2-4 光の柱
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文字数(空白・改行除く):20,183文字
1~7部まで:32,739文字(平均:4,677文字)
異世界生活 1日目 夜 ~光の柱発生付近~
「はぁ…はぁ…」
光の柱を見てから30分くらいだろうか。俺はずっと走り続けている。
いつだったかの体育の時間、持久力を測るテストだとグラウンドを走らされたことがあった。その時俺はクラスでただ一人授業が終わるまで走り続けたうえ、そのあとも全く疲れた様子がないという超持久力の持ち主と先生から賞賛された。
そんな俺だが、流石にペースも考えずにがむしゃらに走り続けたせいでそろそろ限界が近かった。
「うっ…くっ…」
なんでこんなに全力で走っているのか。それは俺にもわからない。
けれど、あの光の柱を見たとき、なんだか心が優しい気持ちになって――どんどん力が沸いてきて、気がついたときには走り出していた。
もしかしたら、俺はもう一度あの光の柱を見たいと……優しい気持ちに包まれたいと、そう無意識のうちに思っていたのかもしれない。
「……っ」
足が痛い。息が続かない。胸が苦しい。
あたりはさらに暗くなっていて、視界も悪くなっている。それに
「はぁ…はぁ…どこだ、ここ」
夢中で走っていたせいか、いつの間にか何もなかった景色が、木がたくさん生えたものに変わっていることに気がつかなかった。
足元も先程よりも悪くなっていて、雑草や石がそこらじゅうにある。――どうりで走りにくいと思った。
とりあえず、これ以上走るのは体力的にも、安全面でも危険だと判断した俺は、徐々にスピードを落とし
「はぁ…はぁ…(すぅー)はぁー……」
息を整えながら歩きへとシフトする。
「ふぅ……疲れた」
光の柱からもらった元気を全て使い果たした。そんな感じがする。
しかし、そのおかげか、自分が光の柱が発生したであろうに近づいた。そんな感じもする。
俺の足の速さとあの光の柱が発生した位置、ここまでにかかってであろうなんとなくの体感時間から――頭の中で今自分がいるであろう位置と、それが光の柱が発生した場所の付近であることを叩き出す。
「……何もないな」
が、あたりには光の柱らしきものはなかった。
そりゃあ俺が見ている目の前で消えたのだから、あるわけないんだが……それでも、なにか光の柱に関係しそうなものが残っていてもいいと思う。
この世界のことを全く知らない俺でも、流石にアレが自然に何もないところから発生したわけではないというのは予想がつく。ならば、人為的なものか、偶然が重なって奇跡的に起きたか――どちらにせよ、なにかがあるのではないか。
「多分このあたりだと……」
思ったのだが。本当に何もないのかと辺りを見渡しながら歩いていると
「あれ、こんなところに村?」
光が見え、そちらの方に歩いていくと建物が集まった村のような場所を見つけた。
おかしいな、あの地図には村があるなんて書いてなかった。とすると……まさか、ここが魔人グァムが支配しているという〈クルダブラ〉って場所なのか? だから、光の柱なんてのが……。
「…………」
そんなわけない。ただ単にあのクソ王様が渡してきた手作り地図が当てにならないと、ただそれだけのことだろう。
そう頭の中ではわかっているのだが、もしかして、万が一――というのがどうしても付きまとい、俺は慎重に村の入口のようなところへと近づいていく。
「(そろ~り)」
悪い気配はしない。……ような気がする。
耳をすませば……ほら、子供の声や大人の話し声が聞こえてくるし。
「うん、ここはただの村だな――」
「あの」
「――っ!?」
後ろに気配を感じ、慌てて距離をとり
「な、なんですか!?」
「――――」
腰の刀を抜き戦闘態勢に入ろうと鞘に手をかけたところで、その相手の姿を見て動きを止める。
三つ編みにされた薄い青色の髪は、村の光を受け――まるで透き通った空や煌めく海を見ているよう。背は低く、まだ子供のようだが全体的にバランスの良い体をしており、特にその顔はアイドルのように――いや、それ以上に美しいもので、髪と同じ色をした瞳は見ているだけで吸い込まれそうだった。
「か、可愛い……天使みたいだ」
いつもは絶対に口にしないような単語が、口からこぼれ落ちる。
「……ふぇ?」
女の子は、最初何を言われたのかわからないというふうにきょとんとしていた。が、数秒掛け、言葉の意味を理解したのか
「っ!?!?」
みるみる顔が真っ赤になる。
その赤みを帯びた肌と薄い青色の髪とのコントラストはとても美しく、俺は目を離せないでいた。こんな美少女に会えるのなら、異世界に来て勇者になってよかったかもしれない。
俺はその時初めて勇者になれたことを心の底から感謝した。
「あ、あなたは一体何を言っているんですか!」
「ああ、すまん。あまりにも可愛かったからつい」
「っ~~~~! な、なんでそんな恥ずかしいことを平気な顔して言えるんですか!」
女の子は顔を手で覆い隠し、体を揺らしている。
俺は恥ずかしいことを言ったつもりはなかったんだが……どうやらこの子にとってはとても恥ずかしいことだったみたいだ。
「しかし……」
この子はいったい誰なんだろう。今更ながらそんな疑問が出てくる。
「――ハッ! もしかして、モンスターか!?」
ここは異世界。俺は魔族の姿すらよく知らないし、こんな人型のモンスターがいたとしてもおかしくはない。というかむしろ、こんなに可愛いのは魔族だからなのではとも思い始めた。ほら、美しい姿で人を魅了する――的な?
