決戦前夜①
その日の夜、風町医院ではささやかながら宴が催された。
レベル上げのついでに各班がスーパーマーケットなどを巡って持ち帰った缶詰などの保存食を、ロビーに集まった約600名が一同に会してつまんでいるというだけのことではあったが。
「皆さん、おつかれさまでした!」
健吾がグラスを持ち上げながら手短に乾杯の音頭を取ると、集まっていた作戦参加者たちは陽気にそれに応えたあとで、思い思いに手近な仲間たちと語らい始めた。
狩りを通して仲良くなった者たちがお互いに杯を交えながら盛り上がっているようであった。
彼らに救助された酒屋の主人が『皆の気付けになれば』と店の在庫を丸ごと提供してくれたため、飲める者たちはそれを大いに楽しんでいた。
とはいえもちろん、学生たちが手にしているのはスーパーから持ち帰ったジュースの類であったが。
IFを立ち上げて職業一蘭を見ながら語り合う者、腕相撲で腕力アップの効果を確かめ合っている者、そして明日の作戦についての意気込みを語る者。
誰もが不安な気持ちを打ち消そうと、必死になっているようにも見えた。
もしかすると、明日の戦いで自分は死んでしまうのかもしれない。
先週まで普通に学校に通い、あるいは会社に勤め、平穏な日常を送っていた彼らに、明日死ぬ覚悟などあるはずもなかった。
一件陽気に振る舞っている彼らも、脳裏によぎる死への恐怖を拭いきれずにいた。
「あんた何してんの?」
集団の隅っこでIF画面を見つめながら肩を落としている朱音をみつけて、美砂が声をかける。
朱音の画面には受話器のマークと天羽春樹という名前が浮かび上がっている。
「あら、彼氏からの着信? でないの?」
いつもの朱音なら嬉しそうな顔をして呼び出し音が3度も鳴らない内に応答するはずであったが、今回はどうにも様子がおかしい。
「春ちゃん、絶対怒ってるもん。また無茶したんだろうって。美砂ちゃん、どうしよう……」
美砂にはどういうことなのかよくわからなかったが、取りあえず朱音のよこにちょこんと座ると、迷わず受話器のマークをプッシュした。
「あっ! 美砂ちゃんひど―――」
朱音がそう言い切るより早く、春樹の声が聞こえ始める。
『朱音、怪我は大丈夫か? 斎藤先輩から聞いたぞ』
朱音は観念した様子で、小さく「うん」と返事をした。
『そうか。でも明日の作戦は休めよ。怪我人がいたんじゃ皆が気を使って思いっきり戦えないだろうし』
「えー!? 私も戦うよ! リベンジだよ! ほら、肩だってもう痛くないし!」
そういって包帯の上から肩を叩いて見せる朱音だったが、痛みを堪えながらの笑顔はどうにも不恰好にひきつっている。
『無茶して皆に心配かけた上に、まだ……』
「ひえ……」
春樹が冷淡な視線を向けると、朱音はそれに怯えて目を逸らす。
「あー、心配しないでいいわよ。この子はここで留守番させとくから」
美砂が朱音のIF画面をつまみあげて突然に顔を覗かせると、春樹は慌てて表情を和らげる。
『あっ、風町さんこんばんは。すまない、朱音が迷惑をかけているようで』
「ええ。大迷惑よ。ほんと無茶するわよねこの子。ちょっと目を離した隙にこの様だもの。あんたも大変ね」
『そうなんだよ。ああ、俺の苦労を理解してくれる人がついに現れたのか……』
心底嬉しかったのだろう。
春樹の声色は珍しくも多彩な感情を含んでいた。
「保護者代理。しばらくは私がしてあげるから、安心しなさい」
『助かるよ。ところで風町さん、斎藤っていうお巡りさんを知ってるかい? 生徒会長のお父さんの』
春樹が康利に、風町病院にいる仲間のことを話した際、「風町のお嬢さんは元気にしているかな?」と、ひどく心配した様子で訊いてきたので、少々気になっていたのだ。
「斎藤。ああ、あの刑事さんね。知っているわ、私の恩人よ。なんだ、会長のお父さんだったのね」
一年前、藤原に襲われた際に助けてくれた恩人のことを忘れるはずもなかったが、彼が兼光の父親であることは知らなかったため、美砂は少々驚いた。
『今、その斎藤さんと一緒に浄水場を守っているんだけれど、風町さんと話す機会があったら「すまなかったとだけ伝えてほしい」と言われていてね』
美砂はすぐにその謝罪の言葉の意味を察した。
斎藤康利が詫びているのは、美砂を襲った犯人である藤原という男の処分についてのことだろうと。
藤原が当時に騒がれていた連続強姦殺人事件の犯人であることは明白であったが、警察は一連の事件の証拠を上げられず、結局、美砂に対する傷害および強姦未遂と、風町修治に対する殺人未遂のみが罪状となってしまった。
逮捕から判決が下るまで半年もかからず、刑期はたったの7年という体たらくであった。
あの犯行現場で憎しみの余り藤原を殺そうとした美砂に対して「後のことは俺たち大人に任せてくれないか」とそれを宥めた斎藤康利の面目は丸つぶれどころではなかった。
それでも、あの場で自分と父親を助けてくれた斎藤を恨むようなことを美砂がするはずもなく、むしろ伝えたい感謝の言葉が多々あった。
『風町さんからも斎藤さんに何か伝言があれば、俺が伝えようか?』
春樹がそう尋ねるが、事件の話をする訳にもいかないだろうと思い「感謝している、とだけ伝えておいてくれるかしら」とだけ頼む美砂。
春樹は特に詮索はせずに「了解」とだけ返事をした。
「で、なんか隣でふてくされてるけど、朱音に代わる?」
美砂が目をやると、朱音はぷいっとそっぽを向いて頬を膨らませた。
明日の作戦への参加を禁止されたことに対してふてているのだ。
『ああ、代わらなくていいよ。あかねー、今度無茶したらマジのお仕置きな』
その言葉に朱音の背中がびくりと跳ねる。
「アレだけはご勘弁を!!」
慌てて画面の向こうの春樹に頭を下げる朱音。
「なんなの? お仕置きって。アンタがそんなに恐れるなんて、興味深いわね」
美砂が尋ねると、朱音は震える唇で答える。
「春ちゃんさ、怒ったら―――」
「怒ったら?」
「一週間くらい無視してくるの……一切口きいてくれなくなるの……」
美砂はなんと返したものかと少しだけは真面目に考えてやったが、やはり馬鹿らしくなって無言でその場を去っていった。