浄水場の魔物たち③
「すまなかった、天羽君。まさかこんなところに人がくるなんて、思ってもみなくてね」
斎藤康利は真剣な声色で、並んで歩く春樹に謝罪をする。
一方で、康利の瞳は突き当りの重厚な扉をじっと見つめており、足の運びの速さから何かに焦っているのがよくわかった。
「いえ、大丈夫です。……何かあったんですね?」
「ああ、とりあえず中に入ってくれ」
康利は手早く扉を開くと、春樹にそう促した。
どうやら室内は電灯が灯っているようだ。
外に魔物がうろついている中、電灯をつけていてはあっという間に気づかれてしまうのではと思ったが、なるほどこの部屋には窓らしきものはなく、コンピューターとそのモニターが並んでいるばかりだった。
おそらくここは施設全体を管理するためのコントロールルームといったところなのだろう。
「おい、しっかりしろ!!」
作業着姿の中年男性が、床に横たわる若い男に必死で声をかけていた。
若い男も中年男性と同じ作業着を着ているあたり、ここの職員なのだろう。
康利もすぐにその側にしゃがみ込むと、赤くそまってしまっている若い男の脇腹を見つめた。
「窓から飛び込んできた鳥形の魔物にやられたのさ。やつは俺が倒したが、こんな状況じゃあ手当もできやしない」
康利は制服を脱いでそれを傷口にあてがったりしていたが、若い男の厚手の作業着には槍で貫かれたかのような大穴があいており、そこから呼吸のリズムに合わせて湧き出る血液は一向に止まる気配が無かった。
この出血ではどうやら助かる見込みはない。
それを察して歯噛みをする康利の隣で春樹はハッと顔を上げると、IFを立ちあげながら走り出した。
「表で待ってる僕の友達がポーションをもってます、取りに行ってきますんで、しばらくもたせてくださいっ」
「おおっ、あの薬か! 助かる、頼んだよ!」
春樹は返事をするでもなく、IFの「パーティー通話」を立ち上げ、ミュートボタンを解除した。
「池本、鷹野さん、聞こえるかい? いまからそっちへ―――」
そう言いかけた直後に春樹はすぐに異変に気が付いて、一層力を込めて地面を蹴り始める。
春樹の問いかけに対して返ってきたのは、魔物の雄叫びと達也たちの焦燥を含んだうめき声だった。
春樹が建物の割れた窓から飛び出して正門の方へと振り返ると、達也たちは門の外側で5、6匹の魔物に取り囲まれているところだった。
数分前のことだ。
達也たちは十分に警戒しながら春樹の帰りを待っていたつもりであったが、いつの間にか鳥形の魔物が塀の淵に止まって彼らの方をじっと眺めていたのだ。
麻衣がそれに気が付いて弓を構えたときには、魔物はそのくちばしを大きく開いて、犬笛のごとく、人が聞き取れないほど高音の叫び声を上げた。
聞き取れはしないが、空気の振動は確かに達也たちの鼓膜を揺らし、その場の誰もが耳を塞いだ。
そして、直後に彼らを取り囲むように漆黒の渦が発生し、やがてそれは魔物へと姿を変えた。
鳥形の魔物の名前は鴆。討伐推奨レベル7
古くは紀元前から中国の文献に登場する、鷲ほどの大きさの鳥。翼に毒を持ち、その羽毛は当時、毒殺に用いられるポピュラーな代物として描かれており、実在したと噂されている。
本作においては鋭いくちばしによるついばみと、毒を含んだ羽毛を飛ばす攻撃を得意とするが、いずれも殺傷能力は低い。
その代りに、獲物を発見してからしばらくの後に、叫び声とともに周囲の魔物を身近に呼び寄せるという厄介な能力を持っている。
餓鬼が3匹に、ショウジョウが2匹、ガルムが1匹。そして鴆が上空を旋回しながら、獲物を品定めしているようだった。
達也と麻衣、それに2名の男子生徒が皆を守るべく奮闘していたが、雑魚とはいえどうにも数が多く、防戦一方にならざるをえなかった。
「くっそ! 手が足りねえ!」
怯えて身を寄せ合う人々を目がけて、あんぐりと口を開いて飛びつこうとしていた餓鬼を跳ね除けながら、達也が額に冷たい汗を滲ませる。
「だめっ、きりがない」
麻衣は攻撃体勢にはいった魔物に弓矢を放って牽制していたが、心の焦りがどうにも照準を狂わせている。
「倒してもすぐに湧いてきやがる……」
倒した餓鬼の傍らに発生した新たな黒い渦を睨みながら、達也が舌打ちをする。
必死で考えを巡らせてみるものの、考えるほどに絶望的な状況だと思い知らされるばかりだった。
一団をぐるりと取り囲むように陣取っている魔物たちから逃げ出すというのは現実的ではないし、打倒しようにも、魔物は次々と補充されていく。
このままでは間違いなく死人がでる。
一団は正門を背にしてはいるが、魔物たちは前方180度、いたる方向から代わる代わるに襲い掛かってくる。
「多分あの鳥の仕業ね」
そう、魔物を呼び寄せ続けているのは上空を旋回している鴆の仕業。
それに気が付いた麻衣が仰角を目いっぱいにあげて弓を引き絞る。
しかし、その隙を狙って二匹のショウジョウたちが足に力を溜め始めた。
「鷹野! あぶねえ!」
達也が眼前のガルムを斬り捨ててから振り返った時には、すでにショウジョウたちは飛び出していた。
周囲をグルグルと周るばかりでなかなか攻撃してこないショウジョウに対して、麻衣は完全に油断していた。
天へ向けて弓を構えている麻衣の脇腹に目掛けて、その鋭い爪が真っすぐに伸びてくる。