「あの、どうかなさいましたか?」
俺が女の子の正体についてあれやこれや妄想――もとい思考を巡らせていると、すっかり冷静になっていた女の子に声をかけられた。
下から覗き込むその姿もとても可愛らしく――っと、危ない危ない。またこの子に魅了されるところだった。これはもうモンスターと考えたほうがいいかもしれない。
そう考えた俺は、とりあえずこの子の正体を探ることにした。
「お前は誰だ」
「誰、と言われましても……このファンヴュリ村の住人としか」
「村娘、か」
ゲームとかでよく耳にする言葉。
そうか、この女の子はこの村の子なのか。なるほどなるほど
「――って、こんな時間に村娘が村の外で何をしていたんだ!」
納得しかけたが、よく考えればそう遠くないところにおそらく魔人グァムの支配地である〈クルダブラ〉があるはず。いくらこのあたりに詳しいであろう村の娘でも、こんな暗い中村の外にいるのは危なすぎる。
単にどこかに行ってきた帰りかもしれないが、こんな中学生、いや小学生くらいの子が一人でというのはやはりおかしい。怪しすぎる。
俺の中でますますこの子に対するモンスター疑惑が強くなった。
「少し薬草を摘みに行っていたんです」
「薬草?」
「はい。私、この村で怪我をした人や病気になった人の治療をしているんです」
「この村の医者なのか?」
「そんな大層なものじゃありません。……まだ見習いみたいなもので、こうやって薬草を摘んできたり、師匠が忙しい時に代わりをする程度です」
「ふーん」
師匠とやらの代わりができるってのはそれなりに実力があるからなんじゃないか。そう思ったが、この子はモンスターでこの話もデタラメかもしれないということを思い出し、言葉には出さないでおく。
全く、美少女というのは例えモンスターかも知れないという疑いがあっても、会話してると楽しくなってくるから困る。もしかしたら、モンスターだからこそ楽しいと感じてしまうのかもしれないが。
「ところで、あなたの方こそどなたなんですか?」
「え」
「初めてお見かけしますけど……どなたかの知り合いですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが」
「でしたら、なぜこのようなところに? ここは東の番人、魔人グァムが支配する〈クルダブラ〉に最も近い村〈ファンヴュリ〉。用事もないのに訪れるような場所ではないはずです」
「それは……」
なんて言ったらいいのか……。この子がモンスターなら俺が勇者だと明かすことはまずいし、本当に村娘だったとしても自分から不用意に勇者だと明かすことはしたくない。
「お答え頂けないんですか」
「えっと……あれだ、そう、旅人」
「旅人、ですか」
「そうそう」
困ったときは大抵こういっとけばなんとかなるもんだ。実際、旅してるわけだからあながち間違いでもないし。
「でしたら、“証明書”をお見せください」
「証明書?」
「そうです。以前、この村に訪れた旅人の方に教えていただいたのですが、魔族が旅人と偽って人間の里に入り込んだ事件があってから、旅人は王様が発行した“証明書”の所持を義務付けられたそうです」
あの王様、こういうところに関しては徹底してやがるな。王としては珍しくいい仕事をしたと褒めてやりたい。……が、今はそれが迷惑でしかない。
「あー、そうなの……いや、そうだったな」
「それで、“証明書”は」
「どこにやったかなー」
俺はありもしない証明書を白い袋を漁り探すふりをする。
「…………」
「あれー、おかしいなー。見当たらないぞー」
「…………」
「悪い、どこかで落としちまったみたいだー」
「……怪しいですね」
「!」
やばい、疑われている。
「もしかして、あなた、魔族なんじゃ……」
「いや、断じて違うぞ! ほら、どこからどう見ても人間じゃないか!」
俺はその場で回転する。どこにも角とか尻尾とか、そんな人外的なものは生えていない。爪も長くないし肌に鱗なんかもなければ異様に長い毛も生えていない。異世界から来ただけの普通の人間だ。
「しかし、魔族には人間とよく似た姿をしている種族もいると聞いたことが……」
「うぐ……」
やっぱりそういう魔族もいるのか。
いや、そんなことよりも。今は疑われているこの状況をなんとかしなくては。
ここまでのやり取りで、この子は本当にこの村の村娘なような気がするし、そうだったら疑われているこの状況はまずい。勇者が村民に魔族と疑われるとか王様にしれたら、やばいことになる。この村が。
そうならないためにも、ここはやっぱり『勇者』だということを明かすしか……でも信じてくれるのか? さっきみたく“勇者証明書”見せろとか言われたらどうしよう。ないとは思うけど、あの王様のことだし……。
「あなた、本当に旅人なんですか?」
「……すまない。本当は違うんだ」
「!」
女の子から警戒したような雰囲気が伝わってくる。まあ確かに旅人だなんてわざわざそんな嘘つく奴は怪しいよな。
「本当は言いたくなかったんだけど……仕方ない。実は俺、王様の命令で――」
「王様!?」
「え?」
「あの、今王様の命令で来たって……」
「ああ、そうだけど」
なんだ、この反応。もしや、王様の命令は余計に怪しく見えたか?
そう思ったが、どうやら違ったらしく
「失礼の数々、大変申し訳ありませんでした!」
「え?」
「こんな田舎の村までようこそおいでくださいました。何もない村ですが、どうぞ中へ」
「あ、ああ」
先程までの警戒が嘘のように、俺は女の子に導かれるまま村へと足を踏み入れる。
やけにあっさりしているな。そう思ったが、せっかく疑惑が晴れたのだし気にしないでおこう。
~ファンヴュリ村・診療所~
「すみません。せっかくお出でくださったのに、今は村長は留守にしてるんでした……」
村に入ってから直で村長の家へと案内されたが、村長はおらず、「そういえば……」と留守にしていることを思い出した女の子に今度は村の診療所へと連れてこられた。
「いや、大丈夫だ」
何が大丈夫なのかは知らないけど。まあ、むしろ村長に合わされも困ってただろうし、そういう意味では大丈夫だったのかもしれない。
「あっ!」
「どうした」
「お茶が切れてました……」
「そうか」
「すみません、先程からご迷惑ばかりおかけしてしまい」
「気にしなくてもいいんだ。いきなり来た俺が悪いんだからな」
「いえ、そんなことは……」
女の子は気を落とした様子で奥の部屋へと消えてゆき
「今から代わりのものを用意するのでお待ちください!」
すぐに戻ってきたと思ったら妙に元気になっていた。ちなみに、その手には色々と道具が握られていたが、俺には何に使うものなのかはさっぱりわからない。
