神の子ロキと村娘シャルル
〜人間世界〜
あるところに、長年連れ添ってきた夫婦がいた。結婚してから十数年、彼らに子どもはなかった。彼らがそれを望んでいたのにも関わらず。
そんなある日、妻は気づいた。妊娠しているかもしれないということに。
比較的高齢であったが、これを神からの贈り物と見た夫婦は出産を決意した。
予想されていた通りの難産であったが、無事に男の子を出産。養育を始めた。
「あなた、この子の名前はどうしましょうか」
「神からの賜り物だ。綺麗な名前が良い」
「それならば、ロキというのはどうでしょう。」
「良いじゃないか。決まりだ。この子の名はロキ。ロキとしよう」
熟年夫婦は、新生児をロキと名付けた。まさかその子が神からの賜り物などではなく、神そのものであるとも知らずに。
そう、かの少年。最高位創造神の元に生まれた少年は、ジャンケンに負けた。親不孝が祟ったか、神に見放されたのである。
〜十年後〜
少年は、天上界の頃の見た目同様に成長を遂げた。黒い髪の中肉中背。顔の輪郭までそっくりそのままである。
さて、中身の程はというと、これもまた、天上界にいた頃から大して変わっていなかった。
優しい両親のおかげもあってか、性格は天上界の頃と比べ、少しは丸くなったかもしれない。
だがしかし、勉学は相変わらずからっきしである。てんで学者には向いていない。
「ロキ、これを頼む」
「ロキ、これもお願いできるかい?」
「ああ、任せろ」
しかし、この人間世界において、それは欠点となり得なかった。
この世界の主な仕事は、農業か狩りの二択に絞られる。特に、少年、ロキが生まれたような、田舎の小さな領地では。そのためどれだけ学術が不得手であろうが、責められることなどない。
ロキにとって、ここは天国のような場所であった。神が人間世界を天国と比喩するなど、とんだ皮肉であるが。
「ロキは本当に力が強いな。父さんじゃあもう適わない」
「私たちも歳をとりましたからねえ」
「ふふん。まあ、神だからな」
また、ロキは天上界にいた頃。創造神という立場にありながら、勉学を疎かにし、武術にばかり傾倒していた。そのため「脳筋」などというあだ名が横行していたのであるが。
天上界では全くと言って良いほど日の目を見なかったその才も、人間世界では重宝される。
それに加えて、転生機の効能による身体能力の向上。転生機には、望んだ人生を送ることが出来るよう、身体能力に補正がかかるのである。
「本当に良い息子を授かりましたね」
「神からの賜り物だ」
「いや、俺自身が神なんだがな」
ロキは再三にわたって両親にそのことを伝えているが、信じられていない。信憑性が無いことはロキにも分かっている。不服ではあるようだが。
しかし、両親にはむしろ、子どもらしい箇所として、微笑ましいものを見るような温かい目を向けられている。
「ロキーっ! 遊びに来たよーっ!」
「あらあら、シャルちゃん。またロキと遊びに来てくれたのね」
「ロキ、こっちはもう大丈夫だ。シャルちゃんと遊んでこい」
ロキは第二の父親の言葉に頷いた。同時に玄関先へと駆けていくのだが、その表情は冴えない。
彼の胸中を代弁するのであれば、こうだ。「今日もかよ」と。
「ロキ、今日は何する?」
「勝手にしろよ。どうせいつもと同じなんだろ」
「はーい。じゃあ勝手にするよ」
陽だまりのような笑顔を咲かせるこの少女の名はシャルル。ロキと同じ年に生まれた少女である。
日本人じみた起伏の少ない顔立ちである。だが、紅色の目。小ぶりの鼻。笑みを絶やさない口。それらのバランス。どれをとっても一級品の造形である。
そして、特筆すべきは腰に届くほど真っ直ぐに伸ばした髪。
彼女の美しい白銀の髪を喩えるならば、雪解け水が流れる林間の清流。あるいは、秋風に撓む純白の布地。
ロキの前で楽しげに揺れるシャルルの髪は、春の暖かな日差しに煌めいている。
「今日もお相手、よろしくね」
「はいはい」
シャルルは服を脱ぎ、後ろの草原へ投げ捨てた。
白銀の髪に引けを取らない純白の肌が顕になる。
「いつもと同じ始め方で良いのか?」
「うん、いいよ」
「わかった。来い」
ロキはシャルルと同じように服を投げた。真上に向かって。
投げ上げた服が地面に着地すると同時。シャルルはその真紅の瞳を艶めかしく光らせ、棒立ちのロキへと飛びかかる。
「はあああっ!」
拳を突き出して。
「遅い」
「へぶっ!」
初速からマックススピード。銀白色を置き去りにする突進は、しかし、少年の体を捉えることなく空を裂く。
彼女の攻撃範囲からするりと抜け、見事に躱したロキ。がら空きの背中に向かって、優しく手刀を打つ。
神の身体能力を持ったロキによる、突発的に放った手刀。いくら優しかろうと、それが持つパワーは、大人が思い切り押した場合と大差ない。
自分のスピードさえも仇となり、シャルルは勢いを止められず転がった。一転二転。上半身を地面に打ち付けることで、ようやく静止した。
「いててて。今日こそはいけると思ったのにぃ」
「あんな遅い攻撃でよくそんなことが言えたものだな」
「遅くないよぉ。ロキが速すぎるんだって」
