突撃命令
馬蹄が大地をせわしく叩く音が聞こえ、ケルナー総長とラウバッハ副総長がそちらを見やる。
帝国軍本陣付きの騎馬伝令が、こちらへ疾駆してきた。
ケルナーの前で馬を下り、右拳を左肩に当てる軍礼の後、本営からの命令を伝える。
「帝国軍総大将より、ロンバルディア騎士団へ。突撃開始位置に移動中と思われる敵騎兵左翼へ突撃し、これを潰乱させるべし。」
ケルナーが前方に目をやると、なるほど戦場中央の歩兵部隊の競り合いから右奥へ三スタディア(約六百メートル)ほど離れた所に、ガリシア軍左翼側の騎兵部隊が集結し、隊形を整えている所だった。傾斜の緩い坂の上に横列を作ろうとしている。二列目以降の後列は坂の向こう側に隠れて見えない。
その部隊が掲げている軍旗を観察する。ケルナーは、自国や周辺国の貴族の家系を表す家紋や、所属部隊の軍旗を判別できる紋章官の資格を持っている。
軍旗には、咆吼する黒い狼の横顔が、赤地の布に縫い付けられていた。
ガリシア軍の精鋭騎兵部隊の一つ、黒狼重装騎兵連隊と見て取り、苦々《にがにが》しい思いをする。
強敵というからだけではない。この部隊とは、過去に同じ陣営の友軍として轡を並べ、共に戦ったことがあるからだった。しかし、今は敵として分析し、兵力の見当をつける。
ガリシア騎兵の連隊ならば、編成数はロンバルディア騎士団と同じ程度の三千騎ほどだ。武装も我々と同じ重装防具の人馬に騎兵槍。
彼らを侮るわけではないが、対等の条件で戦うならば、我らとて諸国に勇武で知られた精強の騎士団、負けはしない。
騎兵の先頭集団の向きから見て、突撃軸線を帝国軍本陣に向けているように見える。これを阻止しなければならない。しかし、さしもの黒狼騎兵連隊も、三千騎規模の大集団であるため、集結と隊形形成に時間がかかっているようだ。
「他の属領軍は?」
ケルナーが伝令にたずねる。
「待機中の騎兵、歩兵が共に前進。ガリシア重装歩兵の側面と背面を突きます。」
「帝国本陣の騎兵部隊は?」
「属領軍の外側を回りこんで、ガリシア本陣に突撃をしかけるとのことです。」
「...心得た。」
気持ちを反映して、ケルナーの声は心持ち低くなる。ラウバッハが心配そうな視線を送る。
「敵大将を討ち取る手柄は、本領軍が持って行くようですね。まあ、ガリシアの姫将軍を討ち取るなど、気の進まない事でもありますし、かえって良かったのかも知れません。」
伝令が本陣に駆け戻って行くのを見送りながら、ラウバッハがなぐさめるように言った。
今回の戦では、ガリシア兵達の士気を鼓舞するために、王女である姫将軍、ディアナ・ベルダラインが、参陣していると聞いていた。歳は十代半ばあたりと聞く。
ラウバッハは騎士身分であるが、騎士道精神を持ち出すまでもなく、うら若い娘を討ち取るなど、惨たらしい事はできそうになかった。
義侠心の強いケルナー総長とて同じであろう。
「そうだな。」
ケルナーは、短かく同意を伝えた。しかし、気の毒な姫将軍への同情は、理性で頭から追い出す。今は本営の作戦意図を再考している。
ケルナーは冷酷な人間ではないが、騎士団の指揮を預かる立場上、敵将よりも、まずもって部下達のことを考えなければならない。
突撃しようとするガリシア騎兵部隊をロンバルディア騎士団に迎撃させて防ぎ、他の属領軍、ヴァルナ、リエージュ、シュタイアーには、中央の重装歩兵の援護をさせる。ロンバルディアが特に精鋭騎兵の相手をさせられるのは、それなりに強さを認められているからだろう。過去の戦場で少々活躍しすぎたのだ。
帝国軍本隊の騎兵軍団は、属領軍の戦いを尻目に横を走り抜けて、深奥にいる本陣のディアナ姫を討ち取るつもりなのである。
結局いつものように、属領軍に露払いをさせるわけだ。相も変わらずせせこましい用兵をしおって。...いや、武人たる者、ぐずぐずといじましい感情をもてあそぶべきでは無い。明確な命令が下されたのだ。行動に移らねば。
「突撃をかける!目標ガリシア軍左翼重装騎兵!第三大隊、第二大隊、第一大隊の順で突撃横陣を敷け!各中隊は鏃隊形!」
ケルナーは大音声で命令を伝えた。
隊形が整うまでに時間がかかるので、この合間に副総長に話しかける。
「しかし、我々への突撃命令がずいぶんと遅かったな。」
「帝国軍本営は、我々属領軍を最初は防御に使うつもりだったからでしょう。」
ラウバッハは、全力で思考している時の癖として、気ぜわしく視線を動かしながらしゃべっている。