「…………」
「…………」
しばらくは特に会話もなく、俺はただ何かをしている女の子の後ろ姿をぼーっと眺めていた。
「…………」
「…………」
が、なんとなくこの沈黙に耐えられなくなり、俺は女の子に話しかける。
「なあ」
「はい、なんでしょうか?」
「俺がさっき、『王様の命令で来た』と行ったとき、すぐに信じたよな」
「はい、もちろんです」
「その……疑ったりしなかったのか?」
あの時は気にしないでおこうと思ったが、やっぱり気になる。
俺的には「旅人だ」と言われるよりも「王様の使いだ」と言われた方が騙せるような気がして、むしろ疑ってしまうと思う。というかこっちにこそ証明書が必要だろ。
「疑うだなんて、とんでもありません! 王様の命令で来られたというのならば、それは本当に決まっています」
「やけに信用度が高いんだな」
「はい。そもそも、この世界で王様の名を騙りに使おうだなんて命知らず――いえ、無礼な方はいません」
「ふーん」
俺は聞き逃さなかった。今、女の子が言った“命知らず”という単語を。
やっぱり、この世界での『王様』というのはそういう認識で間違いはないようだ。
「…………」
「…………」
そしてまた、沈黙が訪れる。
実は俺、人と会話するのが下手なんじゃないかと思い始めるも、今回は話のネタが悪かったのだということにした。そう、王様が悪い。
「そういえばさ」
ということで、別の話題で会話を再開させようと試みる。
「ここって、さっき言ってた師匠とか言う人の診療所なのか?」
「はい、そうです。今は他の村までお手伝いに行かれているのでいませんが」
「へー。他の村までお手伝いにねぇ」
「師匠はこの世界でも5本の指に入るくらい凄腕のお医者様なんです」
想像以上に凄い人だったらしい。
「凄い人なんだな」
「はい! 師匠は凄くて、とても立派なお方なんです!」
「そ、そうか。……しかし、こういっちゃなんだが、なんでそんな凄い人がこんな村にいるんだ?」
普通そういう人は、もっと設備も整った場所で活動していそうな気がする。王様のお膝元である〈ルルカブラ〉とか、地図に書いてあった規模の大きそうな街〈ガリオブル〉とか。
少なくともこんな、何もないような場所ではその才能も発揮しきれないような……。
「それは私もずっと気になっているんです。以前、思い切って師匠に聞いてみたことがあるのですが……」
「?」
「教えてくれませんでした」
「教えてくれなかった……?」
「はい。とても大事な理由がある、とだけ。それ以上のことは私が立派に成長したら教えてくれると」
「大事なワケ……」
気になる、凄い気になる。そんな凄腕の医者がこの村に留まる理由……それは一体何なのか。
この村には隠された財宝があるとか? 実は謎の病が蔓延していて、それを治すための手がかりがこの村にあるとか? それとも――。
考えても考えても、考えれば考えるほど。様々な予想が浮かび上がってくるが、結局答えを知る本人がこの場にいない以上真実を知ることはできず、ただ気になるという気持ちだけが俺の中に残った。
「だから私、早く師匠に認めてもらえるような一人前の医者になりたいんです! その理由を聞くためにも、この村のみんなが健康で過ごすためにも」
「偉いんだな」
まだそんなに小さいというのに、自分のやりたいことのために一生懸命になれるというのは凄いことだ。それに、そんなのが一切ない俺には羨ましくもあった。
「でも、まだまだなんですよね。……って、すみません!」
「ん? 何がだ?」
「こんな私のつまらない話なんてお聞かせしてしまって」
「そんなことはなかったぞ。君の想いが伝わってくるいい話だった」
「……ありがとうございます」
後ろからでも、女の子が赤くなっているのがわかった。
「…………」
「…………」
会話が終わってしまい、また沈黙が訪れてしまった。
部屋には、何かをこすり合わせるような音だけが響く。
……そういえば、さっきからずっとこの子は何をしているんだろうか。お茶の代わりを用意するとか言ってたが。
「…………」
「…………」
まあ、気になったのなら直接聞けばいい。さっきの師匠とは違い、女の子は目の前にいるんだから。というかもう何やっているのか見てしまえばいいのか。
ということで、俺は座っていた椅子から立ち上がると、女の子のそばにより声をかけた。
「さっきから何やってるんだ?」
「ひゃっ!」
「おっと」
いきなり近くで声をかけたせいか、女の子は驚いてしまったようだ。その際、持っていた棒みたいなものを手から落としてしまったので、床につく前に俺がキャッチする。
「いきなり悪かったな。ほら」
「す、すみません」
「……それで、一体何をしてるんだ?」
「今日摘んできた薬草を擂っているんです」
「薬でも作るのか?」
「薬……といえばそうなるんでしょうか。今は、お茶の代わりにお出ししようと、飲むと疲れが取れる【カノス】を作っているところです」
「カノス……薬茶みたいなものか?」
「クスリチャ?」
女の子が初めて聞いたというような顔をしてこっちを見ている。
そうだった、ここは異世界。会話も普通に成立していたからうっかりしていたが……この世界で俺の知らない言葉があるように、その逆もまたあるのだ。
さてどうしよう。今のところ俺は王様の命令できたお役人だと思われている。しかし、その言葉が異世界の言葉だと説明するには、俺が『勇者』だということを言わなければならないかもしれないのだ。
せっかくここまで言わないで来れたのなら、この村を出るその時まで意地でも黙っていよう。俺はそう心に固く決意し、とりあえず流すことにした。
「そんなことより、あとどのくらいで完成するんだ?」
「あっ! 待たせてしまいましたよね、すみません!」
「ああ、急かせているみたいだったな。悪い」
「あと少しで出来上がりますので、もう少しお待ちください」
「ゆっくりでも構わないからな」
「えーと、薬草はこれくらい細ければ十分ですから……あとはこれを加えて――」
「ちょっと待ってくれ」
「はい? なんでしょうか」
「その、手に持っているのはなんだ?」
米粒サイズの黒い物体で、ひと粒ひと粒から細い毛のようなものが左右対称で3本ずつ生えている。それはまるでアリのように見えた。
「これですか? これは『チスニ』と呼ばれる虫ですよ」
「虫!? え、それ入れるのか!?」
「もちろんです。【カノス】は薬草と『チスニ』を混ぜて作るものですから」
「えぇ……」
正直気持ち悪くて、例え疲れが取れるのだとしても飲みたくはない。
