敗北の姫将軍
接近戦に移行した重装騎兵を、軽装騎兵が弓や槍で援護する。防御の薄い身軽な軽装騎兵は、防御力の高い重装騎兵の後ろに隠れて突撃し、乱戦の時に敵の側面や背後にまわって支援攻撃をおこなう。
騎兵という兵種は、重装騎兵と軽装騎兵の二種類に分かれる。
重装騎兵は、馬にまで防具を着せ、騎兵槍で強襲突撃をかける。”重装”は、人馬共に金属鎧を身につけ、防御力を高めてある事から、こう呼ばれる。
騎兵の体高の高さと、馬蹄の轟きが発する威圧感は、防御側を恐れさせ、人馬の体重と速さが乗った騎兵槍の槍先は、たいていの物を貫いてしまう。
攻撃力を重視した重装騎兵は、この時代における軍隊の主戦力の一つだった。
もう一つの軽装騎兵の場合、馬は鎧を着けず、騎手の防具は硬くなめした革鎧か、金属の胸当て程度という身軽な装備で、移動の速さを重視した騎兵だった。武器は、馬上で取り回しのしやすい短弓か、投げ槍としても使える軽量な短槍だ。
その役割は、伝令、長距離偵察、友軍部隊の側面援護、遊撃による敵のかく乱などである。
伝令任務や偵察においては、身軽で馬の体力消耗を抑えられるため、長時間の高速移動が可能だし、戦闘においては、状況がまずくなれば、素早く逃げ散ってしまうことができる。
偵察や伝令のように、軽装騎兵の方がすぐれた働きをできる任務もある。そういう理由で、重装騎兵と名の付く部隊にも、三割ほど軽装騎兵が編入されているのだった。
ガリシア騎兵は、突撃態勢を整えようとした所で、ロンバルディア騎士団に急接近され、前方をふさがれた。左側は、重装歩兵が長大で密集した横陣を敷いて戦っているため、通過は不可能。ならば右側へ迂回しようと指示を出そうとすれば、その指揮官が軽装騎兵に弓で狙い撃ちにされる。
交戦中の前衛部隊が前に進めないために、後列の騎兵部隊は、戦いに参加もできずにその場に停滞させられた。狭い箇所にひしめき合い、混み合う騎兵達は馬や鐙をぶつけ合う有様だ。
そこへ帝国本領軍の一万二千騎の騎兵達が追いつき、背後から突撃をかけて来た。
背後からも攻撃を受け、はさみ撃ちにあった事を知ったガリシア軍総帥のディアナ姫は、開けている右翼方向へ敗走する事をせず、むしろ前方への決死の突破を試みた。その方向に、当初の目標であるエルトン皇子がいるからだ。命令を受けたガリシア騎士達は、多少の犠牲をものともせず、騎馬を強引に前進させてくる。
ガリシア騎兵の予想外の猛攻に、三千騎のロンバルディア騎士団では荷が勝ちすぎると判断したケルナー総長は、騎兵達をいったん左右に分かれさせ、意図的に道を開けた。
前方が開けたガリシア騎士達は、勇んで前進しようとする。しかし、さらに彼らを阻む部隊があった。帝国軍本陣最後の盾である、白竜騎士団三千騎だった。彼らは帝国本陣の皇子への攻撃をさえぎろうとする。
皇太子は本陣から逃げない。いや、逃げられない。帝国の権威を失墜させるような、怯懦とみなされる行動を、帝族の一員としてとれないのだった。
ガリシア騎兵部隊は、強引な突破と引き換えに隊形が混然としてしまい、各部隊が乱れ混ざり合ってしまっている。ガリシア騎士達は組織力を発揮できずに、個々に白竜騎士団に向かって突撃を行う。
整然と隊形を組んで複数の騎兵が同時に突撃をしてこそ、敵を怯ませ、部隊に大きな損害を与える事ができる。しかし、この時にはガリシア騎兵は統制がとれておらず、個別に突撃をしたため、騎兵の攻撃力を十分に発揮できていない。
そこへ陣形を組んで待ちかまえた白竜騎士団が、槍先をそろえて正面から整然とぶつかってくる。左右からは、いったん道を開けたロンバルディア騎士団が馬首を返して攻め立てくる。背後からは氷狼、炎虎、金獅子、銀豹、碧鷲、紅鶴の各騎士団の騎兵が猛攻をしかける。
ガリシア騎兵部隊は、四方をほぼ包囲されてしまったのだった。
包囲によって多方向から攻撃する帝国軍騎兵部隊に、有利な展開となった。
しかし、帝国軍の騎兵部隊は、ガリシア騎兵を次々に討ち取りながらも、時間が経つにつれ、戦う内に陣形が大きく乱れ、混戦の状態となっていった。
レオンハルトも、ロンバルディア騎士団本隊どころか、麾下の第十四騎兵中隊がどこにいるのか分からない。こうした時に役立つはずなのが、目印となる軍旗であるが、乱戦の中であり、敵味方の旗が入り乱れている。
レオンハルトは、混沌の戦場を見回す。ある場所で、騎士達が互いに名乗りを上げて正々堂々と一騎打ちの戦いをしているかと思えば、他方では、別の騎士が味方を糾合して隊形を組み、少数の敵に襲いかかる。騎士の美学と合理的な用兵というほとんど相反するものが、そこには混在していた。
こんな状態では、いきなりどこから攻撃を浴びるか分からない。敵の突撃を頓挫させ、包囲した事だし、ここは積極的に攻撃をしかけるのではなく、まずは味方を集めた方がいいか。
