交戦
デリック・オーウェル監察官は、いったい今までどこにいたのか。ロンバルディア騎士団の後方に隠れて安全を確保していたのだろう。しかし、騎士団が予想外の動きをし始めたので、あわてて馬を飛ばしてきたというところか。
それにしても、大事な時に邪魔しに来やがって、とケルナーは心の中で毒づく。
デリックは痩身を馬の揺動にもて遊ばれながら、詰問を続ける。
「なぜ、本営からの命令を無視して、部隊を逆方向に進めたのです!ロンバルディア騎士団に戦意無し、と報告してもよろしいのですか!?」
「無視などしておりませんし、我々は戦意に満ちあふれておりますよ、監察官殿。」
ケルナーは努力して、落ち着いた声で話している。
「ならば、部隊を戻して、突撃を再開しなさい。」
「貴公の役目は、属領軍の軍役遂行を見届ける事であって、属領軍に指令を出す事ではないはず。
軍の指揮権は、帝国軍本営が、恐れ多くも皇帝陛下よりお預りするものですから、これに貴公が口出しをするのは越権行為というものですぞ。」
「む...。」
デリックは言葉に詰まった。
レオンハルトは、笑い出すのをこらえなければならなかった。
ケルナー総長は、帝国の権威を借りて監察官をやりこめてしまった。いつもならば立場は逆なのだ。
「それにですな、我々は敵の先回りをして、一万五千騎の騎兵に正面から突撃をかけようとしているのですよ。」
馬を止めるどころか、振り返りもせずにケルナーは答える。にやにや笑いを隠しているのだ。
「き、貴公は三千騎の手勢で、一万五千騎と真っ向からぶつかるとおっしゃるか!?」
狼狽もあらわにデリックは、叫ぶ。
「左様。あの中に突撃目標の部隊がおります。そして、本陣の皇太子殿下を狙おうとしてもおります。殿下の御身をお守りするためにも、我らはガリシア騎兵部隊の前に立ちはだかり、これを阻止します。」
ケルナーは、生真面目な顔を作って振り返った。
「しかし、なにぶん、我々は兵力が少のうござるゆえ、一兵でも多いに越した事はない。貴公も突撃に加わっていただけるならば、心強いのですが。」
「い、いや、ロンバルディア騎士団のご忠勤ぶり、小官、しかと承知いたしましたぞ!」
額に汗を浮かせたデリックは、まくし立てるようにしゃべった。
「私は監察の任務が他にもあるので、これにて!ご武運をお祈りします!」
馬の速度を落とし、馬首を転じ、後方へ駆け去って行く。
「なんと素早い逃げっぷり。」
ため息混じりで、レオンハルトが皮肉を言った。
「いいのさ。いけ好かない小物だが、ここは生き延びて、奴には我々の手柄の証人になってもらわないとな。」
すっきりした顔でケルナーが応じる。
「しかし実際のところ、どうやって三千騎で一万五千騎を相手しますか?」
それがレオンハルトの最も聞きたい事だった。
「誰も敵全部を相手するなどとは言っていない。先頭集団を足止めすれば、事は足りる。」
「そして、後方からは本領軍の騎兵部隊が追ってきている。前後から挟撃というわけですか。」
「そうだ。そして、ガリシア騎兵が突撃態勢をとる前に、こちらが接近して、白兵戦を強要する。」
「出鼻をくじかれて、突撃どころではなくなるわけですね。」
「うむ。伝令に通達させろ!大隊単位の横陣の壁を作り、ガリシア騎兵の前面に展開!重装歩兵の隊列も利用して、敵の進行を防ぐのだ!」
「はっ!」
ロンバルディア騎士団は、敵と競り合う味方重装歩兵の背後を回りこみ、横列千騎、縦列三騎の横陣の壁を組んで、ガリシア騎兵の前衛部隊を待ち受けた。