しかし、女の子は不思議そうな顔もしながらもためらいなくチニスをすり鉢に入れ、薬草と一緒に擂り始めた。
擂るのにはそれなりに力がいるのだろう。女の子の額には汗がにじんでいて、時折「ふぅ」とため息をついている。それでも、少しでも早く俺に飲ませようと手を止めることだけはなく――とてもじゃないが飲みたくないとは言えない。
「……よし、出来ました!」
なんとか回避する方法はないかと、あれこれ考えているうちにとうとうカノスは完成してしまったようだ。
「今、お入れいたしますので、座ってお待ちください」
そう言って女の子は奥の部屋へと消えていく。
「もうダメか……」
もう回避することはできない。俺はそう悟り、しかたなく女の子に言われたとおりさっきまで座っていた椅子に再び腰を下ろした。
しばらく待っていると、奥の部屋からポットとカップを手にして女の子が戻ってくる。
「大変お待たせいたしました」
「あ、ああ」
女の子は俺の前にカップを置くと、ポットを傾けそこに緑色の液体を注ぐ。
「どうぞ、師匠直伝の【カノス】です」
「どうも」
カップを手に取り、中を覗く。
半端じゃないくらい緑色をした液体がそこにはあった。それはまるで道路の脇にある溝に溜まった、濁った水を連想させ――いや、これ以上は自分で自分の首を絞めることになるからやめておこう。
とりあえず、見た限りじゃちゃんと漉されているようで、虫が浮いているようなことはなかった。
「……着色料に虫が使われてるんだし、これもそんな感じだと思えばなんとか」
なるだろうか? そう思いつつも、なんとかなると思うしかない。
「“チャクショクリョウ”? なんですか、それ?」
「俺の世界で食べ物とかに色をつけるものだ。それにも虫が使われているのがあるんだよ」
「俺の、世界……? 一体何を――」
「おおっと! 冷めないうちに飲まないとな!」
「え、あ、はい。そうですね、冷めないうちにどうぞ。体も温まりますよ」
さっき決意したばっかりだというのに、危なく異世界の知識を披露して異世界人だとばれるところだった。なんとかごまかせたけど、本当に気をつけなければ。
「……よし」
このままだとまたやらかしそうなので、俺は覚悟を決め、一口。
「(ごく……)」
「美味しいですか?」
「……うん」
正直、不味くはない。少し苦いお茶といった感じだ。……しかし、作る工程とその色からどうしても素直にうまいとは言えなかった。
「…………」
「あ、そうでした」
俺がなかなか二口目にいけないでいると、女の子が急に何かを思い出したかのように手を「ぽんっ」と叩いた。
「どうしたんだ?」
「すみません。大事な工程を忘れていました」
「大事な工程?」
「はい。師匠直伝の【カノス】は少し苦くて、若い人の口には合わないんです」
「そうなのか」
まあ確かにお年寄りが好みそうな味だなとは思った。
「ですから、私が“魔法”をかけて苦味を抑えるんです」
「魔法……使えるのか?」
「はい。なんでも、私には魔法使いの素質があるとか、以前旅人さんにいわれたんです」
証明書とかいう余計な情報を教えた奴だろうか。
「そういえば、魔法って素質がないと使えないものなのか?」
「? この世界の人は量は違えど皆さん魔力を必ず持っていますので、レベルの低い魔法なら誰でも使えるはずですけど……なんでそんなことを?」
「いや、気にしないでくれ」
ということは、俺には魔力がこれっぽちもないということか。
特訓すればもしかして――とかも思っていたのだが、その可能性は完全になくなってしまったというわけだ。これで本当に赤い本がゴミと化したな。
「でも、旅人さんが言うには私には普通の方より魔力の量が多いそうなので、もうワンランク上の魔法も使えると少しばかり私に魔法を教えてくれました」
「ふーん」
「今から使う魔法もそのうちの一つなんです。……カップを持ったまま、少しの間動かないでいてくれますか?」
「あ、ああ、わかった」
魔法に関して何も知識がない俺は、女の子に言われたとおりカップを持ったまま動かない。
女の子はカップに向かって手をかざし、集中しているのか目を閉じている。
「(すぅー、はぁー)」
「……(ごくり)」
これから俺は生まれて初めて魔法を見る。そう思ったら、なんだかテンションが上がるのと同時に緊張してきた。
「……それでは、いきます」
女の子が目を開く。そして――
「おいしくなーれ、おいしくなーれ、モエモエパワー注入~!」
「……へ?」
――そんな、おかしなことを口走る。
一体この子は何を言っているんだ。俺の想像していた魔法の呪文とはかけ離れた言葉を聞かされ、若干混乱していると
「――――」
俺は目を疑った。
どうやらあの言葉は本当に魔法の呪文だったようで、女の子の手からは白く淡い光が発生しており、それはカップを包み込んでいた。
確かにその光景は、俺の世界じゃありえない魔法ような光景。流石の俺も少し驚いた。――が、今はそれよりも気になるものがあった。
「これ、は……」
女の子の手から発生している光とは別に、もう一つ、それも女の子の全身から溢れ出ている光。
俺はその光を知っている。見たことがある。
いろんな色が混じり合っていて、それでいて透き通っているような、オーロラを見ているような神々しさを感じる――光の柱と同じ光だ。
「そうか……」
光の柱が発生したのは、俺が辺りの景色が変わったと気づいたあの場所……この村から少し離れた場所だ。
この神々しい光がこの子が魔法を使うときに発生すると仮定して、もしあの光の柱が発生したときこの子があの場所で薬草摘みをしていて、何か魔法を使ったんだとしたら――。
「ふぅ……。魔法、かけ終わりました。どうぞ、もう一度飲んでみてください」
女の子が魔法をかけ終わると、神々しい光も消えた。
「……ああ」
俺は女の子が魔法をかけたカップの中を覗く。濁った緑色の湯は、透き通た薄い緑色に変わっていて、まるで普通の緑茶のようだ。
「(ごく……ごくごく)」
「どうですか……?」
「……うまい」
味も、苦味が和らぎ、すっきりとしたまろやかなものとなっていて、普通にうまかった。
「よかった……魔法は成功したんですね」
「そうみたいだな」
俺はうまくてついつい飲みきってしまった空のカップを見つめながら、考える。
もしこの子が光の柱の発生元だったとして――だからどうしたという話だ。確かに俺は光の柱に惹かれてこんなところまで来てしまったが、光の柱やそれに関するものを見つけてどうするつもりだったんだろうか。もう一度あの優しさに包まれたい? もう一度あの神々しさを体験したい?
