめ困ったような表情をたたえている。
「きみ、誰……?」
「アンジェのこと? 名前はね、アンジェリカ」
「アンジェリカ、ちゃん?」
アンジェリカと名乗った少女は「こんにちは。はじめまして」と、小首をかしげながら言った。彼女は白いブラウスに紺色のサロペットスカートを身につけ、可愛らしく佇んでいた。
「お名前は?」
そう尋ねる少女に、大樹が「はじめ、まして。俺は……高木大樹」と、間抜けな顔を浮かべる。すると、彼女は石を指さして言葉を続けた。
「ダイジュ、は……もしかして契約者? コレの主?」
「けいやく、しゃ? なにそれ。主って、持ち主かってこと? いや、それは……」
ーーこの輝石たちの、次の持ち主は……大樹で決まりね。
大樹は祖母の言葉を思い出すが、首をかしげるばかりだ。別に正式にどうこうしたわけでもない。
とすると、大樹は自分が持ち主だと言うには違うような気がした。
「違うの? 持ち主じゃないの?」
少女は大樹のはっきりしない様子に訝しげな視線を送ってから、彼の傍らに並んだ鉱物のコレクションケースへと改めて視線を向ける。アンジェリカ
「でも……これは、じいちゃんのモノだよなぁ」
「おじいちゃん?」
不思議そうに大樹を見つめる彼女に、大樹は「うん。死んだ、じいちゃんの」と返す。すると少女は「それじゃ、やっぱり誰も主がいないんだ!」と、なぜだか嬉しそうに瞳をまたたかせた。
「あの、アンジェリカ、ちゃん? 何の話をしているのかな」
大樹が混乱気味に少女に声を掛ける。
すると笑顔になった少女は、大樹に言う。
「あのね、召喚術が成功したの」
彼女がそう言えば、大樹は途端に頭が混乱する。
「しょう……かん、じゅつ?」
アンジェリカが「そう、召喚術!」と、笑顔を浮かべながら無邪気に言う。
「え、ちょっ……は? つまり、ここはどこ?」
ゲームや漫画、二次元的な世界でしか聞かないようなキーワードに、大樹はわけが分からないまま、頭をかきむしる。そんな所作が面白いのか、アンジェリカはクスクスと笑った。
「ここは、事務所だよ。クローチェの魔術師事務所」
「事務所……どこかの会社かな。ていうか魔術師って、はははは」
「うん、魔術師」
新たな言葉の出現に、大樹の額からは脂汗がタラリと頬まで伝う。
ーーもしかして、ここはいわゆる“異世界”という場所なのか!?
脳裏に過る奇想天外な展開に、精神が追いつかない。
大樹は乾いた笑い声を上げるばかりだ。
「でも、なんでだろう。アンジェが呼んだのは輝石だけなんだけど」
「キセキ?」
「そ。でも、なんでダイジュまで来ちゃったのかなぁ……」
アンジェリカは首をかしげながら困ったように「失敗しちゃったのかなぁ」と口にする。
「それは、つまり、俺は意味なく召喚とやらをされてしまったと? え? え?」
少女の不審な発言に血の気が引くのを感じながら、そう呟く。この後、もと居た場所に戻れるのか、それだけが気がかりだった。
頭のおいつかない大樹を置いて、アンジェリカは大樹から離れて積み重なったコレクションケースへ興味を向けてしまったようだ。彼女は「これは、今日からアンジェが!」と、嬉々とした様子でケースの一つに触れている。
「一体、何なんだ……」
大樹は目の前の少女の行動を注視する。彼女はケースの蓋を開けて鉱石に触ろうとしていた。
「あ、あの。アンジェリカちゃん?」
大樹が続けて「俺のこと、ちゃんと戻してくれるの?」と、彼女に問うた。瞬間、大樹の耳にパチン、という何かが弾けるような音が聞こえた。
「アンジェリカちゃん? 今の、静電気?」
が、その声が届いているのか居ないのか、彼女の挙動がピタリと止まる。
「…………あれ」
少女の小さな口から、感情の無い言葉がポツリとこぼれる。
瞬間、少女は無表情になり力いっぱいにケースの一つを地面に叩きつけた。
ケースのガラス面が大きな衝撃音を立てながら割れ、その破片が中に収められていた鉱石と共に辺りに四散する。
「嘘つき!」
「は?」
大樹が呆然としたまま、アンジェリカを見つめた。
散乱したガラスや鉱石の中央で、少女はうつむき加減で立ち尽くしている。
「ちょっと、何やってんだよ! これ、じいちゃんの形見なのに!」
大樹は慌てて立ち上がり、「ったく! ガラス、気ぃつけろよ!」と少女に声をかけつつ無残に地面に転がる鉱物をかき集めた。
その所作に、アンジェリカは目を丸くさせながら「大樹はそれにためらいもなく触るんだね」と呟く。
「ためらいとかそんなモンあるわけないだろ。そりゃ、確かに綺麗だけど、結局は石なんだから」
何の気もなく応えた大樹の言葉に、アンジェリカの視線は、矢を射るような鋭いモノに変わっていく。アンジェリカに背を向けた大樹は、その変化に気づかない。
「やっぱり……ダイジュは、嘘つきだね」
彼女は続けて「契約者でも主でもないって、言ったのに」と、静かに言った。
「はぁ……? ホント、さっきっから何いってんだよ」
その言葉に大樹は肩越しにアンジェリカを見る。そこには、彼女は大樹をおぞましい表情で睨みつけていた。
あまりの変貌に大樹は驚いて「アンジェリカちゃん?」と、おそるおそるといった言葉をかける。先程まで見ていた幼気な少女はどこにもいない。
アンジェリカは表情をそのままに、淡々とした言葉を連ねる。
「輝石はゲーノモスが生み出した魔力の結晶。触れるのを許すのは主だけ」
アンジェリカ「アンジェ、拒まれた!」と、さらに言葉をつなぐ。
「アンジェが主になりたかったのに。嘘つくなんてずるい!」
「あの、アンジェリカ……ちゃん?」
動揺する大樹に、アンジェリカは応える。
「ダイジュが主なんでしょ? ゲーノモスの契約者で、その輝石の主。どうして嘘をついたの?」
『契約……する?』
あの不思議な空間で聞こえた不思議な声が思い起こされる。大樹は「嘘だろ、アレのことか?」と、表情をしかめる。
「でも、その、ゲー……なんとかって」
しかし、幼い口から飛び出していたキーワードはよくわからない。理解の及ばない様子の大樹に、アンジェリカが言った。
「ゲーノモスは地の精霊。分かってるでしょ! ダイジュも魔術師なのに、隠してたんだ!」
「ちょっと待て! 魔術って何? 俺、別にそんなんじゃないって!」
大樹は「ていうか、その前に本当にココはどこなんだよ!」と頭を抱える。
「ダイジュのせいで計画が台無しになった。考えていたことが何もできない!」
アンジェリカは怒った様子で大樹に言葉を投げつけ、そして続けて苛立ちを見せる。
「アンジェ、一生懸命考えたのに! アンジェの邪魔しないで!」
「え? え? え? 何、ホント。俺置いてけぼりだから!」
感情をむき出しにする目の前の少女の言葉に、大樹は全くついていけずに混乱するばかりだ。が、そんな大樹を目にアンジェリカが「そうだ……」と、何かを思いついた様子でニタリと笑った。