1. プロローグ
閑静な住宅街の一軒の家。今では珍しくなってきた瓦葺きの家屋だった。庭には数本の年数を感じさせる木が立っていたが、その中の一本はまだ細い若木だった。
それだけなら、ごく普通の家であった。しかし、この家が普通でないのは立ち込める線香の匂いと、黒い筆でしたためられた「喪中」の張り紙で伝わってくるものがある。
「おばあちゃん、何してるの?」
小さな男の子が庭につながるガラス戸を開け、その家の庭に佇んでいる高齢の女性に尋ねた。彼女は孫息子である彼の声に気づき、振り向いて穏やかな笑顔を向ける。彼女は紋付きの黒い着物を着ていた。
「木をね、見てたのよ」
「木?」
確かに彼女の座って見ていた場所の前には小さな木の苗が植えられている。クヌギの木だ。その木の少し横には彼女の背よりもいくらか大きくなった同じようにクヌギの木があり、涼し気な木陰を作っている。
「ダイちゃんの生まれたときに、おじいちゃんと植えた、ダイちゃんと同じ年の木だよ」
女性は男の子のそばに歩み寄り、彼の頭を優しく撫でた。
ダイちゃん、と呼ばれた彼は「へぇ~! 僕と同じ歳なんだ!」と目を丸くしていた。
「ダイちゃんの名前は“大樹”っていうでしょ。大きくて真っ直ぐな子になってほしいって、あなたのお父さんとお母さんが名前をつけたのさ。だから願いを掛けて、おばあちゃんも木を植えたんだ」
彼女は穏やかな表情で木を見上げていた。
不意に、額の汗を拭った彼女の右の手首で何かがキラリと光る。
「おばあちゃん、その手のなぁに?」
大樹が尋ねると、彼女は「若い頃におじいちゃんからもらった、大事なお守りだよ」と言った。彼女は、少女のように微笑んでいた。
「おじいちゃんね、こういう石を集めるのが好きだったんだ。子どもみたいよね」
「でも、キラキラしてキレイだよ!」
「ふふ。石には不思議な力があるって、おじいちゃんよく言ってたわ」
大樹は「不思議な力?」
「うん。何年も何年も、大地が込めた不思議な力」
彼女は「らしくもないロマンチストだったわ」と、懐かしそうに微笑んだ。
大樹はニコニコとしながら、「なんか、すごいんだね!」と言う。
女性は「じゃ、おじいちゃんのコレクションを見せてあげようか」と、どこか嬉しそうに笑った。
「うん、見せて見せて!」
そして、あれから13年の年月が流れていた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
一人の青年が、古い家屋の和室で仏壇の前に正座して手を合わせていた。
「ダイ、おばあちゃんに挨拶済んだらこっち来て手伝って。お寿司来たから」
「うん。今行くよ」
壮年の女性の言葉に、18歳の青年に成長した大樹が振り向く。女性は彼の母親だ。
彼は祖母の願いどおり実直で真面目な青年に成長していた。
彼は、庭に立つクヌギを仏間から眺めた。幹もだいぶ大きくなり、すっかり一本の木になっていた。季節は夏。青々とした枝葉が大きな木陰を作っている。
あの日の祖母も、同じようにこの木を見上げていたのだ。
「ほんと、おっきくなったよなぁ」
そう自然と溢れる声。彼は今一度仏壇に飾られた祖母の笑顔を見る。あの日と変わらないままの祖母がいた。
「13年って、あっという間だな」
今日は、祖母ー高木ヨシノーの13回忌の法要だった。
大樹は、今まで部活だ何だとタイミング悪く法要には参加することが少なかったが、大学生になり長い夏休みのお蔭で、今回は久しぶりに参加できていた。
ここは祖母の生家で、現在は大樹の家族が暮らしており、法要のために親族で集まって普段よりも賑やかになっていた。
祖父が亡くなったのは13年前の春のこと。そして、ヨシノが亡くなったのは同じ年の冬頃だった。
もともと体の弱かった彼女は風邪を拗らせ、夫の亡くなった同じ年に亡くなってしまったのだ。祖母と一緒に暮らしていた日々は長くはなかったが、それでも大樹にとっては大好きな祖母だった。
「あれ?」
仏壇の下部にある引き出しにふと目が行った。いつもしっかり閉じられているはずのソレが、なぜか少し開いていた。
何故か気になって、大樹はそれに手を伸ばす。力を入れて引き出せば、中には、こげ茶色の地に黒い十字が刻まれたような特徴的な貴石が並んだブレスレットがあった。
「ん……数珠?」
手にとって眺めると、背後から声がかかった。
「あぁ……お父さん、あんたのおじいちゃんから貰ったブレスレット? かな」
驚いて大樹が振り向くと、そこにいた大樹の母が「手伝ってって言ったじゃない」と困ったように笑っていた。
「おかしいわね。棺に入れたと思っていたけど……ずっとそこにあったのかしら」
母は首をかしげながら、そのブレスレットをまじまじとそれを見つめた。
「これって、おばあちゃんのお守りだったよね?」
大樹の言葉に、彼女は「そうかもね、後生大事にしていたものだからね」と懐かしそうに言った。
「確か、空晶石っていう石なのよ。宝石言葉っていうの? それで“契約”とかなんとかって意味で……」