たぶんそれもあるだろうが、本当のところはただ初めて見た“超常現象”というものに興奮していただけなんだろう。今日一日、異世界に来てから初めてのことばかりで俺の脳は処理しきれていなかったんだ。
だから、今こうやってこの子のお茶を飲んで、落ち着いた今となっては、さっきまでの俺がどうかしていたのだとわかる。
「魔法ってすごいんだな。俺は使えないけど」
使えないからこそ、凄いと思う。もし俺が魔法を使えるこの世界に生まれ、暮らしてきたのならこんなことは思わなかった。
あまりに非現実的なことは人を狂わせるほど惹きつける。これからこの異世界で過ごすのならこれ以上にすごいと思うことに遭遇するかもしれない。それでも、俺はそれに心を狂わされないように気を引き締めていかないと。
「え、魔法使えないんですか?」
俺が今日一日のことを振り返り、反省していると女の子が驚いたように聞いてきた。
「ああ、使えない」
「どうして……一体あなたは誰なんですか? 魔法を使えない人なんて聞いたことありません。王様の命令で来たって仰ってましたけど、あなた、本当に人間なんですか?」
せっかく疑いが晴れたというのに、また疑われ始める。外も日が落ち完全に暗くなったし、今村を追い出されるようなことがあってはまずい。
そう思った俺は、お茶を飲んでリラックスしていたせいもあるのか
「俺? 俺はリュウエン。異世界からきた『勇者』なんだ」
つい口を滑らせてしまった。
「えっ……?」
「異世界って言っても、君たちと変わらない人間だし、ちゃんと《勇者の剣》も抜いた王様公認だから」
ほら、と腰につけていた刀を抜いてみせる。
「どこかで見たことがあると思ったら……それは《勇者の剣》……! まさか、あなたは、あなた様は」
「ん?」
「あの伝説の、勇者様!」
「そうだって言って……あ」
しまった、と思ったときにはもう遅い。自分が口を滑らせたと気づいたときには誤魔化す暇もなく、完全に自分が伝説の勇者だと名乗り証拠も見せていた。
10分後。
「――ってわけ。だから、あまり俺が『勇者』だってことを言わないでくれると助かるんだが」
「わ、わかりました!」
俺が勇者だとわかるやいなや、それを皆に伝えるために診療所を飛び出していこうとした女の子を捕まえて、俺が異世界からやってきたことや『勇者』になった経緯を説明し、俺はあまり『勇者』だと知られたくないということを伝えた。
「そうか、わかってくれたか」
「はい。勇者様がそういうのでしたら、私は勇者様のことを決して他の方に言いません! この命に代えても!」
「別にそこまでの決意はいらないんだけど……」
まあとにかく、これで俺が勇者だということが村中に知れ渡るようなことはなくなっただろう。
どうしてそこまでして『勇者』だということを隠したいのかと問われれば、それはまああの王様のせいかもしれない。元々誰かに敬われるのを得意としていなかったが、この世界で敬いの対象といえばあの王様。『勇者』ももちろん敬いの対象になるだろうし、そうするとあの王様と同じという風に感じてしまい――なんか嫌だ。
「勇者様だとは知らなかったとは言え……数々のご無礼、申し訳ございませんでした」
「黙ってたのは俺の方なんだし、気にしないでくれ」
「ですが」
「そんなことよりも、俺にも教えてくれないかな」
「何をでしょうか」
「この世界の……そうだな、魔法についてとか」
「魔法について、ですか」
「俺のいた世界には存在しなかったからな。一体どんな原理なのか気になって」
「勇者様の頼みならばお教えしたいのはやまやまなのですが……すみません、私にも先ほど申し上げたこと以上のことはよくわからないのです」
「わからない? わからないで魔法を使っているのか?」
「はい。この世界の生物には『魔力』というものが存在していて、魔法はその魔力を外に開放した際に生まれるモノ……と旅人の方に教えて頂きましたが勇者様が知りたいであろうことは何も」
「ふーん」
まあ原理が分からずに道具を使うなんてこと、俺のいた世界でもよくあることだし、この世界での魔法はそんな道具のような“便利なもの”という認識なんだろう。
「そういえば、君が使える魔法ってさっきのあれだけなのか?」
「いえ、低いレベルのものなら一通り、属性関係なしに使うことができます」
「属性?」
「はい。えーと、魔力の種類、と言えばいいのでしょうか。火属性、土属性、木属性、水属性の4つがあり、人間だけに限らずこの世界のあらゆるものはこの四属性のいずれか一つを宿しているんです」
「へー」
「そして、その属性によって得意とする魔法も変わるんです。魔力がそんなにない普通の人はだいたい得意属性の低レベルのものしか使えません」
「ということは全属性の魔法を使える君はすごいんだな」
「いえ、そんな……低レベルのものが使えるだけで、大魔法使いのような上級魔法が使えるわけじゃありません」
「でも旅人とやらにワンランク上の魔法も使えるって」
「そうなんですけど、使えるといっても得意属性である木属性の“回復系魔法”だけなんです」
「回復魔法……それってさっきの味を変えた魔法か?」
「いえ、あれは旅人さんが知り合いの大魔法使いに教えてもらったオリジナルですとか……」
「オリジナル?」
「あ、この世界の魔法には二つありまして、発動に必要な魔力と呪文があれば誰でも使える既存の魔法……いわゆる普通魔法と、大魔法使いクラスが新しく作り出した自作魔法です」
「魔法って自分でも作れるのか」
「はい。それなりの魔力と多くの魔法知識さえあれば作ることができます。まあ、そこまで多くの魔法知識を持った方はそうそういませんが……だからこそ、大魔法使いはすごいんです!」
そう語る女の子の瞳はキラキラと輝いていた。自分ではかなり謙遜しているが、やっぱり人並み以上に魔法を使うことができるのだ。大魔法使いへの憧れがあるのかもしれない。
――と、そういえば王様からもらったものの中に俺には使えなかった本があったのを思い出した。俺は白い袋からその赤い本を取り出し
「そうだ、君にこの本をあげよう。王様から貰ったんだけど、俺には使えなかったから」
いらないので魔法が使えるこの子にあげることにした。
「えぇ!? 王様からいただいたものを、私なんかが受け取れません!」
「それは《魔法書》とか言って、この世界のあらゆる魔法が記された書物なんだけど……ほら、俺、魔力ないからさ。持っててもしょうがないんだよね」
「これがあの、本物の赤の《魔法書》……! そんな凄いもの、とても私なんかが触れることすらおこがましいです!」
「おこがましいって……。まあまあ、いいから貰ってよ。君も使える魔法が増えるかも知れないし、俺なんかが持っているよりも君が持っていた方が俺としても嬉しいしな」