重装歩兵の長大な横列を回りこんで、ようやく帝国軍本陣を視界に収めかけたガリシア騎兵達は、今度は突撃してくるロンバルディア騎士団に視界を遮られた。
レオンハルトは最前列で馬を、駈歩で走らせている。
帝国軍本陣に突撃軸線を向けるために急な転回をした直後で、ガリシア騎兵軍は隊形が崩れている。その内の、騎士の一人を目標に定める。
敵まで十ルーテ(約三十メートル)ほどの距離。拍車をかけてさらに加速をしていき、最高速度の襲歩へ。鉄靴の踵の後ろから突き出た、歯車のような円盤があり、これを拍車と呼ぶ。拍車の鋸歯で馬を刺激し、速く走らせるのだ。
この間にも騎兵槍は槍先を上に向けたままだ。
長大な騎兵槍は、横向きに構えると、《《てこ》》の原理が働いて腕にかかる負担が大きくなってしまい、その体勢を維持するのが難しい。
さらに、馬からしてみれば、加速中に騎兵槍が顔の横から突き出てふらふらと揺れていると、目障りで走りにくくなる。
そのため、敵陣にぶつかる直前までは、騎士達は槍の穂先を天に向けて、突撃をするのだった。
ようやく自分が標的にされている事に気付いた騎士は、手綱を引いてこちらに馬首を向ける。だがもう遅い。
攻撃を前に、ここでやっと垂直に立てていた騎兵槍を前向きに倒す。右手に持った騎兵槍を、左斜めに構えて馬身の左側から突き出すように構える。
右手で構えた騎兵槍で右側にいる敵を突くと、強烈な反動で腕を痛めたり、肩の関節がはずれてしまう事があるためだ。左斜めに構えた騎兵槍は、硬い物にぶつかっても、鎧の胸甲部分で衝撃を吸収し、腕にかかる負担を大幅に軽減できる。
倒した騎兵槍の穂先を敵に向け、長めに作られている柄の部分を脇で挟んで固定する。加速した馬と騎手の重量が乗った騎兵槍の槍先は、金属鎧で防護された人体を、易々《やすやす》と貫通する。
ガリシア騎兵がこちらに向かってくる。ガリシア軍の騎兵槍は、ロンバルディア軍のそれとは少し形が違う。先端には、十字型の穂先が嵌めこまれているのだ。十字穂先の縦の刃は突き刺すため、横向きの刃は、人体に深く刺さって抜けなくなってしまうのを防ぐためだ。
二騎は互いに敵を左に置いて、すれ違いざまに槍の一撃を見舞う。槍を突き出すのではなく、脇に抱えて固定したまま、槍先を標的に導く。
レオンハルトは、敵手の槍を下からすくい上げて上へ逸らしつつ、こちらの槍先で敵の上半身を突く。馬上槍試合で習得した、防御と攻撃を兼ねた槍術だった。穂先の衝撃を肩に受けたガリシア騎士が、落馬した。
レオンハルトだけではない。彼の左右でも騎兵の突撃が展開され、悲鳴と落馬は主にガリシア騎兵の側に生じた。
騎兵は、一撃離脱の戦法で戦うため、通常は突撃の後すぐにその場を離れるが、今回は違う。敵に接近して白兵戦を強要し、突撃の機会を与えない事が目的だ。そのため、重くて振り回しにくい騎兵槍を捨て、長剣を抜いてさらに斬りかかって行くのだった。
一万五千騎のガリシア騎兵は、左側を重装歩兵の隊列に邪魔され、前方をロンバルディア騎士団にふさがれて、動きが停滞した。
空いている右側前方に広がって逃れようとするが、密集した騎兵がぶつかり合って円滑には動けない。
高所から流れ下ろうとした水流が、突如間近に現れた堤防によって、その勢いを封殺されてしまったようなもので、突撃もままならない。
そしてさらに、その渋滞したガリシア騎兵軍団の背後に、帝国騎兵部隊が追いつこうとしていた。