浄水場の魔物たち②
春樹は正門側で無警戒に頭を掻いているスプリガンの背後までたどり着くと、塀の陰から覗いている達也たちにシーと指を立てる。
遠目にもまだ3匹、4匹と魔物がうろついているのが見えるこの状況で叫び声などあげられるはずもなく、達也たちは春樹に言われずとも固唾を飲んで見守っている。
達也たちはこのとき、春樹の右手の様相がおかしいことに気が付いた。
五本の指の先端がそれぞれナイフのように鋭利に尖っており、鈍い金属光沢を放っていたのだ。
間もなく、春樹はスプリガンの背に向かって、その指先を静かに近づける。
すると、背に触れた途端に五本の指先が一気に伸びて、一瞬のうちにスプリガンの屈強な体を貫いてしまった。
春樹がそのままとどめとばかりに手首を時計回りにぐるりと回すと、スプリガンの鉄のように固い腹部がぽっかりとくり抜かれてしまう。
スプリガンは悲鳴を上げる暇も無く、黙って煙となって消えた。
ショウジョウの能力は暗殺に特化したものだった。
消費MPは30。
効果は30%の腕力のアップと指先の硬化であるが、相手に気付かれていない状態で攻撃をすると、先ほどのような凄まじい威力の刺突攻撃が発動する。
「すげえ。一撃で仕留めやがった」
「他の魔物も気づいてないみたいだね」
達也と麻衣が春樹に向かって親指をたてると、春樹は小さく頷いてそれに応えてから、再び右手にショウジョウを召喚してゆっくりと歩き始める。
春樹はそのままさらに2匹の魔物を同じ手口で仕留めると、正門の方へと戻ってきて、格子越しに達也と麻衣に小声で話しかけた。
「あの建物の裏手の窓ガラスが割れてた。多分そこから魔物が中に入ったんだと思う。ちょっと見て来るよ」
「独りでか? ……でもそっか。流石にみんなを連れてはいけないもんな」
国道脇の土手の斜面に息をひそめている十数人の救助者たちを横目にみながら達也が言うと、春樹は静かに頷いた。
敷地内にはまだまだ沢山の魔物が闊歩しているし、その一部が既に侵入しているらしい建物内にはなおさら連れてはいけそうにない。
「無理しないでね、天羽君。何かあったらIFで連絡して」
「了解。じゃあ、皆を頼んだよ」
足早に駆けていく春樹の背中を心配そうに見送りながら、麻衣がぽつりと呟く。
「私ももっと強くなりたいな」
「あいつを守れるように、か?」
達也がそう言ってからかうと、麻衣は顔を真っ赤にして頬を膨らませた。
「そんなんじゃない!―――こともないかな……」
「まあ、わかるぜ。あいつは冷めてる感じがするくせに、他人のために結構な無茶するから、ほっとけないよな」
「うん……今は頼りっきりだけど、いつか支えになりたいな」
「俺もダチを生き返らせるために強くならねえとだし、お互い頑張ろうぜ鷹野!」
「うん!」
二人は春樹の姿が見えなくなるまで見送ってから、土手で待つ救助者たちを護衛するべく歩き出した。
「血の跡……」
足元の血痕は、薄暗い通路の奥へと点々と伸びていた。
春樹は明るい野外から薄暗い屋内へ飛び込んだことで幾分視界を奪われながらも壁に手を添えて歩き始める。
しばらく歩いて辺りの暗さに目が慣れ始めたころ、足元の血痕が十字路を左へと曲がっているのが見て取れた。
「こっちか」
声を出すことなく、唇だけをそう動かしてから血痕のゆく方へと曲がる春樹。
しかし、次の瞬間には春樹は地べたにしゃがみ込んで自分の頭があった辺りを見上げていた。
暗闇で光ったその「何か」は、コンクリートの壁の一部を粉砕して春樹の頭上に存分に破片を降らせた。
なんとか避けたものの、突然のことに心を乱した春樹は咄嗟に飛び退いてから暗がりに目を凝らした。
左手の平を右の手の甲にあてて春樹が構える。
すぐに利き手に魔物の力を宿せるようにと、春樹は自然とそういう構えを取るようになっていた。
「君は……天羽君かい!?」
聞こえてきたのは意外にも、覚えのある声。
春樹は暗がりから現れたその人物を見るや否や、構えを解いて立ち上がった。
「斎藤さんじゃないですか!」
斎藤兼光の父、斎藤康利もまた、警戒を解いて鉄パイプを壁に立てかけると、手を差し出しながら春樹に歩み寄った。