「えーと、その、うーん……わかりました」
女の子はしばらく頭を抱えて悩んでいたかと思うと、決断したのか、本を受け取る。
「勇者様がそこまで言うのでしたら、私はこの《魔法書》を読もうと思います」
「うん、それがいい」
荷物も減らせて、女の子のためにもなって一石二鳥というやつだ。
「それで、勇者様に是非この《魔法書》を読ませていただくお礼をしたいのですが」
「お礼? 別にその本をあげたのは俺なんだし、気にしなくていいんだぞ」
「そんなわけにはいきません! なにか、なにかお礼を……」
「えー、別にいいんだが……」
そうは思うのだが、女の子の真剣な表情を見ているとなにかしなくてはいけないような気がしてきた。
しかし、お礼と言ったって何をして貰えばいいのか……あ、そういえば本に書いてあった魔法に興味深いものがあったな。どうせならその魔法でも試してもらうか。
「じゃあ、その本の真ん中あたりに書いてあった魔法、『所持品を異空間に保管しておく魔法』とやらを試しに俺にかけてみてくれないか?」
「わかりました」
女の子は本をペラペラとめくる。
「……あ、ありました!」
「そうか。じゃあ早速」
「でも――」
「?」
「――この魔法、土属性のレベル3の魔法でして」
「使えない、のか?」
レベル3というのがどのくらいなのかはわからないけど、その表情から察するに女の子の魔力がいくら人並み以上だからといっても使うのは難しそうだ。
「木属性ならなんとか使えたかもしれませんが……」
「そうか。なら、まあ仕方ないか」
腰に刀を挿したままだと人に注目されてしまうから、その魔法で必要な時だけ出せれば便利だと思ったんだが。
まあ、もしも、程度の期待だったのでそこまで残念という気持ちは湧いてこなかった。
「とすると、なにか別のお礼を考えないといけないな」
「あの……勇者様」
「ん? なんだ?」
「出来るかどうかはわかりませんが……やらせてくれないでしょうか」
「それは、魔法をかけてくれるということか?」
「かけられるかはわかりませんけど、試してみたいんです。せっかく勇者様がこうして機会をくれたのですから……」
「そうか。じゃあ、頼む」
「はい!」
とまあそういうわけで、女の子に魔法をかけてもらうこととなった。
カップにしていたように、女の子が俺に向かって手をかざす。そして、集中力を高めるためか目を閉じた。ここまでは先ほどの魔法と同じだが、ここからが違った。
「ハネスに存在する土の精よ。我が魔力を糧とし、今、ここにその姿を現せ。全てのモノのため、その身を生贄と捧げよ。そして我が力となり、今ここに集結せよ!」
「【トイッジポゲン】!」
「おぉ……」
思わずそんな声がこぼれた。
女の子がオリジナル魔法の時とは違うそれっぽい呪文を唱えると、俺の体が光に包まれる。それは数秒で消えてしまったが、体に妙な力が流れような感覚が残り――俺は自分が魔法にかかったのだと理解した。
「……成功したみたいです。勇者様」
「みたいだな」
「ご存知かと思われますが、この魔法はこことは違う空間にモノを保管しておくことができる魔法です。一つしか保管しておくことはできませんが、その代わりどんなものでも、いつまでも保管しておくことができます」
「やっぱり魔法ってすごいな」
「保管したい対象を触れながら『保管したい』と強く思うことで保管することが可能です。保管したものをたり出したいときは保管したものをイメージしながら『戻ってこい』と強く思えばいいだけです」
「なるほど。じゃあ早速」
俺は腰にしていた刀を手に持ち「保管したい」と強く思う。すると、刀はスーっと消えて行き、やがてその姿も感触も消えた。
「おお」
「一応、取り出せるかもお試し下さい」
「そうだな」
いざって時に取り出せないと困るし、勇者の剣をなくしてしまったなんてことになればもっと大変なことになる。
俺は日本刀のような勇者の剣を思い出しながら「戻ってこい」と強く思う。そうするとどこからか光の粒子のようなものが集まってきて、それはやがて刀の形になり――俺が手で掴むと光は消え後には勇者の剣だけが残った。
「なんか面白いな」
「慣れてくればもっと早く出し入れを行うことも可能になるでしょう」
「そうか。それは便利だ」
「……それで、勇者様。他にはどんなことをすれば良いのでしょうか」
「え?」
「あの《魔法の書》を勇者様から受け取ったのです。これだけでは全然つり合いません。もっと他にして欲しいことはありませんか? なんでもしますよ!」
「いや別に……」
「遠慮しないでください」
遠慮なんて、全くしていないのだが。それに、今はもうしてほしいこともないしな……
「気にしなくてもいい――」
そう言いかけたところで、そういえば寝泊りするところがなかったことを思い出す。
「――と言いたいところだけど、寝るところがなくて困ってたんだ」
「寝るところ、ですか」
「そうそう。だから、このあたりに宿とか――」
「そういうことでしたら、是非私の家にお越し下さい! 大したおもてなしはできませんが、お風呂や食事くらいならご用意できます!」
女の子はグイグイと迫ってくる。
「いや、別にそこまでしてもらわなくても……宿とかまで案内してくれるだけでいいんだよ」
「いえ、この村には宿とかはないんです」
「えっ、それじゃあ旅人とかはどうしているんだ」
「滅多に来ませんし、来たとしてもそのときは村長がご自宅を宿として提供しているんです」
「だったら俺も村長の家に泊まらせてもらおうかな……なんて」
「勇者様、今村長は留守にしていらっしゃるので家は閉まっています」
そういえばそうだった。
「いや、でも、しかしだな」
今は『勇者』なんてのをやっているが、俺はこれでも男子高校生。小さいとは言え女の子の家に泊まるのはちょっと……恥ずかしいというか、抵抗がある。
「勇者様は、私なんかの家ではやっぱりご不満でしょうか……」
「そういうわけじゃない。わけじゃないんだが……本当に君の家以外に泊まる場所はないのか?」
「ありません。師匠がいないのでこの診療所も使えませんし、他の方のお宅という選択肢もありますが、その場合は勇者様が『勇者』だということを説明しなくてはなりません」
「うぐっ」
それは避けたい。この女の子の時は言いふらす前になんとか黙っておくように説得できたが、今度もそうとは限らない。もし村中に『勇者』だとしれてしまえば……大事になるのは必至。
そうなると、俺が選ぶ選択肢はもう決まっていた。
「……わかった。君の家にお世話になるよ」
「ありがとうございます!」
「なんで君がお礼を言うんだ」