綺麗な顔に小さな葉をつけて、シャルルは起き上がった。
「普通の子ならこれで一発KOなのになぁ」
「お前、俺以外にもこんなことをしているのかよ」
「ロキは強すぎて敬遠されてるから知らないだろうけど、この遊び、流行ってるんだから」
「これが遊びねぇ。こんなものをまともに食らったら骨が折れるぞ」
「もちろん手加減はしてるよ」
「はぁ。相変わらず、天上界とはえらい違いだな」
「また変なこと言って。そろそろ次いくよ」
今度は最速で飛び出すことなく、あくまで小走り程度の速さでロキに近寄る。そこから拳の連打が始まった。
ロキはそれを余すことなく受け流す。躍起になったシャルルが更に素早く乱打。しかし、一発としてロキの体を捉えたものはなかった。
「はぁ、はぁ。どうなってるの、まったく」
「神を害するなんざ百年早い」
「くっそぉ。また今日もお決まりの台詞を聞かされた!」
タンクトップに短パンという、いささか少女にそぐわない格好で、シャルルは大の字に倒れ込む。
連日、シャルルはロキに挑んでいる。だが、当然の如く、シャルルの全敗で終わっていた。
神の身体能力のおかげだけではない。天上界での百年分の研鑽が、人間世界でのロキをここまで高めているのである。
それを、高々十歳の少女に打ち破られたのでは立つ瀬がない。
「そろそろ帰るか」
「うん、わかった。そこの服、取って」
「はいはい」
ロキは、草原へ無造作に投げ捨てられた上着を取り、砂埃を払ってシャルルに手渡す。
「ありがとう。それじゃあ、また明日」
「明日も来るのかよ」
「嬉しい?」
「そんなわけあるか」
「照れちゃってー。素直になったらどお?」
「うるさい」
ニヤニヤという擬態語がピッタリ当てはまるような表情で見つめてくるシャルルに対し、ロキは体を背け、そのまま両親の待つ家へと向かった。
釣れない態度である。しかし、ロキは去り際、独り言として呟いた。
「ああいう奴が、天上界に居たらよかったんだがな」
〜翌日〜
「本当にまた来たのか」
「約束は守る女だからね」
「まあいい。かかってこい」
「いくよっ!」
昨日と同じ光景が、昨日と同じ場所で、昨日と同じ時間に繰り広げられている。
毎日のように訪れる彼女に、ロキはため息を吐いて出迎えるのが常であった。
しかし。
「神を害するなんざ百年早い」
「ちぇー。また言われちゃったかー」
シャルルの口ぶりは悔しげだが、表情は笑みを湛えている。
そんな彼女の様子を見ていると、ロキの表情も、いつの間にか緩んでいるのだった。
「そろそろ帰るか。ほら、上着だ」
「ありがとう。やっぱりロキは強いなあ。良い練習になるよ」
「練習? 何のだ?」
「お父さんかお母さんに聞いてないの? 五年後には私たち」
「あっ、シャルルだ! 腕力馬鹿のシャルルやーい!」
「ロキのやつ、また殴り合ってんのか! 野蛮人め!」
シャルルの言葉は、近くを通りかかった同年代の少年らによって遮られた。
「はぁ。またか」
ロキにとって、この程度の罵倒は慣れたものだった。所詮、十歳前後の人間の子ども。百年を生きた神の子どもの方が、よっぽど質が悪かった。
しかし、シャルルにとっては違う。彼女は人間である。それも十歳の。
子どもだからこそ発する、率直な悪意。それに耐えきれず、彼女の目には涙が浮かび出していた。
「はぁ」
ロキはそんなシャルルの姿を見て、ため息を一つ零した。
ロキは親指と人差し指を立て、銃を作った。その銃口を、ゲラゲラと笑う少年らに向けて、言葉の銃弾を放つ。
「あまり、神を怒らせるなよ」
その声音は、明らかな怒気を孕んでいた。
少年らはあまりの迫力に立ち竦み、それから数秒経って思い出したように逃げ帰った。
「ほら、もういなくなったぞ」
「はえ? ほんとだ」
「あんな腑抜け共に泣かされてどうする」
「泣いてなんかないもん!」
シャルルは強がったが、目の周りが赤くなっていることから一目瞭然であった。
「お前はあいつらより強い。俺が保証する。だから泣く必要なんてない」
「泣いてないってば!」
「罵倒されたくなければ、誰よりも強くなれば良い」
ロキのその言葉は、実体験によるものだった。
天上界において、勉学に最も才のある者は罵倒されなかった。そして、最も才のないロキは罵倒された。
それは、人間世界でも同じだった。勉学と武力が入れ替わった。ただそれだけである。
「じゃあさ、ロキ。私を強くしてよ。誰よりも強く」
シャルルは強い意志を持った眼差しでロキを見つめた。
ロキは肩を竦め、またため息を吐く。
「断る」
「断られるのを断る」
ものぐさなロキの回答を予測していたのだろう。シャルルは即座にロキの回答を否定し、懇願するように見つめ続けた。
こうなればもう、ロキに主導権は残っていなかった。
「はぁ」
ため息を一つ。
「勝手にしろ」
「うん。勝手にするよ」
シャルルは笑顔で頷いた。
「また明日ね」
「ああ」
素っ気ない態度で背を向けるロキであったが、その口角は上がっていた。
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