初めてのレベリング③
「ふぅ~。空気が美味しいなあ」
岩城正義が体を天に向かって盛大に伸ばしながら言うと、正義と同じホワイトカラーの男がそれに応える。
「いやほんと、天気が良いですねぇ、岩城さん。これで化け物がいなければそこらで昼寝したいところですよ」
男の名前は龍川誠二、28歳。
彼は正義や服部彰と共に市民ホールに逃げ込む人々の手助けをしていた男で、既に営業マンからバーサーカーに転職済みの強者であった。
ラグビーで成らした逆三角形の大きな体はいかにも強靭で、厚い胸板に張り付いているワイシャツが左右に引っ張られて悲鳴を上げている。
豪胆な性格とは裏腹に顔立ちは涼やかであり、よく笑い、そのたびに輝くばかりの白い歯が覗くのが正義には可笑しかった。
どうやら龍川は正義の戦いぶりに惚れ込んでいるらしく、いつも彼の側に控えるようになっていた。
「それにしても、いいんですか? 斎藤君でしたっけ、彼に指揮を任せてしまって」
龍川が子供のように唇を尖らせて尋ねる。
ホールでの一件を正義から聞かされていた彼は、兼光の指揮に心もとなさを感じていた。
兼光は目上の者に敬意を払える好青年だが、高校生が全権を握っているこの状況は相当に危ういと彼は考えていた。
レベル上げのために正義が護衛しているこの班は、市民ホールで彼と一緒だった社会人ばかりだった。
彼らの多くが龍川と同じような現状への不満を抱えており、高校生に指示されるなど御免だと、こぞって正義の班を希望したのだった。
「いいんです。若者の成長を見守りましょう」
正義がそう言って目を細めると、龍川はなおさら不満気に頭を掻いた。
その背をぽんぽんと叩きながら正義が宥めていると、ふと、真っすぐに近づいてくる女性の姿が目に入った。
正義に救われた市民ホールの女性職員、清水香だった。
「岩城さん、こんにちは」
「やあ、清水さん。こんにちは」
「あの……助けてもらっておいて、ずっとお礼も言えずにいて、すみませんでした」
彼女はタイトスカートの裾を押さえながら頭を下げる。
動きやすいようにと自ら裂いたであろうそのスカートから覗く太もも。
正義は目のやり場に気を使いながら、香が顔を上げるのを待った。
「いえ。清水さんがご無事で何よりでした。こちらこそ、怖い思いをさせました」
「本当に助かりました……。私、岩城さんのことをとても怖い人だと誤解していました。それも謝らせてください」
彼女の上司にあたる男性職員を市民ホールの外に放り出して魔物の餌にしてしまったのは正義に他ならない。
その一部始終を見ていた香が正義を恐れるのは当然のことだった。
「それについては謝る必要はありませんよ。僕は貴女の思っている通りの、恐ろしい人間です。貴方の上司を結果的に殺していますし」
「……」
正義の開き直ったような清々しさに驚いて、香はなんと返したものかと目を伏せた。
そこに龍川が割って入る。
「そーそー。岩城さんはロクでもないですよ。今後は何かあったら自分が助けにいきますんで、よかったらフレンド登録しませんか?」
龍川が鼻の下を伸ばしてIFの画面に映る自らのIDを見せると、香は面食らいながらも言われた通りに自分のIFを立ち上げる。
一方の正義は特に怒る様子もなく、いっそ龍川の言うとおり、自分はあまり彼女に関わらない方が良いだろうと考えて見守っていた。
間もなくIDの交換を終えると、龍川は真剣な顔を作り直して正義の方へと向き直る。
「でもどうします? 岩城さん。斎藤君はでっかい化け物は危険だから無視しようって言ってましたが」
龍川の視線の先では、中型モンスターである大百足が、狩りをしていた社会人たちを喰らうべく頭をもたげていた。
道路脇にあった畑の中から突然飛び出してきたそれが振り回した胴体に打ちのめされて、幾人かは既に地面に伏して気を失っているようだった。
「そうですねえ。まあ、この場合は正当防衛ということでっ」
正義は少々弾んだ調子でそういうと、IFを立ち上げて二本のナイフを宙から取り出す。
「そうこなくっちゃ」
龍川は正義の背中を追って、肩を回しながらゆっくりと歩き始めた。