「勇者様のために、精一杯おもてなしをさせていただきますね!」
そういう女の子は笑顔で、その笑顔はとても可愛らしいものだった。
「……ああ」
ただ、少し疲れていた俺はその天使のような笑顔を見てテンションが上がることはなかった。
~ファンヴュリ村・女の子の家~
「湯加減はどうだったでしょうか、勇者様」
女の子の家にやってきて、初めに案内されたのはお風呂。
元の世界はもう夏で、今日はとても暑かったからかなり汗をかいていた。この世界はそこまで暑くなかったものの、長い間歩いたり走ったりでとても汗をかいたはずだ。
だから、まずお風呂に入れと言われたのは俺がかなり汗臭かったということかもしれない。
「ああ、ちょうど良かったよ」
そう思った俺は、念入りに体を洗い、少し長めにお湯につかっていた。
ちなみに、この家は全体的に木でできていて、まともに電気も通っていないド田舎(個人的な偏見)の家を連想させられた。が、普通に電気も通っていれば、魔法がある世界だとは思えないほど日本とそう変わらないくらい科学の力が存在していた。
お風呂もすごい快適だったし……これで壁に壁紙とか貼ってあったらもう日本の家と変わらない気がして、少し異世界のイメージが崩れた。
「それは何よりです。……もう少しで食事が完成するので、もうしばらくお待ちください」
女の子はそう言って部屋を出ていく。
今、俺がいるのは食事をする部屋――いわゆるダイニングルームで、そこの食卓にあった4つの椅子のうちの一つに座っている。
「そういえば俺、昼飯食べてなかったな」
そんなことを思い出し、意識した途端にものすごい空腹感に襲われ
―――ぐぅ~。
そんな音がおなかから聞こえた。
「くぅ……」
恥ずかしい。そう思っても、一度なりだしたらなかなか止まってくれない。
「あらあら、勇者様ったらそんなにお腹を空かせて」
そう言いながら、女の人が部屋に入ってくる。その手には、山盛りに積まれたおにぎりが乗っている皿が。
「急なことだったからこんなものしか用意できなかったけど、大丈夫かしら」
「え、ああ、大丈夫だ……」
「そう、よかった。いっぱい食べてくださいね」
「ああ……いただきます」
俺はおにぎりを一つ手に取ると、パクリ。
「(もぐもぐ…ごくん)」
「どうかしら」
「……うまい」
ホカホカのご飯を握ったものに、塩がかかっているだけのシンプルな味。けれど、疲れていてお腹がすいているのに食べる気力がない俺にはそれがちょうど良く
「(もぐもぐ、ごくん。もぐもぐ、ごくん)」
「あらあら」
「(もぐもぐ、ごくん)……ごちそうさまでした」
あれだけあったおにぎりを全て平らげてしまった。
「いい食べっぷりですね、勇者様」
「どうも」
「息子にほしいくらいですよ」
「どうも……え?」
今、この女の人がなにかおかしなことを言ったような……いや、それよりもこの女の人は誰だろう?
女の子と同じ青い髪と瞳を持っていて、女の子よりもいくらか背が高い。
「あの、あなたは」
「あら、そういえば自己紹介がまだでしたね。私はルルカ。勇者様を連れてきたあの子のママです」
「ママ……ママ!?」
「はい」
ニッコリと微笑むルルカさん。その笑顔は女の子にとても良く似ていて――正直母親には見えないほど若かった。
「お姉さん、とかではなく?」
「あらあら、勇者様ったらお世辞がお上手なんですから」
「いや……」
「勇者様のことは娘からいろいろと聞きました。異世界からこられたそうで……とてもお疲れになったでしょう」
「まあ、それなりに」
「上に部屋をご用意しましたので、今日はゆっくりとお休みください」
「どうも」
「それでは、勇者様。おやすみなさいませ」
そう言って、ルルカさんは空になった皿を持って部屋から出ていってしまった。
「……あれ?」
一人部屋に残された俺は、会話が途中でおかしくなったような気がすると首をかしげていたが、お腹が膨れたことで眠気が急に来たので、考えるのをやめて用意された部屋へ行くことにした。
「にゃんにゃん、にゃお~ん!」
「へ?」
部屋のドアを開けると、ポーズを取りながらそんな事を言っている女の子の姿が目に入る。そのあまりに衝撃的な光景に、思わず俺は手に持っていた白に袋を落としてしまった。
「あ、勇者様。お食事は満足していただけたでしょうか」
「あ、ああ。……いや、てか、何やってるの? あれ、俺、部屋間違えたか?」
「いえいえ、勇者様。この部屋で間違いありませんよ。……あ、やはりこんな何もない部屋では駄目だったでしょうか」
「いや、部屋とベッドがあるだけで十分だが」
「そう言っていただけて良かったです」
「てか、君はここで何してるんだ? さっきの変なセリフとポーズとか……」
「お恥ずかしいところを見せてしまい申し訳ありません」
女の子は頬をわずかに染める。
「実は、勇者様に快適な眠りをしていただくために、飲み物をご用意していたんです」
「飲み物?」
「はい、これです」
そういって女の子にカップを渡される。その中には白い液体が入っていて、ほんのり温かい。
「これは?」
「ホットミルクです」
「なんだ、ホットミルクか」
またよくわからないものを飲まされるのかと少し警戒してしまった。
「あれ、このホットミルクとさっきの変なポーズに何の関係があるんだ?」
「ただのホットミルクではダメかと、魔法をかけさせていただきました」
「一体どんな魔法をかけたんだ?」
「以前旅人さんから教えていただいたオリジナルの『一時的に疲れを感じなくなる魔法』です」
「一時的にって……」
なぜかヤバいクスリを連想してしまう。というか、自作魔法って変な呪文のやつばっかりだな。旅人の知り合いの大魔法使いが作ったそうだが……俺の変人な友人を思い出す。
「でも、一時的にだと意味がありませんので、私なりに手を加えさせていただきました」
「手を加えたって……そんなことできるのか?」
「はい。改編魔法といいまして、普通魔法や自作魔法の一部を書き換えるんです」
「それは誰でもできるのか?」
「自作魔法ほどではありませんが、それなりの知識が必要ですけれど……それさえあれば魔力の少ない人でもできます。ただ、自分でアレンジした魔法を魔力不足で使えないということも結構あるようですが」
「へー」
「先ほど勇者様から受け取った《魔法書》を読んだので、私も多少魔法に関しての知識を得ることができました。ですので、それを活かして私なりに『一時的に疲れを感じなくなる魔法』をアレンジして『疲れがなくなる魔法』にしてみました」
「早速あの本が役に立っているようでよかった」
あの本は魔法を使えない俺なんかより、この子のような魔法が使える人が持っていたほうが意味があるというのが証明された。