彼女は笑って「お父さんが、キザな言葉と一緒にくれたって」と言う。
「でも、あんまりキレイじゃないねぇ」
そう続けて苦笑した。大樹が「でもカッコいいよ」と言って続ける。
「これ、貰っていい?」
大樹が「おばあちゃんからの、大学の入学祝いってことで」と、言う。すると、母親は「もう大学生になって半年過ぎてるじゃないのよ」笑った。
「いいよ、おばあちゃんも喜ぶよ」
大樹は「ありがとう」と、すぐさま左腕にブレスレットを付けた。
「契約、か……」
大樹はブレスレットを見つめながら、なんとはなしに呟く。
「そう言えば、おじいちゃんって石を集めてたんだったよね?」
大樹は記憶の中の祖母の言葉を思い出す。母は「そうそう。しつこいくらい子どもの頃に見せられたわねぇ」と、苦笑交じりに言った。
「たしか仏壇の横の押入れにしまったわね。桐の箱にまとめて入れたかしら」
そう耳にするなり、大樹は何故か無性に気になって押入れに向けて足を向けていた。
母は呆れたように「ちょっと、手伝いは……もう」と声を漏らしていた。
押入れの襖を開き、いくつかの箱や袋を外に出すと最奥に隠されたように置かれた桐の箱を見つけた。大樹はホコリまみれのその箱を取り出し、プレゼントの包装を解くようにワクワクしながら蓋を開いた。
「なにこれ、すっげ……」
中には木製の仕切りケースがいくつか入っており、全ての区切りに大きさや色の様々な鉱石が収納されていた。それぞれの鉱物の収納場所にはきちんと鉱物名が書かれた白い紙が貼られている。
その中の一つ、妙に目を引く石があった。その石は、ピンポン玉程の大きさで、まるで人間の眼球のように白い色の中に黒い丸い色がある。それは、瞳のように丸い石の中央で怪しくきらめいている。
「天眼石……」
記入された石の名前を読み上げた。ほうっと息を吐いてその石を見つめる。
すると、その黒い模様がギョロリと動いた。
「……っ!?」
まるで、意志を持って大樹を真っ直ぐに睨みつけるように。
不意に、大樹の脳裏にいつかの光景が浮かんだ。
あれは“おじいちゃんのコレクション”を祖母とともに眺めていた日の記憶だ。
「すっごいね、キラキラしてカッコいいね」
ケースを床いっぱいに並べ、幼い大樹は満面の笑みを祖母へ向けた。すると、祖母は嬉しそうに大樹に「ダイ、これ気に入った?」尋ねる。小さな顔で盛大に頷いた大樹に、祖母はクスッと笑って続けて言う。
「そうだ。大樹が大きくなったら、これはダイにあげるわ」
彼女は目を細めて言葉をつなぐ。
「この輝石たちの、次の持ち主は……大樹で決まりね」
ーーようやく私を呼んだか。主よ。
不意に響く、不思議な声。
「は!?」
目が合った、大樹はそう確信する。ぞわりと背中に気味の悪いものが駆け抜け、思わず驚いて両手を後ろ手に体をのけぞった。顔を左右に振り、辺りを見回すが誰も居ない。
ーー誰かが呼んでいるようだ……
「え?」
その瞬間、大樹の視界はたちまち白い光に包まれ、何も見えなくなっていた。
「はっ!? なんだ!?」
大樹は視線を左右に巡らせ、そして真っ白の視界の中をもがくように後ろ手にした両手を前方へばたつかせた。
足元は崩れ落ちて何もなくなってしまったようだ。地に足がついたような感覚が無い。まるで水中に投げ出されて溺れているような感覚に陥る。大樹は無意識に眼の前へ両腕を伸ばした。
その伸ばした左腕に、キラリと十字に光るものがあった。
「空晶石……」
つけたばかりのブレスレットが不思議と温かく感じられた。
ーー宝石言葉……“契約”……
断続的に母親の言葉が脳裏で響く。何故か、落ちていくような感覚がはたと止まる。
中空に浮いたような感覚の中で、大樹は反芻するように静かに口にした。
「契約……」
すると、その言葉を待っていたかのように、ふと少女の無邪気な笑い声が響く。クスクスと耳元で可愛らしく笑っている。
『契約するの? そう言ったの?』
左腕のブレスレットに、更に熱がこもる。大樹はあまりの熱さに顔を歪めた。
「なんっ……だよ、これ!」
『契約……する?』
大樹の左腕に連なる空晶石が赤い十字の光を放つ。そして、さらに声が響く。
『大樹? キミは、新しい持ち主でしょ。 ほら、言って。』
左腕を焼き尽くすような熱が、焼き尽くさんばかりの熱を放った瞬間、大樹は腕を握りつぶされるような恐怖を感じ、大樹は思わず叫んでいた。
「する! するする! 契約する!!」
その時、少女の笑い声が一層大きく耳元で響いた。
続けざまに、どくん、と何かが鼓動を打ち始めたような感覚を覚える。
「なんだ!? なんなんだ、一体ぃぃいいーー!!」
そして、浮いていた感覚から一転、再び大樹の体がどこか深い場所へと突き落とされていく。
「うあぁあああ!!!」
あまりのことに気を失いかけたその瞬間、何かが大樹の左の手首を掴んだ。勢いよく頭上へと引き上げられるような感覚とともに、彼の視界は再び景色を映し出しはじめた。