「どういうことだ。」
ケルナーは、配下の騎兵達が、二百騎の中隊ごとに隊形を整えていくのを見回しつつ問いかける。
「先ほどの推測の繰り返しですが、帝国軍本営はガリシア軍が繰り出してくるかも知れない騎兵の全軍突撃を恐れていたはずです。
なぜなら、今回は皇太子が本陣にいて、何があっても彼を守らなければならないからです。
普段の帝国軍は、兵力の投入をためらうような、こうも消極的で防御的な戦い方をしません。通常は属領軍の兵力を損耗させるために、真っ先に突撃をさせます。
しかし、兵力で劣っているとはいえ、ガリシア騎兵全軍が乾坤一擲の勝負に出て急襲突撃して来たなら、防ぎきれずに、本陣の皇太子の身に危険が及ぶかも知れない。突撃の勢いの付いた騎兵を防ぎ止めるのは、とても困難ですから。確実な防御のためには、かなりの兵力を割いて、陣を分厚くしないといけません。」
「ふむ。ガリシア騎兵が帝国本陣になだれこもうとした時、これを阻み、盾とする部隊がもっと欲しいというわけか。
そのために属領軍を前進させず、防御のための予備兵力として手元に置いていた...。我々に突撃命令が出なかったのは、そのためか。」
ケルナーは頭の中の霧が少し晴れた気分になった。
「それでは、いま突撃命令が出たのは?」
「黒狼騎兵連隊が本陣から離れて、単独で突撃をしようとしているのを見て、姫将軍を凡庸な指揮官と見なし、攻撃に転じて問題ないと考えたのではないかと。」
「姫将軍ではなく、軍師が実際の指揮を執っているかも知れんがな。しかし、騎兵部隊の動きだけを見て、敵将を凡庸と判断できるものか?」
ラウバッハが騎士団長になったら、軍師は必要ないだろうな、と思いながら訊く。
「黒狼騎兵連隊に、ガリシア本陣の騎兵を合わせれば、一万五千騎ほどで突撃が可能なはずなのです。しかし実際には、黒狼騎兵連隊の三千騎しか動かしていない。戦力の逐次投入をしてしまっています。兵力を分散させずにまとめて敵にぶつけるのは用兵の基本ですが、彼らはそれを行っていません。」
「ふむ。まともな戦術も無く、平押ししてくるだけのガリシア軍に、もはや勝ち目は無いと本営は見切った。そこで敵の突撃に備えて防御のために温存していた属領軍を攻撃に使うことに決め、前進させる事にした、と。」
ケルナーも兵法を心得るから、思考を促されれば、全てを聞かなくても理解できる。
「そして、本陣の本領軍騎士団まで突撃させようとしているのは、彼らに手柄を分け与えてやらなければならないからです。せっかく出陣しておきながら、武名を得る機会無しに本陣に置いておかれたのでは、不満が出るでしょうから。勝ちを確信して、属領軍共々攻撃に投入することにしたのでしょう。」
「しかし、本陣はがら空きになるのではないか?」
「ガリシア軍の攻撃が、本陣に届かないと判断した上での事でしょう。警護任務が本来の、白竜騎士団ぐらいは残すでしょうし。」
「なるほど。ふん、お前一人で戦ができそうだな。総長の地位を譲ってやろうか。」
ケルナーは半ば本気で言ってみる。
「いいえ。騎士団を率いるなどという、わずらわしい仕事は御免こうむります。面倒ごとは貴方に押しつけて、私は傍らで理屈をこねくり回していたいのです。」
ラウバッハは自分の人望や統率力がケルナーに及ぶとは思っていないし、先頭に立つのではなく、他人を補佐することで能力を十全に発揮できるのだと彼自身が知っている。
思慮はあっても遠慮の無いラウバッハの応えに苦笑したケルナーは、周りを見まわす。騎士団が陣形を整え終えた事を知った。
「長話がすぎたな。突撃は大隊単位の波状攻撃で行く。中隊の割り振りと攻撃間隔の見極めはお前がやれ。」
「はっ。では失礼します。」
ラウバッハは馬首を返して、部隊のそばへ駆けて行く。
ようやく帝国軍本営の作戦意図が判ったとは言え、脇役に追いやられ、手柄を持って行かれるのはケルナーには腹立たしい。
しかし、本国のロンバルディア国王、ベルンハルト二世の勅命を受けて参陣し、帝国本領軍の命令に服して、母国に課された軍役を全うするよう、厳命されている。
軍役の義務をしっかりと果たさなかった時、その懲罰は、自分や騎士団のみならず、ロンバルディア王国にまで及ぶだろう。反抗などできようはずもない。
帝国の攻撃の矛先を故郷ロンバルディアから逸らし、戦渦に巻きこまないため、と思えばこその忍耐と服従であった。
祖国に対し忠実な騎士には、逆らうことなどできない。今は。