そう考え、レオンハルトは馬を操って乱戦の場から離れた。ロンバルディア騎士団の軍旗を探し求めて、兜の可動面頬を持ち上げ、首を巡らす。
混戦の中から脱出してきた三騎のガリシア騎兵が、彼の右側に突然現れたのは、その時だった。
レオンハルトが彼らの進行方向にいたため、先頭のガリシア騎士は、垂直に立てていた騎兵槍を横向きに構え、レオンハルトを突き落とそうとした。咄嗟に馬を敵に向けながら、こちらも騎兵槍を倒し、相手の槍先を払い、ガリシア騎士の顔を突く。穂先は兜の面頬の隙間に滑りこみ、その騎士はたまらず落馬した。
後に続く二騎も騎兵槍を持っていたが、二ルーテ(約六メートル)ほどしか離れていない。この距離なら、騎兵槍でなく、剣を使ったほうが有利になると、レオンハルトは間合いを素早く見切った。馬を近づけながら、重い騎兵槍を捨て、左腰の長剣を抜く。二人目の騎士は、立てていた重い騎兵槍をこちらへ倒しかけたが、レオンハルトの剣に横なぎに槍を払われてしまい、体勢を崩したところで、喉元の鎖帷子を突きで貫かれた。
三人目の小柄な騎士は、白塗りの、金で縁取りされた豪奢な全身鎧を身につけていた。この騎士も兜をかぶっているため、表情はうかがい知れない。
こちらは騎兵槍をすでに横に構えていたが、槍先がふらふらと落ち着かない。重い槍を、細腕でうまく支えられないようだ。ふと見ると、普通の鎧と違って、胸甲の部分が大きめの膨らみをもっている。
それに加え、その華奢な体格と、頼りない筋力から、この騎士は女か、と思う。
女。豪奢な鎧。
何かを思いつきかけた時、槍の突きが顔に向かってきた。しかし、剣を持つ右腕に、力をためて攻撃を待っていたレオンハルトは、難なくそれを払いのけた。
間髪入れず返し斬りした長剣は、一振りで手綱を切断し、騎士の脇腹に命中して止まった。均衡を失った騎士は落馬した。しかし、作りの良い鎧と、柔らかい草地が、体への痛みを幾分か軽減したようだった。よろめきながらも立ち上がり、腰間の剣を抜く。剣身は細いが、作りの良さそうな剣だ。
二人の味方を目の前で倒されて、一人きりになっても逃げ出さないとは。いや、味方を目の前で倒されたからこそ、仇を討つために逃げ出さないのか。
その場に踏みとどまる女騎士に感心しつつ、馬を進めて距離を縮める。すれ違いざまに一撃を放つ。馬上から振り下ろされた剣は、剣の自重を合わせた重たい一撃だった。鈍い金属音と共に、剣がはじき落とされ、女騎士はくじいた手をおさえて動きを止めた。その間に馬を素早く下り、剣を突きつける。
「貴公は私の捕虜だ。貴公が抵抗をしないと誓うならば、こちらもその身に危害を一切加えない事、騎士の名誉にかけて誓おう。」
討ち取らなかったのは、女性の命を奪う事への嫌悪感があったからだ。それに、彼女の正体を確かめないといけなかった。
あらためて軍装を観察する。体格にぴったりと合った白い塗装の鎧兜に、華美な金の縁取りがしてある。兜で顔は見えない。剣の鞘にまで、精緻なツタ模様の金細工が施され、上等の特注品と分かる。
「名のある騎士とお見受けする。お名乗りいただこう。」
相手の正体の見当を付けながらも、レオンハルトは促した。
「......」
くじいた手を押さえたまま無言でいる女騎士に、重ねて話しかける。
「私はレオンハルト・グレーナー男爵。アルビオン帝国の騎士にして、ロンバルディア王国の藩屏。貴公の名は?」
「下郎に名乗る名など無い。」
ようやく答えた澄んだ女の声は、高飛車というより、高い矜持を感じさせる。敗者でありながら、怯えておらず媚びもしない、凛とした態度が、逆にレオンハルトの気に入った。
まあ、男爵など下っぱ貴族にすぎないから、下郎呼ばわりも仕方ないな、と心の中で受け流す。
気を悪くした風も無く、話し続ける。
「騎士でありながら、戦場で名乗りを上げぬとは、異な事ですな。」
そして、戦いの間にひらめいた事を、いきなり口にして不意打ちをしかける。
「ガリシア軍総帥にして、王国の次期王位継承者、ディアナ・ベルダライン王女とお見受けする。」
「!」
女騎士の動きが硬直した。
「それとも偽名でも名乗り、私を欺いて、この場を逃れようとされるのか。」
責めているわけではない。ただ、戦場で追いつめられた者は、捕虜となる時に、姓名と身分を明らかにする決まりがあるのだ。
ここまで言われて、さすがに矜持を刺激されたのであろうか、彼女は兜を脱いだ。兜と一緒にいったん持ち上がった亜麻色の髪の毛が、さらりと流れ落ちる。秀麗な顔立ちの少女だった。
緑柱石色の瞳で、こちらを見据えて名乗る。
「いかにも。私がガリシア王国の王女、ディアナ・ベルダライン・デ・ガリシアだ。」