「じゃ、せっかく君が魔法をかけてくれたこのホットミルク。冷めないうちにいただくとするか」
「あっ」
「(ごくり)」
「……ど、どうですか?」
「どうですかって言われても……普通?」
味は日本と特に変わらないホットミルク。魔法がかかっているらしいが、今のところ何も起きない。体の奥がポカポカしてきているが、別に普通のホットミルクを飲んでいる感じだ。
「もしかして、魔法に失敗したんでしょうか」
「成功か失敗かってかけた時にわからないのか?」
「かけた瞬間発動するものならわかるんですけど、今回のように飲んだ対象が魔法にかかる系統のはその効果が出るまでわからないんです。おそらくアレンジ自体はできているはずなんですが……」
「ふーん」
「申し訳ありません勇者様。お役に立てなくて……」
「何言ってるんだよ。君は十分俺の役に立っているさ。家に招待してくれてご飯も食べられた上に寝るところまで用意してくれたんだからさ」
「そんな……勇者様のためなら、それくらいは当然のことです」
「でも、助かったんだよ、俺は」
そう、助かった。異世界に来ていきなり野宿だなんて、不安なわけがない。しかも俺は『勇者』で、いつ魔族に襲われるかもわからない存在。いくら冷静で完璧な俺でも、特別な力なんてないただの男子高校生なんだ。怖い、怖いに決まっている。しかし今は『勇者』なんだから、弱音ははけない。
だから、だから……
「ありがとう、本当にありがとう! 君は命の恩人だよ!」
「ちょ――勇者様!?」
体の奥底から様々な感情が湧き上がり、気づけば俺は女の子に抱きついていた。
「どうしたんですかいきなり! あの、苦しいんですけど!」
「そうだ、君、名前はなんて?」
「え、私の名前ですか? リリナですけど……」
「リリナ、リリナか! 可愛いよリリナ~!」
「え、えっ!? いきなり何を!?」
「リリナ~リリナ~」
「あの、あの……離してください!!」
「うわっ」
ドンッ、とリリナに押され、俺はリリナから離される。
そしてそのまま
―――ゴツン
鈍い音があたりに響き、頭に激痛が走る。
「いった……」
「あ、ああ! す、すみません勇者様」
自分が突き飛ばした相手が『勇者』だったことを思い出したのか、女の子が真っ青な顔で駆け寄ってくる。
「私はなんてことを……」
「いや、気にしなくていい」
「ですが」
「そもそも俺が先に抱きついてしまった……んだっけ?」
「勇者様?」
「なんだか、頭がぼーっとして記憶が曖昧に……」
「もしかして頭をぶつけたから……私のせいです!」
「いや……」
違う。これはきっと、頭をぶつけたせいじゃない。その前――ホットミルクを飲んだあたりからだ。あの後から体が熱くなって、頭がぼーっとして自分が何をしているのかイマイチ把握しきれていなかった。
「大丈夫だ。えーと……君の名前は」
「リリナです。やっぱり記憶が飛んでしまったのでは――」
「いや、本当に大丈夫だ。俺は『勇者』で頑丈だからな。空高くから落っこちても傷一つないくらいには」
「勇者様……」
リリナが心配そうな顔で覗き込んでくる。本当はまだぼーっとしてるし、記憶があやふやなのは頭をぶつけたからではなくホットミルクのせい――つまりはリリナのせいということになってしまうが、ここは『勇者』としても男としてもこの子にこれ以上の心配をさせるわけにはいかない。
「大丈夫だから、そんな顔をするんじゃない。リリナの可愛い顔が台無しじゃないか」
「っ!?!?」
「こんなに可愛い子が心配してくれたんだ。痛みも疲れも吹き飛んじまったし、元気いっぱいだ」
「っ~~~~!」
リリナの顔が真っ赤になる。うん、心配されるよりはこっちの方が俺としてはいい。
結構恥ずかしいが。真顔で言ってるけど内心すげぇ俺も真っ赤になってるが。
「そ、それだけ元気ならば問題ありませんね!」
「ああ」
「今日ももう遅いですし、私はそろそろ失礼させていただきます! 勇者様もゆっくり休んでくださいね!」
「わかった」
「それでは!」
リリナは早歩きで部屋を出ていく。
「……はぁ」
体が熱い。恥ずかしさのせいもあるけど、やっぱりあのホットミルクのせいだろうか。
「そろそろ休んだほうがいいな」
もう限界が近かった。
俺はドアのところまで行くと、腕を伸ばし落としてしまった袋を拾う。そしてドアを閉め、ベッドまで近づき
「……おやすみなさい」
白い袋を放り投げると、そのまま倒れこみ、俺は意識を失うように眠った。
異世界生活 2日目 朝 ~ファンヴュリ村・リリナの家~
目が覚めると、視界に飛び込んできたのは知らない天井だった。
「ここは……」
※2-1へと続く
想像以上に長くなっちまい、驚きの隠せない木葉っす!
今回は回想……1-3の後2-1の前にあたる部分の話になってるっす
いや、まあ、なんでこんなに長くなっちまったんすかね
基本俺は書き溜めとかしないんで、投稿した順番に書いているんすけど、アレっすね。既に書いたものを読みながら伏線を逆回収する感じで書いたんで辛かったっす
2-1の終わりでリュウエンが思い出した『』←この台詞の数々をどう回収しようか……明らかにリュウエンが言わなさそうな台詞もあったり、書いている流れで本当は回収したかったのに間に別の台詞があったせいでわざわざ不自然な感じで展開させたり
これほど書いていて辛かったことはないっす。リリナの名前も最後に聞いているからずっと女の子って表現しないとならなかったっすし
回復魔法の使い手とか、虫の話とか、そういう細かい部分も回収しないといけないので何度も読み返しましたとも。それでも回収し忘れている話題もあるかもしれないっすが、そこはまあなかったことにしといて欲しいっす
ただ、この回想のおかげでいいこともあったすね
例えば《勇者の剣》。これは完全に忘れていて、2-3までリュウエンが勇者の剣を持っている描写は書かれてなかったっす。でも、回想中に『魔法でしまってあった』ということにしたおかげで何とかなったっすね
他にも今後テンポの都合で入れられなさそうな“魔法”や“属性”についての説明、『師匠』についてなんかを描写できたのはよかったっす。……え、『師匠』は描写しないといけないほど重要人物なのかだって? それは今後の展開しだいっすよ。もしかしたら出番もなく消えていくかもですし
さて、長い長いリリナが仲間になるまでの話が終わり、次回はついに塔の番人との戦いが! ……あるかな?
まあ回想でやりたいことはやり尽くしたので、流石に次回からスムーズに、プロット通りに話が進んでくれるでしょう(願望)
ただ今回でやる気を使い果たしてしまった気がするので、次回「2-5 VSグァム(予定)」を書き始めるのは当分先になりそうっす